「いやはや、実に申し訳ない。私としてもそこまで脅かすつもりはなかったのだ。身内では良くやっている事で忘年会では度々披露していたのだがね」
「身内の! ノリを! 持ち出すな!」
「まさしく、実に仰る通りだ女神よ」
はっはっはと悪びれもせずに笑っているエルマーは大事を取って無理矢理近くのベンチに座らせた。この男に悪意も害意も存在しない事は既に俺が理解しているが、それでもプランシーは警戒を解くような様子はなく、表面上は柔らかくしていてもその下では常に警戒状態にあった。実際の所、人理教会の聖騎士というのは俺の天敵とも言える連中なのだから。過去、龍を人が狩っていた時代、最も多くの龍殺しを輩出したのは人理教会の聖騎士たちなのだから当然と言えば当然だろう。
―――まあ、《先生》は教会にも属していない野良龍殺しだったらしいが。
「はあ、本当にびっくりさせないでくれよ? 血とか見るのは嫌いなんだ」
「我が女神は争いを好まぬと。ならばさぞ、この世は生き辛い所でありましょうな」
エルマーの率直な言葉に俺は苦笑いしながら頷く。
「とんでもなく生き辛いよ。どうしてこうも人は争うんだろう、って暴れるのを見る度に思うよ。そして傷つけなければ生きて行く事も出来ない事にも嫌気が差す。これ、見えるだろう? これが原因で仲良く出来ない人たちだっている。……まあ、アンタみたいな奇特な奴も世の中にいるんだけどさ」
自分の頭の角を指し、話を続ける。
「でも結局、人と人が争わずにいられるか……って話をするとそれは幻想だって事になるんだよな。なんだろうな……神様、人間の作り方間違えちゃったのかな。それとも解ってて愚かに作ったのかな。どう足掻いても、絶対に争う様に出来てるよね」
「人は、満たされれば争わないのでありませんかな?」
「人間が満たされる事はないよ。絶対に」
それだけは断言する。空へと向かって手を伸ばせば、そこに鳥たちが集まり、一羽の長い尾の鳥が指先に止まる。それをゆっくりと顔の近くまで運び、空いている片手で首筋を撫でてから空に放ってあげる。
「人の欲に終わりはない。魔族が終われば異種族の排斥が始まる。亜人や獣人、異種族の排斥が終わったら次は肌の色で争うんだ。お前は肌が黒い、お前は肌が赤い、お前の肌の色は……本当にくだらない小さなことでレッテルを貼り合ってどっちのが優れているのかって事で永遠に争い続けるんだ。何時か争う事そのものが目的になっている事に気づかず」
あぁ、本当にどうしようもない。
「人類はそうなるよ。断言する」
「エデン様……」
手を降ろしてプランシーへと視線を向ければ、気遣う様な視線が向けられている―――だけどお前も、その一部だって事を忘れちゃ駄目だ。お前だって俺達の世界に来て居場所を求めているんだ。死にたくない、生きたい、もっと良い暮らしが欲しい。そういうエゴイズムの塊が人間という生物だ。ある意味では誰よりも、何よりも意思に溢れた生命、それが人類という種なのだろう。
「止めだ止め! 悪い変な話をした。それにアンタだって、聖騎士なのに俺みたいな異種族と話していても気持ち悪いだろう。お互い、会わなかった事にしてこの場は去ろうぜ」
ベリアルとの話の後で変にセンチメンタルな気分になっていたのが悪い。肩の上に止まった鳥が首を傾げながら大丈夫か、と聞いてくるのに撫でて答える。ちょっとだけ気分は滅入っているが、目の前の愉快な存在のおかげでちょっとその気持ちも晴れてしまった。そんな渦中の人物は頭を横に振った。
「いいえ、私の事はお気になさらずに。人理教会と言えども派閥は多く、別に全てが異種族を疎んでいる訳ではありませんからな。かくいう私も別段主流派という訳ではないので」
「主流派?」
「おや、ご存じではないのかな? まあ、確かに教会内での派閥争い等首を突っ込むだけ損というものだ。貴女のような美しい人がそれを無理に知る必要もないだろう。私個人の意見から言わせてみればなんともまあ、無残なものだとしか言いようがないものだがね」
「無残? 派閥争いが?」
エルマーの言葉に鳥と一緒に首を傾げながら視線をプランシーへと向けた。
「プランシーさん、知ってる?」
「あまり詳しい事は……ただ人理教会はその組織としての規模が国家クラスにまで肥大しています。その影響で内部でもどう運営するかで割れるという話は聞いています」
「然り、然り。主流派、融和派、源典派、派閥一つとっても様々な種類と方向性がある。まあ、主流派が異種族の排斥を唱えている時点で全体等どう見たものか解り切った物だと私は思うがね。実に、実に見苦しいものだよ、それはもう」
楽しそうにエルマーは自分の所属する教会の腐敗を語る。
「果たして真にソフィーヤ神の意思を感じ取れる聖人等どれほど残っているのだろうか? 最後に神託を受けてから果たして何年経過しているのだろうか? 我々に伝えられている神託が真実であるとは限らない。それを疑う程に教会は腐敗してきている。だが教会は、教団は何も変わりはしない、何故か解るかな?」
エルマーの言葉に少しだけ目を瞑り考え……思いつく。
「究極的に誰も困らないから」
エルマーの頷きが俺の答えを肯定した。
「人理教会がどういう派閥で割れようと、最終的に異種族に排他的なのが大多数なんだから、内部でごたついても全体として目的が達成されればいいんでしょ」
「然り、然り。そういう意味では今の人理教会は非常に強い。結束力はそれこそ過去と比べれば非常に弱くなったでしょう。だがその人員は、信徒の数は膨大である。それこそ国家という形態をとれるレベルで。末端にいる人間は己の行い、信仰に疑問さえ覚えないでしょうなぁ。そして疑問に思う事もなく言われるがままの信仰に生きるでしょう。それが宗教国家というものであるが故に」
肩をすくめる。宗教国家、聖国、人理教会。
「龍を狩った事で地上の覇権を得た、か」
「えぇ……果たしてそれが正しかったのかどうかなんて今の人は考えすらしないでしょうが。それでも悪は討つべしという考えは古来からある物ゆえ、それを疑うなんてとてもとても」
エルマーの物言いに首を傾げる。
「エルマー……さん、割と懐疑的というか人理教会全肯定するタイプじゃないんだな」
聖騎士の男は俺の言葉に微笑み頷いた。
「我が女神よ、私はこう見えて人理教会の穏健派でしてな。別段闘争のみを融和の手段だとは思っておりませぬとも。寧ろ異種族だから、異世界の住人だからと積極的に排他的な姿勢を見せる事は非常に危ない事だと思っておりますとも。そのような事、常識で考えれば解る事でありましょう?」
「言い方が一々怪しいんだよアンタ……」
「はっはっはっは」
はあ、とため息を吐く。俺が思っていた以上に人理教会という組織は複雑だったらしい。全ての信徒の意思が異種族、ドラゴンを殺す事で統一されている激ヤババーサーカー集団の様なイメージを抱いていたのだが……そう言えばこいつらの神様ってソフィーヤだもんな、と思い出す。信奉する神がアレなら本質的に正しい信者はあのアレっぽい生き物に反応や考え方が似るのかもしれない。
ソフィーヤ族が増える事をあんまり考えたくない俺はそこで考えを一旦打ち切ることにした。あの過保護無言神と同じジャンルの生物が増えるなんてとんだ悪夢だ。考えを振り払う様に頭を横に振る。気分転換に公園に来たが、そこで余計な時間を食ってしまった。気分転換という意味ではこれ以上なく十分だった気もするが。
「ま、人理教会の事は解った。思ってた以上に知らなかったってのを理解したよ。なんというか……どこも大変なんだな」
「大変、とは?」
聞き返してくるエルマーに対してん? と首を傾げながら答える。
「だってそうでしょ? 教会には教会の都合があって、エルマーさんだってそれに巻き込まれているんでしょ? 人理教会とは……まあ、個人的には仲良く出来そうにないけどソフィーヤ神自身が悪くない事は知っているし。それでも皆必死に生きているじゃないか」
そう、悪意がある訳じゃないんだ。今の時代、皆生きる事に必死な結果魔族と人類の対立が見えているんだ。そこに悪意と呼べるものは一切存在しない。もし、そこに何か問題があるとすれば……どっちも必死で、そしてどっちも愚かだって事なのだろう。結局のところ魔族の愚かさも、人の愚かさも本質そのものに違いはないのだ。
「今日を、明日を必死に生きている命を否定出来る事なんて何もないよ。命そのものに色はないし、種族がどうとか、全部くだらないよ。人の形、肌の色、そんなので種族がどうとかこうとか、命があーだこーだ語るだけくだらないよ。命は所詮命だし、そこに違いなんてないんだ」
だから思うのだ、大変だな、と。
「きっと俺が理解できる事じゃないけど、エルマーさんはエルマーさんで頑張っているんでしょ? そうじゃなきゃ聖騎士なんてなれないだろうし。だからまあ、俺が知らない諸々を含めてお疲れ様って事で」
手をひらひらと振るとそれを驚いたような表情で見られた。はて、何か俺はおかしなことを言ったのだろうかと考え込むが……ちょっと、ぶしつけだっただろうか? いや、そもそも初対面の相手に対してちょっと失礼な行動をとってるかもしれない。ナチュラルな態度で他人と接するのが割と染みついているというか、敬語なしで話す事が割と普通になっているかもしれない。
まあ、大体神々とのオラクルがカジュアルなのが悪いと思う。
……むむむ、直すべきか。
『私は直さなくても良いと思います。えぇ、エデンはそのままが素敵だと思います。えぇ』
信徒の話の事だと全く会話に混ざらない癖に、自分とのコミュニケーションの話になった途端口を挟みこんでくるソで始まる神のスタンスに呆れながらも安心感を覚える。所詮は最大宗派と言ってもこの神よ。ソフィーヤ神がこんな調子だから俺もこんな風に育ってしまったのかもしれない。うーん、と小さく唸りながらどうしてくれようかこの神、等と考えているとエルマーが貴女は、と言葉を区切った。
「貴女は、人の
「人の……善さ?」
「善良性、人はその心底では善い存在である、と。性善説とも言える考えをお持ちの様だ」
「うーん……どうだろうなあ……」
エルマーの言葉に俺は思考を巡らせる。果たしてどうだろうか、俺は人間が善いものであると信じられているだろうか? 人が善いものだと思っているだろうか? 俺はこれまで見て来た人間を思い出す。
グランヴィルの善き人々、辺境の必死に生きている人達、我が幼馴染たち。誰もが善き人々だと言えるだろう。だけど世の中は決してそれだけではない。狼たちの様に生きるのに必死で、それが報われずに死んでしまう事もあるし、もっと良い生活が欲しいから村を襲った連中だっている。俺も、領内の盗賊や山賊たちをサンクデルの依頼を受けて殺したことがある。
それだけじゃない、マフィアの様に悪いことを進んでやる奴らだっている。人が善き存在か? そう問われると俺は首を横に振るしかないだろう。
でも、そうだなあ、と声を零す。俺が思い出すのは愛しの妹分の存在だ。リア―――グローリア、俺の誰よりも愛しい妹の様な娘。心の底から愛している人。降り積もったばかりの雪の様に純粋無垢な心の娘。彼女を見ていると、信じられる気もする。
「悪いことをする人だっているし、世の中善い事よりも悪い事ばかりだ。人は進んで誰かを傷つけるし、そのせいで世の中乱れている。人を傷つけ、貶めた報いは常に降りかかる訳じゃない。だから誰かから奪って生きて行く方が遥かに簡単だって事も解っている。守る事よりも壊すほうがずっと楽だって事も。けど……」
「けど?」
俺は、思うのだ。確かに苦しい事ばかりだけど、
「人は善いものだと、そう信じて生きて行く方が希望が見える、かなって」
少し言葉が恥ずかしくて照れるようにはにかんでしまう。だけどそれに対してプランシーも、エルマーも何も言わずにしばし無言を保ってしまう。それに気恥ずかしさが先だってしまい、視線を逸らす。
「ごめん、やっぱり変な事を言った」
「いいえ、いいえ。私は素晴らしい言葉だと思いますとも。現実を知ってなおもそう言えるのであればそれはもはや、一つの信念であるとも。えぇ……全て知った上でそう言えるのであればこの上なく美しい心の持ち主なのでしょう、貴女は」
笑わず、真摯に向き合う様に答えてくるエルマーを俺は直視しない。恥ずかしい事を言った自覚はあるし、自分の中にある考えが少し纏まった気もしていた。美しい心なんて言われているが、それは単に俺が甘く、他人よりも力が強くて、特別な能力があるからこそだ。
本当に世の中の全てを理解しているつもりにはなっていない……それでも人は愚かだと、悪いものであるとそう思って生きて行くよりも本当は皆、心の底に光を抱えている。それが今は翳っているのだと信じた方が希望がある。
だって、本当にそこに光も何もなければ……この世はもうおしまいだ。俺が頑張って救おうとする意味もないし、そんな世界でリアが生きて行けるとは思えない。人は間違いなく悪だが……それはそうなる必要があるからと思いたい。
「……うん、そうだね。魔族も、異種族も、何も変わらない人だもんなぁ」
呟きながら遠くを見つめる。本質的に人として何も違わないのであれば、種族がああだこうだと言うのも馬鹿々々しい話だよな。
……魔族の未来とこの世界の未来の事、もうちょっと考えるべきなのかもしれない。
人理教会、魔族移民問題―――そして龍の未来。
それぞれの立場、問題、それをもっと知るべきなんじゃないか、不意にそう思った。俺は知らない事が多く、それぞれの視点からもっと物事を見るべきなんだと。もっとこの世界の事を知るべきなのかもしれないのだ、と。
それがきっと、明日を良くしてくれる筈だ。
それが俺にしか出来ない事なら―――俺がやるべきなのだろう。
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もう解っている人も多いですが、エデンちゃんは根本的に性善説の論者です。人の奥底にはあるのは善性であるという事を信じています。彼女が特別苦しむのも究極的には人は最後は善い方向に進んでくれるという思いというよりは願いがあるからです。
まあ、人にそんなもんはないが。