無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
“HELLO WORLD”停止から三日が経過した日の事。
その日は土曜日だったので、小鳥は家にいた。といってもひとりで過ごしていた訳ではなく、仲間が遊びに来ていたので家にいたというだけである。
遊びに来ていたのは楓と紗由だった。他のメンバーも誘ってみたのだが、それぞれ事情があったため、この面子となった。
組織の停止後、仲間と会う機会は減少した。相変わらずお昼は楓や叶と一緒に食べているし、廊下ですれ違えば言葉を交わすが、交流といえばそれだけだった。小鳥はそれを寂しいと思っていたものの、再開するまでの辛抱だと考え、修行に励んでいた。
といってもそんな事ばかりでは疲れてしまう。なので、背中を預け合う仲間ではなく、単なる友達として遊びに来てくれたのは嬉しかった。
遊ぶといっても、家の中でできる事は限られている。最初は話をしたり、テレビを見たりして過ごしていたのだが、やがてそれに限界を感じ、どこかに出かけようという結論に落ち着いた。
とはいえ、“Hello World”の件もあり、外に出にくい状況となっている。日常生活を送る分には気にならないし、いじめなども特にはないのだが、時折向けられる冷たい視線によってじわじわとストレスが溜まっているのも事実なのだった。
どうしようかとみんなでうんうん悩んでいると、仕事場の方から父の声がきこえてきた。依頼人が来たようだ。
今日は珍しく父が家にいて、仕事場でデスクワークをしていた。普段は美桜に任せて自分は外での活動に専念するのだが、依頼を一通り解決した事もあり、美桜と分担して事務作業を行っていたという訳である。
探偵事務所は基本的に盆正月くらいしか休まないので、依頼が来る事はおかしな事ではない。居住スペースにいても声がきこえてくるので、遊びに行くか否かを考えながら父と依頼人のやり取りをきいていた。
「……それで、わたしの友達がいなくなってしまって……」
声がきこえるといっても、そこまで鮮明にきこえる訳ではない。しかし、小鳥は常人より耳がいいので、会話をはっきりとききとる事ができた。
依頼人の声にきき覚えがあったので、おやっと思った。仕事の邪魔をするのも悪いかなと思ったが、気になったのでそっと覗いてみる。
「小鳥、どうしたの?」
「お腹でも空いた?」
小鳥の行動に興味を持ったのか、ふたりも集まってきた。
「今、お父さんがお客さんと話をしてるんだけど、お客さんの声にきき覚えがあって……」
ひそひそと話していると、仕事場から「小鳥、そこにいるのは分かってるぞ……ちょうどよかった、ちょっと来てくれ」と父の声がした。
「バレてた……」
小鳥はバツが悪そうな表情を浮かべ、仕事場へと移動する。ふたりもそれに続いた。
仕事場にはコーヒーの香りが充満していた。ふたつあるデスクのうち、片方には美桜が座っていて、事務作業をこなしながら話をきいている。
応接セットには無銘と向き合う女性の姿があった。その顔を見て、やはり知り合いだったと確信する。
女性の名は
セミロングの黒髪に水色の目。優しい雰囲気を纏う女性で、実際に誰からも好かれるような性格をしていた。
「やっぱり咲ちゃんだったんだ」
「小鳥ちゃん、こんにちは。ちょっと無銘さんにお願いしたい事があって来たんだ」
そう言って咲は微笑む。心なしか、その笑顔に陰があるように思えた。
「咲ちゃんがお父さんに依頼?珍しいね」
「咲ちゃん、みんなにも話してくれるか?」
無銘が咲にきくと、咲は頷いた。
「悪い、全員分の椅子がなくて……あ、そうだ。ちょっと狭いけどここに座ってくれ」
無銘は応接セットのソファから立ち上がり、自分のデスクに座る。
小鳥たちがぎゅうぎゅう詰めになりながら座ると、咲はこう言った。
「実は、わたしの友達が行方不明になっていて、無銘さんに調査をお願いしていたところだったんだ」
「それって警察に届け出た方が早いんじゃ……」
紗由の言葉に、咲は困ったように眉根を寄せる。
「確かにそうなんだけど……でも、無銘さんしか頼れる人がいなくて……」
「無銘さんしか頼れる人がいない……?」
それはどういう事だと楓が首を傾げる。
咲は「詳しく話すね」と言って、事情を説明してくれた。
* * *
三日前、些細な事をきっかけにして、咲は同居している友人とけんかをしてしまった。
咲は穏やかな気質であり、争い事を好まない性格である。なので他人と言い争いになるという事はほとんどなかったのだが……なぜかその日だけは、友人の態度に腹が立ち、自分で自分を制御できなくなってしまった。
友人はいわゆる天才肌で、昔から何事もそつなくこなせるような子だった。そのため、周りとの差が開いていき、気付いたらひとりぼっちになっていたという過去があった。そのため、思った事はすぐに口に出し、協調性も皆無に等しいという嫌われ者を体現したような人間になっていってしまっていた。
そんな友人を唯一制御できるのが咲だった。とある事情により一緒に暮らすようになってからは、咲にあてられてか友人の性格も次第に改善されていった。その点では上手くやっていけていたといえるだろう。
しかし、結果的には言い争いになってしまった。その日はふたりにとって
友人は家を飛び出していき、残された咲はそれを放置していた。怒りが収まらなかったのだ。
一日が経過し、二日が経過し、そして三日が経過した。連絡はなく、メッセージは既読にならず、咲はひとりぼっちになった。
怒りが収まったあと、咲はあらゆる手を尽くして友人を探した。しかし手がかりすら見つからず、それどころか捜索を拒否される事さえあった。友人は社会から拒絶される存在であり、そんなヤツが消えたところで誰も何も思わなかったからだ……咲以外は。
失意の中、咲は最後の希望を求めて探偵事務所の扉を叩いた。無銘とは以前から交流があったし、話をきいてくれると思ったからだった。
実際、無銘は親身になって話をきいてくれた。そして一通り相談し終えた後に小鳥たちが現れ、今に至るという訳である。
* * *
「あたしも一緒に探す」
話をきき終えた小鳥は咲の目を真っ直ぐ見て言った。
「小鳥ちゃん……」
「友達とけんかしたままにしておけないし、そのままさよならってなるのが嫌だって事もよく分かる。今ははろわるが動けないから人数が集まるかどうか分からないけど、一緒に探すよ」
「あたしも探す!それがあたしの役目だもん!」
「私も探しますよ〜。人数は多い方がいいしね」
楓と紗由もそれに同意する。咲は嬉しそうに「みんな、ありがとう……」と微笑んだ。
「それで、その人ってなんて名前なの?」
「名前は
咲はバッグから一葉の写真を取り出し、テーブルに置く。咲ともうひとり、女性が写っていた。ところどころが跳ねた黒髪に気だるげな紫色の眼。美人ではあるが、どこか退廃的な雰囲気を纏う女性だった。
「この人がフキワタさん……そういえばフキワタってどんな字?」
咲は携帯端末を取り出すとメモ帳のアプリを開き「吹綿秕」と入力した。
「ほえー……珍しい名字だね」
「秕ちゃんは施設の出身で、吹綿はその施設の院長の名字だとききました。本当の名前は分からないけど……」
咲の言葉をメモしていた無銘は「なるほどな……」と呟いてから顔を上げ、咲を見た。
「依頼は受けるよ。報酬は成功報酬だけど経費だけは請求する。大丈夫か?」
「はい。よろしくお願いします!」
咲は深々と頭を下げる。
無銘はそれを受け、小鳥たちにこう提案をした。
「みんなには出来る範囲での情報収集を頼みたいんだが……出来るか?」
「おーきーどーきー!ついでにお昼食べてくるね」
小鳥はサムズアップする。その横では楓と紗由がお昼だお昼だとはしゃいでいた。
咲はその様子を微笑ましく眺め、それから無銘に言った。
「わたしも何かお手伝いします。わたしだけ何もしない訳にはいかないし、秕ちゃんの事が心配だから……」
無銘は驚いて咲を見た。
依頼人がこんな事を言うのは初めての事だった。普段なら「それは自分の仕事だから」と断るが、咲の決意が固い事を見て取ると、「……分かった」と頷いた。
「なら、小鳥たちに付いてやってくれ。詳しく話をきかせてやってほしい」
「分かりました」
「美桜ちゃんは雑務をこなしておいてくれ」
「もう終わりました」
「あー……なら、ネットでの情報収集を頼む」
「了解しました。皆さんもお気を付けて」
それで各々の役割が決まり、行動を開始した。
時刻は一時半。お昼にはちょうどいい時間帯だった。
* * *
小鳥たちは情報収集を任されているため外出したのだが、本格的に動く前にまずはお昼を食べようという事になった。
きいてみたところ、咲も何も食べていないという事だったし、腹が減ると動けなくなるからという理由もある。食事先で話をきけるかもしれないし、合理的だ……というのは、メンバーの中で最も空腹だった小鳥の弁である。
熱く語る小鳥を見て、楓が苦笑混じりに言った。
「そんなに熱く語らなくてもお昼は食べるよ……」
「小鳥ってお腹が空くと変に雄弁になるよねぇ……現国の文章問題でひいひい言っていた人と同一人物とは思えないんだけど……」
「ひいひいなんて言ってないもん……ちゃんと解けたし」
紗由の言葉に、小鳥は頬を膨らませて反論する。
しかし、楓の指摘によって更に追い詰められる事となった。
「でも、この前の中間テストって六十点だったんだよね?小鳥にしては点数取れてた方だとはいえ、平均点にすら届いてなかったみたいだし……」
「うぐぅ……そ、それはそうだけど、赤点じゃなかっただけマシだもん……」
「あたしでさえ赤点は取った事ないよ?もうちょっと頑張ろうよ……」
「い、いいもん!今度よいちゃんに勉強教えてもらうもん!」
「なんで学校に通ってる方が勉強教えてもらうんだよ。どう考えても逆でしょ」
紗由の突っ込みに、小鳥は「うぐっ……」とボディーブローを打ち込まれた時のような声を発して沈黙する。
そんな微笑ましい(と言えなくもない)光景を見て、咲は微笑んでいた。
「咲ちゃん〜勉強教えて〜」
「いいけど……その前にどこが分からないのかはっきりさせておくといいと思うよ」
「えぇ……どうして?」
「あまりにも理解してなくて夜宵と咲さんが一から教える羽目になったからでしょうが」
楓が呆れたように言う。彼女もあまり成績がよくないが、それでも小鳥よりはまだマシだった。
餅のように膨れる小鳥はひとまず放置しておいて、紗由が咲にきいた。
「食べたいものとかありますか?」
「うーん……特にはないかな。みんなが好きなもので大丈夫」
「なるほど。ふたりは?何か食べたいものある?」
「あたしはないかな……小鳥は?」
「美味しければなんでも大丈夫」
「じゃあなんでも大丈夫だね。小鳥が食べ物を不味いって言ってるところ見た事ないし」
劇物を作り出す割には、小鳥の味覚は常人とそこまで変わらない。ただ、食べられる物の範囲が人より広いというだけである。
とはいえ、全員がなんでもいいとなると決めるのは面倒になる。五秒ほど考えてから、咄嗟に思い浮かんだ店の名前を言った。
「……じゃあ、“はるかぜ”はどうかな。最近行ってないし、あそこの料理は何でも美味しいし」
「そうだね。そうしよっか。ふたりもそれでいい?」
小鳥がきくと、ふたりは大丈夫だと頷いた。
という訳で、馴染みの喫茶店でお昼を食べる事になった。
行き先が決まり、お昼を食べられると分かった一同は機嫌が良くなり、足を早めていた。周りに人がいなかったら鼻歌を歌っていたかもしれない。
そうして機嫌よく歩いている途中、小鳥が咲の首元を見て、
「咲ちゃん。首のところ、虫に刺されてるよ?」
と何気なく言った。
「えっ?」
途端に咲がはっとした表情を浮かべ、その部分に触れる。確かに、虫刺されのようなものがあった。
「あ、ここにもある……咲ちゃんの血、凄く美味しいのかな」
「え、いや、その……これは……」
同じようなものが首に複数ある事を指摘すると、何故か咲が赤面した。
理由が分からず、小鳥は首を傾げる。
「大丈夫だよ。ただの虫刺されだし、ここには虫刺されフェチの人はいないよ」
「そういう問題じゃないと思うけど……って、これは……」
楓も咲の首を見て驚いた表情になった。隣にいた紗由を引き寄せ、小鳥と咲にきこえないように言う。
(ねぇ紗由、これって………)
(虫刺されではないね。誰に付けられたのかは知らないけど……)
紗由も気付いたのだろう。未だに首を傾げている小鳥を不思議そうに見る。
(もしかして、気付いてない?)
(というか本当に虫刺されだと思ってるっぽいね……純粋だなぁ)
ふたりの視線の先で、小鳥は疑問符を頭に浮かべながら咲に話しかけていた。
「後でお薬塗ってあげるね。結構赤くなってるし、悪い虫にでも刺されちゃったのかな?」
「そ、そうだね……刺されちゃったみたいだね……あはは……」
咲はしどろもどろになりながら答える。
その裾をくいっと引っ張り、紗由は小鳥にきこえないくらいの小声できいた。
(……咲さん)
(な、なあに……?)
(……えっちなことしたんですね?)
(ぅ……)
あまりにも核心をついた質問だったので、咲はますます赤面した。
そんな感じで少し変な空気になりながらも、四人は歩き続けた。
……目的地まで、あともう少し。