「私は昔から知というものに魅入られていた、もっと知りたい。より多くを見たい。一か所に留まる事が基本である森人の中で、私はまさしく異端児と呼べる存在であった。私は故郷である森を20のときに飛び出し、それから100年以上もの時を放狼するのに費やした。エスデルの建国に立ちあったのもその時に経験した事の一つだった」
ワイズマンは己の過去を語り出す。それは古い、古いワイズマンの記録。大樹の年輪に刻まれるように残されたワイズマンと言う人物の人生だ。
「叡智、知恵、知識、私は多くの事を知りたかった。より多くを学びたかった。知識に対する欲が誰よりも抜きん出ていた。だから私は幼い頃に書物を読み漁り、そして未知を求めて自分の世界を飛び出す事を決めた」
「そしてドラゴンに会った」
「然り」
ワイズマンは頷き、肯定する。
「既にその時代であれ、龍が目撃されなくなって数百年、或いは千年以上もの時間が経過していた。それでも地上に残された亜竜達の存在とそれが生み出す被害は無視できず、龍たちの邪悪さを肯定するものと捉えられていた。……私も昔は多くの人々の例に漏れず、愚かであった。龍は邪悪であり、そして狩られるべき存在だと信じていた……それこそ龍の遺跡を見つけ、その中で真実を知るまでは」
遺跡、他にもあったんだな……というのをワイズマンの言葉を聞いて理解し、まあ、当然かとも思う。あれは一種の墓だ。龍が穏やかに、ゆっくりに、その骸を封じるための墓所だ。その為に存在する墓の様な物をきっと、ワイズマンは偶然見つけてしまったのだろう―――或いは、ワイズマンにだけは見つかるように全てが動いたのか。何にせよ、ワイズマンという若い旅人は龍の遺跡を見つけてしまい、そしてその奥で俺の様に出会ったのだろう。
偉大過ぎる姿に。
「最初、私は出会った龍に対して無謀にも戦いをしかけた。武器を使い、魔法を駆使し、そして道具に頼った。だが何をしても一切の成果を上げる事が出来ず、傷を一つつける事すら出来なかった。いやはや、今思えば相当無茶な事をしたものだ。だが私の攻撃に対して龍は全て黙って受け入れてくれた。その上で穏やかな声で私に語り掛けて来た」
「俺の同族って聖人の集まりみたいなもんだからな……」
「私も振り返って思う。本当に滅ぶべきだったのは人類だったのではないか、と。だが結果はこれだ。龍は滅びる事を選ぶ。絶対に人へその牙も爪も向ける事はなかった。当然、私を傷つける事もなかった。私が必死に攻撃を重ねて疲れ果てるまで龍は、何もしなかった。力を使い果たして疲労困憊だった私にあの方は話しかけたのだ」
「なんて?」
その言葉にワイズマンは小さく笑い声を零した。
「―――今流行りの娯楽小説はないか、とな」
予想外の言葉に一瞬だけぽかん、としてしまうがワイズマンはそうそう、と頷く。
「私もそんな顔を浮かべたよ。まさか、天下の邪竜がまさかそんな、大衆向けの娯楽小説を求めるなんて。だけどそれは同時にクリティカルな言動だった。私の興味は一瞬でその巨躯へと向けられてしまった。龍に対する恐怖も、龍殺し達に知らせるために逃げようと考えていた事も、全部吹き飛んでしまった。聞けばこの墓所でゆっくりと朽ちる中、それまで聞いてきた物語や体験を思い出しながら時間を過ごしてきたが、いよいよ飽きて来たという話だ」
「飽きた」
「あぁ、だから新しく物語を欲していた。その姿がなんとも私自身と重なってしまって、龍である事を忘れて持ち歩いていた本を取り出して長々と語り合ってしまった」
過ぎ去りし時を愛しむ様にワイズマンは目を閉じ微笑む。
「そう、私が出会った龍は実に賢かった。知恵者だった。まさしく賢者と言う言葉に相応しい存在だった。昼も夜も忘れて語り合った時は私にとっては何よりも楽しく、永劫に塗り替える事の出来ない宝でもあった。話せば話すほどその見識の広さと深さに驚かされた。私は生涯の師を見出した気持ちだったとも」
尤もそれは長く続かなかったが、と続けた。
「彼の者も大地へと還る途中だった。その姿がまだ地上に形を残していたのは何時か来るべき日の為に―――即ち、私という、将来貴女に出会える人物を待ち続ける為だった」
その言葉にストップをかける。
「それじゃあまるでその同族が未来が見えていた、って事になるが?」
「あぁ、彼の者には未来が見えていたそうだ。特殊な力ではあるが、だが別段そこまで難しい事でもなかったと聞く。その龍にとって未来を見るというのは少し首を伸ばして覗き込む程度の事だったらしい。だからこそ私の到来と、将来貴女がここへ来ることを予期していた……まあ、その仔細までは語られなかったが」
話が長くなったと謝られる。時間は腐るほどあるし、面白い話なので時間がかかる事は特に気にしてない。だから続きを促す。
「それで?」
「あぁ、ここからが本題と言うべきか。私は死を前にしたあの偉大なる龍から、貴女へのメッセージを受け取っている。貴女が継承すべき言葉、受け取るべき遺言。この世に残された最後の龍にのみ向けられたものだ」
「遺言、か……」
その言葉を聞いて思う―――俺の誕生、存在は既に予期されているものだった。俺が生まれるという事は龍たちが計画していた事なのかもしれない、と。そうなると本当に何故同胞達が死ぬ事を選んだのかが解らなかった。何故、彼らは滅びなくてはならなかったのだろうか? こんなにも人より優れ、そして偉大であれば素直に死ぬ事なく隠れて潜み、生き続ける事だって出来る筈だろう。なのに俺の同胞たちは死ぬことを選んだ。まるでそれが一番正しいと言わんばかりに。その事実をどれだけ質問してもソフィーヤ神は答えてくれないから、俺は半ば諦めている部分もあった。だがこうやって目の前に答えに繋がるものが出てくると、知りたくなる。
どうして、俺を1人にしたんだって。
「それで、遺言の内容は?」
「うむ」
こほん、とワイズマンが咳ばらいをし、
「尋ねよ、我らが後継者。求めよ、我らが足跡を。我らは待っている、会えるその時を待ち続けている……と、いうものだ」
「……」
答えにはなっていない―――だがその言葉からは色々と伝わってくるものがあった。忘れられていない、知っていた、待っている。俺に伝えようとしている事がたぶん、存在するのだろう。きっと、俺以上に俺の事を理解しているのだろう。短い言葉ながら、そこから読み取れる事を全て読み取った所で、数秒間、心を落ち着ける様に目を閉じた。たっぷりと過去に思いを馳せ、それから同胞の事を考え、そして自分の事を考える。
―――俺は一体、なんなんだろう、と。
男か? 女か? それとも龍なのか? 俺は俺でしかない……なんて言うのは結局のところ、深く考えずに出した結論なんだろうと思う。本当に何をすべきなのか、それを考えるのであれば俺はもっと、自分の事を知るべきなんだろうと思う。
意外とこの手の問題は忘れるのが簡単だ。ただふとした時思い出して、頭を悩ませるというだけで。俺のアイデンティティーが宙ぶらりんなのは昔からだ。男言葉で態度も男っぽい。だけど体は女で、生理的反応もそれに準ずる。だけど俺の本能や反応は龍種に準ずる……人間にだいぶ毒された傲慢な考え方でもあると思う。
このごちゃごちゃ感がずっと、俺が誰であるかというのを纏めさせてくれない。
そもそもこれはなんだ、転生か? 憑依か?
なら俺は本来生まれて来るべき龍姫の魂の居場所を奪ったのか?
それとも俺がそうなのか? 答えはきっと、神々と龍族にしか解らない事なのだろう。俺がそれを知りたいと思ったら、彼らの足跡を追う以外に選択肢はないのだろう。
俺に罪があるとすれば、それはもしかして―――生まれて来た事実、そのものかもしれない。
「さて……私が会った龍はそれを遺言として私に託した。確実に貴女へとこのことを伝える様に、と。そして私とあの龍が出会った墓所を伝える様に、と」
老木はそう言って立ち上がり、壁まで歩いた。そして手で触れるのはこの大陸の地図だ。部屋に飾られている地図、それに触れて手を滑らせる。それは西からこのエスデルを超える様に東の方へと流れて行き、そして帝国領内で手の動きを止めた。帝国領内南東部、この大陸の丁度反対側と言える位置にそれはあった。
「帝国南東部ガルナ州……海に近いこの場所に龍の墓所はある」
帝国―――それは高い技術力、或いは科学力を保有する国家。魔界との積極的な交易をおこなっており、その影響で魔界産の技術をこの世界で最も早く、そして多く取り入れている国でもあるとされている。魔界からの品物は神々が技術力や環境の大幅な変化を懸念し、多くの制限を設けている。それを把握した上で帝国は輸入し、自分たちの技術力へと変えている。この大陸でもっとも栄えている国だと評価しても良いだろう。
「墓所自体は海の底にあるが、このガルナには墓所へと移動できる祭壇が存在する。ここを通る事で私が会った龍に会う事が出来る―――もはや死した姿ではあるものの、死という法則は貴女の種族には関係がない。そうだろう?」
ワイズマンの言葉に頷き、腕と足を組んで静かに考える。
帝国。それは俺が行かなくてはならない場所だろう。俺が自分のルーツを探る為には、俺が俺と言う人物を見出す為には必ず向かわなくてはならない。だが現状、俺の立場的に考えてそれが可能かどうかって話になると……ちょっと困る部分がある。何せ、俺はリアとロゼの護衛としてここに来ているのだ。俺がいなくなれば色んな所で問題が発生するだろう。だから近日中に向かうという事はまず不可能だろう。そもそも今年中に達成出来るかどうかさえ不明だろう。
時間に余裕が出来るのは恐らくここを卒業してからになるだろう。それまではお預けかなぁ……。
「まあ、焦る必要はないか」
「帝国へと向かう時が来たら気軽に声をかけて欲しい。フィールドワークは得意なんだな、これが」
「付いてくる気満々じゃん爺さん」
「当然だろう?」
ワイズマンの態度に苦笑を軽く零し、背筋を軽く伸ばしてからソファから起き上がる。
「んじゃ、今夜はここまでにすっか」
「おや、私は別に朝まで講義を続けても良いのだが」
手をひらひらと振りながら背を向ける。
「考えを整理する時間が欲しい」
「そうか。私は何時でも貴女の事を待っている。聞きたい事、知りたい事、欲しいもの、他に希望があれば何でも言って貰いたい。可能な範囲で手配しよう」
手をもう一度だけひらひらと振って扉から出た。出た所で軽く扉に背を預けて息を吐き、再び外へと向けて歩き出す。ちょっとだけだが自分の事、龍の事が解った。それだけでも前進だったが……余計、訳が分からなくなってきた。
それでも解るのは、俺を待ち望んでいた龍達がいたという事だ。
俺が生まれると知って、俺を待ち続ける者達がいた。まるで俺の誕生を切望するように。
だとしたら―――この命にもきっと、何か意味と理由があるのだろう。そう考えると今すぐにでも行きたい気持ちが湧き上がってくる。だけどそれは駄目だ。自分の事以上に、リアたちの事が大事なのだから。それに今夜、マフィアを壊滅させた事によってギュスターヴ商会から何らかの報復があるかもしれない。
これから数週間、夜は眠らずに警護に当たらなくちゃならない。あそこまで帝国製の銃を揃えるだけのコネクションと力があるのだ、暗殺者を市内に仕込むぐらいはしてくるかもしれない。その事を考えるとしばらくはリアの傍からは離れられないだろう。とはいえ、これでマフィア被害を気にしなくて良いとなるとまあ……悪くはないのかもしれない?
いや、考える事が違うな……。
歩き出し、学園を去って都市へと出ながら思う。
答えを知っている神々も龍も、何故こうも回りくどくて、素直に教えてくれないのだろうか。
そんな事を考える様に夜の闇に紛れ帰路へ着いた。なにがどうあれ、俺には帰るべき場所がある。今はそれで十分だろう、と。
龍姫が去った部屋の中、1人残されたワイズマンは漸く思い出したかのようにワインを手に取り、口を付けた―――それは数百年前に今日という日の為に用意された、最高級品だった。途方もない時間で熟成された最上級の味は王族ですら稀にしか口を付ける事のない代物であった。長年の夢、そしてその達成感が胸を満たし、ワインの味を引き立てる。ワイズマンは長年自分に課してきた使命を、そして与えられた役割を果たす事が出来た。それが何よりもワインを美味しく熟成させていた。
今もなお生命力に溢れる老木の姿は枯れ木等という表現は決して似合わず、
『―――気分が良さそうだなセージ』
「この様な日は誰もが気分を良くする。そういうものではないか?」
虚空からの声にワイズマンが返答する。それに反応するように空間が割れる。その向こう側から一人の男がゆっくりと歩いて侵入する。それをワイズマンは咎めない。寧ろ待っていたと言わんばかりに空いているグラスを渡そうとする。
「飲むかな?」
「遠慮しておこう。喉が焼けると音が悪くなる」
「別に酒で喉が焼けはしないだろう、お前は」
「あぁ、だが心の問題だ」
解るか? と闇夜の客人は続ける。
「―――ロッカーは、喉を大事にするんだ」
「そ、そうか……」
当然と言わんばかりの表情を客人―――ルシファーは浮かべた。
感想評価、ありがとうございます。
Q.どうしてエメロード都市内に店が開けたの?
A.一番偉い人が同志だから。