ウマ娘と辿る日本の歴史   作:ぶ狸

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お待たせしました、投稿します。
今回まさかの3部構成。冗長ですみません。


第4回「駆け出しの一等星 光輝くウマ娘達」上

 710年、元明天皇は都を奈良の平城京へと遷都します。平城京は唐の都である長安をモデルとし、中央の朱雀大路を軸として右京と左京に分かたれ、さらに南北東西を碁盤の目のように整然と区画化された美しい街並みをしていました。

 また、平城京はシルクロードの終着点でもあることから国際的な都市であり、都には唐や新羅、遠くは天竺周辺の人々までもが歩く国際色豊かな光景が広がっていました。

 政治は中臣鎌足の息子である藤原不比等が実権を握り、律令制度の確立に力を尽くすとともにウマ娘との婚姻や起用により蘇我氏の滅亡で支援者を失っていたウマ娘達の代表者の地位を確立します。

 701年に不比等主導で大宝律令が制定されますが、ここにはある画期的な内容が含まれていました。ウマ娘の市民権です。

 大宝律令のあらゆる項目で、人間とウマ娘は対等であり同じ日本国に住まう国民として扱うと明文化したのです。現在、大宝律令の原文は失われてしまいましたが、751年に制定された養老律令と大きな差異はないとされているため間違いなく701年にウマ娘はウマ娘王朝以外の国家で世界で初めて市民権を得たとされます。これは不比等がたとえ藤原氏が滅びようともウマ娘達が決して日本での社会的地位を落とさないように配慮した結果でした。

 不比等は何故ウマ娘をここまで庇護すべく細心したのでしょうか。それは、彼もまたウマ娘を愛する一人の男だったからに他なりません。不比等の妻の一人、藤原媼子は既に滅びた蘇我氏の出身でありましたが、不比等は彼女を深く愛したとされ、二人の間にはウマカイとアスカという二人の娘が誕生します。

 特にアスカは続日本書紀において「幼にして聡慧」と評されるほど幼いころから聡明であり、またウマ娘らしく可憐な容姿で紫がかった髪が美しいとも記録されていました。

 

「アスカは可愛い。日本一可愛い。絶対に日本一の男にしか嫁にやらん。そして日本一の男は私。つまり誰の嫁にもやらん!」

 

 真面目な顔をしてそう宣言するのは藤原不比等、この時50歳。肩に愛娘を抱えての堂々たる宣言です。

 周りはいつもの病気だとしてハイハイお父さんそろそろ休みましょうねと冷淡です。

 

「分かっておらんな。アスカは何か特別なんだ。私には分かる。きっと、日本一どころか世界一ィ、いや星空に輝く大星*1のように人々を魅了するウマ娘になるのだ」

 

「お、お父様。そろそろ下ろしてくださいまし」

 

「お爺様、アスカが困っていますよ」

 

「ぬううう、皇子よ! 我が孫にしてアスカの幼馴染よ。あなたも男ならば私の敵なのだ。どうしてもアスカを嫁にしたくば帝にでもなってから出直して参れ!」

 

「もう、いい加減にしてくださいまし!」

 

 文武天皇の皇子である首皇子(おびとのみこ)は父を7歳で亡くし、母もまた精神を病んだため不比等の許で養育されました。アスカとは幼馴染であり、同い年の甥と叔母の関係でもあります。二人は稚心ながらも何となく互いにほのかな好意を抱きつつある年頃。そこに暴走する親パカを目の当たりにしたアスカが、とうとうキレてその脳天に一撃を見舞ったことを誰が責められるでしょうか。

 この日、709年は不比等50歳の記念の日であります。晴れの日にも関わらず昏倒する主賓と、手慣れた様子で彼を寝台へと運ぶ藤原家の一族。唖然とする来客に不比等の妻である媼子が「うちのパカがすみません。すぐに片付けますので気にせず楽しんでくださいね」と妙にやんごとなきオーラを出しながら微笑むと「あ、ハイ」と何事も無かったかのように会食が進められました。

 ある意味で都中で有名になっていた不比等の親パカぶりですが、誰もが不比等の暴走をオパカだと思っていても、その内容については寸毫も疑っていなかったのです。

 

「確かに、アスカちゃんは何か特別なのよね。仏様のご加護を持って生まれたのかしら」

 

 少女が時代を代表するスーパースターになることを、誰もが期待していました。そして、それは決して遠くは無い未来だったのでしたが、同時に日本が先行きの見えない暗黒の時代へと突入する未来も近づいていたのです。

  

 

 日本ウマ娘放送協会特別企画

 ウマ娘と辿る日本の歴史

 第4回『駆け出しの一等星 光輝くウマ娘達』

 

 

「こんばんは。今夜もウマ娘と辿る日本の歴史の時間がやって参りました。本日の主役は、光明皇后。奈良時代に活躍した聖武天皇の皇后であり、生涯を通じて慈善事業を行った慈愛の人です。彼女を中心として奈良時代はどういった時代だったのかを辿り、ウマ娘達がどのように暮らしていたのかを見ていきます」

 

 

 奈良時代の始まりは元明天皇を補佐する不比等による律令国家の完成を目指す改革が行われ、安定した成長が続きました。

 不比等の取り組みは多岐にわたり、舎人親王らと協力して日本書紀の編纂を行い日本の歴史を後世に伝えようと試み、和同開珎という貨幣の鋳造により物々交換が主流だった経済から貨幣経済への転換を計りました。

 元明天皇の御代は中央集権化と地方自治の両方を制度化するまさに躍進の時であり、この時に現存する日本最古の歴史書である古事記や、地方の風土や文化・特産物を記した風土記、漢王朝を参考にした地方自治体制度である郷里制など日本が中世に至る準備を着々と進めていました。

 715年、元明天皇は高齢を理由に娘の元正天皇に譲位します。本来ならば孫の首皇子が即位するのですが、皇子はこの時まだ14歳と若く、2代続けての女帝となりました。元正天皇は慈悲深く落ち着いた人柄であり、あでやかで美しいと記されるほど叡智と美貌を兼ね備えた人物であり、歴代の女帝の中でもかなりの美人だったようです。

 元正天皇は母と同じく不比等を中心とした改革を継続し、律令国家の完成を果たすべく養老律令の制定に取り掛かります。

 時を同じくして、藤原氏の屋敷では一つの関係が進もうとしていました。

 

「…皇子様、申し出は嬉しいのですが、本当にその意味を理解していますか?」

 

「分かってる。私はアスカ、君を后にしたい」

 

「あのですね、わたくしはウマ娘ですよ。夫人ならともかく今までウマ娘の后なんて聞いたこともございません*2

 

「それでも、私はあなた以外を后にしたくない。それに、私は全て知っているんだ。あなたの夢も、血筋のことも」

 

「どうしてそれを……あ、お母様ですわね。全く、お節介なことですわ。けど、本当によろしいので? わたくしと一緒になるというのは、この血の使命も一緒に背負うということ。あなたに、その覚悟がありますの? その……わたくしと一蓮托生のような関係になる、その覚悟が」

 

「もちろんだ」

 

「ふふ……その迷いのないところ、小さな時から変わりませんのね。いつだって、わたくしのことを一番に考えて。分かりました、でしたらわたくしも遠慮はしません。わたくしの夢、太子様やひいおばあ様達の願い、絶対に叶えてみせますわ」

 

 715年ごろ、首皇子は幼馴染みの藤原アスカに婚礼を申し込み、二人はこれから一蓮托生となって人生を歩んでゆくのです。しかし、その前に二人にはお話しすべき相手がいました。

 

「……もう一度申してくれアスカ。私はどうやら幻聴が聞こえたようだ」

 

「お父様、わたくし結婚いたします」

 

「だ、誰とだ。この日本一の男たる父を超える男がいるというのか!」

 

「私だ」

 

「皇子ィィイッ! やはりお前か! 許すん! 許すんぞ!」

 

「ど、どちらですの!? それはお許しになっていますの?」

 

「間もなく即位できる私と縁戚になって藤原氏の栄華を築こうという権力者の人格と愛娘を渡したくないという親パカの人格がせめぎ合っている。だが、人格は一つで良い。結論は一つで十分だ」

 

「冷静な解説をしている場合ですか。お父様がもう還暦なのに舞踊中のウマ娘に匹敵する空中舞踊で皇子様を狙っておりますわ! あの体勢ーー聖徳太子様が寒い駄洒落をやめない蘇我ウマ子を懲らしめるために開発した伝説の奥義にして皇族で脈々と受け継がれ、お母様がお父様をしばく際に使っていた飛鳥文化強襲(アタック)で間違いないですわ!」

 

「その通ぉぉり! 我が愛娘を奪うならばこの不比等容赦せん。くらえ、超必殺・飛鳥文化強襲! 仏教文化の重みを知れーッ!」

 

 しかし、不比等の大技を皇子は幾度か躱した後に受け止めると、そのまま掴んで地面に叩きつけました。

 必殺の技を見切られて呆然とする不比等に皇子は諭します。

 

「初手から大技を出したな。考え方はおかしくない。だが、聞きかじっただけの行為を実践で試すもんじゃない。だから腰痛など起こすんだ」

 

 そう、不比等は見様見真似で大技を繰り出し、さらに腰痛を発症していました。

 

「そもそもあんたは飛鳥文化強襲に向いていない。空中殺法による衝撃を膝を曲げて吸収する癖がある。どちらかというと『飛翔する海神の摂政(フライング摂政ポセイドン)』向きだ」

 

 皇子が告げたのは皇室に伝わる聖徳太子考案の大技です。不比等は一度だけでここまで見抜き的確なアドバイスまでする自らの孫を愛娘を嫁がせる相手に相応しいと認めました。

 

「だが体さばきは見事だった…いい才能(センス)だ」

 

「ふっ……孫か。良いものだな」

 

 結局、渾身の飛鳥文化強襲は屋敷の至るところを破壊するだけに留まりました。不比等は皇子の投げ落としもあって動けなくなったところを妻の媼子に見つかり本家本元の真・飛鳥文化強襲を喰らい完全に沈黙。二人の結婚は媼子が認めたことで落着し、恙無く婚礼の儀を行うこととなったのです。

 藤原家において没落した蘇我家の出身かつウマ娘の媼子は何故か藤原氏において不比等以上の地位であり、夫が彼女を呼ぶ際に敬語を用いていたあたり二人の関係性、というか彼女本来の血筋が伺えます。

 717年、藤原アスカは首皇子と婚礼。幼馴染みの初恋を成就させました。なお不比等は未来を託すべき相手を見つけたからか一気に老いが深くなってのでした。

 720年、藤原不比等は61歳でこの世を去ります。力を入れていた養老律令の施行を前にした死でありました。

 不比等は始めから順風満帆な人生を送ったわけではなく、彼が朝廷に出仕し始めた頃は天武天皇によって中臣氏は政治の中枢から遠ざけられ大舎人の下級役人からのスタートでした。そこから蘇我氏を失ったウマ娘の保護や法律家としての優秀さから出世し、今の地位を築いたのです。彼の死に最も悲しみを表したのはウマ娘達でした。首皇子主催の不比等の追悼競技では都中のウマ娘が走り、悲しみを分かち合ったのです。

 この競技に1着はいません。誰よりも激しい人生を駆け抜けた男こそが勝者だと宣言したのは未亡人となった媼子でした。そして、彼女もまた夫の後を追うかのように間もなくこの世を去りました。

 不比等の死は日本に一つの時代の終わりを告げるとともに何かぼんやりとした不安を感じさせるものでありました。そして、その不安はやがて現実味を帯びてゆくのです。

 

 

「解説には作家で奈良時代に詳しいセントチャンにお越しいただいています。セントチャンさん本日はーー」

 

「セントで良いですよ」

 

「では、セントさん。本日はよろしくおねがいします」

 

 

「よろしくおねがいします」 

 

「蘇我氏の滅亡後に藤原不比等がウマ娘の庇護者となったわけですが、それによってウマ娘達に具体的な変化はあったのでしょうか」

 

「実は大きな変化はなかったようです。と言いうのも、大部分のウマ娘はその力を活かして農耕や都市開発に従事して、時折競技に参加する生活を送っており一般社会では無くてはならない存在であるとともに民衆からも大きな信頼と愛情を向けられていましたので庇護者が誰であろうともその地位は揺るぎないものでした。そもそも蘇我氏は民衆からすれば善政を行っていたので常に高い支持を得ており、不比等は蘇我氏から妻を得てウマ娘の庇護者の地位を受け継ぐことでウマ娘からの支持と民衆からの支持を一挙に取得したわけですから不比等の方が利益を多く受けていますから、むしろウマ娘の庇護者となることで不比等が変わったと言えますね」

 

「なるほど。ある意味、ウマ娘に信頼されたのが不比等が出世したきっかけなのかもしれませんね」

 

「ウマ娘の存在は不比等の出世に影響したのは確かですが、そこには持統天皇の存在も欠かせません。持統天皇は夫の天武天皇が行った大臣を置かない独裁体制の限界を悟り左右大臣を置き個人のカリスマではなく皇室の権威と律令による支配という現実的な方針を取らざるを得ませんでした。そこで民衆の支持と貴族の支持、そして律令の制定という何もかもが必要になってしまったのです。ところが、不比等が蘇我氏でウマ娘である媼子と婚姻すると民衆の支持を得ます。さらに壬申の乱以来地位を落とした貴族達も中臣氏出身の不比等に好意的です。止めとばかりに不比等は法律のプロフェッショナルでした。持統天皇からすれば父の天智天皇の忠臣だった鎌足の遺児が喉から手が出るほど欲しい人材になったことに運命的なものを感じたと思います。結果、不比等は大きな出世を遂げたのです」

 

「なるほど。蘇我氏のウマ娘との婚姻、中臣氏出身、法律のプロフェッショナル。これら全てが合わさって出世に結びついたのですね。ところで、そんな偉大すぎる男だった不比等ですが、家庭内では弱かったようですね」

 

「まあ、だいたい藤原媼子の存在ですね。暗黙の了解として、彼女は山背大兄王とイルカの孫であり人とウマ娘を結ぶ象徴でもありました。そんな彼女に不比等は愛情と敬意を以て接していたのですが……媼子は曽祖父の太子に似たようで理知的かつ時にアグレッシブな人柄だったようで、不比等は尻に敷かれていたようです」

 

「そりゃ、飛鳥文化強襲(アタック)でしばかれたらそうなりますよ」

 

「尻に敷かれつつも不比等は愛妻家かつ子煩悩であり、愛娘のアスカへの盲愛や実質的に天涯孤独になった孫の首皇子を引き取って育てるなど愛情深い人柄だったようです。また、ウマ娘の指導人としての功績は媼子が多くの競技で活躍したことからそちらでも一流だったようです」

 

「確か不比等は能筆家でもありましたし、万能に近い人だったのですね。そんな彼が殊の外気に掛けたのが愛娘のアスカというわけですか」

 

「はい。人は人を知ると言うべきか、不比等の見立て通りというべきか、彼女はまさに夜空のシリウスのように輝いていくのです」

 

「しかし、星が輝けるのは夜だからこそ。つまり、日本はこの時非常に暗い時代になっていました」

 

 

 奈良時代ーーそれは疫病と飢饉、そして反逆の時代。

 律令国家を目指す改革は確かに日本を発展へと導いたのですが、同時に人口爆発を招きました。都市の食糧供給率を上回る人口の増加はすぐさま飢饉として現れ、朝廷はその対応に追われます。

 加えて、国際色豊かな都市はすなわち外来の病が入り込むリスクがあるということでもあり、日本国内に様々な伝染病が流行し始めたのです。

 そして、元々大和朝廷に反感を持っていた東北の民たちは律令国家の押し付けに我慢ならなくなり各地で反乱を起こします。

 まるで日本がこれ以上輝くのをこの世が認めないかのように闇は広がり、時代に取り残される人々は自ら輝きに背を向ける。一寸先すら見えない暗黒の時代が訪れたのであります。しかし、闇夜を照らす輝きは今まさに顕れようとしていたのです。

 723年。皇太子妃アスカは困窮する人々に心を痛める日々を送っていました。

 

「何とかしなければみなさんが飢えてしまう。まだウマ娘は食べていけますけど、そう長くはもちませんわ」

 

 ウマ娘は最悪の場合、道端のタンポポ等の野草を食べれば生きていけます。しかし、人間はそう簡単ではありません。まず人間から飢餓が広がり、ウマ娘も野草を食べても限界がありますからいずれ「無理ぃ〜」、「お腹すいたぁ〜」と啼き出すのは目に見えています。

 自分にできることは無いか。過去の文献を漁っていると、彼女にとって天啓となるものが見つかったのです。

 

「これは……太子様が作られた貧しい方々を救う施設? こ、これですわ! これならわたくしも!」

 

 かつて聖徳太子が四天王寺の一画に作った施設。それは、貧者に食事と住む場所を与え、孤児を育成する社会福祉施設。隋に倣って作られたそれを、悲田院と言います。

 早速アスカは首皇子経由で許可を取り、悲田院を興福寺の中に設立します。興福寺は藤原氏との縁が深い寺院であり、悲田院への出資は皇室のみならず藤原氏も多くを出しました。

 食べるものと雨風をしのげる場所があると聞き、都の貧困層は悲田院を天の救いかの如く思い駆け込みました。そして、先頭に立って働き、炊事場を取り仕切るウマ娘の姿に驚愕するのです。競技や舞踊でその姿と名を都中に轟かせる皇太子夫人のアスカが下々の人が着るような作業着を身に纏って働いているのですから。

 

「もう大丈夫でしてよ。ここで英気を養って、また明るい未来のために歩き出せばよろしいのですわ!」

 

「一緒に働いてくれる方も募集中ですわ〜。温かい家庭的な職場ですわよ〜!」

 

「美味しいですわ、美味しいですわよ〜。出来立ての雑炊が美味しくてパクパクですわ! みなさまもこれを食べて元気を出してくださいませ~!」

 

 本当に高貴な方なのかと人々が困惑するほど積極的に働くアスカ。お手製の雑炊はウマ娘が愛好する黍等の雑穀ベースに野草や肉を加えて塩で味付けした栄養満点でなおかつ美味い逸品であり、食欲旺盛なウマ娘基準で作っているため人々が十分に満ち足りるほどのごちそうでした。お椀を空にした人々はやはり、「美味しいけど、これ皇太子妃様のお手製なんだよな。いや、本人なのかあの人」と、やはり困惑を深めましたが、その儀式や競技で見たものと変わりない姿や、漂わせるやんごとなき雰囲気はまさしくアスカのものでした。

 

「綺麗な方だよな、アスカ様は」 ウマスギル!

 

「ああ、世の中には色々な美人がいるが…あの方ほど美しい人を見たことはない。気が付くと目が釘付けになっちまう。それに、何だかあの方と接すると湧いてくるんだ。明日を生きる希望ってやつが」 モットクワセロ。

 

「あんな高貴な人にここまでしてもらったんだ。俺らも明日から頑張ろうぜ!」 サイコウダ!

 

「「「後ろのやつうるせぇよ!」」」

 

「また食べたいな」

 

 悲田院のそこかしこで英気を取り戻した人々の明るい掛け声が響きます。彼等は翌日から農作業などに従事し、中にはアスカに心酔して悲田院の作業員となるなどの働き口を見つけて社会復帰を果たしていくのです。

 後世、この時に救われた人々の声が興福寺縁起に残っています。

 

「あの時、日本は暗闇の中にいて俺達はそこに投げ出された迷い子だった。けれど、見上げれば光る星がすぐそばまで来てくれて俺達に進むべき道を明るく照らしてくれた。だから俺達はまた立ち上り、走り出せたんだ」

 

 彼等にとって、アスカは輝く星だったのです。この話が広まり、彼女は明るく光るアスカ姫と呼ばれ、後に彼女が光明皇后と呼ばれる由縁となったのです。

 しかし、彼女には全てを救う事ができるほどの力はありません。これから日本はさらなる暗黒に包まれてゆくのです。

 不比等の死後、朝廷の権力図は大きく変わりました。不比等の長男、武智麻呂はまだ20歳であり位もそれほど高くありません。そこで、元正天皇が代わりに補佐役として選んだのが親族の長屋王でした。

 長屋王は不比等の政策を受け継いだ方針を取り、皇族を中心としながらも安定した政治を目指していたようです。しかし、不比等というカリスマを失った影響は各地で頻発する反乱となって現れ、追い打ちをかけるかのように水害や飢饉が起こりました。

 長屋王は突然の事態にも適切に対応し、飢饉対策には租税の免除を行い、軍役が重いと判断すると緩和策を実施、反乱には即座に兵を送り込んで鎮圧するなど素早い対応を取っていました。この時は不比等の子である藤原兄妹も協力し、724年に陸奥国で起こった蝦夷の反乱には兄妹の紅一点のウマカイが20歳で大将軍として出征するなど実務面で長屋王を支えていました。

 しかし、長屋王の政策は適切かつ迅速でしたが、それ故に強行的な側面もあり皇族以外の貴族や役人からは不満が出ていました。そして、長屋王が唯一失敗したと言えるのが農地改革です。

 722年、これまで安定した政治の影響か日本は人口が膨れ上がっていました。しかし、人口が増えても食料の供給が追いつかず、各地で貧困が問題となったのです。これに対応すべく長屋王が掲げたのが百万町歩開墾計画です。これは秋の収穫後に官民一致で開墾事業に乗り出して良田を確保しようという方針でしたが、一方で収穫後に疲れた領民やウマ娘については無視し、監督する役人は従わなければ解雇するという強硬策でした。

 結局、実行者側のモチベーションが上がらず開墾は思うように進みませんでした。事態を打開すべく翌年の723年、長屋王は三世一身法を制定。これは開梱した田畑を孫の代まで私有しても良いという法律でしたが、三世一身法の効果は平均寿命の短い奈良時代では20年未満しか継続しなかったようであり、領民たちのモチベーションは上がらず、監督する役人や肝心の領民がサボり始めると真面目に働いていたウマ娘達もやがて野辺を適当に駆けたり、タンポポを寝転がってムシャムシャするようになってしまいました。

 更に長屋王にとって良くなかったのは彼が良くも悪くも保守的なことでした。それが決定的な過ちとなるのが724年、首皇子が即位し聖武天皇となった時でした。

 聖武天皇は皇后に当然ながら愛する藤原アスカを立てようとします。しかし、長屋王は今までウマ娘が皇后になった前例が無いためこれに反対したのです。当時、皇位継承の中継ぎとして先帝の妻が即位する例が非常に多く、病弱であった聖武天皇もそうなる可能性がありました。それを危惧した長屋王は非皇族のアスカを立后させるのに反対し皇族から新たに妻を得るようにそれとなく勧めますが、聖武天皇は長屋王の忠告に対して素直に従い皇族から妻を得て一子を設けますが皇后を立てませんでした*3

 この時はまだ長屋王の考えが正しく問題はありませんでしたが、同年に起こったある事件をきっかけに事態は変わってゆきます。

 聖武天皇にとって生母である藤原宮子は非常に心配する相手でした。夫の文武天皇の崩御後に心を病んだ彼女を何とかして元気づけたいと常々思っていた聖武天皇は、母に大夫人の称号を贈ろうとしたのですが、これは長屋王からすれば戸惑わずにはいられないものでした。本来、天皇の生母には皇太夫人の称号が贈られるのですが、宮子は立后してなかったため名乗れません。また、大夫人という称号も前例が無い上に皇太夫人以外の称号を贈ってはならないという法もありました。長屋王の反対は当然のもので、聖武天皇も素直に勅旨を取り下げます。しかし、正論とは言え2度に渡り藤原氏の子女に対する妨害を行ってしまった長屋王と藤原氏の関係は悪化してしまったのです。

 この事件を後世では辛巳事件と言います。そして、様々な要素が重なり彼らの未来に暗い影が差し込んでいったのです。

 

 

「長屋王の判断は私からすると何も間違っていなかったと思うのですが、藤原氏からすると腹立たしいものだったのでしょうか?」

 

「この頃の藤原4兄妹はまだ位も低く、長屋王の正論に対して特に反発を示していません。しかし、問題は長屋王の敵は藤原氏ではなくその他の貴族と民衆です。彼等は長屋王と藤原氏の間に亀裂が入る切っ掛けを見出すと藤原氏の肩を持って長屋王を非難します。民衆も長屋王への不満から藤原氏とその周囲の貴族を支持し、気が付けば藤原氏は長屋王と対峙しなくてはならない状況に置かれていました」

 

「やはり農業政策が上手くいかなかったことが民衆の長屋王への不満に結びついていたのでしょうか」

 

「それもありますが、長屋王自身が元々民衆から人気のある人とは言えませんでした。長屋王の邸宅跡から発掘された木簡には彼の屋敷に豪華な品々が運ばれていたことを示し、氷室を作って夏には氷を食すなど贅沢な暮らしをしていたようです。貧困に喘ぐ民衆からすれば長屋王は憎むべき相手で、逆に光明皇后を中心に民衆を救済しようとする藤原氏が善玉に見えたのは必然でした。良くも悪くも、長屋王は雲の上の存在であったのです」

 

「ありがとうございます。さて、政治家としては有能だった長屋王を元正天皇や聖武天皇は信頼し、藤原4兄妹も何とか決定的な破滅を避けるべく奔走します。しかし、月日が流れるほど長屋王への不満は積み重なり、藤原氏への期待は増すばかり。そこへ、またしても悪しき出来事が彼らを襲うのです」

 

 

 727年、聖武天皇の人間の夫人との子である基王(もとおう)が誕生し、聖武天皇はこの赤子に譲位し、自らは太上天皇として政治をしようという構想を練ります。天皇となってからアスカの指導人としても政治家としても身動きの取りづらい状況に彼自身思うところがあり、長屋王や藤原4兄妹という有能な政治家がいれば問題なく運営可能という判断でした。当然、長屋王は「落ち着け」と言わんばかりに聖武天皇をなだめ、撤回を促します。ところが、この直後に基王が満1歳にもならずに薨去してしまい、事態は最悪の流れへなってしまうのです。

 当時、乳児の死亡率は高く基王が薨去しても悲しみこそあれど言ってしまえば起きうる状況にすぎず聖武天皇も深くは考えませんでした。ところが、急激にある噂が広まってしまったのです。

 基王が薨去したのは天皇の地位を狙う長屋王が呪詛したからだ、という噂。

 始めてそれを藤原4兄妹が耳にしたとき、パカな噂だと笑い飛ばそうとしましたが、まず最初に武智麻呂が気付いて青ざめ、次に房前、そして全員がとんでもないことになると血相を変えてアスカの元へ駆け込みました。

 アスカの元には聖武天皇もおり、既に青ざめた表情で4兄妹を迎えます。

 

「まずいことになった。このままでは長屋王は殺されてしまう。しかも、私達の手によって!」

 

 聖武天皇が叫ぶと、アスカと4兄妹はより沈鬱な表情へと変わります。まさしく聖武天皇が言った通り、事態は長屋王抹殺へと否応なしに動いていたのです。

 

「陛下、今すぐ私が兵を率いて長屋王を脱出させれば或いはーー」 

 

 ウマカイが縋り付くように聖武天皇に長屋王救出の許可を求めますが、天皇は力なく首を横に振りました。

 

「だめだ。兵を動かすには私の許可が必要となり、兵達と民衆にとって長屋王が基王を呪い殺したことは確定事項なのだ。もはや、兵を動かすことは私が長屋王の罪を認めたことにしかならない。彼等は喜び勇んで長屋王を殺すだろう」

 

「そこまで……そこまで彼は恨まれていたのですか! 確かに暮らしはいいなーと思っていましたが、私はおいしいものをいっぱいもらったり、夏にかき氷をごちそうになったり、競争の計画を一緒に立てたり、それから、それからーー」

 

「もういい、ウマカイ! よすんだ!」

 

「何も殺さなくても!」

 

「黙れと言っている! わきまえろ」

 

 涙ながらに助命を乞うウマカイに兄の武智麻呂が怒鳴ります。ウマカイは長屋王と最も行動を共にすることが多く、半ば指導人のような関係だったのです。

 

「もはや神仏に祈るほか無い。私達は動かず、何事も無ければ機を見計らい長屋王を復帰させる。しかし、何かあれば、ほんの些細なことでも、それで全ての望みが断たれる。蛇は決して、獲物を逃さない」

 

「ああ、仏様ーー」

 

 聖武天皇とアスカは心から仏に慈悲を求めますが、このとき既に長屋王の命運は尽きていたのでしょう。

 翌朝、聖武天皇に密告がありました。長屋王は呪術を学び、国を傾けようとしているという内容です。

 密告したのは中臣宮処(なかとみのみやこ)漆部君足(ぬりべのきみたり)という下級役人です。彼等は長屋王への不満を持つ貴族の意を受けて天皇に讒言したのでした。無論、そんなことは聖武天皇も分かっています。もしも聖武天皇が独裁者であったのならば、今すぐこの二人の首を斬り落としてしまいたいほどです。

 

「そうか……大義であった。下がれ」

 

 何とか怒りを抑えて下がらせると、聖武天皇は呆然と天井を見上げ、深く嘆息しました。

 もはや望みは断たれ、後は長屋王の屋敷を包囲し自害を迫らなければなりません。それを誰に命じるべきか悩んでいると、藤原ウマカイが声を上げました。

 

「陛下、長屋王へ向かわせる兵の指揮、私にとらせてください」

 

「ウマカイ、本当に良いのか?」

 

「私に行かせてください」

 

 任務は、最愛の人を殺すこと。

 ウマカイの毅然とした雰囲気に呑まれた聖武天皇は許可を出し、近衛兵を率いたウマカイによって長屋王の屋敷は包囲されます。

 門の前にウマカイが立っていると、扉の向こうから聞き慣れた声がしました。

 

「お前か、ウマカイ」

 

「……」

 

 彼女は応えません。罪人となってしまった長屋王とは言葉を交わすことすら禁じられていたのです。しかし、長屋王には十分にウマカイが何を思っているのか伝わっていました。

 

「まさかこうなってしまうとはな。すまない、お前たちに汚名を背負わせることになってしまった」

 

「……」

 

「だが、不平や恨みは、私が全てあの世へ持っていく。どうか、陛下を……この国を頼む。頼んだぞ、藤原ウマカイ。私が愛したウマ娘よ」

 

 扉の向こうから気配が消え、夜が深まってゆきます。そして、次に門が開けられた時には家令が全て終わったことをウマカイに伝えたのです。

 瞠目した彼女は、小さく洩らしました。

 

「……さようなら、私の指導人さん」

 

 729年2月。長屋王、自害。

 聖武天皇は即座に勅を発し、長屋王を生駒山に丁重に葬ることと、決して葬儀を卑しくしてはならないと厳命します。また、一部を除いた長屋王に近しい官僚や親族の罪を赦免し、長屋王に関わる領民の税を免除しました。時の権力者が失脚する際には多くの犠牲者が出るものですが、聖武天皇と藤原4兄妹は最小限に抑えるべく奔走したのです。

 この事件を、長屋王の変と呼びます。

*1
おおいぬ座で最も明るい恒星シリウスの和名。

*2
基本的に后(皇后)>夫人。また、皇后は中継ぎの天皇となる場合もあり皇族がなるのが慣例でした。

*3
長屋王「違う、そうじゃない」

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