「―――スラムか、確かにそれは気になってたんだよな」
城壁の外に展開されるスラム街。普通に考えれば取り壊される様な場所だ。それが取り壊されずに残されている事がおかしい。それを問う様な視線を向ければ、エミリーは頷いた。
「そうですね、では前提としての話ですが……このエメロードは学園が最初にあり、そこを中心として街が作られました。そしてそこから発展したというのは解りますか? えぇ、なので最初は城壁なんてものはなかったんです。街としての形が整ってきた辺りで防備のために追加されて、そこから街が大きくなるのに合わせて取り壊しと拡張が繰り返されてきたんです」
「……読めて来たぞ。街の拡張に合わせて自分も街の内側に入れて貰おうって奴だな?」
「正解です。ですが実際のところ、土地の不法占拠なので法的には完全なブラックです。彼らはあそこに留まる事は出来ず、そしてあそこにある建造物も全て取り壊される筈なんですが……」
が、と言葉をエミリーは置き、一拍間を作ってから話を続けた。
「ここから厄介な話でして、あのスラム街には武装したマフィアが住み着いていまして」
「マフィア」
「その、あまり大っぴらな話には出来ないんですが、貴族との繋がりがあったりするんです。非合法なものとかを頼みたいときには便利ですし。取り締まりたいのは事実なんですが、対応する動きを取ろうとするとどうやらストップがどこかでかかるらしく」
「うーん、この」
腕を組みながらエミリーの話に耳を傾け、国がどこかしらで腐っているのはまあ、どの時代どの国でもある事なんだな……というのを解らされた。しかしそうか、犯罪組織か。存在していると解っていても力のある貴族と繋がりがあるからどうにも出来ないというタイプの奴か。そりゃあ確かに使い捨て出来る人材でもないと調査とか頼めないわけだ。
「面倒そうだなぁ」
「実際に面倒です。ですけどそれが飯のタネになるので文句は言えません。エデンさんも、出来たらマフィア関連の仕事受けてくださいね―――定期的に失踪者が出るので」
「考えとく」
今の俺の立場はグランヴィル家従者だ―――つまり俺の行動がグランヴィル家の評判と品位に繋がるのだろう。こういう依頼、ほぼ間違いなく俺が受けたら戦う事になるだろうし、その場合絶対に周辺を更地に変えてしまうだろうという確信がある。マフィアのバックに本当に貴族がいるのだとすれば、あまり関わりたくはないなあ……というのが本音だ。
こりゃあこっちにいる間は冒険者活動は封印かなあ、なんて事を考える。
少なくともこっちで冒険者として活動する事に対する旨味はない。後はマフィアの勢力や目的を調べて、ウチのお嬢様方の安全を確認しておくぐらいだろうか? もうちょっと詳しい情報が欲しいけど今はこれぐらいで良いだろう。
「話、助かった。定期的に顔を出しに来るよ」
「此方こそ改めて宜しくお願いします」
エミリーと最後に握手を交わしてからギルドを後にする。話している間は大人しくしていた黒猫も俺がギルドを離れるのに合わせて一緒にギルドを出て行く。中々礼儀正しい黒猫だ……気品を感じるけどどこかの飼い猫なのだろうか? しゃがんで首元を確認するが、首輪を付けている様子はない。野良だとしたらなんかの変種だろうか?
「ま、気にする事でもないか」
応える様に鳴く黒猫を連れて再び夜の街を行く。流石治安が維持されているだけあって平和な夜だ。
「このまま戻るのもちょっとつまらないな……どっかで一杯引っかけるかー?」
無論、酒の話だ。18歳になってお酒解禁……という法律は別にこの世界にはない。そもそも貴族は酒を嗜むのが基本だ。リアは飲めない、というか完全に下戸でワインが飲めないという問題があったりする。それでもエドワードやエリシアの晩酌に付き合ったりするのでそこそこお酒は飲んでいる方だったりする。まあ、当然龍の体なのだ。アルコールで酔う様な事はなく、今まで一度も酔っ払った経験がない。だから酒を飲むというのは純粋に味を楽しむ行為。
結果、酔う為に飲む安酒というものが飲めない。
そういう意味では大衆酒場はまず最初に除外される。基本的に大衆酒場で出される酒はエールやワインがメインだが、此方は安いかわりにそこまで美味しくは出来ていない。冷えてないエールを出す所だって多い。ああいう酒は簡単に酔っぱらえるからその為に飲むようなもんだ。俺が飲んだ所であまり意味のない奴。
だから酒を飲むときはそこそこ値の張る店に行かないとならない。
商業区を徘徊するように歩きながら何かいい店がないか、と歩き回る。
「まあ、財布に余裕はあるし収入源もあるから正直ちょっとお高めの酒でも問題はないんだよな……」
黒猫が鳴きながら首を傾げてくる。黒猫の解っていない様子に苦笑を零す。
奨学金獲得によってリアの学費の為に溜め込んだ俺の金は一部、奉公という形でグランヴィル家に入れようとした―――まあ、その直後怒られながら突き返されたのだが。なので俺の手元にはどうしたら良いか解らない大金が残ってしまった。装備を購入する必要がないから、金なんて娯楽と飯ぐらいにしか使う事が出来ない。生活費だってシェアハウスの関係上ヴェイラン家持ちでもあるのだ。だからほんと、自由に使う事の出来るお金ばかり残ってしまった。
ワータイガーや人狼、それから数々の依頼で稼いだ金はそれなりに溜まっている。基本的には生活費やリアの為に使おうと思っているのだが、ちょっとぐらい贅沢なお酒を飲むのに使った所で文句は言われないだろう。
「とはいえ、基本的に貴族って外では飲まないからな……」
商業区をうろうろと店を探して歩き回るが、これ! と言えるところが見つからない。基本的に貴族連中が飲むときは家で飲むし、酒は商会で購入して持ってこさせる。だから高級酒を店で飲むという文化は馴染みが薄い。基本的に外で飲むと言えば大衆用の酒場で飲むのがメインになってしまう。加えてここは貴族や学生の多い都市だ、その関係で更に外飲みできる場所は少ないのかもしれない。
「どーっかに静かに美味しく飲める所はないかなあ……るっしーの所があればなあ」
今考えるとバーの構想って丁度そこら辺の隙間を埋める上手い発想だよなあ、って思う。まあ、今の飲み方の主流から外れるからそこまで売れるって訳じゃないんだが。それでも俺とるっしーが口だしした影響でルインの経営状況は赤字から黒字へとシフトした。何をやろうとも行動全てが赤字へと直結する女ルイン、マジで凄い。あそこまで才能がないのは初めて見た。この世で一番やばいのは働き者の無能って言葉を聞いたことがあるが、商売に関してはルインはそういう部類に入る。
まあ、連中は辺境だ。ここにいる訳がない。
「の、飲みませんか……ぴ、ぴょん!」
「―――」
とか思ってたらバニースーツ姿のルインが看板を片手に客引きをしていた。あまりの光景に思わず言葉を失うほどドン引きしてしまった。普段はスーツ姿で隠されているだけにバニースーツになった今、そのスタイルの良さはいかんなく発揮されているのだが……なんというか、こう、
滅茶苦茶居た堪れない。
ルイン本人も看板を片手に顔を滅茶苦茶赤くしながらぴょんと跳ねてアピールしているのがあまりにも哀れだ。
「ぴ、ぴょん」
何がとは言わないが、揺れてる。だがそれでさえ哀れさを助長している。両手で顔を覆うと、真似するように足元で猫ちゃんが顔を前足に隠した。
「いや、お前、お前……!」
「う、売り上げに欠片も貢献出来ないなら少しは貢献できる事でもしろって客引きに出されたんです……1人でも店内に案内出来たら解放されるんです! エデンさん! お願いします! 飲みに来ませんか!? ぴょん!!」
「跳ねるな……跳ねるな! 行くから! 行ーくーかーら!」
「ありがとうございます、ありがとうございます……!」
なんかもう悲しいよ俺。どうしてそんな事になってんだよお前……。解るけど解りたくないよ……。
そんな事を考えながらルインに手を引かれてミュージックバー“ジュデッカ”エメロード支店へと連れ込まれてしまった。辺境支店で見慣れた内装にデザイン統一してるのか、それとも転移系の魔法か技術で同じ場所に来ているのかどっちなんだろうなあ……なんて事を考えながら入れば、ルシファーがバーテンダー服でカウンターの向こう側に、もう1人見たことのない青年と共に立っていた。
ルインが俺を店の中に連れ込むと、胸を張ってドヤ顔を浮かべるが、
「経営者を連れ込んでも利益が本人に還元されるだけだぞ? 客カウントされないぞ……?」
「……あっ」
一瞬で自分の過ちを理解したルインが両肩を落としながら看板を担ぎ、再び店の外へと向かってとぼとぼと歩いて行く。その姿を見送ってからカウンターでバーテンダーのまねごとをしているルシファーへと視線を向けた。
「今日はサックス鳴らさんのか?」
「客がいないからな、布教が出来ないのだ、マイフレンドよ」
「出店する場所絶対間違えてるって……」
「ふっ……」
ルシファーはそう言われると少しだけ笑いを零し、迫真の表情を浮かべた。
「お前がエメロードに行くからエメロード支店作ると断言して実行したのはあの女だ。需要とか何も考えてないぞ」
「嘘でしょ」
これには猫も宇宙猫顔。にゃーん、と何も考えていないルインの行動に思考を放棄してしまう。いや、うん、なんというか……うん……言葉が見つからない。なんか、もう、あの女本当に誰かが見てないと駄目じゃないかなぁ。というかこれまでの黒字、これだけで全部吹っ飛んでる気がするんだけどもしかして気のせい? 気のせいであってくれ。アイツの口座もう凍結した方がいいいんじゃねぇかなあ……。
まあ、それはそれとして、
「るっしーの横にいるの新人?」
俺がその言葉を向けるとルシファーの横で目に解るぐらい挙動不審という段階を超えたレベルで体を震わせている青年の姿があった。ざっくり切られた青髪をオールバックに流している青年はこっちの視線を受けると滅茶苦茶体を震わせながら、
「あ、あ、あの、あの、その、ぼ、僕」
「あぁ、こいつは店舗が増えた関係で新しく雇ったバイトだ。辺境にいたんだけどやる気があるからこっちに連れて来た」
「ヴぁ、ヴぁヴぁヴぁ、ヴァーシーです! 僕! エデンさんの大ファンなんです!!! あの、何時も応援してます! 格好良い所が好き!! あっ、ご、ごめんなさい! 迷惑でしたよね!? 気持ち悪かったですよね!? 死にます!!!」
「死ぬな」
唐突にナイフを持って自殺を試みるバイトを止める様にルシファーが横から手を出してガードする。必死に自殺しようとするヴァーシーの姿を見て、またすげぇ濃い奴が増えたなと思う。唐突に自殺を試みるバイトなんて見たことないぞ。
「まあ、特に何かしたって訳でもないけど……その、応援ありがとう」
「あ、ぃぇ、ぅっす……」
顔を両手で隠したヴァーシーがそのままその場で蹲ってカウンターの下に隠れてしまう。そんな風に姿を消してしまった限界オタクの姿を見て、腕を組みつつ首を傾げる。
「大丈夫かこの店」
「大丈夫に見えるなら眼科をお勧めする……この世界にはないがな」
「行けないんじゃな。いや、まあ、欠片も大丈夫そうには見えないけど」
そう言うとルシファーはだろうな、と頷き、此方へと向かって見事なサムズアップを向けてくる。
「そういう訳で当店の売り上げはフレンドがどれだけここを宣伝できるかで決まる。ふふ、マージンが欲しいか? 盛大に宣伝してくれ。俺も早くステージに戻りたい」
「もうさあ、何をしても地獄なんだよなあ、この店」
溜息を吐きながらカウンター席についたら指で軽くカウンターをタップする。それに笑みを零したルシファーがカクテルを用意し始める。その姿を頬杖を突きながら眺める。
「器用だなあ、お前」
「長く生きていればそれだけ暇な時間が増えるのさ、マイフレンド。そして退屈とは毒薬の様なものだ。浴びれば浴びる程体にしみわたって末端から腐らせて行く。抗うには何かに打ち込むのが一番さ。それこそ下手な物ほど良い……上達するのに時間がかかるからな」
「その努力家思考には脱帽だわ」
「長く生きていればその分忍耐強くもなる。その内解るさ」
「その内、ねぇ」
みゃあ、と鳴き声を零しながら横の椅子に上がった猫の前にミルクが、そして俺の前に透き通った赤い色のカクテルが置かれた。軽く手に取って匂いを嗅ぎ、カクテルの中に混じった僅かなフルーツの匂いを感じ取ってから口を付ける。度数は高くなく、甘い。飲みやすくさらっと喉を通る感覚は悪くない。
まあ、こうやって静かに飲める場所が無くなるのは嫌だし……似たような趣味を持つ人を見つけたら宣伝しておくかなあ。
そんな事を考えながらエメロードでの夜が更けて行く。
感想評価、ありがとうございます。
黒幕! 加害者! デバフ! 顔が割れていないので当然のように出現します。