「―――行け、狼共、喰らいつけっ……!」
イルザの号令の下、放狼の団が戦闘を続行する。ブラッドマントラップとは即ち人食い花のモンスターである。かつてエデンが花畑で相手をしたモンスター、その巨大化、広範囲版でもある。植物型モンスターの恐ろしい点は成長する事でその領域が広まる事、人体に有害な環境を生み出せる事、そしてその繁殖能力の高さ。言い換えれば寄生能力とも言える。その為、マントラップ系統のモンスターと戦う時は常に奇襲、花粉、そして寄生に気を付けなければならない。
故にこの手のモンスターとの戦いにおける装備は限定される。
吸い込まない様にマスク。
目に入らない様にゴーグル。
触れないように手袋。
場合によっては全身を覆う防護服タイプの防具さえも必要になってくる―――故に割に合わない。この手のモンスターの討伐は基本的に大損前提であり、赤字に繋がる。だからこそ率先して戦うものに尊敬が集まり、名声も高まる。だがそれは裏を返せば面倒で凶悪な相手である事を証明する。何よりも討伐対象であるブラッドマントラップは対人を学習したモンスターだ。人を殺すのに慣れ、人の味を覚えたモンスター。
人を殺すのに直接致命傷を狙う必要はない。
マスク、ゴーグル、防護服。それのどれかを破壊すればいずれ死に至ると覚えた。故に討伐難易度はワータイガー、バジリスクを含めて一番高い物となっていた。大量の根とダミーとなる花、そして本体は本来マントラップを護衛する筈だった変異モンスターに寄生する事で強化されている。
元々は巨大なサソリ型モンスターだったものはブラッドマントラップの本体が寄生する事でその体に鋏と尾以外にも触手を生やし、本来のマントラップには存在しない機敏な動きを手に入れた。その上で株分けで生まれた分体が周辺に麻痺性の花粉をばら撒いている。狙っているのはマスクで、それさえ破壊してしまえばほぼ無力化も達成する。効率的に人間を狩る事を学習した個体はその難易度が本来のそれよりも激増する。
放狼の団が相手しているのはそう言う相手であり、
―――戦線を支えていたのはガルムだった。
右手にブロードソード、左手に先ほどまで生きていた戦友の剣を。それを両方とも逆手に構えながらサソリに寄生したマントラップを相手に渡り合っていた。凶悪とも呼べる鋏の殴りに剣で弾く事で対応し、尾と触手の追撃をステップで回避しながらカウンターを入れる隙を窺い、出来た間に味方を通す。シンプルな動きは元々ガルムの出来るものでもあったが、その動きの完成度は段違いだった。
……動くっ! 体がイメージ通りに―――!
ガルムの体の中を力が漲る。その理由は語るまでもなく、身に新しく刻んだ入れ墨が原因となっていた。それがガルムの力を更に引き出し、今まで以上の身体能力を発揮させていた。それこそ本来の経験と才能を合わせ、“金属”の中でも最上位と呼べる部類に踏み入っていた。
そしてそれに奮起するように狼たちが食らいつく。栄光へと向かって。勝利へと向かって。
盲目的に。
その背中を信じて。
―――?日目。
「あーっはっはっはっは! 迷ったわ! 何時間うろついてんだこれ!」
げらげら笑ってから冷静になって頭を抱えて蹲った。暗視があるから良いものの、完全な闇の中を1人で歩き回っているのは明らかに正気の行いじゃない。しかも時計なんて便利なものは当然持ち歩いていないから今の時間が解る訳がない。1時間か? それとも10時間か? 或いは丸1日歩いていたかもしれない。時間感覚があいまいな上に下へと移動したか、それとも上へと移動したのかさえも良く解らない。少なくとも最初にマーキングした地点からは少し下がっているようには思えるが、距離も離れているようには思えない。
この入り込んだ空洞から伸びる洞窟が、上へと向かったり下へと沈んだり複数に分岐して複雑な道筋を見せているのがそもそも悪い。しかもこれ、地図に記されていない洞窟らしく今のところ出口らしき場所が見つかっていない。無理に壁を粉砕すれば山雪崩をもう一度起こす可能性もあるので、素直に出口を探して歩き回っているのが現状だった。
幸い、龍に窒息死とか餓死の概念は通じない。エーテル食ってればまあ、平気という感じなので特に焦燥するとか疲れるという事もなく歩き続けられている。だが完全な闇の中、道標となるものが何もないのは精神的にキツイ。時間の感覚が完全に薄れて行く中で自分が出来るのは頭の中で妄想を膨らませて暇を潰すか、或いは歩きながら魔力の鍛錬でも行う事ぐらいか。
こんな場所があると解ってて引きずり込んだのであれば本当にあの上層のモンスター共はえげつない。まあ、多分ここら辺は偶然だと思うが。そこまで賢くはないと思う……流石に。
とはいえ、キツイ。反射的に暴れて壁を突き破ろうかと考える程度には。自分がどれだけ進んでいるのか、どれだけの時間を過ごしているのかも解らない。時間が経とうが平気な体をしているから危機意識というものが芽生えにくいのも厄介だ。場合によっては本当に丸1日彷徨っている可能性すらもある。
「ふぅー……酸素はあるし、エーテルはかなり濃い。死なないのが唯一の救いだな」
とりあえず、行ける範囲まで進めてから出口がなければ戻る事を考慮しよう。少なくとも入ってきた道はマーキングしてあるから、戻る事だけなら出来る。問題はそれがどれだけの時間がかかるか、という事だろう。ぶっちゃけ、時間を測る道具がない事がここまで不便になるとは思いもしなかった。それにタウロ山にこんな大空洞がある事も。誤算だらけだが……こうなってしまったのは自分の詰めが甘かったからだろうか?
「いや、雪崩なんて誰が予想できるんだよ」
アレはしゃーない所だったかもしれない。次回はちゃんと対策を取っておこうと決めた。
何時間歩いたのかは数えていない。1時間ぐらい数えた所で意味がないという事に理解を得てしまったからだ。ただ解るのは洞窟に終わりが見えないという事と、洞窟が徐々に上へ、上へと向かっている事だろう。途中真上へと昇る必要のあった坑道もあり、かなり道が複雑かつ面倒な事になりつつあった。そして中央から上層の狭間まで上がってきているのか、エーテルが寒冷化を始めていた。未だに出口は見つからず、入ってきた場所も遠くに感じるようになってきた。このまま距離をあければ戻るのが難しくなりそうだが……果たして、進むべきか戻るべきか。それが悩ましくなってきた。
「上へ行けば行くほど横の面積が減って行くから壁に近くなるのは事実だし、ある程度の厚さだったら砕いて通れるだろう」
少なくとも岩の斜面とかに出る様な所だったり、天然の出口が用意されている確率は上がる程増えるだろう。この坑道や洞窟は恐らく山に巣食うワームが原因だと思っている。あんな連中でも息継ぎの為に地上に出る必要はある筈だ。どこかに息継ぎ穴がある……と良いなあ……とちょっと希望的観測込みで思っている。だから上へと行けば行くほど脱出できる可能性は大きくなってくるが別に確実という訳じゃない。
「だけど入口を見失う前に戻って脱出ってのもアリなんだよな」
俺が入ってきた入口は雪崩の下だ。かなり高い位置に穴があり、そこから落ちて来た。つまり天井までなんとか昇って戻らなきゃならない事が第一にある。次に穴を塞いでいる雪と氷をなんとか排除しなきゃならないのが第二にあって、第三に上のを退かした勢いで雪崩が再発しない様にしなきゃならない。上層から凄い勢いで滑ったから恐らく下層まで一直線に呑み込まれているだろうし、ここで下手に積もった雪をふっ飛ばして脱出したらそのまま麓まで止まった雪の流れが再び滑り始めるかもしれない。
「丁寧にどかせる気がしないんだよなあ……」
悩ましい……とはいえ、無事に家に帰らないとリアに泣かれる。それだけは避けたい。もう既に服がぼろぼろだから新調確定という所も中々辛い。これは費用を領主に請求する事が出来るだろうか? 出来ると良いなあ……俺の動きについてこれるレベルの服、中々高いし頼める相手少ないんだよね。
またタイラーさん過労死するかなあ……。
考えが逸れた。
で、進むか戻るか。戻るならそろそろ戻る事を考えなきゃいけないが―――折角ここまで来たんだ。行ける所まで行ってみるか。
即決即断。同じ道を通らない様に魔力でマーキングを行いつつ前へと向かって進む。
出口はまだ見えない。
たぶん、というか確実に日付が変わっている。だがその証拠となるものが何もないから確認のしようがない。歩くペースを早めているが、あまり衝撃を与えたくないから走ってはいない。山を走る時は全力ダッシュや跳躍が出来るから割と時間の短縮が出来るが、こういう洞窟内部だと嫌でも慎重になるから速度が殺される。
お蔭で暇な時間に嫌な事を色々と考えてしまう。
どうして俺がこの世界に転生したのか、とか。
どうして雌龍として俺が生まれたのか、とか。
同族たちは何故自分の意思で死を選んだのか……とか。
やっぱり雌龍で生まれてきたのって同胞を産めよ増やせよって意味なのだろうか? それとも俺が偶然転生した肉体が単純にこれなだけだった? そもそもなんで転生したのか、死因諸々含めて完全に謎で自分にその意識がない。何故こうやって異世界転生を果たしているのかが良く解らない。ソフィーヤは勧誘.bot化しているので役に立たないし。或いは信徒にならないと助けられないってルールでもあるのかもしれないが、それにしたって日本人的感覚として信仰に全てを捧げるのは抵抗感がある。
特に神が実在するなら。
「さっむっ」
進めば進むほど上がって行く洞窟。温度はどんどん冷え込み、そして山の中心、或いは高層の芯とも呼べる場所へと近づく程この寒さは増している様に感じている。或いはこの冷気を生み出す様な何かがこの山の中、中心にあって洞窟から繋がっているのかもしれない。何にせよ、今の俺には関係のない事なのだが。重要なのは出口だ。
出口。出口。出口。出口。出口。出口。出口。出口。出口。出口。出口。出口!!
頭がおかしくなりそうだ。
ごめん、嘘。精神耐性万全なので狂えません。
「だけどこうも殺風景でやる事もねぇと確かに暇で暇でしょうがないんだよなあ。クッソ……剣ぶん回して解決する事ばかりじゃないって証明されちまったなあ」
これは反省すべき点だろう。明確に自分のミスだ。反省した。反省したからそろそろ出口見えても良いんだぜ? なあ! ソフィーヤ! 見てるならちょっと出口教えてくれないか! 出口ラップ歌うからさ!
「デッデッデッデ出口! デッデッデッデ出口! クソみたいな歌詞しか浮かんでこないな。クソが」
あー! 帰ってリア抱きしめて頬擦りしたい。この空間ひたすらストレスが溜まり続ける。そもそもなんで俺が申し訳なく思わなくちゃいけないんだ? 上層モンスターがカスなのが悪いんじゃないか? アイツらがランドスライドとかいうクソ技使って場外乱闘してくるのが悪いじゃん? そうじゃん! 全部上層のモンスターが悪いじゃん!
へへへへ。
「……ん!? 風の気配ッ!!」
僅かな空気の流れを感知した瞬間、一瞬でダッシュして風の流れへと向かって突貫した。長く続いた洞窟の終わりに到着しつつ、自分の目指した終わりが岩によって塞がれていると把握した瞬間、
それに正面から大剣を構えて突進した。
当然、岩が砕け散った。なんか後ろで轟音聞こえてるが知らん知らん。考えたくない。岩を粉砕して飛び出した先に広がる薄暗い雪の大地。極寒と上空で渦巻く暗雲。
俺は漸く、あの暗くクソつまんない空間から解放されたのだ。余りの喜びに大剣を手にしたまま両手を大きく空へと投げ出し、
「やったー! 脱出したぞー! ありがとうー! 世界の全てよ! 命の全てよ! ありがとう! そして上層のクソモンスター共―――!」
一息呼吸を入れて、雪山に響く様に大声を放つ。
「テメェらに対する殺していいか、なんて葛藤はねぇ! 今日! この日! お前らが絶滅すると俺が決めた! 今夜はフカヒレだああ―――!!」
おこだよ。凄いおこだよ。激おこだよ。
お前らマジで見てろ。今から絶滅させっからよ……。
感想評価、ありがとうございます。
だがそれがエデンの逆鱗に触れた。