TS龍娘ダクファン世界転生   作:てんぞー

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デスペナルティ Ⅶ

 ―――いっそ、力なんて無ければ楽だと思った。

 

 だけど考えれば考える程力がない方が恐ろしいと気づく。

 

 結局のところ、強い奴が正義な世界では、力を持たない事こそが悪なのだ。法であれなんであれ、それを超える暴力が存在するなら、力がなければ何も守れないのだ。だから力があっても、力がなくても。苦しむであろう事実に何も変わりはないのだ。だから俺達は苦しみながら生きて行く事を強いられる。

 

 苦しみを隣人として抱擁して生きるしかないのだろう、と、俺は人狼の頃からずっと思っていた。人は求めていなくても苦痛のある方向へと進んで行く。人は他人の痛みに対しては鈍感だ。人は己の為であれば他人の命を貪る事を良しとする。人は―――人は、その本質は愚者である。それはもはや疑いようのない事実であり、他者を傷つける事を止めようとしない。だから生きる事とは傷つき、傷つけあう事である。

 

 苦痛に終わりはない。生きている間は。

 

 そしてそれを認めたくなくて……ずっと、別の答えを探してる。

 

「―――あーあ、酷い天気だ」

 

 処刑台を潰して、ヴィンセントを消して、その魂がル=モイラへと届く様に軽く祈りを捧げた。冥府の神は魂を冥府の川に流し、その罪と穢れを洗い流す事で魂に次の生を与える神である。最も穢れており、最も神聖な神でもあると言われている。死という概念そのものであるが故に多くの人々は恐れ、そして畏れている。だが言ってしまえば延々と魂の洗濯をするという罰ゲームを引かされた神様でもある。そのメンドクサさと責務の重さを考えると俺は尊敬するしかない。だって、ほら、俺だって転生した命だし。

 

 宗教的観念で転生の話をされるとまあ、あったら良いよなって話になるだろう。

 

 だが実際に経験してみれば話は感謝へと変わるだろう。実際に経験してしまって実在するって解っているからこその感謝だ。だから俺はル=モイラという神を尊敬している。そりゃあ勿論、どこぞのソ様よりは。

 

 もっとも神々に身近な身だからこそ解るのだ―――あの方々は何時も見ていて、見守ってくれている。

 

 だけど彼ら、彼女らが目を留めるに相応しい行いを己は出来ているのだろうか? 楽しく、笑って過ごしてくれればそれだけで良いとソフィーヤ神は言った。だけど本当にそれだけで良いのか? 生きる為に命を奪う事を一体どう思っているのだろうか? 俺は、一体何を期待されているのだろうか。

 

 思考は一度の負の連鎖に組み込まれるとひたすらダウナーに追い込まれるように気分が沈没して行く。負の感情は深海の底で沈殿し、積層して行く様に心の中で重みを増して行く。

 

 それに拍車をかける様に空は曇天模様。舌に感じる空気の湿り気は直ぐに雨が降りそうな事を示している。後1時間もしないうちに雨が降り出すだろう。そうなったら帰りは濡れながら帰る必要があるだ―――あぁ、いや、そもそも濡れずに済むな。魔力を纏えばそれで解決する話だ。

 

 都市を飛び出した人たちは恐怖におびえながら振り返り、門番や衛兵たちは必死に恐慌状態の人たちを抑えようとしている。都市のど真ん中でテロがあったのだから当然と言えば当然だろう。被害者は犯罪者ただ一人だが、それに向けられた凶刃が何時自分へと向けられるか解らないという恐怖が人を惑わせる。これが現代であればスマートフォンを使って写真を取ったり、SNSで拡散したりと面白がる行動をとる人も出てくるのかもしれない。

 

 だがこの時代、この世界では死は誰にとっても身近なのだ。

 

 発達していない医療、まだ残される迷信、原因不明の病、モンスターによる殺傷事件。死の概念が日々の中に付き纏う中で誰もが自己保身を前提にして行動する。危険に対する嗅覚が優れていると言っても良い。処刑台とヴィンセントを消し去った魔法に対して、絶対に勝てない恐怖を察知した。だからこそ都市内部が危険だと覚り、外へと逃げようとしているのだろう。

 

 ―――まあ、その犯人も一緒に外に出ちゃったのだが。

 

「……なんか、帰りたくないな。悪いロック。しばらく歩くわ」

 

 空を旋回するロックの姿を見上げて声を送れば、ロック鳥がいつでも呼んでね、と軽く鳴き声で返答しながら飛び去って行く。本当に良い奴……奴? 良い鳥? だよなあ、と優雅に空を飛び去るロック鳥の姿を見送り、

 

 街道を歩く。

 

 エメロードへと向けて。無論、その道の全てを歩いて帰るつもりはない。だけど今はちょっと、直ぐに帰ろうと思えなかった。この胸の中にある疑問と黒い感情、これを一定まで消化できるまでは帰ろうとは思えなかった。だからパーカーのフードを脱いで外気に髪と角を晒し、肌で感じられるようになった湿気に身を任せる様に歩いた。

 

 少しずつ重くなって行く雲は今にも落ちて来そうな気配をしている。雨の気配に街道脇の雑草が風に嬉しそうに揺れる。天から降り注ぐ恵みを今か今かと待ちわびているのを感じる。ここ最近、雨が降っていなかっただけに今日の雨は重くなりそうだ。

 

 そう思いながら歩く。遠巻きに都市を眺める人たちはおかなびっくりと言う様子で都市を眺め、それ以上離れる事も近づく事もしない。都市の周囲に広がる畑で働く農家たちは漸く都市で何か異常があったのだと気づいて視線を向け、首を傾げる様に仕事へと戻る。

 

 人が1人死んだ―――それでも自分の人生に関わるものでもなければそんなもんだろう。

 

 誰かが死んだ。だけどそれを最後まで気にする事は稀だ。命なんてのは結局、その程度のもんでしかない。他者の痛みに対して鈍感なのだ。他人の痛みに対して鋭敏になるのは余裕が必要で、この世界には現状その余裕が欠けているのだろう。

 

 衣食住、その全てが揃うだけで人は満たされるのか? 否、否だ。

 

 人の欲望は際限がない。満足する事無く上を、もっと上を目指し続ける。それが他の種族を超える人間の繁殖力、そして成長力の正体だ。

 

 言葉を変えれば、人類こそが星を最も蝕む害虫だとも言えるだろう。

 

「ま、俺も寄生虫みたいなもんだけどな……」

 

 俺は、なんなのだろうか。この肉体の主と俺は、本来は別人なんじゃないか? もしかして俺は間借りしているだけなんじゃないのか? 時折、自分の事を考えるとそんな考えが浮かんでくる。果たして俺は本当に生まれてきて良かったのだろうか。

 

 人を殺すたびに思う。俺に他人を殺すだけの価値があるのかどうかを。

 

 ぽつり、ぽつり、雨が降り出す。

 

 最初は小雨だった雨も少しして本降りへと変わる。ざあ、ざあ、と音を立てながら降り注ぐ雨は容赦なく体に打ち付けてくる。魔力を纏えば俺はそれで水滴を弾けるが―――そんな気になる事もなく、雨を受けとめる様に道を歩く。

 

 頭の中でぐるぐると巡るのは悪い考えばかり。答えのない質問ばかり。どうして、どうして、どうして―――そればかりをどうしても考えてしまう。本降りになり始めた雨は他の音を全てのみ込んで洗い流す。景色も水滴で濡れ、そして雨と霧に滲んで行く。季節は春、まだまだ暖かい頃。だが雨に濡れて行くと少しずつ水の冷たさが体に浸透していく。それがヒートアップした脳を冷やしてくれているようでありがたかった。

 

 あぁ、解っている、解っているんだ。こんな事自問していても答えなんて出ないって。

 

 だけど、じゃあ、どうしろって話なんだ。何年も前からずっと考えている。考える事を止めずにずっと考えながら戦っている。それでもまた人を殺している。戦って戦って、戦い続けて……生きている限り人と殺し合うのか? それ以外の種族とも殺し合うのか? これからもずっと? 龍は悪評を背負っている。俺が人間の姿をしているから誰も俺を龍だとは思わないだけで、俺が龍だと分かれば掌を返して殺しに来る連中は多いだろう。

 

 少なくとも俺が龍だと解って接触している人間が異常者なだけだ。本来であればパブリックエネミーとして真っ先に処断されているだろう。そしてその名がある限り、俺は常に命を狙われ続けるのだろうと思う。

 

 だってほら。

 

 正面を見た。

 

 雨風が降り注ぐ中、傘もなく、姿を隠す事もなく、吹き荒ぶ雨の中に晒される姿がある。それは俺と同じようにこの雨という恵みを受け取る1人の姿だった。彼は金髪をしていた。見た事のある上質なコートに、腰から一本の剣を下げている。名前すらも知らない男だ。だが彼の事を俺は良く知らずとも知っている。匂いを、気配を、そしてその恐ろしさを。

 

 傷が疼く。

 

 今も体に刻まれたままの傷跡が痛む。これまでそんな主張はしてこなかったのに、今の精神状態を表すかのように急に痛みだした。薄情にも程があるだろう、こいつ。痛みだすならもう少し前にしてくれたらまだ良かったのに。

 

 あぁ、そうだ。アイツだ。アイツが目の前にまで来ていた。本当に龍にとっての死神なんだろう、こいつは。まさか姿を変えて名前さえも解らないのにここまでやってくるなんて。本当に、本当に甘かった。或いは、助かったのかもしれない。

 

「なあ」

 

「……」

 

「本当に俺達は……絶滅する必要があったのか? 人類にそれだけの価値はあったのか?」

 

 その言葉に龍殺しは答えない。剣に手をかけない。雨の中、穏やかな様子のまま立っている。まるで俺の事を待っているかのように。だから前に進んで、男の前に立った。剣を抜かれたら逃げられない、避けられない距離へと。男が殺そうと思った瞬間には殺せる距離に。

 

「同胞の死に意味はあったのか? 俺がお前に生かされた事自体意味があったのか? なあ、なんで世の中がこんな……こんなにも救いがないんだったら俺を生かしたんだ? こんなにも酷い世の中なのになんで俺の事を殺しきらなかったんだよ」

 

「……」

 

 雨の中、金髪を濡らすその顔は前髪が垂れて見えない。男から答えはない。或いは、男さえも答えが見つからないのかもしれない。

 

「生きる事は辛いか」

 

「いいや、そうじゃないんだ」

 

 はあ、と息を吐き出す。

 

「そりゃあ世の中悪い事ばかりじゃないさ。エドワード様もエリシア様も教育方針は割とスパルタだけど優しく、とても良い人達だ。きっと人の悪い所をいっぱい見て、それが嫌になって都会とか、中央とか、政治とか全部捨てたんだと思う。こうやって政治が見えてくる場所にいると良く解るよ。人間って醜くなろうと思えばどこまでも醜くなれるんだって。そこに際限はない。落ちる所まで落ちる事なんてないんだ。落ちられる場所はどこまでも存在するから」

 

 だけど世の中はそれだけじゃない。

 

「サンクデル様はとても賢くて慈愛に溢れた領主で……辺境の人たちは逞しく生きている。タイラーさんはなんで死ななきゃいけなかったんだろうって思うぐらい凄かったし。ロゼだって人の汚れた部分を見ながらもそれでも、って思いながら良くしようと頑張っているし……リアは……」

 

 守りたい。好き。愛している。あらゆる汚濁から守ってあげたい。彼女の世界を広げてあげたいけど、彼女にこの政治と貴族の世界は似合わない。俺が防波堤となって彼女を守らないと、あっさりと利用されて使い捨てられてしまうだろう。

 

 そうだ、

 

「世の中汚い事ばかりじゃないんだ―――だけど世の中の大半が汚れてる。それが人の世で、人が回している世だ」

 

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 それが根本的な社会の考え方だ。人をどう使い、どう潰すか。そしてどうやって労働力を補充するか。それを考えた上で支配階級が常に搾取する側に回っている。それが悪いのか? って言われたら答えに窮する。だってそれが社会の基本構造であり、能力のある奴が上に行くのは当然の事だろう。

 

 問題はそれを悪用し、血肉を啜る吸血鬼みたいな連中がたくさんいるって事で、

 

 それが別に珍しいって訳でもないって事だ。

 

「生きるのって疲れるよ、龍殺し。悪い奴を殺してさあ、おしまい……って童話みたいにはいかないんだ」

 

 殺したら殺した分のカルマを背負う。その重みを常に感じている。そしていつかその重みに殺されるんだ。目の前の龍殺しが途方もないカルマを背負っているのが見える。これまで殺してきた龍、それに対する罪の意識が常にこの男を押し潰している。

 

「―――死を、求めるか?」

 

「死にたくない。やりたい事はいっぱいある。今更死にたくなんてないよ」

 

 だけど、解らなくなってくる。

 

「今ある人たちだって100年後にはもういない。愛する人も時と共に風化して行く。これからも俺はずっと(あく)として生きて行くのに、何もしてなくてもずっと命を狙われる。死にたくないから誰かを殺す。向けられた悪意と殺意を乗り越えて行くには俺も殺さないといけない。そのカルマをずっと背負って生きて行くしかないんだろう? それが解っていて俺を生かしたんだろう?」

 

 なあ、

 

 あの時どうして殺してくれなかったんだ? その方が何も知らずに終わって楽だっただろうに。

 

 今更……死にたくないって思うほど好きな人達がいる時に出てきて。こんな時に出てくるのは、本当にずるいよ。

 

 龍である以上、絶対に向き合わなければいけないのだ。俺の正体に辿り着いた相手と戦う、殺し合うという事実に。生きている以上、他人の命を貪るのは当然だ。

 

 その法則から俺は絶対に抜け出せない。

 

 だからヴィンセントを殺した。守る為に、生き続ける為に。誰かの死を、殺すという事を正当化するのは恐らくこの世で最も悍ましい行いだと思う。だけど心が壊れそうになって行く感触を前に自分の行いを正当化しないのは不可能なんだ。

 

 だからこの龍殺しも、俺が生きようとする上では絶対に殺さないとならない相手だ。だというのに、俺はこいつに勝てる気がしなかった。絶対に。たとえ一撃だって叩き込むのは不可能だろう。それぐらいの実力の差が存在していた。強くなったからこそ絶望的な実力差のスケールが測れてしまうのだ。

 

 あぁ、本当に惜しい。

 

「あーあ……今日が命日か」

 

 逃げられない。追いつかれてしまったのならそれは、もう、運命だろう。

 

 今日までたくさん殺してきたんだ。だったら殺される事もあるだろう。

 

 呆然とそう思いながら龍殺しの姿を見た。敵意もなく、戦意を見せずとも、そこにいるだけで龍に対する絶望的な死因となりうる存在を。そこに存在するだけで生きるという事を諦める程の猛者を。

 

 そうやって、

 

 俺は人を殺した(悪を成した)帰りに、死神と再会した。




 感想評価、ありがとうございます。

 第1話ぶりの龍殺しさん。距離を開けて対峙したとしても龍殺しさんが先手とってワンパンでエデンちゃん即死させる程度の実力差があったりします。

 これにて入学・1学期編は終わり。次回から数話ほど幕間挟んで夏休み編に入りますわよ。

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