―――ギュスターヴ商会。
それは俺が調べられる限りではこのエスデルで最も黒い商会だと言って良いだろう。
商会そのものは特別黒い商売をしている訳ではなく、商品の品質は普通に良いし、阿漕に高く売りつける様な事もしていない。だがその裏では麻薬などの違法なビジネスに手を染め、マフィアと言う暴力を背景にしてエスデル国内の様々な地域に触手を伸ばしている。今やその影響力はエスデルの大貴族に匹敵する程だと言う。
事情を知る者の間ではギュスターヴ商会がマフィアの主である事はもはや常識だ。それでもギュスターヴ商会が捕まらないのは、裏と表が繋がる様な証拠が一切残されないという点と、ギュスターヴが既に王族に対する影響力を獲得しているという点があるのだろう。影響力、という部分に関しては憶測混じりになってしまうのだが。それでもギュスターヴが一商人としては破格の力を持っている事実に変わりはない。
その伏魔殿というか、魔王城というか……なんか、そんな場所に来てしまった。これまでの対応から悪い事は何もされないというのは解っていても、エメロードにあったマフィアの支部は潰したし、その前に冤罪もかけられた。ギュスターヴ商会とは既に1回バチバチにやり合っている。その後でいきなり相手から矛先を降ろされたのが物凄い不思議だったのだが……俺が龍である事に起因するのであれば、今回の態度を含めて納得の行く事なのかもしれない。
あ、いや、でもやっぱり怖いわ。
そんな恐怖心にここまで来たら引き下がれないというやけっぱちさで乗り切る。そうやって乗り込んだギュスターヴ商会は―――なんというか、割と普通だった。
普通というかなんというか、入った商会の建物は普通に商会をしていた。いや、この言葉ではうまく表現できていない。商館の中は活気で満ちている。商人たちが商品の買い付けを行い、純粋に買い物に来た客が対応を待っており、職員たちが忙しく走り回ったりしている。そして見えるのはこの世界では見ない様な種族、特徴を備えた魔族たち。それが此方の世界の人たちと普通に交流し、商売を行っている。
そう、まるで普通の商館の様に。入口前で感じていたちょっとした恐怖は、踏み込んでから感じる活気によって掻き消された。
「当然ながら、表の商売は真っ当に、誠実にやっています。真っ当にやって出来る事ならそれで済ませるのが何よりもクレバーであるとの事ですので」
「それでもマフィアは飼っている癖に」
「それは必要な力ですから」
さもありなんとすぐさまに返答したプランシーの言葉に、俺は何も言い返さない。或いは、言い返せないのかもしれない。此方の世界では魔族たちは余り良い目で見られない。無論、民間レベルではその手の感情は存在しない。だが国家と言う枠組みになると自分よりも技術や知識が上でフリーの存在は、国の文化や考えを汚染してくる侵略者でしかないのだ。エスデルの様に融和するか、聖国の様に排斥するか、帝国の様に取り入れるか……存在そのものが劇薬である彼らに対しては自衛力が求められる。
何故なら彼らは魔界の者。この世界にいる間、その本質は流浪の者だからだ。彼らを守る司法制度が存在しない。自分で自分を守らないとならない―――まあ、彼らにはそれだけの力があるのだが。
そんな事情を頭の中に浮かべてもまあ、ここは普通の商館のようにしか見えなかった。
「それでは応接室へと案内します。ベリアル様は既にお待ちです」
「ま、待たせてるのかぁ」
怖いなぁ、と口にはせず呟く。ベリアル=ギュスターヴと言う図式が成立する今、このベリアルと言う男が魔王であるのは間違いがないだろう、何せ魔族でここまで力があるのだから。いや、或いは一般魔族が大成功したというパターンもあるのだろうが、部下の心酔っぷりを見ている限りそれ相応の実力はあるように見える。それが俺に対して、ここまで譲歩しているのだ。そりゃあ怖いという感想しか出ないだろ。
だが、ここまで来てしまった……来てしまった以上は引く事も出来ないだろう。胸の中にある不安はそのまま、プランシーの先導に従って商会の通路を抜けて奥へと向かう……途中、驚くような、探る様な、そんな視線が周囲から向けられるのがちょっとだけ、不思議か。でも考えてみれば俺みたいな娘が大商会のオーナーに案内されるなんてそうそうない事だ。そりゃあ探ろうともするか。
そうやって思考を巡らせている間はあまり現実の事を考えなくてもいいから助かるのだが、実際のところ、向き合わなければならない現実は目の前まで来ていた。商会の通路を抜けた先では扉があり、その横にプランシーは身をずらしていた。
「どうぞ、ベリアル様がお待ちです」
「……」
プランシーの姿を見て、扉を見て、自分で開けなきゃいけないのかという気の重さを表情に出さないようにしながら―――手を伸ばし、扉を開けた。
しっかりと手入れのされている扉は抵抗もなく開く。開けた後でノックするの忘れたなあ、なんて事を考えて、何て言おうかと言葉に詰まる。だが習慣か、自然とお邪魔しますなんて言葉が口から出てくる。
そんな頭の中が軽いパニック状態の中、応接室には向かい合う様にテーブルを挟んでソファが置かれており、奥の方のソファにはスーツ姿の男が座っていた。一目見てその明らかな格の違い、次元の違う強さを感じ取る。髪をオールバックに流した中年程に見える男は扉を開けて入って来た俺の姿を見て、座っていたソファから立ち上がりながら近づいてきた。
「これはエデン=ドラゴン、この度はこの様な事態に巻き込んでしまい、まことに申し訳ない」
そう言ってベリアルは謝るが、頭は下げない。或いは上に立つ者として頭を下げる事が許されないのか。どちらにしろ、俺の返答は決まっていた。さあ、頑張れ俺。ここが頑張り時だぞ。心の中でそう告げながらなんとか笑みを浮かべて対応する。手を前に、握手を交わす為に近づく。
「寧ろここまで歓待されている身としては申し訳なさすら感じます」
「止めて欲しい、今回の件は事前に警備を配置していなかった私の落ち度なのだから。さ、ソファへどうぞ」
握手を交わしてからエスコートされるように反対側のソファへ。テーブルを挟む様にベリアルと対面すると、すかさず紅茶とケーキが目の前に置かれた。気配も何もなかった気がしたが、どうやら待機していたらしい……いやあ、本当に恐ろしい。そう思いながらも自分の姿勢、どういう風に見られているのかを意識して座る。昔は足を広げて座る事もあったが、今ではこの通り綺麗に女の子らしく座れる。
対面するベリアルはいきなり謝罪で会話を始めたが、自分の落ち度であるというスタンスを崩すつもりは一切なかった。席についてからも、
「改めて謝罪を。私は、決して貴女を傷つける意図もなければ害するつもりもない。エメロードの件も不幸な行き違いとして私は処理しようと考えている」
「それは……一方的に私にとってありがたい話なのですが、ベリアル氏としてはそれで宜しいのでしょうか?」
俺の言葉にベリアルは迷わず頷いた。
「貴女の身と比べれば」
その言葉に俺は複雑な表情を浮かべてしまう―――それもそうだ。人がたくさん死んだ所で、俺と比べたら安い命だと断言しているのだから。この男は簡単に命に対する価値を、値段を付けられる人物なのだ。いや、それがこの世界の大半だと言えるんだが、それはそれとして俺にとっては怖い考え方だ。未だに人を殺す事に恐怖を覚える身としては、こういう人間とは仲良くなれない気がする。
ベリアルが俺の事を怒っていないのは解った。いや、だからこそ解らない。だから俺は少しだけ言葉を閉ざし、考える様に目を閉じ、それからお菓子や紅茶に手を付ける事無く言葉を放った。
「私にこうも良くしてくれるのは……龍だから、ですか」
「然り」
ベリアルは俺の言葉に頷いた。
「龍―――私が知る中で最も古く、そして尊い種族だ。この星の、という言葉が付くが。私からすればこれほどまでに事実が捻じ曲げられ、そして蹂躙されている事実には驚きと嘆きが隠せない。恐らくだがこの様に事実を捻じ曲げた人物はそう―――」
「そう?」
ベリアルが一拍を置き、言葉を続けた。
「……この星を、命を相当憎んでいたに違いないと思っている」
「命を……」
そう言われてもピンとは来ない。だがそれは恐らくベリアルが俺よりも多くの事実を理解しているという点にあるのだろう。
「だが安心してもらいたい。先日の事を反省し、見える所ではプランシーを、見えない部分でも護衛を配置している。もう通りがかりに刺される様な事はない。魔王ベリアルの名においてこの王都滞在の間の平穏を約束しよう」
「……ありがとうございます」
「そう言う割には顔色が優れないが?」
「えぇ、まあ、それは……」
ベリアルの言葉に言いよどむと、ベリアルはふと、小さく笑みを零した。
「どうやら貴女は本質的には真面目な人物の様だ」
首を傾げるが、ベリアルは気にすることなく言葉を続ける。
「いや、人となりは聞いていたのだ。だがそれはそれとして、どういう人物であるかは見るまでは解らないものだからな……どこまでも真面目にふざけているような奴さえ世の中にはいる。あぁ、一人だけ、友人にそういう奴がいる。お蔭で酷い目にもあった事がある」
「それは……ご愁傷様、としか」
「……」
言葉が、選び辛い。話し辛い。このベリアルと言う男が良く解らない。その背景とでも言うべきものが見えてこないのだ。そのせいでどういう風に対応すべきか、という所が見えてこないのだ。おかげで会話のイニシアチブが今一取れない。
だけどこのままなあなあで当たり障りのない会話を続けるのはもっと駄目だろうと思った。それじゃあなんでここに来たのか解らないし……これからもずっと、この男の影に怯える事になるだろう。だから一度、深呼吸をする様に肺の中の空気を入れ替える。
―――良し、見守っててくれよソ様。
たぶん、こんな事を考えてなくてもずっと見てるだろうけど。
「ベリアル氏」
「なんだろうか」
ふぅ、と軽く息を吐く。このベリアルと言う人物は、俺に対する庇護とは別に俺の事を軽く面白がっている部分があるように見える。だからこそ自分から話を詰める様な事をしていない。ちょっと意地悪かな、と思ってしまう。だけどたぶん、相手はそれを意図してやっている。何か考えがあるのか、それとも単純にふざけているのか。
どちらにしろ、切り込まないと話が続かない。だから話を切り出す事にした。
「どうして、そこまで私の事を大事にするんですか。正直なところ、自分がそこまで重要だと言われる事にピンと来ません。そこまでする必要はあるんですか?」
「―――ふむ」
その言葉にベリアルは腕を組み、脚を組んで深くソファに背を預けた。数秒間、考える様に仕草を見せてから顔を上げる。
「私は寧ろ、何故貴女が己の価値を見出せず、そこまで卑下するのかが良く解らない」
そう言ってベリアルは体を前に出した。組んでいた足を降ろし、腕を解いて手を組みなおした。
「貴女は、この星唯一の龍だ。正当なる後継者であり、管理者だ。この星の行く末は貴女のその存在そのものにかかっていると言っても過言ではない。そんな存在を庇護せず、保護せず、野ざらしにして放置しておく事程考えられない事はない。本来であれば貴女は世界そのものが守るべき存在の一つなのだ」
やはり、ピンとこない。そこまで大層な存在なのだろうか? 自分の事だから自覚が薄いのかもしれない。だが俺のその反応を見てベリアルは解ったと頷いた。
「では私が貴女に一つ、自覚を促す為に魔界の話をしようと思う」
「魔界の話、ですか」
ベリアルの言葉にふむ? と首を傾げた。実際のところ、魔界の話ってあまり良く知らないんだよな……と思考する。るっしー・マイフレンドから偶に魔界の事情を聞いたりしたが、なんでも魔界は滅びの危機にあるらしいという話は知っている。だがそれ以上の詳しい事情に関しては良く知らない。だからベリアルの方へと視線を向け直した。
「魔界の事、実はあまり良く知らないので……」
「実際それを語ろうとする者は多くはないだろう。語ったところで恥の多い話だ。広がれば広がる程魔族に対する悪印象が広がるだけの話だ」
しかし、と付け加える。
「我々にとって、そして貴女にとってもとても重要な話でもある。だからこそ魔界と、その歴史を語る必要がある」
そう言ってベリアル氏は懇切丁寧に俺に魔界の事を語り始める。
ギュスターヴ商会の始まりを、どうしてこうなったのか。何故こうする必要があったのか。
そして俺と言う存在が―――どうして、こうも貴重で大切なのか、という事を。
感想評価、ありがとうございます。
なろう版も良い感じに評価やブクマもらえているので本当にありがとうございます。ちまちま日刊に上がったりしていて私はとても幸せです。