疑似幸福論   作:喬 

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最期の夜 △ 川内

「じゃあ川内さん、準備は良いですか?」

「うん……。その、ごめんね? きっと気持ちはみんな同じなのに……私ばっかりワガママ言っちゃってさ……」

「……あなた以上に提督を想っている娘はいませんよ」

 

 ――それは、いつかどこかで聞いたことのある声だった。ひとりは桃色の髪の毛の、機械をいじるのが大好きだった艦娘で、もうひとりは夜戦が大好きな……。

 

「ねえ、夜戦しよ! やーせーん!」

 

 勢いよく開かれた執務室の扉と、無邪気な彼女の声が落ちかけていた意識を現実へと引き戻す。

 顔を上げ窓の外を見やると、陽はとうに沈み、俺たちの頭上にはそれはもう綺麗なお月様が咲いていた。

 今日は朝からぶっ通しで執務をこなしていたはずで、一息つこうとペンを机の上に転がしたのが確か一七……三◯ほどだったろうか。いつの間にやら眠りこけていたらしい。それほどまでに疲れているということだ。ならば今から夜戦などバカバカしい。

 ……と、本音は心の奥底に仕舞い込み、胸元の辺りで両手をぐっと握りきらきらと瞳を輝かせている川内から目を逸らした。

 

「夜戦なら昨日しただろ……」

 

 ため息混じりにそう言って、机の上に広げていた書類を片付け始めた俺を見て川内は腕を組み、壁にもたれかかりながら目を伏せる。

 

「ねえ提督」

「なんだ?」

「……いい夜だね」

 

 川内はキメ顔でそう言った。

 まるで某白露型駆逐艦の二番艦みたいだ。いつもなら折れてしまった方が楽なので渋々了承するのだが、今日という今日は勘弁してほしい。

 そんな俺の気持ちなどつゆ知らず、目の前の川内は片目を伏せ、キメ顔のままこちらを見つめている。顔が良すぎる分余計に腹が立つのは置いておこう。とにかく今は夜戦から彼女を遠ざけたい。

 

「なあ川内」

「なに?」

「……夜戦の前に少し付き合わないか?」

 

 書類を片付け終わり、そっと立ち上がった俺を目で追いながら川内は頭の上に疑問符を浮かべていた。

 

「腹が減ってはなんとやらってやつだ。先に晩飯でも食いに行こう」

「そうだね。じゃあ食堂に――」

「いや、今日は外に食いに行こう」

 

 川内の言葉を遮り、軍帽を脱いでコートを羽織る。着けていた手袋を机の端に置き、引き出しから財布を取り出してコートの内ポケットに仕舞い込んだ。

 素早く支度を整えて、川内の目の前まで歩いて行き右手を差し出した。

 

「仮にも君とはケッコンしているんだ。たまにはこういうのも悪くはないだろ」

「……そ、それなら私も着替えてくるから、待ってて!」

 

 言うと直ぐに執務室を飛び出して長い廊下をパタパタと駆けていく。少しばかり上擦った声には新鮮味を感じる。

 ……そういえば、いつだったか同じようなことを思ったことがある気がするのだが、デジャヴというやつだろうか――などと考えているとこちらへ向かってくる足音が聞こえ、久しぶりの川内の私服姿を拝むことができた。

 カーキの上着からチラと覗く真っ白な肩から察するに、グレーのインナーはノースリーブなのだろうか。オレンジのマフラーもよく似合っている。しかし少しばかり薄着な気もするが、お洒落とは時に我慢も必要なのだと遠い昔に妹が言っていた。風邪を引かれては困るが……そもそも艦娘は風邪を引くことがあるのだろうか。

 

「どうしたの? そんなに熱い視線を送られると流石に照れるって……」

「ああ、悪い。可愛いなと思ってな」

「なっ……。もう、恥ずかしいってば……」

 

 両手を上着のポケットに突っ込み、頬をほんの少しだけ赤らめた川内はくるりと身体を反転させ、足早に外へと向かって歩いていく。

 自分だって神通や那珂に対しては同じようなことをいつも言っているくせに、いざ言われると照れるのか。なるほど、川内の弱点をひとつ見つけてしまった。忘れないように後でメモしておこう。

 

「なにしてんの! 置いてくよっ!」

 

 もう十メートルほども離れてしまった所から川内は叫んだ。既に靴に履き替えていて、準備は万端である。

 夜戦以外でそこまで気合を入れてくれるとこちらとしても嬉しいが、焦らなくても晩飯は逃げたりしない。

 必要以上に急かしてくる声に応えつつ、変わらずゆっくりと川内のもとへと向かった。

 

「で、なにご馳走してくれるの?」

「そうだなあ。なにが食べたい?」

 

 鎮守府を出てすぐの道は街灯も少なく、降り注ぐ月明かりがとても頼もしく感じる。

 隣を歩く川内は人差し指を口元にあて、「うーん……」と頭を悩ませていた。そういうちょっとした仕草も可愛く思えて仕方がないのだが、言うとまた怒るのだろう。

 

「なんでもいいやっ」

「お、それは一番困るやつだなあ」

 

 提督の好きなものでいーよ、なんて笑いかけてくる川内から目を逸らし、街中にはどんな店があっただろうかと、今度は俺が頭を悩ませた。

 野菜よりかは肉が食べたいが、肉よりかは魚が食べたい。そして刺身よりかは焼き魚が食べたい。となると……。

 

「そうだな。秋刀魚を食べに行こう」

「お、良いねえ」

 

 少々値は張るが、囲炉裏で焼いてくれる素晴らしい店を見つけたのだ。そのときは美味しいよりも、君に教えてあげたいと……そればかりを考えていた。

 ふたり席にひとり、箸を進めながら目の前の空席に君の姿を映して、喜ぶ顔を想像しては笑みをこらえていたのを思い出す。

 

「ねえ提督」

 

 半歩前を歩く俺の袖をきゅっと掴み、立ち止まった川内の方へと振り返ると、俯いたままもにょもにょと口を動かしていた。

 

「手、繋いでも、良い……? あ、いや……その、さ……。寒い、から……」

 

 前髪と夜空のせいで表情は見えなかったけれど、その頬は夕陽のように紅くなっている気がした。

 こんなにも冷たい風が吹いているのだから、無防備に手を曝け出したってより寒くなるだけだ。きっとポケットに突っ込んだままの方が幾らか温かいはずなのに、わかっていながら……繋いだ手のほんの少しの温もりを求めてしまう。

 それは言わずもがな、好きだからなんだろう。

 きっとお互いに好き合って、お互いにそれをわかっているはずなのに。自分の口から切り出すのは怖かった。もし違っていたら、ただの勘違いだったなら――もう今までのような関係には戻れないから。

 だから、黙ったままの俺を不安そうに見上げて、掴んでいた袖を離してしまった川内の手をきゅっと握った。

 それはもう既に冷え切っていたのに、太陽よりもあたたかく感じた。

 

「今日……暑いんじゃないか……?」

「そ、そうかもしんないね……」

 

 そんなわけはない。今にも雪が降り出しそうなほどの気温なのに、繋いだ手だけがほんのり汗ばんでいた。

 こんな風にしおらしくなられると本当に困る。普段と大して差異は無いのだが、妙に可愛く見えるのだ。ああそうか。ギャップ萌えというやつか。なら普段と差異はあるだろう。バカか俺は。可愛い。間違い無く可愛い。

 

「すごく腹が減った。急ぐぞ」

「え、なに急にっ……」

 

 繋いだ手は先ほどよりずっと強く握りしめ、足早に目的地へと向かった。

 いつまでも繋いでいたいはずなのに、そうしてしまえば多分想っていること全部口から出てしまいそうだったから、固く口をつぐんで前だけを見つめた。

 ああ――くそっ。可愛い。

 

 

 

 

   ×  ×  × 

 

 

 

 

「すっ……ごい美味しかった! 良いとこ知ってるじゃん提督」

「満足してもらえたようでなによりだよ」

 

 店を出るともう、次に向かう場所は無かった。

 月だけがその存在を主張している夜空に煽られ、気を抜けば今にも眠り落ちてしまいそうで。

 

 ひどく疲れた。

 

 嬉しそうに隣を歩く川内の声もうまく拾えず、このまま瞳を閉じて意識を手放せば楽になれるのではないかと、そんなことばかりを考えてしまう。

 それは何故か。感じている既視感の正体が答えなのだろうか。

 きっと次に川内はこう言うのだ。

 

「ねえ提督。そこの公園でちょっと休んでいかない?」

 

 ――と。

 

 言われるがまま、誰もいない公園へと入りベンチに並んで腰掛けた。

 どうして知っていたのだろう。話す声のトーンも、合わせてくれない視線も、触れようとしては引っ込めてしまう震えた左手さえも……いつかどこかで見た気がする。

 

「初めて会った日のこと、覚えてる?」

「もちろん。忘れるわけないだろう」

 

 みな着任すると、緊張した面持ちで挨拶にくるのだが、君だけは底抜けに明るい笑顔でこう言ったんだ。

 「ねえ提督! 夜は良いよね!」

 なんて、きらきらとその瞳を輝かせながら。

 面倒臭そうな奴が来たもんだと、頭を抱えたのを覚えている。向こう見ずの夜戦バカ、かしましい問題児だと……第一印象はそれだった。

 ところがどうだ。戦場に立たせれば呆れるくらいしたたかで、ペンを握らせれば俺なんかよりよっぽど優秀だった。黙っていれば目が離せなくなるくらいに美しく、口を開けばつい笑ってしまうくらいに可愛いのだ。

 君をひとつ知っていく度、どんどん惹かれていった。君が深海に沈むのなら、追いかけて決してひとりにはさせないと。この先ずっと、君だけを愛していくと――そう決めたのだ。

 

「やだよ……」

 

 五月蝿いくらいの月明かりに彩られた川内の瞳からは、一滴の雫がこぼれ落ちていく。

 震えて、まるで力の入っていない手で俺の袖をきゅっと掴み、縋るような声で言った。

 

「ひとりに……しないでよ……」

 

 ……その涙を見たとき、こう思ったんだ。

 君の泣き顔はなにより綺麗で可愛くて、ずっといつまでも見ていたい。

 どんなときだって一ミリのミスも無い整った君の顔立ちも、涙を流すときだけは少し崩れてくれる。嗚咽混じりの涙声も、うまく呼吸のできないその様も。

 俺よりも強い君が、か弱い少女のように泣き崩れる姿が好きだった。

 そうやって弱い部分を見つけることで、俺と君に大した差異は無いのだと感じられる。俺でも君を守ることができるのかもしれないと錯覚してしまう。

 ただ……それでもやっぱり、君を笑わせたいと思うのは……君の笑顔がその何百倍も愛しいからなんだろう。

 だから――

 

「最期はやっぱり、君の笑顔を焼きつけたい」

 

 思い出してしまうと簡単だった。

 深海棲艦からの襲撃で鎮守府が半壊したあの日からずっと、俺は眠り続けていたのだ。

 意識を手放す直前に見た君の泣き顔が、たった今目の前にいる君と重なって、後悔ばかりが募っていく。

 長い間意識も取り戻せず、もう戻れないことだって本当はわかっていたはずなのに、それでもしがみついて生きてきたのはきっと――

 

「君を残して先に行くことだけが心残りだったのかもな」

「じゃあ生きてよ……。私だけじゃない……みんな、提督の帰りを待ってるんだから……」

 

 私は一番じゃなくていい、夜戦もしなくていい。ただ一言「ただいま」と、それだけでいい。そう言って泣きじゃくる川内の頬にそっと触れ、ただ一度だけ、最期のキスをした。

 こういうときは目を瞑るのがマナーってやつなんだろうけど、目を見開いて驚いているその表情がなんだか可笑しくて、笑っているのがバレないようにぎゅっと強く抱きしめた。

 聞こえてくる心臓の音は川内のものか俺のものか、たぶんふたりの『音』なんだろう。

 生きてほしい――生きたいと、そう叫んでいるようだった。

 

「眠ってる他人の意識に入り込むとか、明石ってドラえもんかなにかなの?」

 

 なんでもありだなあ、と笑う俺を見て、川内はごしごしと強く目元を擦った。

 赤く腫れ上がったまぶたがひどく痛そうで、なのに強がって笑う君の笑顔があまりに可愛かった。

 

「ごめんね……。もう心配しなくて良いよ。提督より、私の方が強いんだからさ……」

 

 もう寒さなんて感じないふたりきりの公園に、雪が降り始めた。

 

「だか、ら……」

 

 ひとつ。川内の頬に落ちた雪が水になって流れていく。

 それが泣いているように見えたのは、きっと気のせいだと、そう思っておくことにしよう。

 

「だから……最期の夜は……私が見送ってあげる……」

 

 生涯忘れられないほどに綺麗な笑顔で川内はそう言った。

 

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