―――貴族の三男坊に受け継ぐものなんてほとんどない。
長男が家を継ぎ、次男が婚姻に出され、三男は余る。三男は言ってしまえば長男か次男のスペアでしかないのだ。だが貴族社会においてスペアの重要性は高い。家が断絶する事、それが貴族にとっては最も恐ろしい。だからこそ貴族は基本的に三男ぐらいまでは用意する。そして長男から三男まで子供の出来を見て、増やすかどうかを選ぶ。そして長男で成功すれば残りは政治の道具に使ってしまえば良い。そうすれば家に対するメリットが生まれる。だがそれすら出来ない弱小貴族家はどうなる? 財産と家を継がせた先で何が出来る?
腐るだけだ。腐らせるだけ。小さな家に婚姻を結ぶだけのコネも無ければ余る様な財産もなく、腐らせるだけでしかない。長男で成功してしまえば次男と三男は用済みになる。だから継承する財産のない、家にもいられない三男坊というのは将来が悲惨に尽きる。早いうちにそれを見極め、自分で未来をどうするかというのを見出さない限りは。
俺はそんな三男坊だった。
家に居場所はなく、行く場所もない。生まれて早々そんな運命を定められ、育てられながら聞かされる。ひねくれた性格に育つのもしょうがない話だった。あぁ、自覚している。俺はそんな良い男じゃないと。それでも必死だった。これから自分がどう生きてゆくのか、それを決める必要があったから。だから俺は自分の未来を必死に考え、そしてその事実に絶望していた。教育は受けた、だがそれで何かが特に出来るようになるという訳ではなかった。教育はあくまでも教育だ。そこに明確なビジョンが存在しなければただの虚無だ。中身のない情報を詰め込んでも風船を膨らませるだけでしかない。
だから俺は若い身で世界に対してある種の絶望を抱いていた。何故長男が大丈夫だと判断した時点で俺を産んだんだ? 長男が利発だと判断してから俺を仕込むまで余裕があった筈だ。なのになぜ俺を産んだ? もしかして関係ないのか? 遊んでただけなのか? どうして俺にこんな苦痛を与えるんだ。こんなに悩み苦しむなら生まれなければよかった。そう思い、呪ったことさえもある。だが結論から言えば俺の呪いも苦痛も、ある日を境に全て吹き飛ばされた。
彼女に―――イルザに出会ったからだ。
彼女は俺と違った。彼女は平民だった。平民の女は更に人生における選択肢が少ない。最終的には結婚して誰かの夫として家を支える事は宿命だ。それこそ職業選択の自由なんてものはエスデルや帝国を抜きにすればこの世にはほとんど存在しない。アレほど先進的で思想が自由な国はこの世でも珍しい。そんな自由思想とは縁遠い国に生まれた俺達は何をするにも不自由で、未来さえも不自由だった。
だが彼女は平民という泥の中で生まれた宝石の原石だった。
彼女は輝いて見えた。何時も全力で他者を想い、助け合い、そして背筋を伸ばして必死に自分の出来る事をやっていく。そんな彼女の姿を見るのが好きで、彼女がそのまま世間の常識というものに轢き潰されて行くのが我慢できなかった。言葉には出来ない魅力が、カリスマが彼女にはあった。毎日を必死に生きて行く姿、それは未来への希望を失った人間が決して持たないものだったのだ。だから俺はどうしようもなくイルザに惹かれた。
きっとそれは一目惚れだったのかもしれない。
ああ、きっとそうなのだろう。だから思った―――このままではいられない、と。
冒険者として立身する事を選んだのはそれからで、俺がイルザを誘ったのはその時だった。周囲からは猛反発された。冒険者も傭兵も、まともな人間がなるもんじゃない。貴族から見ても家の者が冒険者や傭兵になるのは何をどう見ても
だがイルザは俺の手を取った。俺も家とは絶縁して傭兵の道を選んだ。それは俺達が求めた何よりもの自由だった。未来があるかどうかすら解らない自由の身……だがそれは元々同じものだったのだろう。俺達は最初から自由のない身分で、未来なんて存在しなかった。だけど今度からは自由の身分で未来が存在しないのだ。生きるのも死ぬのも己の意思次第。それは社会のシステムに組み込まれた形で死んでゆくよりは100倍マシだと思えた。
あの時、何故イルザが俺の手を取ったのかは解らなかった。だけど彼女は俺のつたない誘いに笑顔で応え、手を取ってくれた。
俺は彼女が宝石の原石だと信じている。何時かは誰にも負けない宝石の輝きを見せるのだと。それを信じ、狼となる事を選んだ。そう、狼だ。群れど孤高、気高く、美しく、そして強い。自然の中であっても力強く生きて行く獣。俺は狼になりたかった。放浪する狼になりたかった。家はない。だが家族はここにある。誰よりも美しく、そして力強く、旅をしながら生きて行く。
それが俺達にとっての何よりの自由だったから。
だから上を目指す。目指せる所を限界まで求めて。名声を稼ぎ、見下して来た連中を見返す。そしていつか俺達が積み重ねてきた道が―――俺達という原石を磨き上げて宝石の輝きを引き出すのだと信じて。
信じた。
信じている。
積み重ね、信じた先に俺達が辿り着くべき場所がある筈だと。だとすれば―――これは一体なんなんだ? 俺は何をしている? 何故押さえつけて組み伏して、俺の下で彼女はただの女として消費されているんだ? 俺は、何故こんな事を始めたんだ? 何故こうも今、悲鳴と怨嗟と笑い声と怒号で―――こうも、怒りと悲しみで溢れているんだ?
あの日目指した輝きは、一体どこへ消えたんだ―――?
何故、狼たちは狂ったのだ。
どこで、俺は―――狂ったんだ―――。
数時間前に
「出現したモンスターは恐らくプラチナ以上はあるかと」
「何? “金属”の中でも上位や最上位に入る部類だぞ? それが唐突にルミネラに出現したのか?」
「はい」
「はい、じゃないぞっ! 原因は解らないのか!?」
「も、申し訳ありません。ですが伝令の時点では何とも……」
使用人はサンクデルの剣幕に圧され気味だが、サンクデルも片手で頭を抱えながら少し冷静になった。俺とエドワードは唐突の報告に口を挟めずにサンクデルの決断を待つが―――正直、俺の心中は穏やかじゃなかった。冒険者ギルドにはそれこそ強い人が何人もいるという事は解っている。俺が来る前からずっと冒険して来た人達だ。俺より経験があり、そして生き残るすべを知っているだろう。だがあの街には知り合いが多くいる。
仕立屋のタイラー。ギルド受付のウィロー。夢を見たばかりのアイラ。他にも街で世話になった人々は多くいる。辺境ではそういう助け合いで生きて行くのだ。魔族連中はどうせギャグ補正かなんかで死ぬ事がないだろうから一切心配する事はないが、それでも他の街の人々が無事かどうかは凄く心配になる。俺の様に何を受けても無敵ってタイプの人間は少ないんだ。あの街がこういう風に燃える、なんて考えもしなかった。
「どこの馬鹿がこんなことをやらかしたのは……街中に出現するなんて誰かが持ち込みでもしない限りはありえないぞ」
「或いは、モンスターが人間に扮していれば話は別かな」
「―――!」
エドワードの言葉にサンクデルは顔を上げ、エドワードの方へと視線を向けた。エドワードの言葉で思い出されるのは数年前の鉱山での出来事だ。未知の技術によってモンスターに変身する能力を得た人間達が存在した事実は関わった人間すべてにとって驚きだった。だが考えてみればそうだ、衛兵がいる環境でそう簡単にモンスターが街中に侵入できるとは思えない。あり得るとすれば同じようにモンスターに変身できる人間がいるか、或いはモンスターを直接街中に召喚出来る様な奴がいるか。どちらにしろまともな手段ではないのは確かな事だろう。
「あり得ると思うかエドワード?」
「どうだろうね……僕はあり得なくもないと思うよ。ただもし、この方法でのテロが成立するならこの世に安全な都市はなくなるね。何らかの手段で人とモンスターを探知する手段を生み出さない限りは」
「クソ……何でこうも頭を悩ませる事が立て続けに起こるんだ。変異モンスターの出現だけでもかなり頭が痛いのにな……軍を動かす。直ぐに準備させろ」
「はい、直ちに」
サンクデルの指示を受けて使用人は素早く軍の準備をする様に隊長へと連絡しに行ったのだろう。退室するのを見て、サンクデルが視線を上げた。
「すまない、エドワード」
「気にしないでくれサンクデル。あそこには普段から世話になっている人たちが多くいるんだ、僕も行くよ」
「ありがとう、エドワード。エデン、君も可能なら……」
エドワードに軽く頷きで感謝を示すと、今度は此方へと向いた。言いたい事は解るし、その答えは既に用意してある。
「いえ、俺からもお願いします。あの街には友人がいるんです。それを見捨てて待つというのは俺にはできません。いえ、寧ろ行かせてください。俺ならロック鳥に乗って数倍の速度で先行出来ます」
「あー……アレかぁ……」
ロック鳥の事を聞いているのだろう、サンクデルはロック鳥での移動を考えて表情を顰めると、悩む様に視線をエドワードへと向ける。サンクデルの視線を受けるエドワードは頭を縦に振る。
「僕はエデンの強さに自信をもって頷けるよ。救援に先行させるだけでも大きな効果はあると思う。僕個人はあまり賛同しないけどね」
「それは何故だ?」
「辛いものを見るかもしれないから」
「ふむ……」
エドワードの言わんとするところは理解出来た。だがそれはそれとして、俺自身ここでのほほんと待っている事は苦痛に近い事だった。出来たら街へ―――みんなが戦っている戦場へと向かいたかった。自慢ではないが、俺は強い。強さだけを基準とした相手であれば何であろうと勝利するだけの自信がある。
「お願いします。軍を動かすには準備と移動時間がかかりますけど、俺1人なら速度が出せます……今なら間に合う人が助けられるかもしれないんです。サンクデル様、お願いします」
力があるのに何もしないという事は出来ない。それは見捨てているのと同じことでしかないのだから。だからお願いします、と頭を下げる。それにしばし無言が生まれ、サンクデルから声がする。
「……解った。許可しよう。ただし、助けられる人よりも自分の事を大事にするんだ……解ったかな?」
「はい、ありがとうございます。それでは早速行ってきます」
サンクデルの許可を得られた瞬間俺は部屋を飛び出す。中庭へと向かえばロゼとリアの姿があり、俺を見かけると手を振ってくるが直ぐに俺の表情に首を傾げる。
「久しぶりねエデン……ってどうしたの、焦った表情をして」
「街がモンスターに襲われてるって。ごめん、助けに行くから遊べない」
「じゃあ頑張って助けないとね」
リアは残念がる事もなく、迷う素振りさえ見せずそう答えてくれた。それに俺は申し訳なさを感じてしまう。本当なら今日から一緒に遊べたのに。こっちの都合で約束を破ってしまう。どうやって謝ろうかと思うも、リアは両手を伸ばして頬を包み込んでくる。
「大丈夫。少し寂しいけど、エデンの帰る所は私のいる所だって解ってるから。何があってもエデンは帰ってくる。そうでしょ?」
その言葉に頷きを返した。グランヴィル家が俺の家で、俺の守るべき場所、帰るべき居場所だ。そしてリアは俺のお姫様。
だから絶対に帰る。その意思を込めた頷きを見せた。それにリアは満足げな表情を見せた。
「なら良し! いっぱい人を助けておいで!」
「おう」
「……時々貴方達の関係が主従なのか、姉妹なのか、恋人なのか解らなくなってくるときがあるわね。それぐらいの関係が丁度いいのかもしれないけど。頑張ってらっしゃいエデン」
「ロゼもリアの面倒サンキューな」
その言葉にウィンクを返してくるロゼもどことない姉御気質を備えていて助かる―――彼女も俺達との出会いや交流を経て、だいぶ解りやすく、そして優しくなったと思う。時間があれば人は存分に変わる事が出来るのだ。それも良い方向へ。だから決して失われて良い命なんてあるはずがない。
「ロック!」
空へと向かって声を発せば、空からロック鳥の嘶きが返ってくる。旋回しながら降りて来る姿を捉えて跳躍し、降りきる前にその背中へと飛び乗る。地上にいる2人へと軽く手を振ってからロック鳥の首を撫で、
「街へ。お願い、急いで」
祈るように頼む。
どうか―――どうか皆、無事でいてくれるように、と。
感想評価、ありがとうございます。
これさえ乗り切れば金策編も終わりなのでいやあ、王国編メインの学園編まで60話以上かかってるのほんと長かったなあ、って……。