「もー! てーとくおっそーい! そんなんじゃ追いつかれちゃうよー!」
「いや、ゼェ……もう……限界……ハァ……」
陸上では流石の島風といえど、そこまでのスピードは出ない。しかし、並の人間より速いのはまあ言うまでもないだろう。
速いだけならまだ納得もいく。もうニ十キロ以上も走っているというのに、その無尽蔵の体力はなんだ。
「ほら、てーとく! ここを抜けたら街中だよ!」
「わかっ……てる……。車を……調達しよう……」
ふらふらになりながら、「はやくはやく」と急かす島風に手を引かれながら、必死に駆け抜けた。
全く嫌になる。別に超がつくほどのど田舎ってわけじゃあないが、周りは田んぼと山に囲まれて、そりゃあ海だってあるけれど、深海棲艦と出会ったことは一度も無かった。
おまけに普通の民家と見紛うほど小さな鎮守府だし、配属されたのは俺たちふたりだけだ。
なにこれ、なんかの嫌がらせ?
お偉いさん方に噛み付いてやろうかと考えたりもしたが、残念ながら俺にそんな度胸は無いし、まあ言うほど不満があったというわけでもない。
楽しかったかと聞かれれば、そりゃもう楽しかったと答えるさ。毎日毎日うざいくらいぴょんぴょこ駆け回って、うざいくらい絡んできたけど、そのおかげで『退屈』なんて言葉は久しく忘れてしまうほど悪くない日々だった。
「見えたよてーとく!」
そう叫ぶ島風の声に、気力を振り絞って顔を上げた。
どうして街に出るだけでこんなに体力を消費するんだ。どうしてこんなに長い上り坂を作った。どうして……と、文句は次から次に浮かんでくるが、今はまず車を確保することが先決だ。
「おまえ……あそこの自販機から……水……」
「おぅっ!」
膝に手をつき、肩で息をする俺とは真逆に、島風は涼しい顔でビシッと敬礼してから扉の開いた自販機に向かって走り出した。
その間に俺は比較的まともな車を探して歩く。パンクしているものや、鍵のかけられたものは意味がない。
なにか良い車は無いかと、辺りをキョロキョロと見まわしていると、最高の車を見つけた。
世界で一番美しい赤、ソウルレッドのロードスター。左ハンドルとか超イカしてる。持ち主を褒めてあげたい。
さながら憧れのプロ野球選手を目の前にした小学生のように瞳をきらきらと輝かせ、走り疲れているのも忘れて飛び乗った。
キーをまわしてエンジンをかけ、ルーフをとっぱらうと、スピーカーからはおあつらえ向きな曲が流れてくる。
「おらぜかまし、さっさと来んかーい!」
「もー! し・ま・か・ぜ、だってば!」
ぷりぷりと怒りながら、500mlの水を二本抱えて飛び乗ってくる。よししゅっぱーつ……しようと思ったが、俺は一度運転席を降りて後部座席付近へとまわった。
「なにしてるの?」
「ちょっとした仕掛けだよ」
五秒とかからなかったその些細な仕掛けを終え、もう一度運転席へと乗り込んだ。
「っしゃ、飛ばすぜおい!」
クラッチ踏んづけて、ギヤを入れたらもう止まらない。後はただ、街を追い越してこの世の果てまでぶっ飛ばして――心中しよう。
「おぅっ! はっやーい!」
× × ×
「てーとくー。これ以外の曲入ってないのー?」
「あ? 知らねーよ。持ち主に聞け、持ち主に」
隣でぶーぶーと文句を垂れる島風をよそ目に、確かに何故この曲しか入っていないのだろうかと考えた。
まあ別に俺は大して気にならんが、すっかり聴き飽きて歌詞まで覚えてしまった島風は、流れている曲にあわせ小さく口ずさんでいた。
「最後のところがいーよね!」
「お前わかってんね。俺もそこが一番好き」
なんだかんだ言いながら気に入ってんじゃん……とは言わなかった。言ったらまた思い出したかのように文句を言うだろうし。
「なあぜかまし」
「しーまーかーぜー!」
何度繰り返してもそう呼ばれるのは気に入らないらしく、ジト目で頬を思い切りつねってくる。
まあなんだ。横目にちらりと見えるだけだがその視線、悪くない。あと普通に痛い。
「し、しまかへぇ」
「……なに?」
相変わらずジト目のままだが、とりあえず頬をつねっていた手は離してくれた。声は冷たい。
「やっぱりさ、最後くらい他の艦娘たちに会いたいって気持ちもあったか?」
風でバサバサと揺れる髪を右手で押さえながら、島風は「うーん」と間抜けな声を出した。
「考えたこともあったけど、私はてーとくがいたからそれでよかったよ」
前に向けていた視線を首ごとこちらに向けて、とびきりの笑顔でそう言った。「それにすぐ会えるでしょ」と付け足して。
本当に言ったんだ。俺の島風、まるで天使みたいに笑って。
「お、おまえ……」
「わっ! てーとく、前! 前!」
何故だか視界がぼやけてしまったので右腕でごしごしと目元をこすっていると、慌てた様子で島風がぐわんぐわんと俺の肩を揺すった。
なにがあったのかと前に視線を戻すと、積み上げられた瓦礫の山が目の前にあった。
「ヒェー!」
急ハンドルで、なんとか数センチのところでそれを避けた。
得意技その1、マシンガンシフトダウン。
「もー! てーとくの運転は信用できない!」
「バッカ、おまえが変なこと言うから……って! やめろ、叩くな」
「んぅっ……」
ぽかぽかと両手で肩あたりを叩いてくる島風の顔面を右手で鷲掴みにして、窓際へ押しやった。
リーチが全然違うのだから、届きやしないというのに、島風はこちらへぶんぶんと握った両手を振りまわしている。うーん、可愛い。
なんて呑気なことを考えていると、目の前に吐き気がするほど大量の影が見えた。
――これで何度目のフレーズだろうか。
スピーカーから聴こえてくるひどく心地の良い歌声は、何度聴いても飽きることのない美しさだった。
真暗な朝が来るね
お気に入りの服に さぁ着替えたなら
駆け出して――!
× × ×
「駆逐艦島風です。スピードなら誰にも負けません。速きこと、島風の如し、です!」
大した戦果もあげられず、いつまでも同じところをぐるぐるまわっていた俺に、上層部は遂に痺れを切らしたらしい。
左遷されちゃった。
「うわ、なに。痴女……?」
「ちっ……痴女じゃないもんっ!」
こんにちは、私はクソの提督。こっちは痴女の島風。
こいつもそこそこ大きな鎮守府にいたらしいが、コミュニケーション能力に難があり、いつもひとりでいたらしい。実戦でもうまく仲間と連携出来ず、その実力の半分も出せなかったんだって。そんで左遷されちゃったみたい。
それにしても凄い服装。
「怒るなよ。あー、なんだ……ぜかまし?」
「し・ま・か・ぜ!」
――わかっていたことだが、特に大きな仕事は無かった。毎日これといってなにかあるわけでもない近海の警備をして、何行と書くことのない報告書類を作成し、風呂入って飯食って寝る。
せっかくふたりきりだというのに、島風は全然喋ってくれないし、気が付いたら外に出ていなくなってるし。
毎日毎日なにをしているのか、汗だくになって夜遅くに帰ってくる。フルマラソンでもしてんのかって、訊いてみようかなって思ったりもしたけど、露骨に避けられているのはわかっていたから放っておいた。
避けられているというより最早嫌われている気がする。
「おいぜかまし。汗流したらさっさと飯食っちゃえよ。テーブルの上に用意してあるから、洗い物も忘れずにな」
「しーまーかーぜー!」
むかつくくらい可愛い怒り顔で叫んで、大きな音を立てて扉を閉めて風呂場へと向かって行った。
変な奴。わざと名前を間違えたくらいで――あ、嫌われてる理由はこれかあ!
「どうだ、美味いか? その名の通り野菜しか入っていない野菜炒め」
「…………」
どうやら事態は思ったより深刻らしい。箸は休むことなく進んでいるが、先ほどから一度も目を合わせてくれない。返事もしてくれない。
ふふ、クソガキめ。大人をなめるなよ。
「そっかあ。島風は俺のこと嫌いだから仕方ないよな。島風のためにせっかく用意したこのアイスも、島風は食べたくないよな……」
「────ッ!」
わざとらしく落ち込んだふりをして、島風の目の前にアイスをちらつかせる。
すると意外なほど簡単に島風は食いついてきた。さながら大好きなアーティストを街中で見かけた中学生のようにきらきらと瞳を輝かせ、ごくりと生唾をのみこんだ。
「食べちゃおっかなあ、俺が」
「おぅっ……」
目の前でふりふりとアイスを揺らすと、それに合わせて右へ左へと目が追ってくる。あら〜、なにこの可愛い生き物。
「欲しいか? んー?」
眼前に差し出すと、口はぽけーっと三角形に開き、ゆっくりと両手をこちらに伸ばしてくる。指が触れそうになったその瞬間、勢いよく引き上げ、意地の悪い笑みを浮かべた。
「あげないよーん」
ブチッ、となにかが切れる音がしたかと思えば、島風はすぐさま立ち上がりこちらに向かって飛びついてきた。
「んぅー!」
「いたっ……いたい……! うそうそ! あげるから!」
うつ伏せで倒れた俺の背中に飛び乗り、ぽかぽかと両手で頭を叩いてくる。本当はさほど痛くはなかったけれど、初めてコミュニケーションがとれたような気がして嬉しくて、つい口元を緩めてしまった。
……ひどいコミュニケーションだ。
「美味いか? 俺がわざわざ車出して片道二十分かけて買いに行ったアイスはよお」
テーブルに肩肘をつき、手のひらに頬を乗せながら恩着せがましく問いかけた。
すると意外にもふにゃりとだらしなく笑って、「美味しいよ!」なんて言うから、口元を押さえてニヤついた。
なんだ、可愛いとこいっぱいあるじゃんか。
× × ×
「てーとく見て見て!」
「あ? やだ。俺は今忙しいんだ」
「もう一時間近く気泡緩衝材つぶしてるだけなのに!?」
「おい、もっと子供らしくプチプチって言え……」
なんだ気泡緩衝材って。今初めて知ったわ。そういう名前なのねこれ。
ふー、と息を吐いてプチプチを両手で掴み、そのまま雑巾絞りでもするかの如くねじってやった。
プチプチプチと地味ーな音を立てて破裂していくのが地味に気持ち良い。どうだ、人間様の力を思い知ったか。フフフのフ。
しかしまああれだ。大の大人が死んだ魚のような目でプチプチつぶしてんだ。もっと早くツッコんでくれるかと思ってたが、まさか一時間も放置されるとは思わなかった。
「で、なんの用だよ」
「見て! 島風特攻隊!」
「なに、神風特攻隊? 物騒な名前だな」
「し・ま・か・ぜ!」
嬉しそうに見せてきたのはただの紙飛行機だった。やはり艦娘といえどまだまだ子供だな。紙飛行機なんざ中学二年で卒業したよ俺は。
そう、あれは授業中。俺が通っていた中学は中々に荒んでいたので窓ガラスは毎日一枚は必ず割れていた。その日も生徒同士のケンカが勃発して窓ガラスが割れる音が廊下に響いたんだ。
その瞬間、担任は壁に立てかけていた木刀を持って叫びながら教室を出て行った。自習である。
俺はこの隙に仮眠を取ろうと机に突っ伏した。ところがどこからか飛んできた紙飛行機が俺の頭にぶつかったんだ。急降下して足元に落ちたそれを拾い上げ、クシャリと握りつぶした。
おいおい冗談じゃない。こんな出来の悪い紙飛行機作ったのはどこのどいつだと。俺は机の中からルーズリーフを取り出した。
ものの数十秒で作り上げた紙飛行機は、さながらハリオアマツバメのように時速170キロで水平飛行し、クラスメイトの頭に刺さった。
そこからはもうやりたい放題。担任がいないのをいいことに、教室中に紙飛行機が飛び交っていた。お察しの通り、戻ってきた担任にはしこたま怒られた。のちにこの騒ぎは『紙飛行機祭り』と呼ばれ、今でも伝統行事となっている。
え、ウソ。中学二年にもなって紙飛行機作って遊ぶとかヤバいな。
「うんうん、島風は無邪気で可愛いな。ほら、外で好きなだけ遊んできなさい」
ふんす、と鼻を鳴らして自慢げに紙飛行機を見せつけてくる島風の首根っこを掴み、外へ放り出して鍵を閉めた。
やはり子供はこうでなくちゃいかん。我々大人と違い、晴れた日に家に籠りきりはよくない。外で遊ぶのが子供の仕事なのだ。
「……ぴえっ!」
ドガンッ、と凄まじい音を響かせて扉が蹴破られた。前髪で隠れていて島風の表情は見えなかったが、とんでもなく怒ってらっしゃるのはわかった。
「うそうそ! てーとくと一緒に紙飛行機飛ばそう! な!?」
「……うん!」
それから日が暮れるまで付き合わされた。
確か外に出たのが昼過ぎ……一三三◯くらいで、蝉の鳴く暑い夏だった。五時間くらい遊んだのか。死ぬかと思ったよ。
× × ×
あーあ、どうして今さらこんなことを思い出すんだ。
どうして今さらになって願ってしまうんだ。
もうとっくに覚悟はできたと思っていたはずなのに、まだまだやり残したことが多すぎる。
もっと遊んでやりたかったし、同じ艦娘の友達をもたせてやりたかった。
もっと美味いもの食わせてやりたかったし、ショッピングとか遊園地とか、色々連れ回してやりたかったよ。
――信じられるか?
深海棲艦、なんて大層な名前を貰っておきながら、いつしか陸にもあがってくるようになったんだあいつら。まあでも艦娘だって陸の上で生活しているんだし、遅かれ早かれこうなることは決まっていたのかもしれない。
全く嫌になる。艦娘と日本海軍は全滅して、残されたのは俺たちふたりだけだ。
「島風。言わなくてもわかるよな?」
「もっちろん! 任せておいて!」
無い胸をドンと叩き、島風は助手席から後部座席へと移った。
俺が座る運転席のシートを背にして、『連装砲ちゃん』を構える。
発砲の目的はひとつ。目の前の深海棲艦共を蹴散らすため、車を走らせる前に開けておいた給油口。気化したガソリンはもうとっくに、俺たちを
「おいぜかまし!」
「しまかぜだってば!」
今の俺たちにおあつらえ向きに流れ続けている曲は、終盤に差し掛かっていた。
生まれつきのスピード狂なのさ
「……またな、島風!」
「うん。またね、てーとく!」
――来世でまた会おう