ウマ娘と辿る日本の歴史   作:ぶ狸

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おまたせしました。たくさんの感想ありがとうございます。


第3回「ウマ娘の動乱 大化の改新」上

 律令国家への道を歩み始めた日本。しかし、中核であった聖徳太子と蘇我ウマ子の死後は絶対的な指導者不足により思うような改革はなりませんでした。

 天才2人の跡を継いだ蘇我エミシ。彼女もまた天才と呼ぶに相応しいウマ娘であり、特にウマ子には無かった他豪族との協調や、全体の利益の為ならば引き下がることをためらわない柔軟な姿勢はかつて蘇我氏と敵対関係にあった豪族達からの好感を得て関係改善に至る場合も多かったです。この協調政策により国政は安定はしていましたが、一方で太子とウマ子の時代ほど蘇我氏の躍進は無く、一族の内部からは不満の声も上がっていました。

 

「いつまで宗家をウマ娘にのさばらせるのだ」

 

「今や皇室との縁は我等によって保てているも同然。それをエミシは分かっておらん」

 

 長きに渡る蘇我氏宗家と皇室との蜜月は蘇我氏の人間派閥にとっては決して悪くないものでしたが、労せずして得た権益に人は増長したのです。

 また、朝廷内の蘇我氏とは遠い皇族達も蘇我氏の栄華を好ましく思わず、衰退の時を伺っていました。

 そのような暗雲が迫っているとは知らず、宮中の修練場では一人の少年とウマ娘がトレーニングに励んでいます。少年は山背大兄王(やましろのおおえのおう)。ウマ娘は蘇我イルカ。

 共に聖徳太子の子であり異母兄妹にあたります。

 山背大兄王は太子の才能を受け継ぎ、多くのウマ娘から慕われる名指導人の片鱗を見せていました。

 イルカもまたウマ子、エミシと同じく小柄ながらも優れた脚を持ち、柔軟性こそエミシに劣るものの並外れたスタミナにより長距離での活躍が期待される俊英です。また、イルカは山背大兄王を「お兄さま」と呼んで心から慕い、常に側を離れませんでした。

 誰もが、この二人がかつての太子とウマ子、エミシのように優れた指導人とウマ娘となり、競技と政治の両方から日本を牽引すると疑いませんでした。

 時に627年。

 大化の改新まで、あと18年。

 

 

 日本ウマ娘放送協会特別企画

 ウマ娘と辿る日本の歴史

 第3回『ウマ娘の動乱 大化の改新』

 

 

 

 

「こんばんは。今夜のウマ娘と辿る日本の歴史は大化の改新。豪族の権力が強まっていた飛鳥時代から、天皇中心の律令国家へと切り替わるそのターニングポイントであります。解説には先週に引き続きアスカアタックさんにお越しいただいています。アスカさん、本日もよろしくおねがいします」

 

「よろしくおねがいします」

 

「先週、蘇我イルカは太子とエミシの子ではありますが公的には太子の子であると伏せられていましたね。しかし、山背大兄王とイルカは呼び方からして全く隠す気がないようですが、どうなのでしょうか」

 

「正直、蘇我氏が太子に執着していたのは事実でしたし、エミシが父親不明の子を産んでも妊娠期間中に太子にいつもの3割増しに甘えていたという記録もありますので、当時から公然の秘密扱いでした。また、この時期には蘇我氏に逆らう者は存在しなかったのでイルカも隠す気が無くエミシや山背大兄王も止めなかったのでしょう」

 

「…私も学生時代に歴史を学びましたが、山背大兄王と蘇我イルカがこのような関係だとは知りませんでしたね」

 

「教科書にはせいぜいこのあとの出来事が一言程度あるくらいで二人の関係性については書いてありませんからね。まあ、この二人に限らず教科書は出来事と人名をただ羅列しているだけなのでそれについて思うところはありますが、掘り下げると一つの時代だけで一年終わってしまいかねないので難しいところです。それに、イルカと山背大兄王や頼朝と九郎のようにうっかり深入りすると壮絶に曇ってしまい授業にならないものもありますからね」

 

「確かにそうですね。それはそうと、蘇我氏内の人間の系列。宗家はウマ娘が蘇我稲目以降ウマ子、エミシ、イルカと4代当主を務めたわけですが、ここに来てなぜ不満を募らせたのでしょうか」

 

「それは皇室との縁戚関係を主に結んでいたのはそちらの系列だからです。太子の祖母に当たる人物もそうですし、山背大兄王の母親もそうです。ウマ子やエミシは権力を握りましたが一方で皇室に対しては忠臣であり続け、決してウマ娘の皇女による蘇我王朝を建てようとはしませんでした。これはエミシがイルカを太子の子とは公表せずあくまで臣民として育てたことからも明らかです。しかし、太子と蘇我氏の間に生まれた山背大兄王が次期天皇候補として名が挙がると、彼等は欲を出すようになります。ウマ娘の宗家に成り代わり皇室の外戚として実権を握る。後に藤原氏が行うことを先取りしようと目論んだわけですね」

 

「なるほど。ウマ子やエミシといったウマ娘は結果として権力を握りましたが、あくまで推古天皇の統治と聖徳太子による政治を補佐する姿勢を崩さず、どちらかと言えば競技の方に力を入れていましたね。しかし、人間はそうではなかったと」

 

「そういうことです」

 

「では、この暗雲がどのようにして睦まじく育つ山背大兄王とイルカを襲うのでしょうか。ご覧下さい」

 

 

 

 

 628年、長きに渡って日本を統治した女帝、推古天皇が崩御します。

 天皇は崩御の直前、皇位継承候補となる自身の義理の孫にあたる田村皇子と、聖徳太子の子山背大兄王を病床に呼び寄せます。死を目前にしながらも推古天皇は冷静であり、田村皇子に対しては「慎み深く言動に気をつけよ」と諭し、山背大兄に対しては「あなたはまだ若く未熟なので群臣の意見を聴きなさい」と遺言しました。

 この言葉を聞いた蘇我エミシは田村皇子を推古天皇は後継者に選んだのだと判断し、田村皇子の擁立を計画します。

 しかし、エミシを除く蘇我氏は山背大兄王を天皇にすべく動き出しました。

 

「確かに山背大兄王は優秀だけど、先帝が言った通り若すぎる。それに、今必要なのは太子のように新しい風を入れる強い指導者じゃなくて、母上と太子が示した律令国家の基礎を固めて安定させること。だから、今はまだーー」

 

 危機感を覚えたエミシは周囲の豪族と山背大兄王を説得し、王は後継者争いを辞退すると宣言します。

 落着し一安心といきたいエミシでしたが、ここで予想外のことが起きます。蘇我氏の中で山背大兄王を推す人間の派閥がエミシに反旗を翻したのです。中核となった蘇我摩理勢(そがのまりせ)はウマ子の従弟にあたり、蘇我氏族内の有力一門としてエミシと対立を深めていました。また、蘇我氏全体としても血縁の薄い田村皇子よりも、民衆やウマ娘達からの人気が高く血の繋がりも強い山背大兄王を即位させることで外戚としての地位を得られると考えていました。

 既に辞退を宣言した山背大兄王にとっても迷惑な話であり、王はエミシと協力して反乱鎮圧に動きます。結果として反乱の大義は失われ、摩理勢は討たれますが、これにより蘇我氏内での人間とウマ娘の対立は明確なものとなってしまったのです。

 翌年の2月2日、田村皇子が即位し舒明天皇(じょめいてんのう)となります。蘇我氏の血縁はありませんでしたが、自身を推してくれたエミシを信頼し国政を任せました。しかしーー

 

「一族内部からの反発が日増しに大きくなってる。これ以上ボクが表に出てしまうと取り返しがつかないことになるかもしれない。幸いにも他の豪族達は協力的だし、しばらく任せよう。それに……少し疲れたよ、太子」

 

 エミシは基本的に自らの屋敷に引き籠ることが多く朝廷に出仕する事は少なくなっていました。そのため役人は重要な決定を行い際には朝廷では無くエミシの屋敷に赴いて業務を行うのですが、傍から見れば蘇我氏が専横の限りを尽くしているように見えます。これに対して大派皇子という人物が「役人は鐘の音を合図に出仕してはどうか」とエミシに提案しますが、自身が引き籠りのエミシは正直、わざわざ邸に役人が来てくれるのがありがたかったため提案を聞かなかったことにします。なお、この大派皇子は蘇我氏に近しい人物であるため、これは朝廷を軽んずる蘇我氏への警告と言うよりはエミシ個人に対する「引き籠らず仕事してください」というエールだったのかもしれません。

 632年、遣隋使として長きに渡り海を渡っていた学僧・(みん)が帰国。この旻という人物、三国時代の英雄曹操の子で詩聖と謳われた曹植の末裔であるともいわれる才英でした。彼は帰国後に学問堂で次代を担う若者たちの教育を行います。そこには若き蘇我イルカと中臣鎌足の姿もあったのです。

 イルカと鎌足は学友と言う形で度々交友があり、共に秀才として研鑽し合う関係でした。かつて蘇我氏と中臣氏は仏教の授受を巡って激しく対立しましたが、先の推古天皇の後継者問題の際には鎌足の父はエミシと協力して田村皇子を推挙するなど良好な関係にあり、かつてのわだかまりは溶けていました。

 

「お兄さま、お兄さま。イルカ、先生に褒められちゃった」

 

「何て褒められたんだ?」

 

吾が堂に入る者にイルカに如くはなし(イルカが最カワ。異論は認めない)、だって!」

 

「ほう」

 

「あと、イルカに力で分からせられたいって言われたんだけど…どういう意味なんだろ? イルカに先生になって欲しいのかな?」

 

「何…だと。よくも……よくもイルカに! 妹に! そんな感情を向けたな! 待っていろ生臭坊主、今行くぞ!」

 

 偶然その場にいた鎌足が暴走する王を止めようとします。

 

「お、落ち着いてください殿下。お気持ちは分かりますが落ち着いてください!」

 

「どけ、私はお兄さまだぞ!」

 

 イルカは当時の知識人から貪欲に知識を吸収するとともに、その才から抜きんでて並ぶ者無しという評を受けていました。

 また、若さゆえにやや急いたところもありましたが山背大兄王はイルカの専属指導人として名を高めています。

 彼等は飛鳥の各地で行われる競技を席捲。競争では力強くは走り、舞踊では可憐に舞う姿に人々は魅了されますが、同時期に同じ競技で戦ったウマ娘達からの評価はそれほど芳しくありませんでした。

 これは、山背大兄王はイルカの専属として活動し他のウマ娘を一切眼中に入れなかったため、イルカが山背大兄王を独占していると思われたからです。

 イルカの母であるエミシも太子を半ば独占していましたが、甲斐の黒駒というライバルの存在と太子自身が多くのウマ娘を指導しようとする姿勢を取っていたためウマ娘達は問題視しませんでした。しかし、山背大兄王が他のウマ娘に一切関わらないのは不満を生み、流石にイルカも「他の子の面倒も見てあげて」とお願いしますが、山背大兄王は、

 

「いいかイルカ。私はお前の為に、お前は私の為に生きる。私達は二人で一つだ。他は知らん」

 

 と一蹴。この方針は生涯変わらず、この時代はイルカ一強となったのです。

 ウマ娘達もイルカに勝てないことに不満を抱きつつも山背大兄王がイルカ専属を公言していたために矛先は彼女に向けられず、全ての競技で一生懸命走る彼女とは特にトラブルを起こしていません。

 

 

 

 

「いや、指導してあげましょうよお兄さま」

 

「現代的に解釈すると、重度のシスコンだったみたいですね。イルカもブラコンだったので、似たもの兄妹だったのでしょう」

 

「まあ、エミシの背を見て育ちましたからね」

 

「しかしこれが後世には悪評として残ってしまい、一方的にイルカが悪者として世に知られてしまったのです。愛情も過ぎれば良くないと言うことですね」

 

「イルカ一強の時代と言う話ですが、いくら山背大兄王の指導があるとはいえ他のウマ娘では太刀打ちできなかったのですか?」

 

「少なくともケガや病で棄権したものを除けばイルカが敗れたものはありません。当時はまだ競技に戦術的なものが確立していませんでしたので、当代随一の頭脳と体力を持つイルカに山背大兄王という名指導者がついたわけですから無敵と言って過言ではなかったでしょう」

 

 

 

 

 時は過ぎ、蘇我氏による安定政権の中で日本は成長を続けていました。

 640年、遣隋使として大陸に渡り隋の滅亡から唐の建国までを見聞した南淵請安(みなぶちのしょうあん)が帰国。大陸で学んだ知識を広めるために開塾します。

 イルカと鎌足は再び学友となり、そこには中大兄皇子の姿もありました。塾においてイルカと鎌足は共に秀才と称賛され、この時の日本では並ぶもの無き頭脳であったと言えるでしょう。

 果たして、彼等はこの時どのような未来を描いていたのでしょうか。協調政策を取るエミシの娘であるイルカ。長きに渡りイルカと共に学んできた鎌足。エミシの推挙で父が天皇となった中大兄皇子。

 この若き秀才達が日本を牽引する。誰もがそう思っていたのではないでしょうか。

 だが、正にこのとき、濁り水はゆっくりと流れはじめていたのです。

 大化の改新まで、あと5年。

 

 

 

 

「こうして人物関係を見ると、イルカと鎌足、そして中大兄皇子までもが学友であったというのが私には意外ですね」

 

「この時期のイルカは競技に政治、そして勉学と過密なスケジュールを組んでいます。鎌足や中大兄皇子からすればとんでもない存在を目の当たりにした気持ちだったでしょう」

 

「イルカについて鎌足は『ウマ娘ではない、何か別の生き物に見えていた』と述懐し、畏怖していたと明かしています」

 

 

 

 

 641年11月、欽明天皇が崩御します。

 この時、後継者候補として名が挙がったのが欽明天皇の長子である古人大兄皇子(ふるひとのおおえのおうじ)と山背大兄王です。

 古人大兄皇子も母親が蘇我氏の出身であり、蘇我氏が次期天皇として担ぐに相応しい人物でした。

 一方で人々からの人気が高く蘇我氏の血も濃い山背大兄王も有力な候補であり、悩んだ末にエミシが下した判断は保留でした。蘇我氏内で真っ向から意見が割れてしまったために判断をくだすことができなかったのです。

 とはいえ、新たな天皇を立てないわけにはいかずエミシは打開策を迫られます。

 そしてエミシが選択したのは、かつての推古天皇と同じく女帝を立てることでした。

 642年1月、欽明天皇の皇后だった寶女王(たからひめみこ)が即位。皇極天皇となります。

 皇極天皇はかつての推古天皇と同じく優秀な人材に国政を任せることを望み、結果としてエミシが重用されることとなります。

 女帝を中心に老臣が纏め、知恵ある皇族が摂政をし、若きウマ娘が側に寄り添う。

 これはかつての推古天皇、ウマ子、太子、そしてエミシの関係を皇極天皇、エミシ、山背大兄王、イルカでもう一度再現することを意味します。

 エミシの中には、かつての思い出が溢れていた事でしょう。

 

「まさかあの時と同じような状況になって、ボクが母上の立場になるなんてね。となると、あの子たちがうまぴょいすることになるんだけど、うーん母親としてどんな反応すればいいのさ」

 

 当時、異母兄妹での婚姻は珍しくなく皇室では多く確認されています。そして、エミシは知りませんでしたがとうの昔に山背大兄王とイルカはうまぴょいしうまだっちする仲になっていました。

 とりあえず当人たちがどう思っているのか探りをいれると、明らかに動転するイルカにエミシは確信します。

 

「こいつらうまぴょいしてたんだ」

 

 エミシは衝撃の余り好物のハチミツを大量摂取し、太り気味の診断を下されるほどだったと言います。しかし翌朝には孫の顔を見る日も近いと考え直し二人を祝福したようです。

 幸福な時は一瞬のことで、現実は蘇我氏にとって厳しいものでした。

 ウマ娘が当主を務める蘇我宗家は、実質的に日本のウマ娘を代表し統括する立場にあります。そして、国政では外交を得意としており大陸情勢には常に気を配っていました。

 この頃の大陸は唐では皇帝太宗の貞観の治による善政が敷かれ国力を増していました。一方でモンゴル高原の遊牧民族は内部分裂と唐による北伐で勢力を衰退させ、ウマ娘の地位は非常に低くなっていたのです。半島においても百済が新羅によって追い込まれ、やはり半島に在住するウマ娘にとって非常に厳しい状況でした。

 大陸で困難な状況を極めるウマ娘にとって日本は希望であり、日本のウマ娘にとっても大陸の同族を見捨てることはできない選択でした。

 甘樫丘に築かれた蘇我宗家の館の遺構を研究すると、その構造から邸宅とは思えない。むしろ武器庫や砦と言うべきものだったようです。当時の記録にもエミシは邸宅に大量の武器を保有した事から武蔵大臣の異名を取ったと伝わり、大陸への警戒から戦力を整えていたことが見えます。

 642年、エミシは自らの墓を築きます。その際に山背大兄王が治める地域の民も動員され、山背大兄王の側近が「蘇我臣は国政をほしいままにして無礼な行いが多い。天に二日無く、地に二王は無い。何の理由で皇子の民を思うままに使えるのか」と嘆いたと記録されています。しかし、エミシの墓所と伝わるのは大阪府太子町にあるエミシ塚古墳で、太子の眠る古墳、母ウマ子の霊廟跡の側にあります。このことから実際には老境に差し掛かったエミシが死後は太子の側で眠りたいと希望し、山背大兄王とイルカはそれを叶えようとしていただけではないでしょうか。

 同年の1月から7月にかけて外交使節が怒涛の如く来訪し、イルカは対応に追われます。使者に対して政治家として対応するのみならず饗応で行われる競技と舞踊にも出なければならない彼女は休む暇なく働き続けました。引き籠りがちだったエミシでさえ亡命してきた百済の王族と対談するなど精力的に働いています。

 この外交使節の多くは大陸の不安定さと百済の危機を伝えるものであり、外交担当にしてウマ娘の取りまとめである蘇我宗家は最悪の可能性である大陸出兵にも備えなければなりませんでした。

 ようやく落ち着いて来た9月。今度は皇極天皇が外交使節から聞いた大陸のパワーバランスの変化に危機感を抱いたのか船舶の建造を命じます。さらに、ここでモノづくりに目覚めたのか天皇は寺院や皇居の改築を次々と行っていくのです。特に宮殿の建造と移動についてはエミシとイルカが関わらないわけにはいかず働きづめとなったのです。

 

「何でボクがこんなにも働いているのさ。陛下、そろそろ休ませてよー」

 

「駄目です。次は新しい新しい皇居を建てます」

 

「ナンデアタラシクイエヲタテルノ」

 

「それは私が建築にハマったからです」

 

「ワケワカンナイヨー!」

 

 642年9月、皇極天皇は新たな皇居の建造を12月までに行うようエミシに命じます(無茶振り)

 何とか完成した翌年の4月に天皇は遷幸(せんこう)しました。これが飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)です。板蓋宮は、文字どおり屋根に板を葺いていたことに由来するといわれています。当時の屋根のほとんどは茅葺きか藁葺きであり、板葺きの屋根は大変珍しいものでした。

 

「や、やっと休める。もう何も無いよね」

 

「天皇です」

 

「デター!」

 

「次は長期的にわたって飛鳥中で上水設備を整えて行こうと思います*1

 

「チョットナニイッテルノカワカラナイ。ヤメヨウヨソンナノサー、ハチミーデモナメテチョットヤスモウヨー」

 

「……ません」

 

「エッ……?」

 

「やめません!」

 

「ヤダヤダヤダヤダヤダー!」

 

 643年の10月6日。エミシは無断で大臣の地位をイルカに譲ります。これによりイルカは実質的に蘇我氏の家督を継ぎました。

 突然の家督相続にイルカは不安でした。学友の鎌足や中大兄皇子はまだ国政に参加しておらず、唯一の頼りは山背大兄王だけです。

 良くないことは続くのか、皇極天皇の母である吉備女王がこの時期に薨去し、天皇もまた病気がちになってしまったのです。こうなると再び皇位継承問題が浮上するのですが、エミシが一線を退いた今ではイルカが蘇我氏内の意見をまとめなければなりませんでした。

 しかし、山背大兄王と古人大兄皇子に加え候補者に皇極天皇の弟である軽皇子(かるいのおうじ)も加わり後継者争いは一層の混迷を極めます。

 軽皇子は蘇我氏の人間派閥で最も力を持つ蘇我石川麻呂(そがのいしかわまろ)の娘を后に迎えるなど蘇我氏とのつながりを深めていますが、何故これまで押していた古人大兄皇子から乗り換えたのでしょうか。日本書紀によれば古人大兄皇子はイルカとの仲は決して悪くなく、彼の即位に対してイルカも肯定的でした。おそらく現行の山背大兄王を太子と同じ摂政としての役割に据える体制を崩ずすことを山背大兄王とイルカが望まなかったのでしょう。

 古人大兄皇子とイルカの接近を蘇我氏の人間派閥は良しとせず、新たな候補者を出します。それが軽皇子なのです。皇子は仏法を尊び神道を軽んじましたが、儒学にも通ずる有数の知識人です。ある意味で蘇我氏の人間派閥は自分達の能力がエミシやイルカに劣ることを冷静に分析し、操りやすい天皇を立てるのではなくある程度能力のある天皇を立ててそれをサポートする計画でした。

 実質的に蘇我氏の内紛となった後継者争いにイルカは否応なしに巻き込まれていきます。

 

「イルカは、いない方がいいのかな」

 

「どうしてだ?」

 

「だって、イルカと仲良くなったから古人大兄皇子はみんなから応援されなくなったし、お兄さまは何度も天皇になれそうだったのに、イルカとお母さまのせいでなれなかった。イルカが頑張っても誰も喜ばない。だからもう、イルカはいらない子なのかな」

 

「それは違う。お前が頑張っているのは私が一番よく知っているし、誰よりも喜んでいる。それと、私に気を遣うな。別に皇位に興味は無いし、お前を支えられるのなら今のままで良い」

 

「で、でも――」

 

「競技だとお前を見ている事しかできないけど、こっちは私の背中を見ていて欲しい。イルカ、お兄さまに前を走らせてくれないか」

 

 大臣になってからまだひと月も経たない夜です。不安に圧しつぶれそうなイルカを山背大兄王はいつも励ましていました。

 

「大丈夫だ。何があっても、お兄さまがお前を守るから」

 

 夜、甘樫丘の屋敷でどうにも寝付けなかったイルカはぼんやりと外を歩いていました。

 イルカとしては皆で仲良くできれば良いと心から思っていましたが、身内であるはずの蘇我氏の人間たちはイルカを嫌っています。

 どうすればいいか悩むイルカの目に、丘の向こうが赤く光っているのが移ります。そこは斑鳩のある方面。山背大兄王が住んでいる場所でした。

 

「お兄さま……?」

 

 643年11月1日。

 蘇我氏の命を受けた巨勢徳多と大伴長が率いる軍勢が斑鳩宮の山背大兄王を襲撃します。

 総勢は100名ほどでしたが全員が装備を整えており、対する山背大兄王側はほとんど最低限の武器しかもっていませんでした。

 攻めて来る軍勢が蘇我氏だけでなく多くの豪族と皇族さえも含まれていると知り彼等の思惑を看破しました。

 

「嵌められたか」

 

 おそらく口実は最近流れていた山背大兄王が反旗を翻そうとしているという噂。そこに付けこみ先手を打ったという形で攻めてきた。あくまで噂と気にしていませんでしたが、それすらも罠だとすれば。

 山背大兄王の予想は正鵠を得ていました。

 今、山背大兄王が死んで最も疑われるのは蘇我氏であり、彼等が平然と全ての罪をイルカに押し付けるのは目に見えています。

 自分がイルカやエミシを邪魔だと思う蘇我氏の人間達にとって消したい存在だと理解はしていましたが、そこにエミシが協調政策を取っていた他の豪族や皇族までもが暴挙に及ぶとは思っていなかったのです。後悔しても状況は変わりません。

 せめて一人でも多くイルカの敵を斃すために山背大兄王にとって最初で最後の戦いが始まりました。

 

「たとえ多勢に無勢であろうとも私は、全力でお兄さまを遂行する!」

 

 王とその家臣たちはよく戦い、攻め寄せて来る者の中でも名のある豪族を多く打ち倒しました。しかし、多勢に無勢で徐々に追い込まれていきます。

 自らが剣を振るい戦う中、敵からは「疲れているだろう。潔く討たれよ」と罵声を浴びせられます。しかし王は、 

 

「だから何だ。それが妹の為に命を張らない理由になるのか!」

 

 と一喝し斬り伏せていきました。

 全滅が近いと悟った山背大兄王は邸に火を放ち生駒山に逃亡します。

 王はしばらく潜伏していましたが、迫りくる冬の前に力尽き、法隆寺で最期を迎えることを決めました。

 

「イルカ、済まない。できれば誰も恨まず、幸せに生きてくれ。父上、どうか母上とイルカを護って下さい」

 

 11月11日。山背大兄王は自らの命を絶ちました。

 翌日には訃報がイルカの耳に届き、彼女はひどく錯乱します。

 

「嘘だ。イルカ頼んだよね。お兄さまを助けてって頼んだよね。嘘……嘘だ、嘘だ!」

 

 イルカは高向国押(たかむくのくにおし)に山背大兄王を捕縛という形で救出しようとしていましたが、国押はイルカの命令に従いませんでした。

 山背大兄王の死を知ったエミシは嘆き悲しみ、激怒しています。イルカは母に対して「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝り続けることしかできませんでした。

 最大の支えを失い、イルカは暗闇の中に放り出された迷い子になってしまいました。

 

「お兄さま、イルカもう走れないよ。どうすればいいの、お兄さま。どうやって生きていけばいいの」

 

 涙は止めどなく溢れて頬を濡らしますが、ここで不意に抑えがたい吐き気がイルカを襲ったのです。

 今までにない感覚にイルカは戸惑いますが、ある可能性に気付くと一層涙があふれて来ました。

 

「そっか……分かったよお兄さま。この子がお兄さまが最後にくれた希望なんだね」

 

 顔を上げたイルカの目は炯々と光り、その様子は青い炎のようでした。

 

「イルカ、この子を日本一のウマ娘ーーううん、違う。もっと上に。お兄さまの子が日本を治めるべきなんだ。見ていて、お兄さま。イルカ頑張るよ」

 

 イルカは、狂ってしまったのです。

 翌年に産まれた山背大兄王との子を皇女と呼ばせ、皇室の行事を無断で代行するなど明確に簒奪を目論んでいると思わせる行為を行います*2

 エミシはイルカの計画を聞き激しく反対しますが、既に実権をイルカに譲っていたため無力でした。

 もはやイルカには山背大兄王の血を残すことこそがみんなの幸せになると信じて疑いません。

 そして、イルカの治世は清廉にして苛烈でありました。

 都の風紀は糺され、盗賊たちは次々に捕縛さえ人々は落ちた物でさえ盗もうとしないほどの秩序を保ち、イルカは民衆から畏敬の念を抱かせました。

 ただただ彼女は頑張っていたのです。みんなを笑顔にするために。みんなを幸せにするために。ただ一人、イルカだけが幸せになれない治世でした。

 時に645年。

 大化の改新まで、あと僅か。

 

*1
皇極天皇以前から上水設備は飛鳥寺等で存在したが、彼女の代から組織的な上水道網が整備される。

*2
歴史上、皇統の簒奪を目論んだのは弓削道鏡と平将門、そして蘇我イルカだけだと言われています。

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