TS龍娘ダクファン世界転生   作:てんぞー

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狼たちの賛歌 Ⅶ

 頭の中が完全に真っ白になっていた。

 

 絶望感。それが体の中に満ちる。見える所で、目の前で、知り合いが、親しかった人が狼に変貌するその姿を見てしまった。体を切り裂く溶剣の痛みがどこかへと消える。体を切り裂きながら焼き溶かす剣は俺の鱗を貫通して血を引き出す。傷は決して浅くはない。それでも痛みの向こう側へと意識は流れていた。

 

 人狼になった? タイラーが? あの優しくて、裁縫の上手な仕立屋の店主が? もう戻らない? 嘘だ。そんな筈はない―――それこそありえない。理性が現実を肯定している。タイラーは人狼となった。背後で俺に襲い掛かろうとしている―――のを涙を流しながら消えゆく理性で抑えていた。だがその涙も長くは続かない。何時かは嘲笑と合唱へと変わるだろう。それが人狼ウィルスの末路。噛まれて、体に取り込んで、即座に免疫と抗体が生まれ、克服して。体内に取り込まれた情報を理解する。これは肉体と脳を変質させるウィルスだ。

 

 体が変形させられている。人体改造に近い事を無理矢理行っている。人狼になった時点で寿命がほとんど消費される。そして脳と肉体の変質は不可逆なのだ。だから感染した時点で致命傷。もはやどうにもならない。助からない。絶対に。もし救いがあるとすれば……それは死だけだろう。死の安らぎだけが人狼の狂騒から魂を解き放つ。

 

 そう、死だ。死のみが救いだ。

 

 死ねば冥府の神ル=モイラに抱かれ、魂は川へと流される。冥府の川へと流された魂はそこで浄罪され、新たな命へと宿り、古き縁を断ち切った新たな生を歩む。

 

 鉄と炎が肺を焼く。口の中が熱い。だがそれ以上に魂が熱く燃えている。怒りで、絶望で、信念に、傍観に、苦しみに、それらが熱を持って体を満たす。それでも、と俺は思う。肺に溶剣が達して、抜けて、鉄と炎が肺を満たしても。それでも強靭過ぎる体はその程度では死ねなかった。激痛が走っても死ぬほどの痛みじゃなかった。痛みは辛いし、苦しいけど……それよりももっと恐ろしいものがあるから。或いはそれが、龍としての生理耐性なのかもしれない。ただ解る事はシンプルに、

 

 エデンという龍乙女は、未だに大剣を手放してないって事だ。

 

 それが答えの全てだろう。

 

 痛みよ、苦しみよ、絶望よ―――俺はお前を受け入れよう。そして純然たる怒りで己を満たそう。きっと俺の心は弱く、お前に常に傷つけられるだろう。だけど俺は折れる事はないだろう。絶対に、それだけはないだろう。その悪辣さは吐き気を催すが同時に俺に必要な憎しみでもあったのかもしれない。この汚さこそが力への、生きる事への渇望だというのであれば。

 

 俺は、漸く生きているのだ。

 

「全部」

 

 焼かれ、切り裂かれながらも最初にする事はイルムへの反撃―――ではなく、大剣を後ろへと伸ばして、そのまま振るう事。一番最初に反応し、取った行動は後ろにいる人狼タイラーの即殺だった。果たして俺が振り返る事無く放った刃は間に合ったのか、まだ人としての心が残っている内に殺せたのか。それは解らなかった。だが喉をせりあがってくる炎の感触は懐かしささえ覚える感触で、は、と声を吐くのと一緒に炎が口から漏れる。

 

「全部」

 

 溶剣が体を抜けきった所で倒れそうだった体のバランスを取る。流れる大剣を引き戻しながらこれまでにない力強さで握り、一瞬で態勢を整え直す。恐らく凶報を聞いてから初めて、笑みがこの表情に浮かんだ。握った大剣の柄が砕けそうな程強く握りしめ、口から燃え盛る炎を息として吸い込んで、エーテルを魔力に変換する。魔力を血管に通して全身に巡らせながら活性化させる。

 

「全部……」

 

 遠慮はいらない。人質はもういない。全て無駄だった。全部クソだった。最初から助けるべき存在がこの広場にはいなかった。だから、あぁ、せめて他の人たちの無事は祈ろう。もはや救われない者には救いの祈りを送る事しかできない。だがそれはこの両手を使うものではない。この心だけは静かに黙祷を捧げよう。そして天空の神々へ、我が声を聴いているであろうソフィーヤへと願う。どうか彼らの魂をル=モイラの所へと導いて欲しい。死の安息を守ってほしい。安らかなる眠りを妨げないようにしてほしい。

 

 だから、

 

 もう、どれだけ苦しくても……迷う事も、手を緩めない事も誓おう。

 

 故に、戦いを当然の物として完結させる。

 

「全部、全部、全部、全部、全部! 全部ッ! ぶっ殺してやるッ! 覚悟しろ狼共! お前らは朝日を拝む事もなく滅ぶ! 今夜! ここで! この場所が! 貴様らの最期だ―――!」

 

 最初に宣告した通りに、殺す。殺しつくす。もはや枷は何一つとしてない。最後の憂いは消え去った。もはやこの身を縛る制約は存在しない。なら後は心のままに全てを殺しつくすだけだ。だから宣言したように食い千切りを振り回した。一瞬で周辺が薙ぎ払われ死滅し、バラバラになった人狼のパーツが転がり、嘲笑と悲鳴と肉の消失する音のコーラスが響く。それをイルムは恍惚とした表情で受け入れた。

 

「何て、綺麗な、音」

 

 言葉は返さない。周囲が開けた瞬間には既にイルムへと突貫している。迎撃するように振るわれる溶剣を正面から大剣で受け止め、そのまま押し返す様に斬撃を一度、二度、三度と叩き込む。連撃が一瞬で片腕を使い物にならなくする。衝撃のまま吹き飛ぶイルムを救う様に人狼が割り込み、迫る。

 

「弱い」

 

 左手をポケットに差し込んだままの突進で即死する。トラックに撥ね飛ばされる子犬の様に吹き飛び、体がバラバラになる人狼。燃え盛る身が衝突しようがもはや気にする事もない。それで体が多少焼けようがなんだ、それが心を掻き毟る痛みに届く事は永劫ない。肉体的な苦しみが精神的なそれを上回る事は永遠にない。

 

 永遠にない。

 

 だから死滅しろ。出会いは一瞬、別れは永劫、喪失の苦しみに終わりはない。

 

 大斬撃・白。振るい、重ねて振るい、振るわれ、また振るう。人質がいるからという理由で封じていた連続で大斬撃を振るい、振るい続けるという行いをついに解禁する。横に、袈裟に、再び横に、連続で乱舞するように疾走しながら放つ。食い千切る様な白い軌跡が空間に描かれ人狼が片っ端から食い尽くされる。一太刀振るう度に十数が食われる。それを四度振るえば40が。

 

 十度振るえば100近い人狼が死滅する。

 

 生み出す被害は周辺の家屋を完全に倒壊させ、広場の大地を抉って到底利用できない状態へと追込み、人狼の血と贓物で溢れた空間を生み出す。

 

 情け容赦のない殺戮が解禁された事で人狼はそれで大半が死滅した。流れた血と臓物が足元を赤く染めるも、それも降り出す雨によって体に纏わりついた血諸共流れて行く。残されたのは僅かばかりにイルムを守る人狼と、その主だけだ。大剣を担ぎ直し、残されたオーケストラの姿へと視線を向けた。

 

「生きる事には頓着しないんだな、お前ら」

 

「何故? 何故そんな事を気にしなければいけない? いけないんですか? 漠然と生きる事が重要なのですか? ただただ生きる事にどんな意味がある? 生きている事だけにどんな価値がある? ないでしょう、そんなものは。命は、人は、我々は輝いていなければいけない。輝かなければ存在する価値すらない。限界を超え、死線を乗り越え、死の運命に向き合い崩れ去る音を響かせて! あぁ、そんな地獄の中でこそ至上の輝きが生まれる……!」

 

「悍ましいな」

 

 悍ましいが、こいつの言葉は極端ながらもある意味真理を突いている。漠然と生きる事は確かに平和で、静かだが……それ自体は生きているだけであって、そこまでの意味はない。ゆえに、生に意味を求めることは悪くない。ただそこに一つ、許せない事があるとすれば、こいつは誰かをそこに巻き込んだ事だろう。

 

「人に自分の価値観を押し付けるべきじゃなかったな」

 

「本当に? 本当にそう思うか? 思いますか? 誰もが盲目な羊として野を歩いている。自分が断崖絶壁へと向かって緩やかに進んでいる事を知らないまま。目を開けばそこが地獄の入り口だと解らず、遠くに聞こえる音に怯えて縮こまる……誰もが啓蒙を求めている。言葉にせず、行動に見せず、それでも誰もが教えてくれる日を待っている。人の本質は怠惰で臆病なもの。だから教えてあげないといけない」

 

「何をだ?」

 

「世界は、こんなにも素晴らしい音で満ちているのだ、と」

 

 人狼たちの嘲笑。合唱。鼓膜を震わせる不協和音は恐らく、人が聴けばそれだけで精神に異常を来たすものなのだろうと思う。その音を耳にしつつ、精神は一切揺るがない。もはや結末は解り切っているのだから、後は結末へと進むだけだ。もはやこいつとは話すだけ無駄―――意味のない時間を過ごしたとそう判断し、左手を取り出した。

 

 掌を目の前に広げる。乱撃で魔力は浸透しきった。もはや詰みに入り、逃げ場なんて物はない。

 

「ではフィナーレを」

 

 イルムが溶剣を最大まで拡張させて巨大な大剣へと変貌させた。一振りだけで10メートル範囲を薙ぎ払えそうな大剣に、残された人狼共が活気づく。だがその前に掌には黒い魔力を集中させ、それを空間に滞留している俺の消費魔力とリンクさせる。それによって空間のエーテルが活性化されて魔力の作用が浸透する。つまり、黒による一撃が確定した状態に入る。

 

「ぶっ壊れろ」

 

 掌の魔力を握りつぶす。それと同時にイルムを囲む人狼たちが結晶となって弾けた。残された人狼全てがその一撃で抹消され、残されたのはイルムのみ。一瞬で家族が全滅した事にイルムは動きを止めるも、最後の決戦へと踏み出す。大地を粉砕する脚力で接近し、大剣を振り下ろしてくる。それに合わせて此方も下から大剣を振るい―――火花を散らしながらイルムの大剣を大きくカチ上げた。

 

 そのまま大剣を頭上に掲げる。左手は再びもうポケットの中へと戻してある。これから放つのは必殺の一撃。その前に抵抗は無意味。防御も無意味。

 

「避けれるものなら避けてみろ―――どこにいても当たるけどな」

 

「お゛っ゛」

 

 大剣を振り下ろす。イルムが避ける様に後ろへと下がり、頭から結晶が割れる。大剣を振り下ろすごとに侵食するように結晶が額、鼻、口、首を真っ二つに割って行く。結晶斬撃はそのまま体からはえるように胸を両断し、大剣の動きに合わせて下がって行く。その表情は恍惚とも言えるものに染まっており、

 

「き、綺麗な、お、音―――」

 

 言葉を終わらせる前に体を両断した。

 

 真っ二つにしたイルムの体をそのまま結晶化で呑み込んで封印する。再生する事も蘇る事ももう二度とない。もし、特効薬か予防薬が作れるとすればこの封印された死体から作り出す事も出来るだろう。ただやはり、

 

「さようならイルザとガルム……もう二度と会わない事を祈るよ」

 

 戦闘が終わった後の静寂は、欠片も高揚感がなく、虚無感を心に満たすだけだった。失われたものが多すぎるのに、得られたものは何一つとしてなかった。失うばかりで無意味な戦い―――それがこれだ。自分自身が刻んだ結末に疲れ、大剣を地面に突き刺すとそれを背もたれに座り込む。見上げる夜空は雨雲が浮かんでいて星も月も見えない。その代わりに降り注ぐ雨が煙も炎も血も全部洗い流してくれる。

 

 見上げれば空から降り注ぐ雨粒が顔を濡らし、頬を伝って下へと流れて行く。涙ではない。涙は―――流れない。慣れてしまったのか、それともどうとも思わないのか。それとも脳が未だに混乱しているのか。ただやはり、心に痛みと苦しみは残っている。新しく体と心に刻まれた傷跡、この痛みは永劫消えないだろう。

 

 親しかった人を殺して。

 

 悪くない筈の人を殺して。

 

 それが見知らぬ誰かを助けるためだから、って。それがきっと正義だから、って。そう自分に言い聞かせて皆殺しにした。そうして残されたものは果たしてなんだったのだろうか? 名誉? 領主からの報酬? それとも自分の強さの再確認か?

 

 そんなもの、求めてなんかない。

 

 最初からほしかったものは決まっている。平穏だ、自分と自分の周りの人たちの平穏が欲しかったんだ。それを人狼イルムは無価値だと言ったけど、それはきっと正しいんだけど、それが何よりも尊く重要な物だと思ってたんだ。

 

 だからそれがこうやって焼き尽くされると、あぁ、って思う。

 

 ―――何もかも、薄氷の上で成り立っているんだ、この世界は。

 

 安全は力で。

 

 平穏は敵を殺して。

 

 未来は奪い取って。

 

 それでしかきっと、得られない日常があるのかもしれない……。そう思いながら見上げた雨の空、癒え始める体の様子を確かめながらはあ、と息を吐いた。クソみたいな気分の中思う。

 

 酒を飲んで何もかも忘れられれば良いのに、って。




 感想評価、ありがとうございます。

 人狼のオーケストラ、閉演。

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