筆は遅れ、感想も返す時間も作れず申し訳ありません。
早く日本に帰ってペースを戻したい。
あとウマ娘を沢山お迎えしたいです。一周年もゴルシウィークも完全に逃しましたよ……。ちくせう。
一旦スタジオ。
「本当に誰の子どもなんですかねぇ(白眼)」
「高平太、平大相国、六波羅殿、福原殿、清盛、浄海入道……この中の一人でしょうね」
「実質一人じゃないですか。やだー」
「分かりきったことを一々言うからです」
「話は義朝に戻りますが、血の繋がりのないウマ娘が義朝の遺児を名乗ったのはどういうことなのでしょうか。史料では各地の有力者との間に儲けた娘と言われていますが」
「単純に数に無理があるのと、後の頼朝の線引きが根拠となります。義平と頼朝は間違いなく義朝の娘であることは多くの史料から確認されていますが、男性である朝長は養子。他のウマ娘ですが、例えば蒲冠者と呼ばれた源範頼は1150年静岡県浜松生まれと見られますが、ちょうどこの時期は鳥羽院や藤原忠通にも接近するための大事な地固めの時期なので、ホイホイと都を離れて浜松でポンと儲けたというのは理解に苦しむ行動です。実際、地固めは成功して1153年に従五位下・下野守に任じられ、翌年にはウマ娘には憧れの職である右マ助を兼ねたわけです。河内源氏では単なる検非違使に過ぎない為義を遥かに超える地位であり、出世頭です。清盛も仕事以外で任国に向かうのは稀でしたし、義朝も同様でしょう。後に、妹の義賢から棟梁の象徴たる名刀・友切を奪う重要な任務も娘の義平に一任しているなど、やはり都から離れることは避けています」
「では、頼朝の線引きとは?」
「頼朝の兄弟姉妹で天寿を全うできた方は一人もいません。もちろん、頼朝は娘の頼家との逸話などから家族の情がある方なのは分かっています。そんな頼朝が用済みとなったあとは徹底して排除した義朝の子を名乗る人間やウマ娘達ですが……頼朝は家族にカウントしてなかったんじゃないですかね。きっと、本当の意味での姉妹は、姉の義平だけだったのではないでしょうか」
「……兄弟姉妹の排除には頼朝ではなく北条氏が背後にいたのでは?」
「鎌倉幕府黎明期に一地方豪族でしかなかった北条氏にそんな力はありませんよ。彼等が権力を握るのは鎌倉の13人体制が崩壊してからです。源氏の縁者に加えて他の有力者を一気に相手取るのは北条氏としてはナンセンスだったでしょう。しかし、頼朝自身が縁者を身内とカウントしていないならば、鎌倉の13人で結託して排除できます。実際、範頼を追い詰めたのは頼朝自身ですよ」
事実、御家人から一部の敵対視されていた義経に対して、範頼は御家人からの讒言も無しに手紙に「源」の名を用いたという理由のみで粛清されています。つまり、頼朝は自分が身内と認めた者以外には「源」と名乗ることすら許さなかったわけです。
「これは身内への仕打ちではない、と?」
「戦国の世で身内に非道なことをした方々は結構いますが、あの信長でさえ明確に身内を殺めたのは複数回の謀反を企てた弟と自分の子どもを武田に売り渡した叔母の二人だけです。しかも弟に関しては本人は赦すつもりだったのを家臣が我慢ならず排除した説があり、事実として弟の遺児で身寄りのない甥っ子を自分の子として引き取っています。妹の嫁ぎ先たる諏訪家を滅ぼした武田家が後々に滅びた際には『武田滅亡は勝頼くんのせいじゃないさ。信玄の無情が招いたことだよ。ハッハッハー』と吐き捨てています」
「あの……信長が魔王というより世紀末な覇王みたいな笑い声をしていませんでしたか?」
「なんのことやら? いずれにせよ、いつの世も身内に非道なことをするものは信用されません。だって、身内に優しくない人がどうして他人に優しいと言えますか? そんなリスクを、頼朝が選んだにしては彼女自身は当時そこまで非道とは言われていないんですよね。まあ、義経に関しては……アレでしたけど」
「アレに関しては、まあ……後々に。そして、結局源氏は3代で血筋を断つわけですね」
「これも因果応報なんでしょう。何にせよ、頼朝は後に合流してくる自称義朝の子どもを身内には数えていませんでした。以上のことから、自称義朝の子どもが本当に義朝の子どもであるかは非常に疑わしいと言えます。まあ、あれです。心では繋がっていたかもしれませんが、頼朝からすれば『それはそれ、これはこれ』という話でしかなかったわけですね。で、結局血が細くなって全部ご破産になりました。割り切った頼朝の血は絶え、家族想いの清盛の血はなんやかんやで現在まで受け継がれたのとは対称的ですね」
「なるほど。さてさて、時を進めましょうか」
時は1143年、一人のウマ娘が髪を下ろしました。
「ゔわああん! 頭が涼しいよ゛お゛お゛お゛!」
高階通憲は自らの家を大学寮の役職を世襲する学問の家として盛り立てるつもりでしたが、保守的な学界に高階家が入り込む余地は無いと悟り、ならば官僚としてその才智を生かそうとしますが、鳥羽院の政務は勧修寺流藤原氏が独占していたため藤原氏の中でも特に地位の低い高階家では太刀打ちできません。
通憲は絶望しました。絶望のあまり出家して隠遁しようと企みますが、これを聞きつけた友人の藤原頼長は「お前ほどの才が失われるとか、国を滅ぼす気か」と必死に思いとどまるよう説得します。しかし、二人で世のままならなさを愚痴りあう内に通憲の鋼の意思は変えられぬと気付いてしまいました。
「あたしは運の無いウマ娘だ……才能や学問も天は必要としてないんだ。願うのは、友達までもが天から見放されないことだよ」
「通憲、確かにこの世はままならず、運は無かったかもしれん。けれど、死んではいかん。天がお前を見捨てようとも命だけは、自ら手放してはいかんぞ」
摂関家の頼長と高階家の通憲では余りにも身分の差がありましたが、同じく国を良くしたい、家を盛り立てたいと願う友人同士。友情に身分の隔てはなく、ただおいおいと涙をながしました。
『通憲、出家するってよ』という噂に取り乱した人物はもう一人いました。鳥羽法皇です。
鳥羽上皇は通憲を引き止めるために強権を発動して通憲を少納言に昇進させ、更には通憲の娘には大学寮の受験資格を与えるなどあの手この手で懐柔しようとします。
だがそれが通憲の逆鱗に触れました。
今更何だと言わんばかりに剃髪を強行し、通憲は出家。以後、信西と名乗ります。
隠遁を決め込む信西でしたが、鳥羽上皇のなりふり構わぬ引き止め工作は信西をして「貞操の危機」を思わせるほど遂に危険な領域にまで到達し、『ぬぎかふる 衣の色は 名のみして 心をそめぬ ことをしぞ思ふ(衣の色は変わっても心まで僧衣に染まるわけじゃないよ)』の句を詠んで鳥羽上皇の力になることを約束しました。
一方、平氏は忠盛が正四位上に昇進し、尾張守となります。また、鳥羽法皇の信任も厚く、側近の一人にまで数えられるようになりました。
忠盛は朝廷内で人脈を築くことにも長け、同僚の藤原忠隆はウマ娘の指導人の達人であると知られ意気投合するところがあったのか、忠隆の子・隆教は忠盛の娘を妻に迎えています。ここに忠盛の抜け目ない打算も見えるのが、忠隆の妻・栄子は崇徳上皇の乳母であり、忠盛の妻・宗子は崇徳上皇の子・重仁親王の乳母だったことです。鳥羽法皇の側近でありつつも崇徳上皇にも接近する。これな鳥羽法皇への背反ではなく、事情がありギクシャクした親子関係にある鳥羽法皇と崇徳上皇ですが、間に忠盛を挟むことにより白河院に人生を歪められた者同士として何とか協調路線を歩むことができたことから必要な手段でした。
また、鳥羽法皇が和歌にさほど関心がなかったことから、当時の歌壇は崇徳上皇を中心に展開していました。忠盛は和歌にも長け、たびたび崇徳主催の歌会に参加しました。歌会は当時の文化サロンであり、文化人にとっては欠かせぬもの。そこでも支えてくれる存在である忠盛は、最も頼りにできる人物となるのです。
清盛もまた朝廷内で着実な昇進をしつつ、1145年に周囲の薦めもあり下級公家の娘である時子と再婚。異性をウマ娘しか知らぬ清盛からすれば初めて触れる人間の女性でありました。夫婦仲は良かったのか、後に少なくとも4人の子に恵まれることとなります。*1
今までの青春をウマ娘に極振りしていた清盛に嫡子たる男子が授かった際に安堵したのは平氏の親族達であったことでしょう。
そして、 1146年。思いがけぬ形での再会がありました。関東で力を蓄えた義朝が帰京したのです。
母娘関係は破綻しているため、もはや義朝は源氏の御曹司ではなく一人の武士としての再出発になりますが、その顔に悲壮感はありません。むしろ覚悟を決めた母の顔です。
実家に顔を出すこともなく訪れたのは平氏の邸。内々で話が通っていたためかあっさりと門を通り、何も知らされていない平清盛(29)の眼の前に現れたのです。小さな子どもと手をつなぎながら。
「久しぶり、清盛」
「よ……義朝……?」
「何、アタシが分かんないの? へぇ……たかだか数年会わないだけで愛バの顔も忘れるんだ」
「忘れるものか! 忘れられるはずもない! いつ戻ってきたのだ!」
「ついこのあいだ、ね。それでさ、実家からは勘当されている身だけど、内裏には挨拶にいかにかなきゃいけないし、ちょっとこの子の面倒見てくれない?」
「構わんぞ。む、その娘は?」
「ちちなるものよ、しゅくふくを(訳:父上、はじめまして)」
「うむ、祝福を。君は、まるで闇夜のような黒髪だな。それでいて、毛先が焔のように赤い。はは、こんな珍妙な髪色は私以外に見たことないな」
「そりゃ、ちょっと奇抜な髪色だけど、アンタの子なんだから受け継がれてもおかしくないでしょ」
耳を疑いますが、現実逃避はもはやこれまで。血とは恐ろしいもので、抱き上げた初見のウマ娘が、自分の血を引く存在だというのは妙な確信をもたらすのです。
「……義朝、この子の名前は?」
「義平。忠盛さんに相談したら、わざわざ考えてくれたんだけど。知らなかったの?」
決定的であります。
元より源氏関連に関しては甘すぎる忠盛は、清盛と義朝が結ばれた事を知るやいなや幾重にも仲介を経て足跡を消しつつも援助の手を差し伸べていました。そして、血の繋がりは無いとはいえ初孫の誕生に、忠盛はハジケました。もしも、亡き義忠との間に子がいたならば付けたであろう願いの名前ーー源氏に受け継がれる義の字に平氏を意味する平。併せて義平の名を贈るほどの浮かれぶり。それでもなお周囲に対して威厳を崩さなかった忠盛は流石であります。
なお、忠盛が壊れるまであと数分。
「ももも、もしかしなくても、こここ、この子、わ、あわわ、私のーー」
「アンタ以外に誰がいるの? アタシ言ったよね。産むって」
「よよよもももやややよよよもももややや」
「あのさ……報せなかったから仕方ないけど、そんなに取り乱さないでよ」
「え、いや、その、じ、じつはわたしにもごほうこくといいますか、なんといいますか」
「ちちうえ?」
「……ふぅん、報告ね。それは、このアンタに似た巻毛の娘の件?」
あ、終わった。
何となく自分の身体で隠していた芦毛の娘。ふわふわとした髪の毛の長女、重盛がひょっこりと顔を出してしまい、清盛は死を確信。
こんなことならば大鎧を着込んでいればよかったと、来たる蹴りをかつての父の如く強靭なる腹筋で受け止める覚悟が決まらぬために心底後悔しつつ、悟りを開いたような穏やかな顔で己の死を受け入れました。
「……この子が重盛ね」
「あなた、だれ?」
「あんたのお母さんだけど?」
「「え?」」
父娘で全く同じ困惑をします。
またしても母を名乗る不審者なのかと解説の私もいい加減食傷気味でしたが、流石は義朝です。彼女は正常な思考をした上で母を名乗っています。
「何? アンタの子ならアタシの子でしょ」
「いや、うん、そうかもしれんが、ええと……※違います」
「はぁ……ハイハイ、お互い立場があるのは分かるよ。もう再婚してるのも知ってるから。それはそれとして、再婚相手は人間なんでしょ? 二人もウマ娘を子育てするのは無理があるよ。あんたの周りにウマ娘いるの?」
「いや、いない。時子も身重だし、正直子育ては俺の役目だな。全く子育ては戦よの」
人間がウマ娘を育てるのは普通の人間を育てるのとはわけが違います。力加減などできるわけもなく、下手をすれば大の男でさえ大怪我をしかねない力を秘めています。
このとき、重盛は8歳。次女の基盛は7歳。分別は付きつつありますが、極稀に勃発する姉妹喧嘩は清盛をして仲裁に死を覚悟しなければならないレベルです。
よく見れば、清盛のあちこちに生傷が増えているのを義朝は見逃しません。
「なら、アタシも育てるよ。いいよね?」
「それは、ええと、と、時子の……妻の承諾も必要ーー」
「あと、お願いもあるんだけど」
他の女の名前を出されて耳を絞り、機嫌を損ねる義朝であります。清盛はたちまちに話題転換に乗りました。
「何だ? 何でも言ってくれ」
「義平がね、妹が欲しいんだって」
「……し、重盛と基盛では駄目だろうか?」
「子どもをだしにしたのはアタシも悪かったけど、はっきり言わせないでくれる? 6年分埋め合わせしたいんだけど。イイヨネ?」
「ア、ハイ」
義朝がいつ頃に帰京したのかは正確には不明であり、確かなのは1147年に鎌倉幕府を開くこととなる源頼朝が産まれていることです。*2
頼朝の存在は義朝が築いたコネクションに加えて忠盛も大いに関与しました。まず、頼朝の父親を鳥羽法皇の近習でもある熱田神宮の大宮司・藤原季範とし、彼の後ろ盾を得つつ鳥羽法皇へと接近。忠盛の親友たる藤原忠通も巻き込んで諸々の事情を話すと、鳥羽法皇は誰よりも前のめりに協力を約束することとなります。
話は戻りまして平氏邸。楚々とした所作で茶漬けを持ってくると同時に「妻の時子です」とアピールも忘れない時子、「ありがとう」というや否や一口食べ、「美味しいけど、少し薄味だね。清盛はもう少し濃い方が好みじゃなかった?」と、暗に『アンタよりアタシの方が付き合いは長い』とマウントを取ろうとし、そこにすかさず「夫の健康を考えて薄味に馴れさせていますので」と、両者ハナ差も譲らぬ叩き合い。これは分からない。
なお、平時子の容姿はあまり記録にありませんが、異母妹は容姿比類なしと絶賛された建春門院滋子であり、子どもも多くが美男美女の誉れ高かったためかなりの美人であったと思われます。そして、約束された美人たるウマ娘。その間に挟まれた清盛は、心做しか一日にして一気に老け込んだ気さえします。
「邪魔するぞ」
「父上!」
仏はいる、そう思った。
男女比の関係で圧倒的形勢不利の清盛にとって忠盛はまさに天からの助け。父上が来た、これで勝つると、清盛の士気は一気に回復します。
どろどろとした女の争い渦巻く雰囲気ななどそよ風程度にしか思えぬ
「この子が義平か。なるほど、髪色は清盛に似ているな。顔立ちは、まるで……いや、うん、美しいな」
喉からでかかったのは、亡き義忠に似ているという一言。
「そふよ、そふよ、なぜになく。だれかのおもかげがみえてうれしいのか(訳:じーじ、なんでないてるの? あたしのかおになにかついてる?)」
「……坂東の訛か。本当に、似ているな。義平、踊りは好きか?」
「てんにょのまい、ともにおどらん(訳:だいすき! じーじもいっしょにおどる?)」
「共に、踊る?」
ーー私と一緒に踊ってくれない?
「……ッ!?」
……。
……ああ、そうか。
想いは繋がっているんだね、義忠さん。
魍魎が跋扈し、生き馬の目を抜く内裏において武士の生まれから殿上人にまで昇りつめた平忠盛。果たして彼が身に纏う覇気を微塵も残さず失い、ひどく静かであることを訝しまぬ人がいるでしょうか。
全く動きの停止した忠盛の顔を義平は遠慮なくペシペシと触り、流石に清盛が「父上」と声をかけたところ、忠盛は静かに微笑んでいました。そう、ただひたすらに穏やかな顔でーー
「し、死んでる」
……1146年、平忠盛、尊死す。
心肺停止となった忠盛は清盛の必死の蘇生法により息を吹き返します。
「可愛さのあまり死ぬかと思った」
真顔でそう言ってのけた忠盛に一同は思わず吹き出し、なんとも言えぬ心地よい雰囲気が広がりました。
以後、義朝は郊外に屋敷を持ちつつ平氏の屋敷を洛中での拠点として活動をし、忠盛・清盛の推挙もあり鳥羽法皇からの覚えも目出度かったと伝わります。
一方で、平氏の屋敷からは夜な夜な苛まれる悲痛な叫びと、何故か痩せ細る清盛の姿が見られるようになり、時子は平氏にとって待望の長男である宗盛を産むと、知盛、徳子、重衡と立て続けるように子どもを産みます。一体誰と張り合っていたんでしょうかねぇ。
義朝もまた次女を出産。幼名を鬼武者……後の源頼朝であります。同時期に関東から縁者を頼りに指導人候補生となる男子を養子に取り、朝長と名付けます。
ともかく、平氏も源氏も空前のベビーブームであり、義朝と時子も最終的には共闘路線を歩むこととなり、女の戦は子育てへと向かうこととなるのです。
それはそれとして清盛は枯れた。何がとはいわぬが、枯れ果てた。
一方で、おじいちゃんと化した忠盛は孫可愛さに今まで培った政治力を総動員して家族を守るために奔走します。当然、助力を仰ぐのは庇護者にして上司にして同志でもある鳥羽法皇です。
「なるほど、相分かった。この身としては全面的に力を貸すぞ。何せ、白河院が潰した平氏と源氏の融和を体現する子なのだからな。ふふ、あの妖怪めが悔しがると思えば、子等の存在そのものが痛快でならぬわ」
「では、そのように。義朝ももはや摂関家とは縁が無く、我等が盟に属してもよろしいかと」
「ああ、そうだな。彼女もまた、良い武士なのだろうな。血を恐れず、走りに酔っている。良いウマ娘だ」
「側には上げませぬぞ」
「戯け。身には得子*3と泰子*4がおれば良い。それに、泰子以外のウマ娘にはどうも寵が向かぬ……いや、無論我が国の民として愛おしく思っているが、やはりなーー」
「心苦しうございますか?」
「そうだな。白河院のせいで、人とウマ娘は永劫に争う世となるやもしれぬ。それが、心苦しい」
「ご心痛お察しいたします」
「その方だけぞ……斯様なことを言えるのは。いや、そうでもないか。まだ我等の盟約については話しておらぬが、第四皇子がなかなかに面白いバ鹿に育った」
「第四皇子といいますと、雅仁親王殿下ですね。確か、先だって落飾した信西尼が乳母を務めたとか」
「うむ。ウマ娘を乳母とした者は多かれども、あれは……狂いじゃな。ウマ狂いぞ」
「ウマ狂い?」
「アレはウマ娘がの、好きで好きでたまらぬのよ。待賢門院の胎から産まれたとは思えぬ程に丈夫に育ったが、それさえもウマ娘の乳で育ったが故と言うて憚らぬ*5」
「一理ありますな」
「確かに。だが、それはそれとして狂うておるわ。後継者争いにもならぬ身故に自由奔放での。ウマ娘の追っ掛け、と申すのか? ともかくそればかりしておる」
いわゆるオタ活であります。
「何とも羨ましい。是非とも同行したく」
「……その方、話にウマ娘が関わると知恵が下がっておらぬか? まぁ良い。奴の狂気はこの詩を見れば分かるだろう」
袖口から一枚の紙を眉をしかめながら渡す鳥羽法皇。それを恭しく押し頂く忠盛。
「拝見いたします」
身体はうまぴょいでできている。
血潮は蹄鉄で、心はうまだっち。
幾多の輪廻を超えて絶頂。
たった一人に推しを絞れず、
ただひとつの後悔もなし。
私は一人、都のバ場で歌い踊る。
その身体はきっと、無限の愛で出来ていた。
「これを見てどう思う?」
「……感動しました。是非とも盟に入っていただきたく思います」
「身は頭が痛くて泣きそうなのだがの。我が子ながらどうしてこうなった」
「信西尼の育て方が良かったのでしょう」
「身は人選を誤ったがの。まあ、変に歪むよりは良いわ。少なくとも、愚か者では無い」
「左様ですな。さて、それより本題に入りましょう。盟の者と調査を進めてはおりますが、やはり物の怪は中々には見つからぬ様子でーー」
「失礼仕る」
真っ青な顔で突然入ってくる清盛を忠盛は咎めようとしますが、鳥羽法皇がそれを手振りで制します。
「おや、清盛かえ。どうした?」
「やらかしました」
「ふむ? 仔細申せ」
「我が家の郎党が祇園社と乱闘騒ぎを起こし、その際に放たれた矢が宝殿に刺さりました。怪我人も多く、一大事にございます」
1147年6月15日、祇園臨時祭の夜に平清盛は宿願の成就を祈って、田楽を奉納する予定でした。田楽の集団には平氏の郎党が護衛として同行しましたが、ここで一つトラブルが生起します。
「あのぉ、平氏の皆様……神社の境内に刃物はちょっと……」
いつもどおりの護衛の感覚で武装したまま境内に侵入してしまった平氏の郎党。確かに八幡太郎義家以降、熊野参詣などの神事に武装したまま護衛するのは当たり前となっていましたが、神域たる境内にまで入ることは無かったため問題にならなかっただけのこと。流石に境内に入られては困ると申し出た巫女ウマ娘は全くの正論であります。
が、折り悪く今日は祭りの日。下っ端の郎党の中には酒気を帯びる者も少なからず。無駄に気の大きくなった郎党は祇園社の巫女ウマ娘に武具の携行を咎められたことに何故か反抗し、騒ぎを聞きつけた祇園社の神人達と小競り合いとなったのです。そして、その際に誰とも知れず放たれた矢が宝殿に突き刺さってしまったのであります。
これに祇園社の親玉である延暦寺が激怒。「誠意を見せんかワレェ」と神輿を担いで出るところに打って出る構えを見せました。
平安末期の名物、僧兵の強訴であります。
双六の賽子、加茂の流れ、僧兵の強訴。
治天の君にして平安の妖怪たる白河院でさえ思うままにならなかった三つのもの。厄介さを知る鳥羽法皇は顔をしかめます。
「蔵に矢が刺さった程度で大袈裟じゃのう。死人も出ておらんし。それに、祭りに喧嘩はつきものであろうに」
「いや大事ですからね。向こうからすれば神様仏様に矢を射られたようなものですから」
「それで、神輿担いでわっしょいわっしょいと?」
「わっしょい、わっしょいでございます」
「ふむぅ、仏が神輿って……何かちぐはぐではないか? 神輿は神道であろう?」
「この時代は神仏習合ですから。詳しくは八百万の神々は仏様の化身たる権現である考え、つまりは神様の権能を仏に当てはめて、性格を神道で解釈する本地垂迹説というものがありましてーーって、こんな説明は私がするんじゃないですよね!」
流れ的に清盛に任せました(松平)。
「というか、それ15日のことじゃろ? 身は17日から27日まで比叡山へ崇徳院と公卿共を引き連れて参拝したが、何も言われんかったぞ? 夏の山は良いわ。空気も飯も旨い」
「……(あれ? 俺、誘われてない)」
参拝と言いつつ、要するにキャンプ旅行であります。娯楽の少ない時代ですが、鳥羽法皇の趣味嗜好は割とアウトドアなのです。
なお忠盛は連れて行くと逆に全部完璧にセッティングしてくれるので不自由ささえ楽しむキャンプの醍醐味を欠くためハブられた模様。
「有耶無耶にできぬよう御身が御所へ戻られる機を見ていたのでしょう。姑息なことです」
「であるか。正式な訴えであれば確かに有耶無耶にはできぬな。して、どうする忠盛」
「先ずは下手人を院庁の検非違使へ引き渡します。手筈は為義に任せましょう」
「あやつか……まあ、確かにあれだけ乱闘騒ぎを起こしておれば手続きには慣れておるか」
「全く、為義も言いがかりを捌いてきた経験が役立つとは。こんなことに巻き込んで奴には申し訳ないかぎりです」
「礼にチュウでもしてやれば良かろうに」
「それでは私めへの褒美になってしまいます。為義も嫌がりましょう」
「……のう、清盛。身はこの朴念仁を殴る義務があると思うのだが」
「申し訳ございませぬ。後で私が殴っておきます」
「何故に?」
このように乱闘騒ぎの下手人7人は27日には拘束され、速やかに検非違使へと引き渡されます。そして、無駄に慣れた様子で乱闘騒ぎの処理を行う為義は、忠盛から「お前しかいない。頼む」と言われて絶好調であります。
が、粛々と処理を行う院庁の態度に延暦寺の上層部は納得しましたが、血気盛んな僧兵達は欲を出します。さらなる「謝罪と賠償」を求めて神輿を担ぎ出し、忠盛・清盛親子の配流を求めて強訴を敢行したのです。
これを受けて検非違使に所属する為義他の源氏は僧兵達が都に侵入することを阻止すべくスクラムを組み、鴨川沿いにて両者一歩も譲らぬ睨み合いとなったのです。
「忠盛が配流? 離れ離れ? 遠距離とか無理……無理ィ。この強訴、絶対に叩き潰してやる」
なお、無駄にヤル気の為義についてはノーコメントで。
この場は朝廷が3日以内に道理に基づいた裁決をすると僧兵側に約束し、一旦はお開きとなります。
翌日の30日、鳥羽法皇の御所である白河北殿に公卿が集まり、どう落とし前を着けるかの話し合いが開かれました。
大勢を占めるのは「忠盛関係なくね? 清盛も祇園社からすればちゃんとした参拝客だし、酔って暴れたバ鹿だけ罰すれば良いじゃん」という、平氏からすれば同情的なものでしたが、藤原信頼は春秋左氏伝の故事を引き合いに出しながら、「畏れ多くも帝のおわす山城国にて郎党が狼藉を働いたのであれば、たとえ関知しておらずとも責任は取るべき」と持論を展開します。*6
とはいえ、大勢を占める平氏に融和的な意見を覆すことはなく、取り敢えず朝廷は延暦寺の所司と現場検証を行います。
結果、放たれた矢の跡や乱闘・流血の形跡、破損物に関して僧兵側の主張との齟齬があり、例えば僧兵側が主張した「清盛が自ら矢を放った」等は全て否定され、引き渡された下手人の証言等も併せると、どうも僧兵側の主張は誇張が含まれ信用性に欠けると結論付けられます。
これに反発した僧兵側は再び強訴の構えを見せますが、鳥羽法皇は素早く源氏を中心とした北面の武士を展開すると共に天台宗では最高の地位にある天台座主に対して僧兵を宥めるよう院宣を発し、外と内側から僧兵側を圧迫します。
白河院でさえ御し得なかった僧兵を、鳥羽法皇は手玉に取っているのです。御所の奥で忠盛と謀を練る鳥羽法皇は、いかにも悪そうな顔で「計画通り」とつぶやいたとか。
「うちの倅が手間をかけました」
「良い、良い。此度は結果的に身の力が増した一件であったわ。しかし、俗世へ堕ちた南都仏教を厭うて比叡山に新しい修行場を設けた伝教大師があやつら僧兵を見れば何と言うかのう」
……在りし日の伝教大師・最澄。
『三蔵法師玄奘は未婚だろうが男だろうが子ができる川の水を飲んだことがあるらしいが、私もそれを探しに天竺を目指すべきでは無いだろうか』ナニイッテンネンドアホー
『うへへぇ、新しい経典だぁ。保存用と布教用と実践用の三つに写経してやるぞぉ。んふぅ〜墨のかほりが堪らんッ!』アア、トウトウクルッタカ
『ちゃ、ちゃうんです空海師匠。これはこの経典が私に読んで欲しいって言ってたんでーーああッ、貸借禁止の秘蔵経典がァァァ! せめて表紙の匂いだけでもォォォォ!』スンマヘン、スンマヘン、イマスグカタヅケマスンデ
「……何じゃ、今の幻影は」
「さて? それよりも東大寺も影響を強めています。かつてほどでは無いとはいえ比叡山と高野山にも物申せる勢力ですからね。全く、鎮護国家のためとはいえ聖武天皇と光明皇后に一言申したいですよ」
……在りし日の光明皇后。
『おしるこ! 甘葛と小豆を煮込んで小さなお餅を加えたこの一品、美味ですわ! 美味すぎますわ! これ後世に残すべきではーーえ? おしるこはずっと後の発明ですの? そんなぁ、よよよ〜!』
「いやだから何なのだ今の幻影は。ご先祖様が見えた気がするのだが!?」
「先程から何をおっしゃられているのですか? それにしても、南都仏教も比叡山も僧兵で武装し、もはや鎮護国家など空言と化しております」
「嘆かわしいことよ。あやつら、野心でも有るのではないか? 皇統に代わり日ノ本を統治するという野心とか、のう」
「道鏡の再来ですかな」
在りし日の〜以下略
『待て真備ィ、おどれ今月三回目の辞表とはどういうことや! 逃さんぞワレ、この文官不足に辞めるなんて許さへんで!』
『私はね、本当はただの学者なんだよ。もう疲れたんだ。還暦も過ぎたのに官位はやたらと上がり、夢の定年後の生活は遠ざかるばかり。人には自由が必要なんだ。誰にも縛られない自由な時間がーー』
『んなもん拙僧が欲しいわ! 一緒に苦しめ、一蓮托生やろうが真備ィ! また官位と無駄な役職増やしたろうかぁ!』
『やれやれ、あれもダメ、これもダメ、ダメなものはダメ。どうせダメなら酒のんで寝よか』
『寝る前にこの書類と木簡の山をどうにかせんかい! ああ、もう! 絶対に拙僧も隠居してやる。下野国あたりに隠居してやるからな!』
「もうよかろう。変な幻影はもうよかろう!」
「よもや……院はご乱心か」
「待て、身は正気ぞ。むしろ何故にその方は平然としておるのか。まあ、良い。斯様なとき、皇国の守護者田村麻呂と最速の仙女鈴鹿御前の夫婦がいればのう……」
……。
「……おかしい、幻影が流れぬ」
※サイレンススズカはトレーナーと海外遠征に行っているので映像のストックありません。
「テロップで解答するな。時代背景とか世界観とか色々困るであろう」
「時期的にドバイですかね?*7」
「11世紀にドバイがあるわけなかろう!」
「代わりにライコウ殿のお蔵入り映像ならありますが?」
「おいパカやめよ!」
在りをりはべりーー以下略
『お〜い、主殿。暇だから鬼退治行こうぜ』
『ライコウもう大江山で鬼退治したでしょ。そんな毎日毎日鬼殺の剣とか、やれ最近は週刊京童跳躍の真似ばかりして。たまには仕事したらどうなのかね』
『うわ、どこのオカンだよお前。そんじゃさ〜鬼退治に行くか珍しいもん食うかしようぜ。パン持ってきてやっかよお』
『パン? 唐天竺よりも西方で食されているとかいう舶来の品ではないか。よく手に入ったな』
『あん? ちげぇよ、アタシが食わせられるパンっつーたら、コテンパンだろうが!』
『それただの脅迫じゃねぇか! おまっ、大臣をこてんぱんにしちゃ駄目だろォォォォ!』
「……ご先祖様の一人がシロイアレにボコボコにされておったわ。ろくな歴史がないのぉ」
「どんな歴史も光と影がありますから。それは歴史を織りなすのが人なれば当然のこと。完璧な人間などいませんし、欠点が無い人間など全く大したことが無いものです」
「ものは言いようじゃの」
「まこと、そのようで」
「まあ、良いわ。此度の件、身も動くとしよう。されど、平氏にとっても身銭を切る用意を頼むぞ。あやつら、僧のくせに力に溺れ銭にがめついからの」
ほほほ、と鳥羽法皇が皮肉を込めて笑います。忠盛は平伏し、忝のうございますとだけ言いました。
諸々の証拠集めや根回しが終わったのが翌月の23日であり、巻き込まれることを恐れた公卿達が裁決を渋るものの、鳥羽法皇は「忠盛は無罪。清盛には罰金刑」の判決を下しました。
これには忠盛・清盛親子の配流を求めていた僧兵側にとって大いに不満が残る結果でしたが、コントロール不能気味になっていた僧兵を疎ましく思っていた延暦寺の上層部はこの裁決を受諾し、清盛は平氏の経済力からすれば申し訳程度の「贖銅三十斤」を支払い、事態は終わりを迎えました。
これにより、鳥羽法皇は延暦寺上層部との繋がりを深め、なおかつ平氏からのさらなる忠誠を、他の武家からは平氏を強訴からも守り抜いたことから「それでも鳥羽法皇なら、鳥羽法皇なら何とかしてくれる」といった厚い信頼を向けられるようになったのです。
騒動が一段落した平氏に束の間の平穏が訪れますが、悲劇とは間をおかずやってくるものです。
1149年、鳥羽法皇の熊野大社参詣に随行していた平氏の次男・平家盛が病を悪化させて落命。祇園乱闘事件により朝廷に表立って近寄り難くなっていた忠盛・清盛にとって人の良さから公卿達に警戒されず、また忠盛にとっては正室・藤原宗子との子であるため政争に明け暮れる忠盛・清盛に万が一のことあれば平氏を受け継ぐ重責を担うことのできる貴重な男子でした。
家盛の落命により清盛の家督相続は確定した一方で、忠盛と清盛は自分達に代わり朝廷に重んじられるようになった家盛の突然死に訝しんだことでしょう。
「余りにも早すぎる。父上、これは」
「……抜かった。俺とお前は武芸の心得があり、何より盟に組みしている故に寝食に至るまで警戒を怠らなかった。だが、家盛には敢えて何も知らせぬことで無害と思わせ、機を見計らい加えるつもりだった。よもや、熊野参詣中に事に及ぶとは。おそらくは、毒か」
「口惜しうこざいます。家盛の側に私や、せめて義朝がいれば……私なら毒に気付けた。ウマ娘たる義朝ならば毒ごとき効かなかった」
「院も嘆いておいでだ。しかし、後戻りはできぬ。清盛、お前は一度安芸へと赴き西国に地盤を確かとせよ。東国に地盤を持つ義朝と組めば日ノ本の殆どを掌握することとなる。四国・九州は、まあ……うん。物の怪もあそこは避けるだろう」
「九州は……そうですな」
「急げよ。ようやく出した物の怪の尻尾ぞ。必ず捕まえて贖わせてやる」
この当時、四国は流刑地扱いされるほどの評価。九州は比較的都と交流のある太宰府近辺を除けばチェスト九州ウマ娘が跋扈する何か怖い場所扱いでした。
この後、清盛は安芸守として瀬戸内海の制海権を確保し、公益により莫大な収益を得られるようになりました。また、この頃から清盛は海の女神を祀る宮島の厳島神社を厚く信仰するようになります。
「海に浮かぶ社殿とは、何とも風雅なものだな*8」
「そうだね。船から見える景色も良かった」
「泳ぐ魚の何とも自由なことよ。義朝は魚が好きだからずっと見ていたな」
「まあね。けど、別のことも考えてた」
「どんなことだ?」
「アンタも魚だったら良いのに、って考えてた。魚だったら、自由にどこまでも泳いでいけるのに。アタシも、きっとどこまでも一緒なのに」
「じっと動かぬ魚もおろう」
「それなら、ちょろちょろ動かなくて安心だね。鳥に拐われないように仕舞っておこうか」
「……それは、面白い生き方ではなさそうだ」
「まあね。アンタらしくないし」
「そうであろう」
「そうだね」
互いに三十路を過ぎ、落ち着きを得た関係の清盛と義朝。
なおカメラを平氏の屋敷に向けると……。
「時子様! 重盛様が自分の髪の毛で窒息しかけーー」
「はいはい。全く、髪の毛は女の命よ。ちゃんと手入れなさい」
「ーーす、すみません母上。助かりました」
「時子様、今度は基盛様が掘った落とし穴に時忠様がァ!」
「掘りが甘い。もっと深くしなさい。それと底に尖った竹を仕掛けなさい」
「時子ォ!? 仮にも我はお兄ちゃんゾ」
「ああ! 義平様お鎮まりください! あの雲の中に天空の城なんかございませぬ!」
「謀りなり。天空の城はここに顕現せり(訳:嘘だ。あの雲、絶対中にラ○ュタあるよ!)」
「義平、波の下には城どころか都がございますよ」
「バ鹿なことを言うな。あの雲の中には滝川水晶があるに違いない。おじいちゃんは詳しいのだ」
「孫バカもいい加減にしろよお義父様」
「……ニタァ」
「頼朝ちゃん、その野生の毒草をどうするのかしら? お医者さんごっこはまだ早くてよ」
「ーービクッ!」
「うふふ、愉しいわねぇ。手の掛かるウマっ子達ばかりで毎日が愉しくて仕方ないわぁ。早く帰ってこないかしら、旦那様ァ! あとちゃっかりついて行った卑しかウマ耳ィ!」
「ね、姉様落ち着いて。宗盛くんが起きますよ」
「……そうね。ごめんなさい、滋子。私としたことが冷静でなかったわ。何か最近イライラするし、酸味のあるもの食べたくなるし。体が何かおかしーーオロロロロロロロ!」
「きゃー! 姉様ァ!」
「つ、悪阻だぁ!」
「そりゃあれだけ毎日毎日搾り取ってたら、ねぇ。昔のエロい人は言いました。ヤれば、出来る」
「だからウマ娘にうまぴょいで張り合うなとあれほどーー」
「お前、倫子様*9の前でも同じこと言えんのか?」
「何にせよ目出度い!」
(わ、私がしっかりしなくちゃ……長女として頑張らなきゃ。頑張れ、重盛……頑張れ!)
平重盛の苦労人気質はここから育まれていくのです。頑張れ、重盛、頑張れ。君は長女だから我慢できる。次女だったら我慢できなかった。……清盛の血筋的には次女だけど細かいことは気にするな!
騒がしく平穏など遠く霞むけれども、愛おしき日々。重盛はそんな日々が大好きでした。
……流石に後世で言うところのブレイクダンスする祖父と目をは輝かせる義姉は流石にうっとおしく思いますが。
「踊れ踊れ、我が孫共よ。人生は踊り狂う影に過ぎず、お前たちは遊び戯れるために生まれたのだ」
「華やかなりや我が祖父!(訳:ジィちゃんスゲェ!)」
「姉貴、爺さんが頭を軸にして独楽みたいに回ってるぞ。姉貴ならより安定してーー」
「誰の頭がデカいって?」
「ーー祖父よ! 如何せん!」
「「!?」」
振り返ると、胸を抑えて蹲る忠盛。額には脂汗が浮かんでいますが、その目はただ一点を信じられぬモノを見たと言わんばかりに見つめていました。
「……まさか、そんな……どうして、貴女が?」
ーー迎えに来たよ、忠盛くん。
……。
……嗚呼、そうか。
全ては、長い夜の夢だったよ。
拙作の被害者。
聖徳太子(日本人初のうまぴょい被害者)
光明皇后(中身がメジロのおもしれー女にされる)
最澄(媽媽かつ経典マニアにされる)
後白河天皇←NEW
次回、保元の乱。