―――グランヴィル家。
それが俺を助けてくれた家の名前だ。
領地を持たず……というより街を抱えられる程の大きな土地がない。土地自体は持っているのだが、そこから税金を取れる程ではないらしい。その代わりに過去、王家に対する貢献があって税を免除されている。その為、細々としたビジネスを通して生活をしているのがこのグランヴィル家らしく俺はそこでお世話になっていた。何故こんな事が解るのか、と言われるととても簡単な事で、
あのグローリアお嬢様が父親か母親を連れてあれ以来良く顔を見に来るからだ。何を気に入られたのかは解らないが、起きてからは頻繁に顔を見せては絵本を片手にこの異世界のアルファベットを教えようとしてくる。その傍らで自慢するように自分の家の事を話すもんだから、質問しなくても勝手に覚えてしまう。どうやらそれぐらい同年代の友人に飢えている所があるらしい。俺としてもその好意を否定する理由はないから、コミュニケーションが取れるように努力する為にもグローリアの話し相手は続ける事にした。
そして、そう、グランヴィル家だ。
グランヴィル家の住人は少ない。当主であるエドワード、その妻エリシア、そして娘であるグローリアがグランヴィル家の住人だ。それ以外にこの家にいるのはメイドであるアン、そして老執事のスチュワート。この5人がこの家にいる全員であり、この家と小さな土地を守っている人々になる。貴族とは言うが大きくはなく、そして別に富んでいる訳でもない。日々を幸せに、それとなく楽しんでいる人々だった。
それ以外の話は今はまだ、調べられる訳でもないので解らない。だがグローリアとやってくるエドワードは自分の生き方に困っているような様子を見せず、幸せそうにしている人物だというのが解る……本当に善良で、根っからのお人好しだ。そして質素な生活でも困る事はない、そういう一家の人たちだった。貴族、と呼ぶにはイメージから少々離れている部分はあるものの、助けられたのは事実だった。だから何かをするべきだと考えた。
好意に甘えっぱなしは、大人……いや、今は幼龍だが、それはそれとして人として恥ずかしいものだと思ったからだ。
4日目の朝、アンからもう自由にしても良いという許可が出た。漸くパジャマ以外の服装を着れるようになった俺はグローリアの服を渡されていた―――と言ってもパジャマも元はグローリアの物だったし、今更感はある。手渡されたのはシンプルな白のブラウスに濃緑のロングスカート。グローリアと俺の間には合計で十センチぐらいの身長差がある。それが如実に俺とグローリアの間にある年齢差を表しているのだが、俺の為だけに体に合った服を用意してくれというのは恥知らずすぎるだろうし、文句は何もなかった。
ただこうやって少女用の服と下着を用意されると絶句する部分はある。
「此方をどうぞ……どうされましたか?」
「う、うー」
着替えを用意してくれたアンの前で完全にフリーズする。完全にゲスト扱いなのか着替えを手伝おうとする意志まで感じられる。ただやはり、そんな経験はないし、自分の裸にだって未だに慣れてはいない。診断の為に定期的に服を脱がされてはいたが、それでもこれから本格的に女の子用の服に着替えるんだなあ……と思うとちょっと躊躇する。というか困る。
「わ、かった。着替え、る」
「はい、お手伝いしますね。それにしてもこの数日で言葉を学ばれるとは凄いですね」
言語に関しては理解するチートがあるから実はそこまで難しくはなかった。後は言葉を反復して、その音と翻訳した場合の意味を比べる。そうすれば簡単に言葉を学習する事が出来たのだ。まあ、とはいえ日本人が口にする英語の様なちょっと訛った感じになっている。まだ流暢に喋るのは難しい。
それはそれとして、着替えさせられるのだ。恥ずかしい。
「ヴー」
低い声で唸りながらパジャマを脱いで着替える。この歳ではまだブラジャーを付けないのか、付ける下着は下のだけだ。ただ履いてみると意外と生地の肌触りが良い様に感じられた。中世ファンタジーだったらもっと肌触りがごわごわしている物だと思ったのだ。だから意外と簡単に下衣を着用してから、ブラウスを着る。此方はボタンをアンが素早く留めて行く。慣れた手つきを見る限りグローリアの着替えを何度も手伝っているのが解る。そしてそこからロングスカートを履く。ズボンとは違ってスカートの下は風通しが良い。その為、パンツが外に出ているような感覚があって……ちょっと、というかかなり心もとない。
世の女性は可愛さの為に良くこんなもん履けるな、と尊敬を覚えてしまった。
ただそうやって思考にふけっている間に着付けをアンが一瞬で終わらせてしまい、数歩下がった所から観察してくる。
「良くお似合いですよ。ですが、やはりグローリアお嬢様と比べると身長が高い事もあってやや短く感じられますね」
「俺、歳、が上。たぶ、ん」
「えぇ、そうなのでしょう。体に合ったものは作り直さないと駄目でしょうね、これは」
そこまでする必要はないよ、と頭を横に振るがアンの方はやる気だった。どうやら一から服を縫う所までやる気のあるメイドさんらしい。地味に凄い技能持ちだなあ、なんて想ったりもするのだが……個人的にはちょっと服のクオリティ、というか着心地に驚いていた。デザインの方もシンプルではあるが中世で見る様なレベルの物ではないよな? と思っている。
思い出すのは俺を殺しに来た龍殺し達の装備品。
鎧や剣盾という武器を装着している連中もいたが、銃らしき武装を構えた奴もいた。明らかにマスケットとかフリントロックとかではなく、近代式の銃に近い造形をしていたのを見ると……意外とこの世界、科学力とか技術力が発達しているのかもしれない。少なくとも今着ているブラウスとスカートは結構心地よい素材と、比較的近代感のあるデザインだと思う。
意外と、進んでいる世界なのかもしれない?
部屋の中、着替え終わったので軽く体を回してみる。動きに合わせてスカートが広がるのはちょっと楽しい。それにブラウスが長袖な事もあって体の鱗の大半は隠せている。唯一隠しきれてないのは首筋の鱗だけだろう。これに関してはタートルネックでも着ない限りは隠せないだろうし、考慮するのはおかしい。それにしても白いブラウスって透けやすいもんだと思っていたが、不思議な力が働いているのか全く透けて見えないぞ。この下はノーブラなのでちょっと不安だったが問題なさそうだ。
「宜しい様ですね。それでは旦那様のもとへと案内します」
「うん」
こくこくと頷いて漸く部屋を出る事が出来た。窓から既に察していたが、部屋を出て広がるのは中庭の姿であり、満天に青が広がって見えている。白い雲が浮かび、その下で咲き誇る花々の庭園はちゃんと世話をされている物だと解る。中庭を囲む様に広がるこの邸宅、エドワードを求めて執務室の方へとアンが案内してくれる。
「綺麗」
「ありがとうございます、世話をしているスチュワートも喜ぶでしょう」
執事の爺さんが世話をしているのか。あの歳で世話をしているというのは中々凄いなあ、と思う。
そんな風に中庭の外周をぐるりと回って反対側へと行くと扉の前で足を止めた。こんこん、と二度ノックするとアンが声を出す。
「旦那様、ゲストをお連れしました」
「あぁ、待っていたよ。さあ、入って入って」
扉を開けるとアンが此方に入るように促してくる。それに従い中に入ると、貴族としての仕事を処理する為の執務室、そのデスクの裏で大きな椅子に座るエドワードの姿を見た。エドワードは待っていたよ、と柔和な笑みを浮かべながら付けていた眼鏡の位置を正す。
「さ、座って。立っているのも辛いだろう? アン、何か飲み物を持ってきてくれないかな」
「はい、少々お待ちを」
頭を下げてアンが去り、残された俺はデスクの前にエドワードが引っ張ってきた椅子に座る。まだ背が低いせいか、デスクがやや高く感じる。
「すまないね。本当なら手の空いた時に話をしたかったんだけど、お隣さんとちょっとこの時期は忙しくてね。まあ、うちは税を免除されていると言っても貴族の義務まで免除されている訳じゃないからね。少ない土地と人員でどうにか回していかなきゃならないから大変なんだ」
頭を横に振る。
「い、え。当然、だ、と……思い、ます」
「ははは、本当に君は賢い子なんだね? 子供にそう言われるのは初めてだよ」
だけど、さて、とエドワードが言葉を置いた。
「君も元気になったようだし、言葉も話せるみたいだ。本当ならもうちょっと時間を置こうかとおもったんだけど……どうやら僕が思っている以上に君は賢い子みたいだからね。少し、込み入った話をしようかと思うんだけど大丈夫かな?」
その言葉に頷く。当然、避けては通れない道だろう。俺も話をする事に異論はない。それを答えとしてエドワードはありがとうと答えた。
「さて、まずは君の事が知りたいんだ。ここ数日、とても不便だったし、そろそろ名前を知りたいんだけど……いいかな?」
名前。
前世の名前は存在している。だが果たしてそれが俺の名前か? と言われたらちょっと怪しい。だから頭を横に振ってこたえた。
「えっと、駄目って事かな?」
「違う。ない」
「ない?」
「名前、ない」
「あー……」
「今、考えてる」
「あー……成程ぉ……」
エドワードが両手で頭を抱えてしまった。まあ、嘘はついてないんだ、嘘は。俺に名前がない事は本当なのだから。日本人としての名前はある。だが龍娘としての名前はないのだから。だから今の自分に名前という概念はない。だけどそれを聞いたエドワードは困った表情を浮かべている。
「いや、その、ごめんね?」
無言でサムズアップを向ける。まあ、傷を負った少女が川で流れついて名前もないんだ。
そりゃあ頭も抱えるだろうよ!!
俺だってそんな展開になったら頭を抱えてるわ。
「あっ、うーん、どうしよ……出身とか聞きたかったけどこれ、聞かないほうが良い奴だよねぇ……」
「あまり、覚えて、ない。襲われた、覚えてる、ます」
「あ、うん、大丈夫だよ。もう聞く事ないからね、うん……どこぞの純人主義者の所で生まれたのかなあ? 鱗と角を持つとなると混血からどこぞの亜流魔族だとは思うけど。こっから夜の国も遠いしなあ……うーん、言語の方で出身も解らなかったし君も大概謎な子だねー」
そう申されても……。
俺だって滝壺ダイブしたら貴族に拾われているなんてラノベ展開されていて良く解らねぇんだわ!
ただ解るのは今の俺にどこかへと行くような当てがなく、ここでこの人の優しさに助けられなかったら死んでいたという事実だろう。今までラッキーの連続でどうにか命を繋いでいる状態だ。出来る事なら安定した生活を送りたいのが事実だ。そして自分の事を調べる。それが今の自分には必要な事だった。
と、そこでアンが飲み物を持ってきた。
グラスに入ったアイスティーを両手で受け取る。冷たく、そしてシロップの入った飲み物は脳の幸せ中枢を刺激してくれる。
うまー。
「参ったな、余裕があれば元居た場所へと返してあげるべきかと思ったけど……」
「傷の具合を見ている限り、恐らくあまり良い場所ではなかったのでしょう。或いはもう」
「そうだね……戻ろうとする意志も感じないし」
うーん、と唸りながら頭を掻くエドワードの姿を見て、思いついた。ここが言うべきタイミングなのだろう、と。行く場所もなく、やる事の当てもない。だったらなるべくここに住みつくのが正解だろうと思う。
「エド、ワードさま」
「ん? どうしたんだい?」
「ここ、で、働かせて、ください」
「え? あー……」
「俺、良く、働きます」
拳を握ってぎゅっとポーズを取る。それを見てエドワードがあー、と更に声を漏らして頭を片手で抱えた。
「あー、うん……そうだよねぇ。流石に異種族の子を誰かに預ける事とかは出来ないし、保護した以上ウチで面倒を見るのが筋だしね……」
「エドワード様、保護した時から覚悟しておいでだと思いましたが」
「まあ、それはそうなんだけどね。流石に見つけて元気になって大丈夫そうならさようなら、というのはちょっと人情味に欠けているしね。ただ思ってたよりもちょっと事情が重そうかなあ、とは思っているかな」
もしかして、俺、不審すぎ……?
いや、考えてみたら怪しすぎるじゃん俺。異なる種族! 怪我をしている幼女! 角がある! 言葉を直ぐに覚える! 帰りたがらない!!
あ、怪しい……! 滅茶苦茶怪しい奴だよこれ!
俺だったらまず何かを疑う所だろう。
「アン、どうだい? 彼女の事は」
エドワードの言葉にはい、とアンが答える。
「かなり賢い子です。仕事を教えればすぐに覚えるでしょうし、種族を考えれば肉体と魔導面でも非常に優秀に育つでしょう。スチュワートも後何年も働けるわけではありません。そう考えると今のうちに仕事の引継ぎ先を育てる事には大変意義があると思います。本人のやる気次第ですが、私の方としては人員の増加に異議はありません」
「それにリアの遊び相手も丁度欲しかった所だしね」
エドワードはそう言うとそれで、と言葉を此方へと向けてくる。
「どうだい? 頼めるかな?」
その言葉に、当然俺は頷いた。
「はい!!」
幼龍生活4日目。
就職に成功しました。えへん。
TS偽装龍娘従者生活の始まり。