「―――それで、貴女はどう思うクレア?」
王都アルルティアの通りを歩きながらついてくるクレアへと向けてそう問う。世界征服、言葉にしてみると壮大すぎて現実味がないだろう。だが神があの場にいたという事実は否定のしようがなかった。それはもはや人類に刻まれた本能だ。人理の神ソフィーヤは人を司る神である。そうであるが故に人は、本能的に自分の主を、王を、君主を、絶対神が誰であるかを悟ってしまう。だから神の身分を偽る事は不可能だ。私は扉を開けた瞬間にあっ、本物だ……と思ってしまった事を心の底から理解できなかったし、理解もしたくなかった。だけどそれが現実だ。
何が間違ってるかはよくわからないが、幼馴染の親友は実は神の子で龍だったらしい。
は??????
今更になってキレそう。キレる。キレた。そして冷静になった。歴史が今日だけで完全にひっくり返っている。だが重要なのはそこではないのだ。エデンがやろうとしている事、そしてそれを神が承認しているという事の意味―――これから世の中は荒れる。恐らくはエデンが思っている以上に、だ。その為には絶対に動く必要がある。だから、話題はクレアへと向けて振られる。
「どう、思うと仰いましても」
横を歩くクレアは答える。
「どうしようもありません。私はただのメイドです。平民として、ヴェイラン家に仕える者として主の意向に沿うのが職務ですので」
「真面目な返答ねぇ」
クレアの返答を聞けば真面目な従者だと思えるだろうが、それで満足できるはずもない。既に中央に来てからそれなりの時間を過ごしている中で、様々な疑問を覚えてはそれを呑み込んできた。世の中には疑問を覚えても質問しない方が良い事、質問しなくても良い事がある。エデン周りの事がその一つでもある。明らかに人ではあり得ない力、聞いた事もない能力、そして普通は出てこないアイデアを閃く頭脳は辺境の中でも特に特異な存在の一つだ。
彼女の持つ固有の気配と、時折見せる高貴な気配は決して普通の身分ではない事を証明している。普段は呆けている部分の方が多いが、それでも窮地や劣勢、或いは悪意が蔓延する様な状況下における気配は背筋を凍らせるものがある。それはエデンが抱える本質的な部分だと理解している。だから正直な話、彼女が神々に関連する存在だと暴露された時はそこまでの驚きはなかった。まあ、なんとなくだがああ、やっぱりそういうタイプの人だったんだなぁ……という納得の方が強かった。
「この問題はこの国の国民だけではないわ、世界全ての根本に関わる事でもあるのよ」
「それは、将来的な話をすれば世界に関わるでしょう。ですがそうなるのは私達の死後ですよ、お嬢様。実感が薄いと言いましょうか、今一要領が掴めません」
まあ、使用人として言われた事をするだけなので私は楽なのですが、とクレアは付け加えてくる。その言葉に足を止めてクレアへと視線を向ける。
「良い事、クレア。そういう事ではないわ。この問題は結果的に言えば神がその主権を天上から地上へと移譲させていると言う事になるわ……その意味が解るかしら?」
「……いえ、浅学なので私には」
「馬鹿なフリは止めて頂戴。貴女の正体は私、大体把握してるわよ」
クレアにそう告げて再び歩き出す。王都にいる以上、自分の本領は発揮できないだろう。所有しているコネクションの大半は何と言っても辺境やエメロードを中心にしている。この王都はアウェーの地になっている為、出来る事は少ない。それでも自分の出来る事から始める必要がある。
「そもそもお父様がエデンを信頼しているとはいえ、雇う為の金を持たせて身の回りの世話に従者を1人しか送らないのはおかしな事なのよねぇ……余程信頼しているのか、或いは試しているのか。まあ、両方なのでしょうけど。どっちにしろ1人で大半の仕事をこなせているから違和感を覚える事はなかったのよね」
「……」
「まあ、この話は良いわ。貴女の正体を暴いて仕事を邪魔したいという訳じゃないし。お父様の過保護っぷりには少々呆れるけど。えーと、それでそうね……これからの問題等に関しての話だったかしら」
クレアの反応を気にすることなく言葉を続ける。このクレアへと向けた話は自分の考えを整理する為の行いでもあるのだから、口に出して言う意味はある。今の時間帯、中央通りは人の往来が多く人の声なんて簡単に雑踏に紛れてしまう。そういう意味では静かで人のいない部屋よりも密談をするのには向いているとも言える。この状況であれば何を聞かれようが気にする人はいないし、会話を追う事も難しい。だから遠慮なく言葉を口にできる。
「クレア、これまでの時代、人類はどういうふうに進んで来たかしら?」
「それは勿論神意に従った発展です。我々は神々が用意された言葉に従って星の開拓と発展を進めてきました」
「そう、それよ。私達の時代、文明、文化……その根本にあるのは神意よ。人の時代とは言われているけど、私達の生活の根本にあるのは神々の意思で、それに従う事でこれまでの発展と栄華を迎えて来たのよ」
だけどよ? もし、それが根本的に間違っているならどうする?
私達の発展、それはどこまで正しいのだろうか?
「―――」
私のする話に、クレアは理解が至った。そう、これはそういう事だ。ソフィーヤ神は恐らく有史以来初めて過ちを認めた神になる。何が正しく、何が間違っているのか……それを裁定する筈の全能神が過ちを犯した上でそれを人の子……いや、この場合龍の子に正すことを認めたのだ。これが大きな問題を生む。
完璧だと思われた存在が間違いを犯して、その訂正を行おうとしている。それもその根本を崩すような事までして。エデンの存在、そのものが神々の過ちの証でもあるのだ。だがソフィーヤ神はエデンを決して排除しようとせず、愛し、慈しみ、そして認めた。
「神々ですら間違いを犯す―――神々が絶対ではない時代が来るわよ」
その片鱗は既に見えている。魔族たちだ。神々を尊重するが信徒ではなく、奉じない者共だ。この世界において基本的に全ての人々が何かしらの神を奉じている所、何も信仰していない魔族と言う存在は異端になる。だがそんな世の中に、神の過ちが証明されてしまうのだ。神が絶対ではない事、それは暗闇の中の光が失われる事に等しい。人は新たな光を求め、しかし自分の足で歩き出す必要が出てくるだろう。絶対が失われる恐怖というものはある、だが信仰が全てでもない。それが明確に見えてくる時代がやってくる。
「成程、お嬢様はその時代に先んじると」
「そういう事よ。無論、私はエデンを親友だと思っているわ。あの馬鹿が何かをやるなら私がいなきゃ話にならないでしょうね。だけど同時にこれはチャンスでもあるわ。これから始まる新たな時代、その波の最先端で舵を取るチャンスよ。遅れれば遅れるだけ後から来る混沌に呑まれるしかない所、それを最前線で乗り切る機会が得られるわ」
たとえ、エデンが立つことを選ばなくても、きっと結果は遅かれ早かれという所だろう。エデンの話を聞く限り、既に魔族には筒抜けになっているようだし、教会からも聖女認定されるのは時間の問題だろう。そうなれば魔族と教会の間でエデンの身柄の取り合いが始まるに違いない。そしてそうなった場合、エデンの正体が露見する事はまず間違いがないだろう。そうなってしまった場合、エデンには己の身を守るための下地が存在しない。この世の中で、龍が悪だと断じられる世の中で……果たして、どうやって身を守る事が出来るのだろうか?
「遅かれ早かれ、って奴よね」
エデンの正体を知れば素直にそう思える。彼女が平穏に暮らす方法なんてものはないだろう。今の世の中が龍の犠牲と神によって根底が構築されたものである以上、逃げ場なんてものはない。正面から向き合い、そして戦って行く事以外に。それは吹雪へと向かって踏み出して行くような行いだ。そしてきっと、その戦いは私達が寿命を迎えた後も続くだろう。
100年? 200年? それだけでは足りないだろう。エスデルを抑えるなら今の世代だけで十分かもしれない。だが安定させるには? 歴史の真実を周知させるには? 情勢を安定させるには? 他国へと働きかけるようになるには?
様々な事を考えて計画を進めようとすれば数百年なんて時間では足りないだろう。エデンが選んだのはそんな永劫の時を血と共に進んで行く道だ。
「なら友人として、そしてこの国の辺境を支える者の後継者として、私は私が成すべき事を成すわ」
「……お嬢様の意思は良く解りました。であるなら、1人の使用人として私は何も申し上げません。正直、この件は私の判断には手に余りますし」
「でしょうね。私でも正直手に余るわ。でも王室がまともに機能していない今、私達は私達で判断して動く事を求められているわ」
ま、と呟く。
「リアが知っているならエドワード様も知っているんだろうし、お父様もエドワード様経由でしっかりと知らされているとは思うけどね」
まあ、そこまで考える必要はない。自分は自分の仕事を果たす事だけを考えれば良いだろう。
「さて」
さて、と言葉を置いて息を吐く。
「アルド王子、夏の間は学園にいないって話だからたぶんこっちか王城にいると思うのよね。どうにかして捕まえないと」
政治、交渉、商業、領主としての教育を受けた私の分野だ―――正直な話、エデンにもリアにもそういう事をやる能力はない。いや、素質と言うべきものは持っている。だけど本人の性格がそういう分野には向かない。ならそれを担うのは自分だと思っている。だからこっちはまず、味方と派閥を作る。父に連絡を取り、辺境の意見を固めて、そして権力者とのコネクションを作る。
エデンもリアも夜までには何らかの成果を上げてくるだろうから、自分も負けてはいられない。そんな思いを胸に雑踏へとクレアを連れて紛れて行く。
進む先はまだ暗いが、それでも未来へと向かった一歩目を踏み出していることを願って。
―――俺はギュスターヴ商会、その主であるベリアル=ギュスターヴの部屋の扉を開けた。
「べさん、正々堂々と宣戦布告に来たぞ!」
「エデン様! お待ちください! 本当に、お待ちください! 止め―――」
プランシーの必死の制止を無視して執務室を開けての宣戦布告にベリアルは酷く驚いたような表情を浮かべてから、冷静さを取り戻すように軽く息を吐いた。俺の直ぐ横に立つプランシーは物凄い申し訳なさそうに頭を下げている。
「エデン=ドラゴン、それが貴女の本性か」
「猫を被っていた、というよりはベリアル氏には礼儀を尽くしたかったからね。そういう意味でなるべく丁寧に接したけど。まあ、これからはライバル同士だから対等な喋り方であろうかな、って」
どん、と勢いが付きそうな気配を出しつつ胸を張る。その言葉にベリアルは頷いた。
「成程、人理教会の件か。その様子から見るに、本気で相対しようと」
「然り」
俺の素早い返答にベリアルは言葉を失う様に黙った。困惑とも衝撃とも取れる様子にベリアルは言葉を選んでいる様に思えた。だから話は俺の方から続けることにした。
「いや、べさんには申し訳ないって気持ちはあるよ。ここまで凄く良くして貰ったし、丁寧な説明とかして貰っているし。魔族の未来を凄く思っている事も解ったよ。たぶんべさんに任せてれば俺の周りの人を含めて良い感じにして貰える気はするよ。べさん、怖いけど身内とか絶対に守らなきゃいけない相手には凄い優しそうな感じあるし」
「ならば、何故」
「他人に責任を押し付けて隠れる事なんて出来ないから。誰もが喜ぶようなハッピーエンドじゃないと満足できないから」
だから、と腕を組んで胸を張る。
「この星が正当に俺の物だと言うのなら、この混沌とした星を征服して再び俺の物にする。そして魔族も、異種族も、神も、人も、竜も。全部笑顔でいられる様な未来を創る事にする」
それこそが。
「このエデン=ドラゴンの夢であり、成すべき事である」
だから、俺はまだショックが抜けきらないベリアルを前に堂々と宣言する。
「正々堂々と宣戦布告しに来たぞべさん。べさんはべさんで頑張って魔族の未来を模索してくれ。その先で俺とぶつかる事もあるだろうけど……まあ、その時はお互いに恨みっこ無しでぶつかろう。その時俺が勝ったら俺は俺で魔族の皆もハッピーでいられる結末を用意しとくからさ」
これは自己満足だし、ただのケジメだ。それでも俺が行動を開始する前にしなきゃならない禊だ。
「ハッピーエンド目指して全力でぶつかろうぜ、べさん」
にかっと笑ってサムズアップを向ける。そんな俺の姿に頭痛を感じたのかベリアルは頭を抱えてデスクに頭を打ち付けた。
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と言う訳でご存じ、王国編ラスボスはべさん。ベリアルの方針とエデンの方針は魔族救済という点以外では絶対に交差しないので、この2人が別の陣営に立った時点で殺し合う未来は確定なのです。