騒がしい昼間が終わり、静かな夜がやってくる。
邸宅のエントランスで出かける為にコートラックからコートを取っていると、クレアがやってきた。
「情報収集ですか?」
「あぁ、そろそろ色々と調べてこようかと思ってね。ギルドにも顔出ししておきたいし」
入学の準備を終えて、夜中は邸宅内で大人しくしているから俺が付き添う必要もない。昼間は俺が傍にいた方がまだ安心できるが、ここはそんなに警戒している必要もなさそうだ、というのが本音だ。まあ、王族や貴族が多いこの都市で治安が悪かったら国の評価が落ちるだろうし当然と言えば当然の治安の良さなんだろうが。コートに袖を通しつつ出る前に一度、クレアへと視線を向ける。
「俺がいない時に―――」
「解ってるので大丈夫です。其方こそお気を付けて、必要はないと思いますが」
「解ってるなら良し。確認するまでもないと思ったけど」
まあ、クレアもクレアで最低限の戦闘は可能だから俺がいなくても相手が腕利きでもなければ大丈夫だとは思うが、それはそれ。一応保険の類は用意してある。じゃないと俺一人で護衛なんか任されないし。それはともあれ、情報収集のために邸宅を出る。
邸宅を出て見上げる夜空は黒く、星々を浮かべ澄んでいる。日本では失われた夜空の美しさ―――辺境で見慣れた夜の空だ。俺の方がもしかしてホームシックなのかもしれないなあ、としきりに辺境と東京の事を思い出しつつ考えた。その考えに苦笑を零しながらゲートを抜けると二股の黒猫が小さく鳴きながら足元にすり寄ってきた。
「お前は散歩かい? 一緒に来るか?」
肯定するように小さく鳴いた黒猫は足の周りに体を擦り付ける様にぐるりと一周すると横に並んだ。どうやら今夜は可愛らしいゲスト同伴らしい。1人じゃないというのはどれだけ強くても心強いものだ。特に夜の闇というのは嫌な事ばかりを思い出してしまうから、同伴してくれるゲストがいるだけで足取りが軽くなる気がする。
「ま、とりあえずはギルドか」
バッグから地図を取り出して自分の位置とギルドの位置を確認する。そこそこ歩く必要があるみたいだが、まあ、夜風を浴びながら散歩するとでも考えればそう悪くもないだろう。地図を畳んでバッグの中に戻しながら二股の黒猫を連れて歩く。
夜の学園都市は昼間の騒がしさが嘘のように静かで、あまり人が歩いていない。巡回している衛兵の姿は変わらず存在している所、真面目に仕事をしている事に変わりはないらしい。バッグから常備しているドライフルーツを取り出し、それに噛みつきながら人のいなくなった通りを歩く。
うん、悪くない気分だ。
「これでウォークマンでもあればなあ」
いや、流石にウォークマンは古すぎるか。MP3プレイヤーも相当古い遺物扱いだしな……。最近はもっぱらスマホで聞いてるか? まあ、こういう夜中、歩いている時はやっぱり一曲でも聴きながら歩きたいものだ。その手の科学技術が一切存在していないからしゃーない、と言っちゃえばしゃーないのだが。
「こういう事を言ってるとるっしーの音楽文化を流行らせるって気持ちも解るけどな」
夜中があまりにも静かで、寂しいのだ。
まあ、考えてみればこの世界、夜の光源はランプだがそのランプは基本的に燃料を必要とするのだ。燃料や蝋燭はお金がかかるし、魔力ランプは実はそこそこ値が張る代物だ。お金に余裕があるのか、夜間でも営業しているタイプの店舗でもないと夜は必然的に静かになる。
地球でも夜の活動が活発になったのは電球が発明されてからだっけ? なんかそんな覚えだった気がする。あー、駄目だ。記憶が彼方にある。流石に地理で勉強した雑学と歴史関係はもうあんまり思い出せないわ。必死に詰め込んで勉強した範囲ばかり思い出せてしまう。そう考えると、ちょっともったいない人生送ってきたなあ、なんて思っちゃう。まあ、でもその時必死に覚えた経済や算術、政治関連のあれこれがリアの勉強の糧になってるんだから、
「世の中本当にどうなるのか解ったもんじゃないな……」
みゃあ、と足元から鳴き声がする。黒猫の姿に軽く笑みを零しながら自分の今の位置を確認する。向かおうとしているギルドは中央通り、解りやすい所にある。住宅街を抜けたら商業区に入り、その中に中央通りがある。
そして中央通りは住宅街よりは比較的に活気に満ちている所だった。
夜でもオープンになっている酒場には仕事に疲れた大人たちが集まっている。考えてみれば学生と言える子供達がメインの都市だが、運営しているのは大人たちなのだからそういう人たちにも憩いの場は必要か。俺やクレアみたいな使用人や護衛、ここで暮らしている人たちの為の場所もあるのだろう。
「おーい、そこの姉ちゃんこっちで飲まねぇかあ」
酒場の近くを通りがかると、中から混ざらないかとお呼びがかかる。それに軽く手を振って払いつつ通り過ぎて行く。陽気だなあ、と苦笑しながら更にしばらく歩き、漸く冒険者ギルドエメロード支部が見えた。
辺境にあったギルドより大きな建造物で、合計4階建てとなっているのは純粋に驚いた。建物の大きさはそれだけ需要を示すものでもある。この学園都市ではそれなりにギルドの需要があるらしい? まあ、戦闘方面ではないのは解り切った事実なのだが。
「人混みは大丈夫かお前?」
同伴しているゲストに問うと、鳴き声で返答が返ってきた。どうやら黒猫は大丈夫らしい。なら気遣う必要はないか、とそのままギルドの入口を抜けて中に入る。
その先に広がっているのは見慣れた光景だった。
ギルドの商業スペース、飲食スペース、そして奥のカウンター。その基本構造はどうやら地域が変わっても一緒らしい。入口を抜けた所で自分に軽く視線が集まるのを感じる。それらを無視しながらカウンターへと向かえば、此方は若い女性の受付が担当しているようだった。茶髪の合間から生えている鹿角を見るからに、辺境では見たことのないタイプの獣人だろうか。受付嬢は俺の姿を確認すると笑顔で挨拶してくる。
「こんばんわ、夜遅くまでお疲れ様です。ようこそ冒険者ギルド、エメロード支部へ。何か御用でしょうか?」
「先日こっちに来たばかりでな。ちっと挨拶に」
バッグからウィローの紹介状と冒険者カードを取り出す。失礼します、と言いながら受け取った受付嬢はカードの方から確認する。
「なんと、ブロンズの方でしたか。ソロでブロンズにまで上がれているのは凄いですね……」
感嘆の声と共に周囲からの注目度が上がった気がする。そこそこ世渡りしているような奴であれば見てどれぐらいの年齢かは察せるだろう。そして現在、見た目だけなら俺は大体18歳ぐらいだ。やや歳が解りづらい種族の特徴があるので推察できる年齢は前後するかもしれないが、20に届いていないのは解るだろう。その上でブロンズに到達しているというのは相当実力とコネがあるという事だ。
特に壁とさえ言われるスチール級冒険者を超えてブロンズに上がるには年間達成数と依頼達成率を参照される為、そう簡単にはいかない。依頼は常に取り合いになるし、依頼の取り置きなんてものは中々成立しない。だからこそ達成数が大きくなるスチール、そしてシルバーはランクを上げる上での壁だと認知されている。
だがこれも、攻略するための小技や裏技が存在する。
一つ目がパーティーとして活動する事だ。複数人で複数のクエストを受ける事で効率的に処理し、尚且つ達成報告を共有する事が出来る。こうする事で一気に増える達成数をクリアする事が出来る。
二つ目がコネを利用して定期的に依頼を用意してもらう方法。これが俺のランクをこの3年間で上げられた理由だ。サンクデルが俺を広告塔、というかもう1人の“宝石”として手元に置く為にギルドに俺用の依頼を出して、俺がそれを処理する事で安定した依頼供給と達成を可能にしたのだ。
ちなみにギルド側も馬鹿じゃない。こういうやり方をやっているとギルド側から当然調査が入る。素行調査、戦闘力調査、何か黒い所があるんじゃないか? そういうチェックをする為の専門の人だっている。俺の場合ここら辺のチェックが人狼のオーケストラ討伐や人食いワータイガーの討伐で証明されていた上、バックとして領主とグランヴィル家という辺境で力と人望を集める二つの貴族家があったのが幸いしているので何も文句は出なかった。
まあ、ギルド側としても実力良し、人格良し、経歴良し、見た目良しな人材はさっさとランクを上げて広告に利用できるようになってくれた方がありがたいのだろう。
そう言う事で3年で俺のランクはブロンズまで上げられていた。サンクデルのバックアップがあったとはいえ、人狼のオーケストラ討伐の功績が無かったら無理だったかなあ、というラインだ。一部の街の人たちからすると辺境の英雄みたいな扱いだったしな……。
正直な話、知り合いも斬り殺して終わらせた身からするとそういう扱いは解っていても、居心地の悪いものだった。
ま、そんな話はさておき、ギルド内で俺がブロンズである事が告げられたことで俺に向けられる視線は見た目の良い女から、見た目の良い実力のある女へと変化した。そこら辺の視線の向け方、変わり方は女になってから敏感になった。特に胸とか尻に向けられる視線って意外と解りやすいんだよな……今も向けられているし。
まあ、胸元を軽く開けているのが悪いかもしれないが、ここ開けてる方が楽なんだよね。
谷間、蒸れるし。
ちなみにこの話をリアにすると暴君化する。
「紹介状の方を確認させて貰います」
「どーぞどーぞ」
受付嬢はウィローの紹介状を確認するように開くと、数秒内容を眺めてから振り返る。
「すいません、マスター! マスターあての紹介状っぽいです」
「んー? どれどれ」
そう言って受付嬢に呼び出されたのは長い緑髪から花を咲かせる女性の森人だった。どうやら彼女がこのギルドのマスターらしい。受付嬢から紹介状を受け取ると、その内容を確認しながらくすり、と笑い声を零す。
「ヴェイラン支部の肝入り、ね。どうやら相当アイツに気に入られているようね。どう、元気だったアイツ?」
具体的な名前を出さずに話しかけてくる森人の姿に軽く首を傾げ、
「アイツ、ってのはウィローの事? まあ、元気にやってるよ。普段から何かと煩い所あるけど。辺境でのんびりやってるし、長生きしてるから次のマスター候補だとか」
「やっぱりまだ口煩いんだアイツ。昔から無駄に優しくて無駄に親切なのよ。そこが良い所でもあるんだけど、同時に欠点でもあるのよね」
「元カノかなんか?」
「元夫婦ね。ジャスミンよ、宜しく」
「エデンだ、宜しく」
ウィローの奴バツイチだったのか、まあ、良い人だけどお節介が過ぎて離婚しそうな感じはあるよな、なんてクソやかましい事を考える。それを察してかジャスミンも苦笑を零す。
「ウチのお嬢様方の護衛でこっちに来てるから、これから良く顔を出すと思う」
「そうね、私達としても有能な冒険者が居てくれる事は大歓迎よ。ここでの主な仕事の説明、必要?」
「頼む」
「それじゃあエミリー、頼むわね」
「え、私ですか? そこはマスターのやる所じゃ」
「めんどくさいもの」
ジャスミンの一切悪びれない様子に苦笑を零しつつ去って行く姿を見送る。そんな性格だったからウィローとは長続きしなかったんだろうなあ……というのが見えている。まあ、実際のところ任せられる人間がいるのならそっちに任せた方が良いのは正しい。エミリーへと視線を向けると頷きを返してくる。
「あははは……それではこのエメロードにおける冒険者ギルドの立ち位置を説明します。……と言っても、別にそう複雑なものでもありません。他の所でもそうですが、人の集まる所では専門職が集まりやすいです。その為、冒険者に回ってくるのは雑用ばかりになります。お使いとか、代理で調達の依頼とか、店番の手伝いとか」
「俺がいた辺境じゃ間引きと討伐依頼で溢れてたけど、こっちはそういうのが全くないのか」
「はい。此方には国から派遣されている騎士団や軍人が駐留していますからね。治安維持も、モンスターの間引きも基本的に国の方で行っています。稀に調査でヘルプを頼まれるぐらいですが……それにしたって腕に信用が置ける“金属”でもないと見つかりませんね。それに……」
「それに?」
「学園側でも似たようなシステムがあるので、がっつり競合しているんですよね……。学園で管理している秘境とかでの素材調達とか、がっつり学園側で管理されてるんで招待がない限りこっちからは触れられないので」
「それでも支部がある辺りそこそこ需要はあるのか」
「はい、と言ってもやるのは本当に雑用みたいな感じですが」
後はそうですね、とエミリーが言葉を続ける。
「スラム街。アレに関連する依頼も基本的に私達で処理してますので、メインは其方でしょうか」
「スラム街」
エメロードの周囲に展開する貧困層の居場所。それが一番気になる所でもあったのだ。冒険者ギルドがスラム街に関わっているというのなら、いい機会だし話を聞かせて貰おう。
この街の、一番特異な所を。
感想評価、ありがとうございます。
学園が社会経験を積ませる目的で似たようなシステムを採用した結果、冒険者の仕事が凄い勢いで失われたという話。供給が生まれれば、当然質の良い方に人は流れる!
悲しいけど、冒険者はプロフェッショナルには勝てないのだ。
そのプロフェッショナル化のラインが“金属”からなんですねー。