―――3日目。
2日目の夜は麓の観測所へと戻って回収したデータを提供、それから三日目はロック鳥で中層まで乗りつけてそこからは徒歩で移動する事にしたが、
「いきなりのご挨拶だなあ、おい」
毛皮に覆われた人型の巨体―――目を輝かせながら読み込んだモンスター図鑑にはイエティと登録されているモンスターが中層に入って直ぐ、歓迎するように襲い掛かってきた。その片手に握られているのはなんと丸太だ。人の胴体程の太さの丸太を軽々と片手で持ち上げイエティは振り回してくる。足首から顔までの全てを白い毛皮に覆われたイエティと呼ばれるモンスターは地球上では伝説の生物扱いだったが、この大神世界においては降雪地帯や寒冷地帯で良く見るモンスターらしい。この雪山を下れば一切見なくなるこのモンスターはある意味、珍しいとも言えるのかもしれないが。
それでも襲い掛かってきた以上は敵だ。
口を大きく開けて威嚇するように咆哮するイエティの先制奇襲は突き出た岩場から飛び降りながら丸太を叩きつけてくるというもので、それに対する選択肢は逃げる事でも防ぐ事でもない。そもそも俺の感知範囲に入った時点で俺の知覚を誤魔化せない限りは即座に存在を把握できる。その為飛び降りてくるイエティの姿を視認しつつ大剣を一瞬で生成、飛び降りと同時に丸太と攻撃をマッチングさせ、
そのまま丸太諸共イエティを両断した。
断面を結晶でコーティングし、血を流さないように即死させつつ肉体を結晶で浸食して行く。この雪の大地に血が流れる事は一切ないだろう。こういう自然、野生環境に於いて血が流れるというのは肉食性の生物を大量に引き付ける行いだから、戦闘は血の匂いを拡散させないようにしなければならない。
「攻撃的な生物が一気に中層からは増えるんだな……空から乗りつけたのは失敗だったかなぁ」
空から降りてくるのって目立つしなあ、と思いながら挟み込む様に林から飛び出してくるイエティ達の突撃を飛びのいて回避する。降り立った場所がもしかして悪かったのかもしれない。観測員が把握していないだけでモンスターの生息域や縄張りが変動している場合もある。これは後でメモっておかなければなあ、と思いつつ襲い掛かってくる3体のイエティを見た。
「うーん、強さ的には“加工物”ぐらいかな……」
あまり強くはない。殺そうと思えば一瞬で殺せるだろう。先ほど斬り殺したイエティも既に全身が結晶化、その結晶も砕け散って大地へと還っている。白で薙ぎ払えば3体纏めて即死させる事も容易いだろうが、それを態々やる必要もない。イエティが丸太を振り上げて踏み込み、それから振り下ろしてくる瞬間が離脱のチャンスだ。連続で振り下ろされてくる丸太の動きを回避しながら大きく飛びのき、イエティ達から離脱する。
林の方へと視線を向ければ更に5体ほどのイエティが控えているのが見える。手の中にあるのは岩の塊で、それを投擲する準備に入っていた。
「おぉ、怖い怖い」
飛んでくる岩石を切り払って無効化しつつ、素早くイエティのテリトリーから離れた。
イエティ達が見えなくなるまで距離をあけてから一息をつく。観測所で受け取った地図を広げながらペンを取り出し、先ほどまでいた場所をマーキングする。
「ここはイエティの林、っと……前にはなかった事らしいから縄張り争いでイエティ達がぶんどったのか? まあ、何にせよここはもうランディングポイントとして使えないな」
ついでに言えば観測員からすれば安全な移動ルートの一つとしても認識されていた所だ。このまま行くと連中がイエティの群れに襲われる事になる。これは下山した時にちゃんと教えてやらないとならないだろう。マーキングと遠巻きにイエティの林を軽く撮って観測は終わり。ディメンションバッグの中に道具を戻し、大剣を担いだまま林から離れて事前に決めていた順路に沿って移動する。
下層と違って中層はモンスターがもっと攻撃的かつ強力になる。ここを安全に探索するには“加工物”の中でも上位の実力か、或いは“金属”でもないと辛いだろうと判断する。その原因は間違いなく下層よりもいっそう冷え込むこの環境と、下層よりも深くなった雪、そしてモンスター達の強さになるだろう。エーテル濃度が濃ければ濃い程モンスター達はその影響を受けて変異しやすく、そして強くなる。エーテルに影響を受けている生物は言ってしまえば
だからエーテルが濃い程活発になり、エーテルが薄い程能力が下がる。
そう言う意味では龍や魔族も生態としてはモンスター寄りなのかもしれない。俺達はエーテルの濃度によって調子の上下がある生物なのだから。そういう理由で俺の体の調子も、寧ろタウロ山に入ってからの方が良い。元々辺境は中央とかと比べればエーテルの濃い神秘の強い土地だが、こういう秘境は更に濃いから体が軽く感じ、呼吸も寒い筈なのに何時もよりも快適に感じられる。
或いはエーテルの影響を受けて更に濃くなった魔境程強くなるのが俺達という生き物なのかもしれない。
「きゅっ」
「おっと、今日のゲストは君かな? おいで」
イエティ達から逃走した所で今日は狐と出会った。中層でも活動している動物はいるんだなあ、なんて思いつつ手を差し出すと狐は雪の大地を蹴って一気に手に飛び乗り、そのまま腕を駆け上がって肩の上に乗っかってきた。首に巻きつく様に落ち着く姿に首元の暖かさを感じて撫でながら再び、中層の探索と調査に乗り出す。
今のところ、麓、下層での変異モンスターの出現は無い。変異によって発生したモンスターはどうやら生態系へのダメージも大きいらしく、ワータイガーやバジリスクの事を思い出せば周辺環境が大きく変わっていたのを思い出せる。こうやって動物たちがのほほんと自分に接してきているのを見る感じ、動物たちは自分たちに対する脅威みたいなものを感じていない。そうなると今のところは何も起きていない様に感じられる。
「まあ、それでも調査しなきゃならないんだけどね」
中層は下層よりも更に山の斜面を登った先にある大地だ。面積で言えば下層よりも狭いから探索範囲も小さくなっている。その代わりにモンスターの縄張り等の危険地帯が増えている。俺にとってはそこまでの問題ではなくとも、他の観測員にとっては問題だろう。連中の為にもしっかりと調査するとしよう。
それはそれとして、
「リア……大丈夫かなあ」
勉強用の資料とか結構残してきたし、アンがいるから大丈夫だとは思うが。それでもあの子、根本的に勉強が苦手というか嫌いだし。俺やエドワードがいない状況でちゃんと勉強しているのかどうか、不安になってくる。
「ちゃんと、勉強出来てるかなあ……」
「因数分解って何? 何で分解するの? 分解する必要ってあるの? 何で分解しちゃったの? 因数合体でも良いじゃない!」
「リア様……そういうものですよ。とはいえエデンが残したこの資料、少々レベルが高いと思われます」
「だよね、だよね!? 分解する必要ないよね!?」
「では諦めますか? 帰ったエデンがしょぼくれると思いますが」
「もおおお―――!!」
「……なんか、悲鳴上げてる気がする」
逢いたいなあ、と思う。3日も離れていると流石に恋しくなってくる。そう思ってしまうあたり俺もだいぶ甘いというか甘えている部分がある。普通に妹の様にリアの事を可愛がっている影響もあるんだろうけど、数日単位で1人で活動するのはそう言えば初めてだったかもしれない。今まで遠出する時は大抵エドワードと一緒だった。今回は初めて1人で数日間外泊しているのだと思うと、そりゃあ寂しいかもしれない。
「元気付けてくれるのか? ありがとうよ」
鼻先を首筋にこすり付けて慰める様な狐の姿に癒されつつさーて、と声を零して歩くペースを上げる。
中層の寒さは純粋な冷気から来るものだが、その中に異物が混ざっている。冷化エーテルの存在だ。上層から漏れた僅かな特異エーテルが風に運ばれて中層にまでやってきているらしい。その影響か、中層を探索していて初めて目撃する存在が現れた。
それは薄く輝く白い雪の結晶の形をしたエーテルだった。ふよふよと浮かび、意思らしい意思を持たずに空間を漂っている。生きている雪の結晶とも言える姿をしている存在、それはエレメントと呼ばれる純粋な属性の生物化エーテルだ。生物化、というのは少々おかしいかもしれない。何せエレメントに命はなく、属性とエーテルが強く結びついた結果現象として結合して発生するモンスターの一種なのだから。
「えーと、エドワード様が言うには意思みたいなものはなく、与えられた行動に対する純粋なリアクションのみを返すんだっけ……?」
別の属性を与えるとそれと結合した反応を返し、物理的な衝撃を受けると弾けながら周りに強化された属性を放つ。それなりにレアな存在であり、錬金術等で使われる素材である事からそこそこの高値で取引される物の1つだったはずだ。
「臨時収入、臨時収入」
これは儲けだぜ、と結晶の檻を生み出してスノー・エレメントを閉じ込め、外部からの干渉を受けないように保護する。そうやって取得したエレメントをバッグの中へと保存する。これで下山したら報酬とは別に臨時収入を獲得できる。
確かこれ1個で3000ぐらいだっけ? 流通価格がそれぐらいなので素材として大量消費する部類だと考えると結構高価だ。これがMMOだったら大量採取してマーケットで売りさばくんだけどなあ。WIKI見て、採取ルート構築して、戦闘エリアを駆け抜けながら採取ツアー開催! マーケットで職人プレイヤーに売りさばいて収入ゲット!
……って、やっているのだろうがここはリアルだ。そう都合よくリスポーンする訳でもない。エレメントはエーテルと属性の結びつきによって発生する現象だから見つけたら確保しても問題ないのだが、他の自然素材はそうもいかない。根こそぎ奪って行くとその内絶滅してしまう。その為、探索地における採取は必ず最低限繁殖のための数を残してゆくのがマナーだったりする。
まあ、環境壊して最終的に困るのは自分だしな。
「さーて、次はどこへ行くかな。中層のランドマークは……牙の岩、洞窟、んで氷結した湖か。山の中に湖があるってのもまたおかしな話だけどな」
この特殊な環境と形状だから成立しているのだろうか? まあ、たった3か所なら走って向かえば今日中にはケリがつくな。そう思って地図を再びバッグの中に戻した所で、
―――視線が自分へと向けられるのを感じた。
反射的に視線を上層へと向け、大剣を握る手に力を込めた。ワータイガーやバジリスクよりも強い敵意の視線が俺へと今、上層の方から向けられたのを確かに感じた。何かが俺を窺った。そしてそれは俺を排除しようと考えている。それだけが今の一瞬で感じ取れた。首に巻き付いている狐も今のを感じてしまったのか、体を僅かに震わせている。それを宥める様に軽く撫でてから視線を上層へと向けたままにする。
「ん-……下層中層は問題なさげで上の方になんかいる?」
上層は観測員たちではあまり踏み込む事の出来ない領域だという話だ。もしかしてあっちに何かいるのかもしれない。エーテルの濃度が上層の方が上だと思えばありえなくもない話だろうが―――さて、中層と上層、どっちを優先すべきか。
今ならまだ上層から向けられる視線を追って追撃する事も出来るかもしれないが、中層の調査を終えている訳じゃない。だが中層自体はそこまで重要度が高くなく、観測員たちでも準備をちゃんと整えれば調査出来る範囲だ。だけどさっきのイエティの群れみたいに生息地が変わっているケースもある。その場合、俺の怠慢が彼らを危機に陥らせる場合があるのだろう。
そう考えるとちょっと判断に悩む。
「……いや、山から逃げられはしないんだ。この山からは。だったら今は上層を後回しにしたほうが良いな。先に中を終えてから明日、改めて上層の調査に向かうか」
ついでに上層に何らかの異常があるかもしれないと麓で報告して来よう。幸い、俺のフットワークは軽いので中層から下層までほとんど滑りながら行く事も出来るし、夜を雪山で過ごす必要はないのだ。第二観測所や第三観測所を利用する必要はない。
そうと決めてしまえば行動は早い。首に震えながら抱き着く狐を軽く掻いて落ち着かせながら雪の中を歩き出す。上層の方から向けられる視線は俺が恐らく感知範囲内に入った瞬間から常に向けられ、少し距離をあけてもずっと向けられてくる。まるで本能的に何を恐れるべきか一番理解しているかのような視線だ。
別にこの景色を見て歩く事を見る事が暇だとは言わないが―――それでも、張り合いが出てきたな、と密かに思いつつ中層の探索を再開した。
感想評価、ありがとうございます。
触れられない、変えられない、どうしようもないからこそ絶望は絶望と言うと思っています。つまり武力でも人脈でも運でも抗えないものだけが絶望と呼べるんだなあ、という意見です。
そんな三日目。