「―――転生者」
『はい、転生者です』
ソフィーヤ神のその言葉に俺は少し、黙ってしまった。やはり、神々は俺が転生者だと理解している。そしてその上でそれを特に問題視していない、というのは行動から見えるスタンスとして理解していた。だが実際、こうやって口に出してその存在を肯定されると少し複雑な気持ちになる。非現実的……と呼ぶには少々色々とあり過ぎたが、それでもこうやって神の言葉で転生の存在そのものを肯定されると……なんだろう、言葉に出来ないものがある。
「転生者って、偶にあるもんなの?」
『非常に珍しい事象ですが、あります。世界の壁、その理は時折揺らぐ事があります。それは強大な存在の死であったり、或いは超越的な存在が戦った結果次元の壁が揺らいだり……或いは単純に積み重ねられたエラーによって偶発的に発生する事例だったりします。アルシエルの生誕、その転生は一番最後の部類です。何百、何千、何万、何億と積み重ねられてきた死と生の転生システム、それがちょっとしたエラーを起こしただけです』
そもそも、と言葉を続ける。
『生と死の循環は一つの次元に留まりません』
「そうなの?」
『はい。死の世界は最も理から外れている領域です―――冥府は最も現世に近く、遠いあらざる世界です。その為この次元において最も他の次元に近い場所が冥府になります。冥府はまた別の冥府と隣接し、そして時折繋がりながら魂の循環を行っています。その大本が何時作られたかは不明ですが……これは世界の死により魂が行き場を失わない為の対策だと言われています』
無論、とソフィーヤは付け加える。
『地球とも冥府は繋がりがあります』
「……」
胸がきゅっ、と締め付けられる感覚に思わず胸を押さえた。だが俺は地球ではもう、死人だ。後悔や未練があるかと言われればそこまで多くはない……あえて言うなら新刊が気になる程度の事だろうか。今はそれよりも楽しい事がたくさんあるから―――と、ちょっとだけ強がりを言ってみる。
『話が逸れましたね。アルシエルの話に戻しましょう。彼の誕生、彼の生誕、彼の転生……それらは全てイレギュラーとして発生した事でした。時折存在する転生システムのエラー、そこから偶発的に流れ着いた魂がアルシエルでした。非常に珍しい事例ですが生前の記憶を保ったまま新たな生を授かる存在というものはありえなくはありません。ですから私達は―――いえ、私はアルシエルが異界からの転生者であると理解しながらも、特に干渉する事なく放置する事にしました』
ソフィーヤはその言葉に、胸を押さえた。
『私は知っていました……アルシエルが転生者である事を、その生まれの時点で。彼が世の全てを疎んでいる事も。ヒトよりも優れた種全てを疎んでいる事も。ですが、私はそれでも彼を放置していました。この世は限りなく美しく、そして素晴らしいと信じていました。きっと、アルシエルも生きていくうちにこの世界を愛してくれると思っていました』
「だけど、そうはならなかった」
『―――アルシエルは常に私心を殺して生きていました。彼は怯えていたんです、世界の全てに』
ソフィーヤ神の語りは続く。
アルシエルは優れたリーダーシップを見せていた。周りの人間を牽引し、常に最前線で物事に当たって行く姿は、集団の中核を担うリーダーに相応しく思えた。
だがそれは表面上のものでしかない。
アルシエルは常に酷く怯えていた。龍に、竜に、そして神に。異世界で生まれ育ったアルシエルの生に実在する神々の力は酷く恐ろしく映った。龍がその力を行使するだけで都市一つ分の大地が拓かれる。或いはその力を行使する事で築かれた全てをリセットするように大自然へと土地を返した。現実にはあり得ない光景だった……その筈だった。だがアルシエルの前ではファンタジーと思われた事が当然のように行われていた。小説でもなく、漫画でもなく、アニメーションでもない。
全てが現実。少し何かが狂うだけで全てが破滅しうる力が野放しになっている。
それがアルシエルにはどうしようもなく恐ろしく映った。
『だからアルシエルは決断しました。この地上にヒトの世を作る事を。神話の時代を終わらせて、彼の良く知る世界を生み出す事を。神と龍を地上から駆逐して安心して眠れる世を作る事を。自分の恐怖を絶対に排除してみせる、と』
「……寂しい人だったんだな」
『どうなんでしょうか。私は終始アルシエルの事を本当の意味では理解する事が出来ませんでした。私は、私達の世が素晴らしいものだと常々考えて生きていました……ですが、アルシエルという異世界人からしてみればこの世は地獄だったそうです。それでもきっと、この素敵な世を愛してくれると、そう信じて私はアルシエルを野放しにしていました……その内心を知りながら』
きっと、それが、
『―――私の原罪です』
ソフィーヤ神はアルシエルが感じる恐怖も憎しみも全て手に取るように理解していた。限りなく全能で、限りなく全知だから。当然のように人をつかさどる神であるソフィーヤ神はアルシエルの苦悩を理解していた。
『だけど私は何もしなかったのです。時が彼の心を癒し、そして育んでくれると思っていました。ですが違いました。アルシエルは時が経つにつれその心を変えて行っても決して世界を認めるようにはなりませんでした……それでもきっと、きっと……そう信じて私はただ見守る事だけを選んで……全てが狂い始めて―――』
あぁ、とソフィーヤ神は吐息を零した。
『何が正解だったのでしょうか。私は若く、愚かな神でした。ですが未だに正解が見えません。果たしてアルシエルを諭すべきだったのか。それとも世界を侵す毒として彼を殺すべきだったのか。それともヒトの世へと移行する事を良しとするべきだったのか。何を選んでもきっと正解ではなかったのでしょう。ですが私は愚かにも何もしない事を選んでしまったのです―――きっと、選択をするという事そのものを恐れてしまった』
そしてアルシエルはその生涯の大事業へと乗り出した。
即ち創る、人の世を。
龍を殺し神を地上から追放する大偉業。アルシエルは一度も神と向き合う事なくそれを成した。そうやって地上は人の手に渡り、人の世がアルシエルの手によって創生された。その瞬間、その時代、世界は確かにアルシエルの手によって回されていたのだ。それを盤石にするために徹底した教育の根幹を構築した。神々が地上へと干渉し辛いような環境と考え方を地上に作る。
『アルシエルは教育の大切さを良く理解していました。まだ疑う事を知らない人の子らは教育を当てる事でどうとでも変われるというのを理解していました。まだ人類が黎明を迎える時期でしかなかった頃、アルシエルは“常識”を作る事にしました。これからずっと、人類が抱えて行く考えの根幹。それを楔として打ち込む事で人の世を崩せないものとしたのです。我々神々は地上への直接的な干渉は回避しています。何をするにしても我々では影響力が違い、それは強すぎるからです』
「だからソ様達はアルシエルが作った世をひっくり返せないんだ」
『はい』
恐ろしく狡猾なやり口だった。龍は言ってしまえば神々が地上へと干渉する為のツールだ。神と言う膨大すぎる力をもっとミクロでコントロールできる龍という形にする事で地上への影響を最小限に留めている。だがアルシエルの教育と常識はそれを破壊する事で神々への地上干渉を回避する事に成功している。声一つだけでも人の人生を狂わせる事の出来る力が神々にはある。
今更アルシエルの行いを間違いだと糾弾すればそれだけで地上の何もかもが混沌に陥るだろう。神々は……いや、ソフィーヤ神は決して混沌が欲しい訳じゃない。こうなって、こんな風になっても結局のところずっと安寧を願っている。安寧と平穏を、優しい夜を迎えて眠り、そして清々しい朝を迎え起きる喜びを味わってほしい。
例え貶められ、苦しまされ、罪の意識に苛まれても―――ソフィーヤ神はずっと、人々の安寧を願っている。
彼女は間違いなく、人の為の女神だった。
「ソ様は……アルシエル某の事、許せない?」
『私は彼を決して恨んではいませんよ……恨める筈もありません。結局、彼がこの道を選んだのは私が彼と向き合う事を拒否したからです。誰よりも苦しんでいたのは彼で、それを知っていた筈の私はそれに触れてあげるべきだったのです。それから逃げたのは私です』
申し訳なさそうに、しかし疑う事無く応えるソフィーヤ神。きっとその答えは何千年も前に出ているのだろう。考える時間だけはずっとあったのだから。悠久の時の中で考え続けて出た結論―――それがソフィーヤ神の地上への極限までの不干渉と沈黙。己が見過ごしてしまった間違いへの回答だった。
「後悔……してる?」
『どうでしょう……難しい話です。長く、長く生きてきました』
だけど、
『それでも完全な答えが出た事はありません。私も、未だに答えを探している途中なのかもしれません』
「そっか」
そっか、と呟きながら俺は腕を組んで天井を見上げる。数秒程、目を閉じて考えを整理するように思考を巡らせ―――それから答えに至る。結局のところ、エデン=ドラゴンの取れる選択肢なんてそうなかったんだ。生まれた時点で、そして生きたいと思う時点でやるべきことは決まっているのだから。ここまでの十数年間、なんとなくで生きて来た龍生だった。だけどいい加減流されるだけの生を送るのは終わりにするべきなのだろう。
俺はベッドの上から降りて立ち上がり、腕を組んだまま胸を張ってソフィーヤ神の前に立つ。
「ソ様」
『はい、エデン』
「俺、思うんだ。アルシエルがやった事は良い事でもあるし、悪い事でもあるんだって。でも結局過ぎ去った事実を後悔したり責めてもなんにもならないって。過去は過去、もうどうしようもないんだ。俺も、ソ様も今を生きているんだ。だったら俺達が向き合うべきなのは既に死んでどっかに消えたアルシエルの事じゃなくて……今の世、どうやって生きて行くべきかって事なんだと思うんだ」
きっと、アルシエルの心を知るのは大事な事だ。だけど最も重要な事ではないのだろう。それが歴史の真実だとしても、俺が生きて行く事とは関係がないんだ。
だから断言する。
「俺は生きたいよ、ソ様。この世界でエデンとして、何も心配する事無く生きてたい」
『えぇ、私はその心を肯定します。貴女のその思いに何も間違いはありません。ですので―――』
「だから!」
ソフィーヤ神の言葉をさえぎるように、
「だから、ソ様、聞いて欲しいんだ」
『……はい』
「アルシエルの事がソ様の心に棘として刺さっているなら、それを俺が引っこ抜いてやるよ。やられたら倍返しだ。人の世の間違いは人の世によって正すんだ。いいか、ソ様? ソ様は何も悪くないんだ。悪い事はしてないし、間違ってもいない。人間関係なんてそもそも正解が存在しない事なんだ。勝手に世界に絶望して天を滅ぼそうとしたボケカスの事なんてそう深く考えなくていいんだ―――」
そう、アルシエルの事は重要じゃない。重要なのは今であって、俺がどうするのか。
答えは話を聞いて出た。
「俺は創る、新たな世を」
魔族の問題、星の寿命問題、宗教問題、国家の問題。良いだろう、全部かかってこい。こっちとら最強種だぞ。コネと権力と暴力で全部解決してやろうじゃんか。
「異界の移民問題、狂った宗教の問題、隠されている歴史の真実、暴れる竜達の問題―――全部全部、誰かが解決しなきゃいけないんだ。だったら俺がやるよ、俺がソ様がサボってた事全部片付けるよ」
逃げるのは終わりだ。隠れるのも終わりだ。幼年期には別れを告げよう。ここから先、世界へと道は開けていくのだからもう見て見ぬフリはダメだ。その先にあるのは破滅だけだ。そしてそれは、明確にこの国にも根付いている。魔族と宗教の摩擦、次代の王の問題。絶対に温和に解決しない物事は近々この国に血の嵐を呼び込むだろう。それをもう、一般人だからと見過ごすことはしない。ここから先、時代を作るのは俺の仕事だ。
「ソ様の娘として、そして地上最後の龍として―――」
俺は、自分の道を決める。
「―――この世界を征服する」
俺の発言にソフィーヤ神は困ったような、驚いたような、仕方のない娘を見る様な母の表情を浮かべた。
「やろう、ソ様。俺とソ様から世界征服始めようよ。今まで目をそらしていたもの、触れようとしなかったもの。その全部に手を伸ばして拾い上げながら世界を変えて行こう―――出来るさ、俺達なら」
だって俺達、親子じゃん。
最後の言葉を付け加えず俺はソフィーヤ神へと手を伸ばした。それにソフィーヤ神は一瞬躊躇いを覚えた。伸ばして良いのか、触れて良いのか。悩む様に伸ばした手を引っ込めようとしたから、
「異論は認めなーい!」
『あっ』
ひっこめようとした手を無理矢理掴んで、そのままベッドに押し倒すようにソフィーヤ神の胸の中へと飛び込んだ。恐らく地上で、歴史上唯一神をベッドに押し倒した娘という事になるのだろう。この不敬力MAXの行いを宗教家がみたら全裸で踊り出すレベルで発狂するのだろうが、ソフィーヤ神は押し倒された状態で一瞬だけぽかん、とした表情を浮かべてから破顔した。
『あぁ、もう、本当に……仕方のない子ですね』
愛の込められた呟きに、体を抱き返す。長らく誰かに触れず、触れられる事もなかったソフィーヤ神の手は長い時を経てようやく誰かのぬくもりを感じられる様になった。
俺はそれが正しい選択かどうかは本当に解らない。だけどきっと、全部必要な事だと思っている。じゃなければきっとこの世界は何にも変わらないだろう。この国も少しずつ血と暴力に呑まれて変わっていくのかもしれない。
だから立ち上がろう。きっと俺がそんな時代に生を受けたのにはそういう意味があるのだから。拾い上げられるものは拾い上げながら進んで。
ここから始める。
―――俺の世界征服を。
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国内勢力を見るだけで王国勢力(最大基盤)、宗教勢力(国外最大勢力)、魔族(戦闘力に最も秀でた勢力)、ふぁーさん勢力(一番認知されていない)という群雄割拠っぷりだったりする。
と言う訳で改めて、この小説はダクファン世界を暴力(力)と暴力(権力)と暴力(コネ)で生き抜いて行く話です。始めよう、世界征服。