「く、黒の22です、おめでとうございます」
「おー、当たった当たった。案外稼げるもんだなあ、ギャンブルって」
そう言う俺はちょっとにやけているが、ディーラーの方は顔面蒼白だった。グレゴールは興奮したように大量のチップを抱え、そしてテーブルの周りにはカジノに集まっている客たちが熱狂と共に俺のベットに便乗してくる。俺がツキまくっているのを見てここぞとばかりに便乗してくる連中は大口のベットを乗せてくる。いやあ、人の欲望って醜いもんだと改めて思わされる。
だが優雅にテーブルに肘を突きながら、頬杖を突く様にベットしている俺も中々に悪い。これで既に500万は稼げている。このまま続ければ良い感じに資産を増やす事も出来るだろう。だがディーラーの顔色が悪いのと、そしてカジノに黒服が出てきて此方を観察してきている手前、余りカジノ側の機嫌は良くなさそうだなあ、なんて事を考える。
まあ、潮時だろうな、と心の中で呟く。横のグレゴールが完全に金の亡者になっているのを見て溜息を吐くと、その瞳に理性が戻った。
「お嬢……あ、いや、なんでもねぇ」
「ん? そうか……じゃあ最後にちょっと悪戯だけして終わらせるか」
稼ぎ過ぎると恨みを買いそうだしな、という言葉は口にせずルーレット台の上の数字を見る。この夜、ルーレット台で無作為にベッティングをした結果、自分の勝率は大体75%ぐらいであるのを察していた。つまり4回に1回は負けるという事だ。これはかなり高い確率だし、何も考えずに無作為にベットしているのとしては破格の勝率だと言っても良いだろう。或いは生物として元々良い方向に物事を転がしやすい性質があるのかもしれない。
そこんところどうなんだろ。
『次は黒だ、黒』
『騎神はそう言ってさっき外してただろ』
『黙れ武神、喋るなラック0』
『は? ラック1億あるが……』
『運気操作するな』
『赤赤赤赤』
オラクルが電波ばっかり受信してるんだけど、アンテナが壊れたんだろうか? ちょっとだけ角をさすっておく。まあ、それはともあれ俺のラックは大分悪くはない。今も中々良い人生を送っているし、なんなら今かなり幸せだし。それだけの運を持ち得ているという事なのだろう。だけどそれに頼りきりの奴は痛い目を見る、というのは古今東西語り継がれている事だ。つまりここで勝ちまくってもどうせ後でロクな事にはならない。
連勝数はカウントしている。これで3連勝中だ。4連勝が出来ないというルールが健在であるなら、次で負けるだろう。だったらそろそろベットする時だろう。自分が勝利したチップを見て、その大半を適当な数字の上に乗っける。これで俺の予測が正しければ、次のベットでは敗北するだろう。ただ、俺のその強気なムーヴに周りの客やディーラーの反応は面白い程に変わってくる。
「見ろ、あの強気な態度を。相当自信があるみたいだぞ」
「お、俺も全部賭けるか……!」
「黒の2、で宜しいのですね?」
滅茶苦茶顔色が悪いが、俺は特に答える事もせずににっこりと笑みを浮かべた。その様子に周囲が色めき立ち、そしてグレゴールはしばし無言を作ってからチップ、その半分ほどを別の場所へと賭けた。どうやら俺のせんとする事を理解したらしい。なるべく周りに気づかれない様にスタンスはそのまま、ディーラーが誠実に勝負を開始する瞬間を見届ける。
「それでは―――」
ボールが放たれる。回転するルーレットの上を走る。テーブルの周りに集まった人たちが固唾を飲んでその行方を見守る。興奮した様な気配に強く握られる拳。誰もが転がるボールの行方を熱狂しながら見つめている。
『赤! 赤! 赤!』
『いいや、黒だね』
上の方々はマジで何でこういう時だけ自己主張してくるん? 必要な時だけマジで黙ってるの悪意すら感じかねないんだが? いや、まあ、真面目な話ルールがあるんだろうな……って話なんだろうけど。神々が人の世に干渉して良い事があった試しなんてないしな。
「な、ソ様……」
周りの人に聞こえない様に呟いたが、何か物凄いダメージを約一柱に与えた気がする。そんなくだらない考えを消化している間にもルーレットの速度は徐々に落ち、そして走っていたボールは弾かれ、踊りながら色と数字のポケットへと落ちて行く。
そして止まる。赤の2に。選択したのは黒の2だから丁度色違いでの外れだった。
一瞬の静寂。その後、一気に大気が震えるほどの声が響いた。俺に便乗して賭けていた馬鹿達はそれで大金を一気に失った。俺も今日、勝った分のほとんどを今の1回で失ったが、それでも全体からみると手持ちが2倍程度に増えるプラスだ。これぐらいで良いだろう、と判断する。傍から見れば大損だが、俺としては数年間かかる金額を一晩で貯める事が出来た大勝利なのだ。これ以上粘った方がバチが当たるという奴だ。
チップをトレーの上に乗せて、それをグレゴールに押し付ける。
「うーっし、遊んだし今夜はここらで解散しとくかー」
「お前さん、悪趣味だなぁ……」
グレゴールの言葉に笑い声を零しながらディーラーへとウィンクを送り、さようならと手を振ってルーレット台を後にする。後ろから聞こえてくる悲鳴はもしかして全財産すった馬鹿がいるからだろうか。まあ、煽ってもいないのに便乗してきて破滅したもんなら俺にはどうしようもないって奴だ。トレーに乗せたチップを入口で換金し、金に変わったやつを懐に収めてカジノから出る。
そこそこ過ごしていたのかどうか、あの空間内では時間が曖昧になるからよく解らない。だがあの熱気から離れると夏とはいえ夜の風の涼しさがドレスの隙間から体に沁み込むようだった―――いや、まあ、別に寒さも暑さも平気な体なんですけどね。それでもあの欲望にギラギラした空間から出られたことには開放感があった。
「いやあ、儲かった儲かった」
「もうちょい粘っても良かったんじゃねぇか?」
「お店側から睨まれたくないしなあ……それに俺、儲ける事じゃなくて遊ぶのが目的だったし」
まあ、最終的に稼ぎは悪くなかった。その上で楽しめたんだから上々という奴だろう。そもそもカジノで儲けようと考える事がダメなんだ。ギャンブルは楽しむものであって縋るもんじゃない。ギャンブルを生活に組み込んだが最後、選択肢の中に賭け事が何時までも残ってしまう。そうなると土壇場で破滅への道を選んでしまう。俺はそういう人間、嫌だなあ、と思う。それをグレゴールに伝えると、頭を掻きながら神妙な様子で頷く。
「案外、真面目なんだな。一番遊んでそうなのに」
「一番遊んでそうってなんだよ!! なりはこんなだけど、俺は悪い遊びはしないぞ!」
ふん、と息を吐きながら腕を組み、視線を逸らすと少しだけ焦ったような様子でグレゴールが謝り始める。それを見て軽く笑い声を零し、夜風を浴びながらカジノからホテルへの帰り路を歩き出す事にした。こうやって悪い遊びをすると、ちょっとだけ悪い人になった気分になる。まあ、別段そんな悪い遊びでもないのだが。それでも楽しかったな。
「なあなあ、見てたかよ周りの連中。絶対に勝てると思って便乗したのに最後の最後で大敗北してるのさ」
「アレはマジで性格悪いと思ったわ」
「俺は悪くねぇーもん! 勝手に便乗してくる連中が悪いんだわ!」
けらけらと笑ってはあ、と息を吐く。ギャンブルが楽しいのは勝てたからだ。これで負けていたら滅茶苦茶気分が悪くなっていただろう……いや、まあ、そうなっていた場合をあんまり考えたくはないな。やっぱギャンブルは悪い遊びだ。これからはちょっと控える事も考えよう。
とはいえ、酒が入ったような高揚感に満ちている。端的に言えば気分が良い。臨時収入もあった事だし、もうちょっとリアの為にお金を贅沢に使う事も出来るだろう。そうなったらこの王都滞在ももっと楽しくなるだろう。
はは、と笑いながら振り返る。そのまま後ろ向きに歩く。
「そう言えばこの街って他にどういう遊び場があるんだ?」
「おいおい、夜とはいえ人通りがあるんだから前見てないと危ないぜ……って言う必要はねぇか。あー、そうだな。他にも王侯貴族向けの娯楽施設もあるぜ、ここには。劇場とかな」
「へえ! 王立劇場って奴?」
「そうそう。毎日って訳じゃないけど、それなりの頻度で上演もあるし、そういう教養があるなら見に行くのも悪くはないぜ」
俺を含めて辺境トリオにこういうタイプの劇場を訪れた経験はない。当然ながらその手の施設が辺境にはないからだ。だから、まあ、大きな楽しみと言えば劇団が巡業でやってくるときとか、或いはサーカスが披露にやってきた事ぐらいだろうか? アレでも近くの街を巻き込んで相当盛り上がったのを思い出す。劇場といえばやはりオーケストラとかそういうイメージが強いが、演劇もあった筈だ。何にせよ、此方の世界ではどういう演目が流行っているのかを見るのも相当な楽しみになるだろう。
「成程成程。そりゃあ楽しみだなあ」
人生2回目、多くの事を1回目で経験している。それでもそれが全てと言う訳ではない。こうやって2度目の人生を送ってみれば色々と楽しめる事で溢れているのを知る。生きるのを退屈に感じるには、まだ知らぬ事が多すぎる。楽しい事が多すぎる。悲観する様な出来事はそれなりに多いが、それでもすべてに絶望する程でもない。ベリアル某を良くは知らないが、それでも感謝しておかないとならないだろう。少なくともこの旅行は楽しくなっていた。明確に楽しませようとする意図も感じられる。
会う事にはちょっとした不安を感じなくもないが、それでも悪い人じゃないだろうな、というのは感じていた。
と、そこでとん、という衝撃を感じた。
「おっと、失礼」
物凄く軽く、何事もないようにそんな事を言われた。誰かぶつかっちゃったんだろうか、と、思わず反応して苦笑を零そうとして胸から刃が生えているのが見えた。
「いや、前を見て……あぁ?」
一瞬、自分が何をされているのかを理解できなかった。だが次の瞬間には不意打ちで心臓を潰されたと言うのを理解した。それでも頭の中にあるのはやべえ、ドレスが汚れるという考えだった。刺突は一瞬、背中から心臓を抜く様に胸を通して前へ。突き抜けた鋼の塊はドレスを傷つける事はなかったが、胸から出る血がドレスを汚す。
良かった、黒いから血が目立たない。それに破れていないのならまだ誤魔化せるだろう。そう判断するが心臓を潰されたのは痛かった。咄嗟の事で体が強張っている。それでも胸を貫く刃が一瞬、力を込めてひねられるのを知覚した。これは
それを理解し、瞬間的にやばいと判断して片手で刃を掴んだ。捻ってから横へと切り抜けようとした剣は片肺を潰して動きを止め、そのまま体から突き出ている分が折れ、半ばで折れた状態の剣が肺から体を横へと突き抜けた。喉をせりあがってくる血の感触に喉が埋まる。
「おや」
反応を返そうと振り返ろうとし、引き抜かれた刃がそのまま首へと向けて振るわれる―――のを素早く投げ込まれた短剣がガードした。首との間に投げ込まれた刃が鎧代わりになって剣の到達を阻む。
その間に全力で蹴り上げる。
「ら、ぁっ!」
振り返り、襲撃者の存在を目視しながら全力の蹴り―――家屋程度一瞬で瓦礫に変える様な脚力で振るった。道路のタイルを引きはがし、道路そのものが土砂となって吹き上がる様な蹴りを前に襲撃者は軽い跳躍で後ろへと下がり、悠々とした動作で屋根の上へと退避した。
「うーむ、これは亜竜だか真竜だかの血をヤってるのか……どちらにせよ暗殺は失敗ですかね」
小声、本来であれば誰にも聞こえないレベルの声だったのだろうが、死の気配を前に鋭敏になった聴覚はしっかりとその音を拾えていた。追おうと踏み出そうとして、胸と背中、胸から肺を潰す様に伸びる切断痕が呼吸と動きを阻害する。かひゅ、と声を零して治療に集中する為に一歩踏み出し、蹲るように傷口を抑える。
「糞がっ!」
ナイフが数本、闇夜に隠れる様に投擲された。闇夜に紛れる視認性が最悪とも言える黒いナイフによる投擲をしかし、襲撃者は折れた剣で軽く弾いてからその向こう側へと消える様に飛び越えて行った。
はあ、はあ、と荒い息を吐き出す。流れる血を止める様に意識を傷口に集中させるが、何かが回復を阻害するような感触があった。それを浄化と侵食で除去しながら傷口をゆっくり、ゆっくりと塞いで止血する。そうすれば多少マシになるであろう事は、人狼事件の時に学んだ。
真夜中。
騒ぎを聞いて駆けつけてくる鎧の足音がする。駆けつけてくるグレゴールが直ぐにふらつく体を支える。
安全だったはずの王都の休暇は、一瞬で危険な物へと様変わりした。
感想評価、ありがとうございます。
ベリアル氏、報告を聞いて倒れるまで残り5分。