「甘い夢だ」
深く息を吐いたベリアルが零した言葉だった。片手で頭痛をこらえるように頭を抱えながらも、視線は鋭く俺を睨んでいる―――その目は少しだけ動揺の色を見せていたが、それも直ぐに乗り越えている。ベリアルの人生経験は俺よりも遥かに長く、そして多い。それはつまりそれだけ多くの物事を見て、知っているという事でもある。俺がまだ数十年程度の人生しか送ってない事を考えれば、ベリアルの方がより多くを知り、そして答えを出せる事は当然だ。俺が思う事、その答えも理解しているのだろう。だからベリアルは断言する。
「貴女のその意思は理解した―――だがそれは所詮は子供が口にする夢物語でしかない。貴女は理解していない、この世に完全無欠のハッピーエンドなんてものは存在しない」
ゆっくりと、諭すようにベリアルが話を続ける。
「人は決して満足する事はない貪欲な生き物だ。どのような結果を経ても更に、もっと、常に先を求める本能が存在している。そしてそれは常に承認欲求で満ちている。常に何かしらを求める生き物が果たしてどうすれば納得し調和する事等出来る? 無駄だ、人を支配し満足させる事等。ハッピーエンドというものは最初から存在していない」
ベリアルはそう言うが、その言葉は強い。
「支配だ、圧倒的な支配。強者による統治と支配、それのみが人を律する。今の時代の人を、そして魔族を見るが良い。一体どこに互いを理解し合おうとする姿が見える? 人の愚かさは太古より何も変わらず、真実を求める事さえせずに盲目に破滅へと向かって進もうとしている」
「だから支配して導くべきだ、と?」
「そうだ。そうしなければならない。それ以外に未来はない。私はそれを良く学んだ」
ベリアルの視線が窓の外、図書館へと向けられた。その視線の意味がなんなのかは理解できない。だがベリアルが崩壊して行く魔界から此方へと民を連れて逃げて来たことはよく理解している。ベリアルは己の民を救わなくてはならない。彼には彼を慕う人々と、それを導く義務がある。だから彼は魔族と言う種の中にある自分を慕う者達を救う。その義務と役割に心血を注いでいる。そしてそれにはこの手段が一番だと判断している。
実際のところ、ベリアルの言っている事は正しい。
「まあ、常識的に考えればべさんの方が言っている事は正しいんだろうね」
「ならば」
「でも、もう我慢できないから」
話はベリアルが思っているよりも単純な話だ。
「べさん、俺は後一体どれぐらい犠牲が出るのを見れば良いんだ? どれだけ関係のない命を殺せば良いんだ? どれだけ身にかかる火の粉を払えば良いんだ? その度に罪無き命を奪ってしまうのに、どこまでこの悲劇は続いてゆくんだ? 慣れなきゃ駄目なのか、これに? 平気で命を奪えるようになるまで俺は続ける必要があるのか……? もう嫌なんだよ、無関係な人を殺す事も俺のせいで巻き込まれる事も」
ここまでそれなりに人を殺してきた。人じゃないものも殺してきた。だが何時だって命を奪う行いは俺の心を苦しめて来た。そしてそれはこれからも続くだろうと理解している。
「逃げる事は出来ないんだ、べさん。俺が逃げればそれだけ無関係の人が巻き込まれる」
「だから己が前に立つと? その考えは浅はかだ。貴女が前に立てば余計に貴女の周りが巻き込まれるだけだ。可視化された分、これまで見ていなかった者達まで貴女を見るようになるだけだ。考え直せ、今ならまだ軌道修正できる―――私なら貴女も、貴女の大事なものも守れる」
「でもそれでどれだけ国が荒れるんだ? 救われる人はどれぐらいなんだ?」
「貴女が前に立つよりは世は荒れない」
「かもしれない。だけどもう、隠れたまま何もしないのは出来ない」
「貴女は、自分の価値を見誤っている。貴女の存在は必要不可欠であり、同時に絶対に守らなければならないものだ。貴女が前に出る様な事を絶対に了承する事は出来ない。……頼む、必要なものは此方で揃えよう。貴女の周りの警護も固めよう。だから前に出る様な事は止めて欲しい」
祈る様なベリアルの声を前に、頭を横に振る。
「結局遅かれ早かれ、って話だったんだよべさん。べさんの描く未来は魔族を優先してる。そりゃあ此方を立てているし、配慮もしているだろうけど……根本の部分で此方側の世界の住人を下にしてるんだ。たぶん、犠牲を強いるなら魔族じゃなくてこっちの世界の住民って事になるんだろうな。俺にはそれが許容できないし、誰かを犠牲にして物事を進めるってやり方には納得できない」
せめてそうするなら―――俺が、その手を汚す。
「だから平行線だよべさん。俺は俺のやり方で世界をひっくり返す。そんでどうしてもぶつかる時が来たら本気でぶつかろうぜ」
俺の宣戦布告にベリアルは再び頭を抱えるように息を吐き、深く椅子に座り込んだ。片手で顔を抑えながら説得は無理だと悟ったのだろう、感情を整理するように数秒間黙り込む。それから手を軽く払った。
「……良い、好きにするが良い。王都にいる間は最低限、面倒を見よう。だがここを出たら最後、我々は競争相手だ、解るな? 容赦はしない。勝てば貴女を捕らえ、世間から隔離し、浮世から離れた地で大人しく暮らして貰う」
「俺が勝ったら政治とか商業の事全部べさんに投げて任せるな。俺、そういうの凄く苦手だから解る人材が欲しかったんだよね」
「……」
深い溜息を吐き出すベリアルはそれ以上、何も喋る様な様子を見せない。だから俺も軽く手を振ってからギュスターヴ商会を後にする。ベリアルの執務室に残されたプランシーが此方とベリアルを交互に見てから追いかけてくるように此方へとやってくる。ギュスターヴ商会を出た所で日の光を浴びて、背を思いっきり伸ばす。
「あー! 緊張した!!」
「エデン様、どうしてこんな事を……」
「俺がその必要があると感じたからかな。全部説明したところで理解されるとは思ってないよ。そもそもべさんの主張も、俺の主張もエゴイズムの極致って感じだからね。お互いに何を大事にし、何を重視するかって話だから」
ベリアルが重要視するのは魔族の民の安寧。ぶっちゃけた話、細かい現地民の犠牲に関してはそこまで気にしないタイプの人物だ。いや、それが必要最低限の犠牲なのかもしれない。そうする事で魔界の民を幸せにすることは可能なのだろう。だけどそれはあくまでも魔族から見た世界だ。此方の事はあまり考えられていない。それが別に俺は許せないって程じゃないんだが、不満だ。でもきっと、そのラインをベリアルは引く事は出来ないだろう。
そもそも彼の行いに正義なんてものは存在しない。彼は純然たる侵略者であり、征服者だ。これ以上の妥協は彼の民に犠牲を強いるということでもある。つまりベリアルから譲歩を引き出す場合、それは俺自身と俺の身内に関連する事でしか期待が出来ないという事でもある。
全く関係のない人への負担を止めてくれというのは不可能だし、そういう事を考える事自体おかしいのかもしれない。
だけど俺は、俺のせいで犠牲になる人や本来は死なずに済んだ人の事を考えると苦しいのだ。それが甘い考えだと言われるのも理解しているし、現実的ではないのも解っている。悪い事をした人間が罰されるのは当然だろうし、それが殺されるのもしょうがない事だ。
だがそうやって仕方がないと受け入れていった先にあるのはなんだ? 今の世の中を見てみれば解る。間違った信仰に荒れて行く世の中、俺は存在するだけで問題となって周りを危険に巻き込んで行く。
遠い、誰もいない場所へ逃げればいいのか? そんな事はない。そんな事をしても何時かは全て追いついてくるのだろう。ベリアルが俺を隠した所で、結局のところ俺は現実から逃げ続けるだけの人生を送る羽目になる。果たしてそんな生に一体どれだけの価値があるというのだろうか? 俺は、俺が産まれてきた事に意味が欲しい。意味があって欲しい。少なくとも呪われた命じゃない事を証明しなくてはならない。
あの神様を誰も救おうとはしない。
誰もあの女神を救ってはくれない。
この世で、唯一それが可能なのが俺なのだから。だから家族は、身内は、俺が助ける。世界も正す。その両方が出来る立場にある存在がこの地上では唯一無二、俺だけだ。
「だから理想を押し通すには自分の手を汚すしかないんだ。力のある存在はその手が汚れる事を厭うてはならない、ってね」
「エデン様、私は話を聞いた所で反対です。貴女はもっと穏やかに生きて行くべきです。そういう種だから、ではなく……貴女の生は長く、そしてこれからも多くの苦難と闇が待ち受けます。貴女の選ぶ道はこれから得られるはずだった多くの幸福と穏やかな時間を捧げる事で進む事の出来る道です」
プランシーは回り込んで、目の前で足を止める。
「そこに、貴女の幸福はありません。貴女が―――ベリアル様が選んだ道は、そういうものです」
「それでも、だ。それでもこのエゴイズムを押し通さないとたぶん俺は駄目になってしまう」
甘えて生きるだけの存在に成り下がってしまう。そもそも自分の住む国が荒れて行く姿を眺めるだけというのも許せない。このまま放置すれば王室は解体されてベリアルに乗っ取られるのだろう。既に彼の手によって薬も出回っているのだ、この国がどれだけ荒れるのかは見えている。それを見て見ぬふりをするのもまた難しいだろう。
結局、どこかで決着をつける必要はあるのだ……俺が俺という善性を抱え続けるには。
確かに、俺の行いは新しい悲劇を生むのかもしれない。だが悲観的になって何も行動しない事にどれだけの価値がある? 俺から言わせてみればクソだ。口だけ動かして体を動かさない様な連中に、俺は価値を見出さない。見ているだけなら誰だって出来る。だけどそれじゃあ何も変わりはしない。
結局、真実と今を知った所で選べることは今を変える事だけだ。目と耳を閉ざして倦怠に沈んで行く事なんて、矜持が許さない。
そう、矜持だ。俺だって若く、未熟だけど。それでも龍として受け継ぐ者としての矜持があるのだから。
「
「矜持、ですか」
溜息を吐いたプランシーは横に一歩退く。その横を抜き去るように歩き出せば、プランシーがついてくる。
「騎士である以上、矜持は解ります。ですがベリアル様と当たるのであれば味方も、資金も、戦力も足りません」
「金なら大丈夫」
「はい?」
「リアにお小遣い渡してカジノに行かせた」
「アレ? 適当に押したらなんかじゃっくぽっと? とかいうの出ちゃった」
戦力のアテはある。ベリアルに会いに行く前に連絡を送ったからたぶん一部は既に王都まで来ているだろうと思う。それとは別にコンタクトを取らなくちゃならない連中もいるだろうし、味方はここから何とか増やしていくしかない。そこら辺はロゼの仕事だ。彼女ならアルドの派閥を良い感じに取り込んでくれると信じている。まあ、最終的には俺が顔出しする必要があるだろうけど、アルドを神輿にするのは国内を平定するには必要な事だ。
「金も味方もどうにかなる。戦力はアテがある。それよりも今、やらなきゃいけないのは人理教会の攻略だ。一番急務になるかなぁ」
「一部はソフィーヤ神の威光を見せれば大人しくなりますが、中にはそれを疑う者も出て来るでしょう。全てを納得させることは難しいです」
「そりゃそうだろうな」
あの異端審問官達が引いたのは信仰心が強い連中だったからだ。だけど全ての信徒がそうという訳ではない。神の声が届かない事、そして神が直接人への干渉をほぼ行わない事を良い事に、俺がソフィーヤ神の祝福を見せた所で信じようとしない連中も出てくるだろう。それとは別に、俺が直接出向かなければ説得できないという効率の悪さもある。聖国なんて国があるんだ、俺が本国にいる連中を味方にしようとするなら連中を説き伏せる必要があるだろうし、態々そこまで足を延ばすのは危険極まりないだろう。
となると、ソフィーヤ神の名以外に武器となるモノが必要だ。決定的で動かぬ証拠。人理教会の間違いを突き付けてその前提を崩す一手が。
間違いなくソフィーヤ神の神性を殺す最大の一手、その証拠がいる。一番簡単なのはソフィーヤ神の声を聴かせる事だが、それは今の人類には不可能に近い。だったら見せるのは過ちの証拠だろう。
即ち、アルシエルの背信。
物的証拠としてそれを引きずり出し、衆目に晒す事。それが大事だ。そしてその為に必要な物はもう解っている。
「知ってるかプランシー? かつて龍の虐殺を命じたアルシエルと言う男は非常にマメな男だったって。悩み、苦しみ、しかし決して考える事を諦めなかった男は常に自分の考えや出来事を手記に書き記していたって事を」
天想図書館に背を向け、そして腕を組む。
「天想図書館からアルシエルの手記をサルベージして、公開する。それが人理教会の権威を崩す為の最初の一手だ」
資金集めはリアが。人材とコネはロゼが。
なら俺の役割は? リアとロゼには絶対に出来ない事はなんだ?
―――それは戦力と物証の用意。
勢力を切り崩す為の武器と戦力、それを用意する事が俺の仕事で役割。俺にしか出来ないパートである。
だから俺はこの天想図書館を攻略しなくてはならない。タイムリミットは王都滞在の間、ベリアル最後の慈悲が途切れるまで。それ以降はベリアルが先に確保するか、或いは邪魔をするだろう。どちらにせよ、
俺の世界を相手にする戦いはこの図書館を攻略しない限り、まともに始める事も出来ない。
感想評価、ありがとうございます。
これによって地域制圧型SLG化します。地域を制圧! 説得! 収入を得て派閥を強化しながら王国の覇権を握ろう!
王国編が終わったら大陸編ですね……。