ウマ娘と辿る日本の歴史   作:ぶ狸

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第3回「ウマ娘の動乱 大化の改新」下

「……何というか、確かにこれは教科書には載せられませんね」

 

「悲劇というのが生温いですからねー」

 

「私、ここから先が見たくないのですが」

 

「だめです。一緒に曇りましょう」

 

「えぇ…」

 

 

 645年7月10日。

 この日は三韓から使者が訪れ、イルカも出席する予定でした。

 朝廷から使いの者が訪れたためイルカは腰を上げます。暑い夏に長時間にわたって行われる儀式の為気乗りしませんが、大臣としてイルカが出ないわけにもいきません。

 イルカが屋敷を出ようとすると、履こうとしたイルカの左足の靴が転がりました。

 

「イルカ、とうとう靴さんにまで嫌われちゃったのかな」

 

 とてもしょんぼりするイルカ。外を見れば今にも雨が降り出しそうな雲模様です。今日は読みたい本もたくさんあるしサボっちゃおうかなと思いますが、使いの者が急かすのでしぶしぶ屋敷を出ました。

 イルカはかつて山背大兄王から贈られた短剣を肌見離さず持っており大極殿(だいごくでん)に入る際に預かろうとする門番に対していつも、

 

「あ、あげません!」

 

 と言って断っていましたが、今日は道化が近づきイルカに短剣を預からせてほしいと身振りで示します。イルカはいつも通り断るのですが、この道化はあからさますぎる人参役者で、よよよとウソ泣きをします。その様子があまりに可笑しくてついイルカは笑ってしまいました。そして、久しぶりに笑顔になれた彼女はお礼として一旦剣を預けたのです。

 丸腰になったイルカが席に着くと、儀式が始まります。

 三韓からの国書を蘇我石川麻呂が読み上げ、滞りなく行事は進んでいきました。しかし、終わりに近づくにつれて石川麻呂の手は震え、汗は滝のように流れているではありませんか。

 

「石川麻呂おじさん、どうしてそんなに震えているの?」

 

「あ、ああ……これは陛下の前だから緊張してしまってね」

 

「そうだよね。イルカもいっぱい緊張して、何回も失敗しちゃった。だから、失敗しても大丈夫だよ」

 

 何も知らないイルカは真剣に石川麻呂を心配し、精一杯励ましています。その姿に、石川麻呂は一層震えが強くなりました。まるで、余りにも大きい罪悪感に震え上がっているかのようです。

 

「あわわ、ど、どうしよう……おじさんが余計に震えちゃった。落ち着いて、深呼吸だよ。ひっひっふー」

 

「……」

 

「ひっひっふー……あれ、おじさんなんで泣いて――」

 

 その時でした。

 物陰から誰かが突然飛び出し、イルカの首に斬りつけてきたのです。

 驚いて立ち上がろうとするイルカの左脚にも刃が振るわれ、彼女は前のめりに転倒します。血だらけになりながら相手の顔を見ると、イルカは思わず叫びました。

 

「お、皇子、鎌足さん、どうして⁉」

 

 最初に斬りつけてきたのは中大兄皇子でした。その後ろには彼の臣下が二人控え、さらに奥には弓を構えた中臣鎌足の姿もありました。

 イルカには中大兄皇子と中臣鎌足が剣を向けているのかが何故か分かりませんでした。

 彼等は同じ塾で学ぶ学友であり、山背大兄王を失ったエミシの悲しみを知っているはずでした。理解してくれると思っていたのです。これからやろうとすることを応援してくれるとさえおもっていたのです。

 ここにイルカの味方は一人も居ませんでした。皇極天皇はいつの間にか姿を隠し、身内である蘇我石川麻呂でさえ顔を伏せたまま助けようとしません。

 

「どうしてなの……」

 

 みんなを幸せにしたいだけなのに。みんなに喜んでほしいだけなのに。

 

「イルカが何をしたと言うの…*1

 

 満身創痍のイルカは尚も生きようと脱出を試みましたが、傷を負った左脚が更に酷く損傷し倒れ込みます。そして、皇子の臣下である網田と子麻呂の刃がイルカの命を絶ちました。

 この日は突然の大雨に見舞われ、イルカの亡骸は庭に打ち捨てられます。

 蘇我氏の協力者によって運ばれた娘の亡骸を前にエミシは何を思ったのでしょうか。

 エミシの許には協力する豪族やウマ娘が集まり挙兵を促します。しかし、山背大兄王に続きイルカを失ったエミシにはもう今更抵抗する気力もありませんでした。

 

「太子、ボクは何を間違えたんだろうね。もう分かんないよ。助けてよ……」

 

 翌日、エミシは自ら館に火を放ち命を絶ちました。

 この時、多くの記録や文化財が消失しています。その中には太子とウマ子が手掛けた天皇記も含まれており、辛うじて搬出された国記もまた後に紛失しているため古代史研究に大きな障害が出てしまいます。それは、太子との思い出を誰にも渡そうとしないことによるエミシの最後の抵抗だったのかもしれません。

 古人大兄皇子は事件後に出家し隠遁しますが、9月12日に反逆の疑いをかけられて殺害されました。

 こうしてウマ娘が当主を務めた蘇我宗家は滅亡したのです。

 この一連の流れを「乙巳の変」と呼び、ここから始まる改革を「大化の改新」と後世では呼びます。

 

 

「本当に…イルカが何したって言うんですかね」

 

「彼女は、ただ愛する人と幸福に生きたかっただけだと思います。けれど、その願いは人間の悪意の前には清らか過ぎたのです」

 

「エミシもあまりに報われないと言いますか、やるせない気持ちになりますね」

 

「実際、中大兄皇子も思うところはあったのか焼け落ちた館から見つかったエミシの亡骸を丁重に埋葬する許可を出しています。それがエミシ塚であり、愛した太子や尊敬する母の近くで眠れているわけですから、せめてもの救いがあると思いたいです」

 

「ところで、中大兄皇子と鎌足の動機は何だったのでしょうか」

 

「一般的には皇位簒奪を目論んだイルカを殺害する事でそれを防いだとされます。それは中大兄皇子と鎌足の動機としては正しいのですが、背後はもっと複雑ですね」

 

「背後と言うと、蘇我氏の人間派閥ですか?」

 

「そうです。計画の主導は中大兄皇子と鎌足ですがそれは乙巳の変だけで、山背大兄王襲撃から大化の改新に至るまでの計画は蘇我氏の人間派閥によってなされたと言えるでしょう」

 

 

 全ては蘇我宗家を打ち倒し権力を増すために。人間の欲望がイルカとエミシ、山背大兄王を殺したのです。

 645年7月12日、皇極天皇は軽皇子に譲位し、孝徳天皇が即位します。イルカの死から一月後のことでした。この時、山背大兄王を襲撃した巨勢徳多と大伴長徳はそれぞれ左大臣と右大臣にまで昇進しています。蘇我氏に近かった二人が鎌足に次ぐ地位を得たのは孝徳天皇に重用されたからですが、蘇我石川麻呂をはじめとするかつての人間派閥の存在も大きかったでしょう。

 しかし、蘇我氏の人間派閥が思い描いた権力は得られませんでした。孝徳天皇は甥の中大兄皇子を信頼し皇太子にします。二人は共に仏教を重んじ唐風の律令国家を作るべく唐との国交を重視しました。これは宗家から引き継いだウマ娘の取りまとめをする蘇我氏にとって、ウマ娘を蔑む国を重視し友好国である百済を軽視する方針は受け入れがたいものでした。

 結果として蘇我氏は孝徳天皇から疎まれ、蘇我氏の当主だった石川麻呂は異母弟である蘇我日向(そがのむかえ)の讒言によって無実の罪を着せられ自害に追い込まれます。

 蘇我日向という人物は中大兄皇子より一回り年上で鎌足と同年代の忠実な配下であり、この讒言以前に石川麻呂が中大兄皇子に接近しようと娘を送った際には汚名を承知でその娘を奪い石川麻呂がこれ以上の力を得ることを阻止するなど汚れ役さえこなす忠義の人でした*2。この讒言も石川麻呂の排除を決めた孝徳天皇と中大兄皇子の計画によるものだったのでしょう。

 罪を問われた石川麻呂は真偽を確かめるべく送られた使いの者に、

 

「返答は、帝の御前で申し上げましょう」

 

 と繰り返しますが実際に孝徳天皇の前には現れませんでした。天皇の前に姿を現したばかりに殺害され、言葉さえ届かなかったイルカの最期を思えば何とも皮肉な行動です。

 遂に孝徳天皇は中大兄皇子に命じて石川麻呂の屋敷を包囲させます。しかし、石川麻呂は山田寺に逃れその地で命を絶ったのです。

 それは、まるで自らが命を奪う計画を立てた山背大兄王の最期をなぞるかのようでした。

 事の顛末を聞いた孝徳天皇は中大兄皇子に対し、

 

「少しは気が済んだか」

 

 と言います。

 中大兄皇子は憮然とした様子で、

 

「虚しいだけです」

 

 と答えました。

 父を夫が死に追いやったと知った中大兄皇子の后はショックで病となって死去するなど後味が悪い結末であり、学友の仇を取っても気が晴れることはなかったのでしょう。

 その後、中大兄皇子は自らが天皇になることを拒み続け、孝徳天皇が崩御した際には母である皇極天皇が再び皇位に就き斉明天皇となります。その斉明天皇が崩御した後も7年間即位していません。自らの手が血に塗れているのを知って皇位に就くべきでは無いと思っていたのでしょうか。もしくは、彼は聖徳太子のような立場を望んでいたのかもしれません。

 中大兄皇子は皇太子として政務を行う中で鎌足の補佐を受けながら外務と軍事の担当をしますが、悪化する大陸情勢を前に思わず、

 

「イルカが生きていれば」

 

 とつぶやいたと言います。

 中大兄皇子の嘆きも虚しく大陸は動乱の嵐が巻き起こり日本は否応なしに巻き込まれていきます。

 660年、唐の支援を受けた高句麗と新羅が百済に侵攻し百済が滅亡。

 663年、日本は百済復興をかけて白村江の戦いに挑みますが大敗し、反攻を恐れた中大兄皇子は九州の防備を整え大量の防人を送ります。この防人には大陸による侵攻を恐れたウマ娘も多く参加し、日本の国防に大きく貢献しました。

 668年、中大兄皇子が即位。天智天皇となります。しかし、翌年には鎌足が死去してしまいます。

 天智天皇は弟の大海人皇子を皇太子としていましたが、息子の大友皇子に跡を継がせたいと思いました。当時は親から子に皇位が行くのではなく兄から弟に受け継がれる場合が多かったので天智天皇の考えは異例でした。

 大海人皇子は身の危険を感じて出家し、吉野に隠遁しますが、母方の身分が低かった大友皇子に味方する豪族と大海人皇子に味方する豪族に分かれてしまいます。

 671年、天智天皇が崩御。大友皇子は弘文天皇として即位しますが、その直後に大海人皇子は兵を挙げて都に攻め込み弘文天皇を自害に追い込みました。この戦いを後世では壬申の乱と呼びます。

 この時、蘇我氏も弘文天皇に味方する人間と、大海人皇子に味方するウマ娘に分かれて争いますが、大海人皇子が勝利したことで蘇我氏の人間派閥は完全に没落したのでした。

 しかし、実はこの時人間派閥は不可解な行動をしています。弘文天皇の将として従軍した蘇我果安が突如として他の将軍を殺害した上に自殺。弘文天皇の軍は一気に弱体化したのです。もともと蘇我氏の人間派閥は大友皇子よりも大海人皇子と親しく、皇子が吉野に隠遁する際には見送りに来るほどです。また、石川麻呂を除く兄妹は皆皇室に忠実であり、ウマ娘の庇護者として常に活動していました。大海人皇子がどこまで知っていたのかは分かりませんが、蘇我兄妹は内乱を早期に終わらせるべく汚名を被ると共に、兄妹唯一のウマ娘であるムラジの家系を大海人皇子側につかせて家名を存続させました。

 かつて陰謀によって山背大兄王とイルカを殺害し国を乱した蘇我氏。その生き残りは命をかけて皇室とウマ娘に尽くし、贖罪を果たしたのかもしれません。

 

 

 まとめ

〇太子とウマ子の死後、エミシにより協調政策で政治は安定するが蘇我氏の内部では不満が出る。

○皇室の後継者争いを契機に対立が激化し、

○当代一のウマ娘であるイルカがエミシの跡を継ぐが蘇我氏の暗躍により山背大兄王が殺害され暴走をはじめる。

○皇位簒奪を計るイルカを止めるため中大兄皇子と中臣鎌足鎌足が乙巳の変でイルカを暗殺。エミシも自害し蘇我宗家が滅亡する。

○生き残った蘇我氏も衰退し、壬申の乱で滅亡する。ウマ娘の系列は藤原氏と婚姻することで存続し、現在に至るまで血脈を繋げている。

 

 

 

 

「アスカさん、中大兄皇子と鎌足はイルカを死なせてしまったことを悔いていたのでしょうか」

 

「悔いていたのでしょうね。しかし、後継者争いや白村江の戦いの敗北により求心力を失うことを恐れたためイルカの名誉を回復させることはできませんでした。中大兄皇子や鎌足からすれば斬りたくて斬ったわけではありませんが、斬ったからには大義名分が必要であり、イルカは悪役でなければならなかったのです」

 

「あの時、山背大兄王が殺されさえしなければイルカは暴走せず皇室の忠臣として活躍し、時が経てば中大兄皇子や中臣鎌足も政治に参加するわけですから、歴史は大きく良い方向に変わったかもしれませんね」

 

「それを一番痛感したのが中大兄皇子であり、中臣鎌足であったと思います。イルカの死後、彼女の役割を引き継ぎ本当に苦労したようで、結局外交で失敗していますから後悔は一入だったでしょう」

 

「イルカを忘れず悼んでくれたのがせめてもの救いですね。アスカさん、本日はありがとうございました」

 

「ありがとうございました」

 

 

 

 天武天皇は壬申の乱を契機にかつての陰謀家を一掃し、健全な国家運営に乗り出します。

 また、一時期は蘇我氏への反発から国の中枢にウマ娘が関わることが控えられてきましたが、藤原4兄弟の紅一点、藤原ウマカイのように国政に携わる者も排出されました。なお、ウマカイは蘇我ウマ子の子孫にあたる数少ない蘇我氏系ウマ娘である蘇我媼子の娘であり、祖先と同じく文武並びに競技においても目覚ましかったも伝わります。しかし、この血筋には一つ謎があります。公式には蘇我媼子の母は蘇我ムラジとされていますが、このムラジというウマ娘、天智天皇の御代に右大臣を務めているにも関わらず664年に亡くなったという記録しか残っていないのです。ムラジの異母弟である赤兄は孝徳天皇の子である有馬皇子を嵌めて左大臣にまで昇進するなど記録が多く残っているのと対照的ですが、結局蘇我氏の中で血脈を残せたのは壬申の乱で大海人皇子に味方し、後に娘を不比等に嫁がせたムラジの系列のみです。

 ところで、イルカには山背大兄王との子がいましたが乙巳の変の後全く記録がありません。通説ではエミシと共に亡くなったとされますが、それを書き記した記録は見つかっていないのです。果たしてイルカの娘はどこに消えてしまったのでしょうか。ところで、異母弟とされる日向は兄の石川麻呂を裏切ってまで皇室に忠義を尽くし、果安は殺人者の汚名すら背負ってムラジの血脈を守りました。何故ウマ娘であるムラジの血筋を過剰なまでに守ろうとしたのでしょうか。ムラジの娘を妻とした藤原氏の記録には、ウマ娘である媼子に対して何故か敬称を用いたり、不比等が妻に愛情と共に敬意を持っていたと書かれています。

 そして、媼子と不比等との間に生まれた藤原アスカは日本史上唯一ウマ娘の皇后である光明皇后となり、その娘である孝謙天皇は史上唯一のウマ娘の女帝となりました。

 光明皇后は聖徳太子の熱烈な信徒であり、法隆寺に多額の寄進をしています。また、彼女に伝わる話の一つにこういうものがあります。エミシが太子を偲んで作らせた天寿国繡帳を見た光明皇后は極楽で仲睦まじく暮らす太子とエミシを表した部分を指差して、「太エミが一番ですわ。純愛といえばコレですわ」と懸かり気味に言い、そして法隆寺の境内にある山背大兄王が最後を遂げた場所では「あなたこそ日本一のお兄さまですわ」と讃えました。そして、イルカの眠る飛鳥寺にも足を運び、墓の前で手を合わせました。何故逆賊とされるウマ娘の墓に手を合わせるのかと近習たちは言いますが、皇后は毅然と言いました。

 

「ここにはわたくしの――いえ、ただ小さな頑張り屋さんが眠っているだけですわ」

 

 現在、エミシは他豪族との調和を重んじた安定政権であり、イルカは最後の暴走以外は多くの人に畏敬される治世を行っていたと再評価されつつあります。

 多くの夢と野望が渦巻いた飛鳥の地。万葉の世界を留める場所には、今はただ穏やかな時が流れています。

 こうして人間の思惑により暗雲が立ち込めていたウマ娘との関係は再び平穏を取り戻し、時代は奈良時代へと移り変わってゆくのです。

 

 

 

 

 

 終

 

 

 制作 日本ウマ娘放送協会府中支部

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回予告ーー

 

「あなたには覚悟はありますの? 私と……その、"一蓮托生"のような関係になる覚悟が」

 

 疫病が猛威を振るう奈良時代。

 ただ雲の上の存在ではなく、貴顕の使命を果たすべく人々のために尽力したウマ娘がいました。

 絶対的な慈悲を示し続け、最盛期には「退屈」とまで言われた治世を実現した賢女。

 彼女の名は、光明皇后。

 

 第4回「駆け出しの一等星 光輝くウマ娘達」

 

 ご期待ください。

*1
日本書紀原文:臣罪を知らず。乞ふ、明らめたまへ(私が何の罪を犯したというのですか。どうか明らかにしてください)。

*2
なお、石川麻呂の娘である遠智娘と姪娘が自ら進んで皇子に嫁ぎ、結果として石川麻呂は縁戚になった。




書いていて、人間が嫌になりそうでした。
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