TS龍娘ダクファン世界転生   作:てんぞー

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狼たちの賛歌 Ⅴ

「正気、に、戻れ、ガルム……」

 

 呻くような、しかし意思の強い声が戦場に響いた。声はか細く、力がない。だけどそこに込められた声は凌辱されようとも―――いや、凌辱されたからこそ反逆の意思を備えて更に強く輝いていたのだ。イルザは凌辱され、乱暴され、剥かれ、倒れ伏し、それでも仲間の事を想っていた。聞こえる筈はない。届くはずのない声。現実は無情で、そして残酷だ。

 

 だからこそそれは奇跡だった、

 

「お、オオオオオオオオオ―――!!」

 

 耳を穿つような咆哮が響く。まるで見えない鎖を引きちぎるように上半身を逸らして体を振り払う副長―――イルザにガルムと呼ばれた男が両の双剣を逆手に握ったまま、それを自分の体へと突き刺した。肉を抉る刃の音が嫌に耳へ響く。傷口から血が溢れだして、口からも吐血する。だがそうやって自分を刺し貫いたガルムと言う男の表情は、険しく、晴れやかだった。

 

「あー……漸く、霞が晴れた気分だ……」

 

「……」

 

 そう言うガルムの自傷行為は致命傷だった。全ての人狼がガルムの動きに停止し、嘲笑を止めている。ただその中、ガルムだけが生きている様にゆらり、と死の確定した体を動かした。イルザへと向かって、体を引きずるように少しずつ姿勢が下がって行くのを無視しながらゆっくりと進んで行く。変わり果てたイルザの様子を捉えつつ、ガルムがゆっくり―――ゆっくりと近づき、イルザの前で体を倒した。大量の血を流しながら倒れ込み、イルザへと向かって手を伸ばす姿を俺は黙ってみている事しかできなかった。

 

「あぁ……イルザ……すまない……俺が、愚かだっただけに……」

 

「気にするな……私達は家族だ……そうだろう……?」

 

 震える手をガルムはイルザへと伸ばし、イルザも残された体力を捻りだす様にガルムへと手を伸ばす。だがそれがイルザへと届く前に、ガルムは死亡した。手は決してイルザへと届く事無く地に落ちた。そしてそれをイルザが必死に震える手で掴んだ。

 

「あぁ、そうだ……狼とは、誇り高い生き物だ……この様な畜生ではない……筈なんだが……な……あぁ……」

 

 ガルムの手を握ったまま、呻く様にイルザは呟き、視線をガルムから、此方へと向けてくる。

 

「すまない、エデン、だったか……君には、申し訳ない事を……した」

 

「……いや、俺は」

 

 頭を横に振って次の言葉を探そうとするが、続く言葉が見つからない。周りの人狼共は恐らく発端であるガルムが死亡した事で一斉に動きを停止させた。これで、戦いが終わる。もうこれ以上犠牲者が出ない事を想うと安心の息が零れる。だけど結局は被害者であったイルザとガルムに対して、俺はどんな表情、どんな言葉を向ければ良いのかが解らなかった。だからと言うべきか、イルザは伏したまま頭を横に振った。

 

「気を……つけろ」

 

「……?」

 

「ガルムの、変容は……人為的な、ものだ。これは、計画された―――」

 

 そこまで口にした所でイルザが咳き込む。その体を助けようと近づこうとすれば、ごぽり、という音がガルムの死体から響いた。視線をガルムの死体へと向ければその死体が変形しつつあった。人だった面影を失うように体から毛皮が生え、肉体が膨張し始める。そしてそれはまるで皮のように手を繋いでいるイルザへと接続し、融合する。

 

「イルザ!」

 

「手遅れだ」

 

 そう言っている間にも毛皮となったガルムはイルザと混ざり、肉体が端から融合して行く。足を、胴体を、腕を、首を覆って行くように肉体が融合し始めると、その肉体からガルムとイルザだった面影が消失して行く。べき、ぼき、ぐき、と音が砕けて新しく再生する様な音が何度も繰り返され、激痛に涙がイルザの表情に浮かび、

 

「―――すまない」

 

 その言葉を残してイルザの頭が呑まれた。異常すぎる光景に気づけば数歩後ろへと下がっていた。人狼の群れから距離をあけるように更に後ろへと下がる。その中で融合したイルザとガルムの肉体はごぽり、ぐきる、ぼこ、と異音を立てながら変形して行く。男女だったものは徐々に2つから1つの姿へと変わって行く。見たことのある男女の姿から見たことのない人狼の姿へ。徐々に立ち上がるように両足を、それから肋骨が体を突き抜けた胴体を、細長く鋭い爪を備えた両腕を、そこから眼孔から黒い炎を漏らす人狼の頭を。時間にしてたっぷり十数秒。その間にそれは完成されてしまった。

 

 ガルムとイルザ、それを融合させる事で完成された全長3メートル程の雌雄融合型人狼。

 

 他の人狼、その全てを隔絶する“宝石”級の怪物。

 

 その異容に思わず数歩下がり、頭を左手で抱えた。

 

「死後の尊厳すら許せないのかッ!! たった1つの! 尊厳すら残す事を許さないのかッ!! 凌辱された絶望の中に僅かながらの救いさえもないのかッ! ふざけるなッッ!! ふざけるなよッ!! ふざけんなッ……!」

 

 狂ってる。これを仕掛けた奴は狂ってる。一体何がどうしてここまで人の命を何とも思わないんだ!? どうしてこんな事が出来るんだ!? 一体なんなんだ、どういう事なんだこれは!? まるで何も解らない! まるで何も解りたくない!

 

 こんなの……こんなのおかしいだろ!

 

 いいじゃないか、さっきの状態で終わって。イルザとガルムに、蹂躙されたけど最後は小さな奇跡を起こして終わりで。どうしてこんなことをするんだ? その奇跡さえも全部台無しにしてしまうのか? どうしてそんな事が出来るんだ。

 

「あ、ァ、ア、A―――」

 

 生まれた新たな人狼―――元はイルザとガルムだったものは確かめるように曇る夜空を見上げながら声を発する。男だった面影も、女だった面影もない。そこにあるのは濁り歪んだ“宝石”の輝きを発する怪物だけだった。まるで生誕を祝うように両腕を広げ、楽しそうに口を裂きながら声の音を確かめる―――それはイルザとガルム、その両方の声が同時に声帯から発されている様に聞こえた。その声を聴いた人狼共が夜空に向かって吠える。街中から人狼共の遠吠えが反響するように響き、そのオーケストラを指揮するようにボス人狼は両腕を動かした。

 

 歌うように人狼共の声が響く。タクトを振るうように指揮者の腕が動き、人狼共の耳障りな音が響く。大地が揺れ、空が音に汚染され、そして悲鳴と怒号が上書きされる。

 

「コンサートを始めよう」

 

 流暢な人の言語が人狼の声から出た。別格だ。これまでの人狼共とは全くの別格。知性も、そして反応も、強さも。その一言で全てを理解出来てしまった。イルザとガルムの声で喋るこの人狼は、人に匹敵する知性のある生物となってしまったのだ、と。こいつはここで絶対に殺す必要がある。ここで殺さないとこの街が地図から消える。今、この場で、こいつを始末出来るだけの力を持つのはこの俺1人だ。

 

 ―――“人狼のオーケストラ”とでもこいつらを呼称しよう。

 

 吠える、吠える、吠える。夜空を覆う曇天を吹き飛ばそうとする勢いで指揮者に従って人狼共が吠える。

 

「見せつけよう、輝きを」

 

 吠える、吠える、吠える。咆哮を合わせ、リズムを合わせ、音程を狂わせて。不快な合唱が響き渡る。

 

()達はどこへでも行けるんだと証明しよう。私達家族の絆と力を世界に証明してあげよう」

 

「行けねぇよ」

 

 大剣を担ぎ、指揮者の言葉を叩き切った。笑みを浮かべた指揮者が広げていた腕を降ろしながら軽く振るった。燃え盛る炎と鉄が魔力と交じり合って剣に変形する。燃え盛る双剣をタクトの様に振るい、指揮者が構える。その姿を前に左手をポケットの中へと戻し、右手で大剣を握る指に力が入る。

 

「どこにも行けないよ。お前は。コンサートはここで終わりだ」

 

「これから開会式なんだ」

 

「今から始まるのは解散式だよ」

 

 心を怒りが満たしていた。たった1つの救いも希望も残さないやり方に。そして同時に冷たい感覚が心を満たしていた。今、目の前にあるのは明確に人だった存在だ。目の前で変異するのを見てしまった。もう、現実逃避なんて出来ない。俺は今から人だったものを斬るのだ。その現実がついに追いついてきた。だが逃げられない。逃げてはならない。逃げればこの街が地図から消えるだろう―――いや、相手の強さを考えればそれで終わる所じゃないだろう。地図から街が消えた上で人狼共がこの辺境に溢れだす。

 

 そうすれば間違いなくこの連中はグランヴィル邸まで手を伸ばすだろう。

 

 リア、俺のお姫様。リア、俺の宝。リア、俺の最も大事な娘。何時の間にか俺の心は彼女の笑顔で占められている。或いはそれにこそ俺はこの異郷の地で救われていたのかもしれない。だからこそ彼女は、頼まれた頼まれないとかではなく自分の意思で絶対に守りたいと想い続けるものだった。だからごめんなさい、貴方達の命を比べます。何がもっと大事なのか、と比べます。俺にとってはもっと大事な者がいるから。だから今から、お前たちを殺すんだ。

 

 そう、必要なのは覚悟だ。

 

 屍を積み上げるという覚悟。こいつらは人狼―――だけど同時に人間でもあるんだ。それをまざまざと見せつけられた。材料が人間、その命を消費して作られた怪物。その事実から目を逸らす事はもう出来ない。気づいてしまったのなら、見せつけられたのならもうそれを直視するしかない。イルザとガルムは悪い人じゃなかったんだ。だけど人殺しは悪い事で、人を殺す奴は疑う事無く悪い奴だ。だから俺は、

 

 悪い人になる。

 

 人を殺すのは悪い事だ―――それでも殺さなきゃ生きて行けないのなら、殺すしかない。

 

 ここに至って激情がスッと胸の中に落ちて行く。怒り、絶望、虚無、苦しみ。全ての感情が自分の中で渦巻いているが、それを表情にも体にも表す事無く完全に収まるように押さえつけられるようになった。言ってしまえば覚悟が出来た。いや、これでさえ本当の覚悟だとは言えないかもしれない。だが大剣を握る手はついに止まってしまった。感情の制御は出来なくても、その抑え込みに成功してしまったからだ。痛みを、苦しみを想う事は止められない。それでもその感情を握りつぶして生きて行く事は出来る。

 

 そう、この世は痛みで溢れているんだ。どうしようもなく残酷で、どうしようもなく無慈悲で、僅かな救いでさえ存在しないと言わんばかりに蹂躙してくるんだ。それに対抗するにはやっぱり、殺すしかない。此方から、傷つけてくる相手を何だろうと関係なく殺すしかない。

 

 殺して、殺して、殺して屍を積み上げて。何もかも解らなくなるまで殺し続けるしかないのだろう。この出来事には間違いなく悪意がある。自然発生の出来事ではないからだ。誰かが明確な悪意と殺意でこの悲劇を彩った。それを許せるか? 当然、許す事は出来ないだろう。痛みで溢れたこの出来事を忘れるなんて出来ないし、それを許す事なんて到底出来ない。

 

 漸く解ったんだ。ここは日本でもなければ地球でもないんだって。

 

 そうだろう、ソフィーヤ? 俺はずっと日本人の心のままで生きていた。まだ自分の周りは巻き込まれる筈がない……そんな甘い幻想を抱いていた。だからきっと、お前はずっと俺の事を心配していたのかもしれない。龍に対する負い目があるから。俺が最後の龍だから。だから助けようとずっと見守ってくれている。果たしてその心をどうして恨む事が出来ようか。運命の前では龍も、神も無力なのかもしれない。

 

 だが立ち向かう事は出来る。

 

 殺す事も出来る。そう、大半の問題は殺す覚悟を抱く事で解決できる―――それだけの話だ。

 

 人狼が振るう溶剣(タクト)に合わせて人狼たちが布陣を展開する。どうやら指揮者が出現した事でその能力は高まっているらしく、これまでよりも強いプレッシャーを感じられる。まあ、それでも所詮は雑魚だ。一撃で殺しきれるだろう。問題は“宝石”相当の指揮者とそれによって整えられた軍団という点だろう。

 

 恐らく龍殺しを抜けば、今まで相手してきた敵の中で一番強い。俺を傷つけうる可能性を内包している……いや、間違いなく鱗を突破してくるだろう。そう思って動いた方が良いだろう。だがそれら全てを考慮しても、

 

 俺が勝つ。

 

「皆、吠えよう。空に響く様に、大地に刻まれるように、海が震えるように。()達の輝きが永遠のものだって世界に教えてあげよう。そして増やそう、家族を、群れを」

 

 高揚に満ちる人狼共を一瞥し、視線を指揮者へと戻し宣告する。

 

「―――犬が。所詮は地を這い吠えるしか脳のない畜生の分際で、どうして神威に敵うと思ったのか」

 

 どうしようもない。もう、どうしようもないんだ。

 

 お前らが人間だった事も、お前らを殺さなきゃいけない事も。

 

 もうどうしようもないし、仕方ないんだ。

 

 だから、

 

「ここからは龍の時間だ」

 

 さようなら、悪くない人々。善かったかもしれない人々。

 

 全員俺の悪夢に墜ちろ。




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 次回、人狼のオーケストラ開演。龍の時間、開幕。

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