無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
“喫茶はるかぜ”は松ヶ崎町に所在する小さな喫茶店である。
松ヶ崎町は冬天市の中でも特に田舎の雰囲気が漂う町だが、この喫茶店はその中でも比較的活気がある場所だった。
お昼のピークは過ぎたが、小鳥たちが中に入ると何人かの客がいた。この場所で作業をする人もいるため、完全に人が絶えるという事はないのだろう。
「いらっしゃいませ」
「やあ爽介。ご飯食べに来たよ」
小鳥たちを出迎えたのは爽介だった。休日はこの喫茶店でアルバイトをしており、今では貴重な戦力との事だった。
「お好きな席にどうぞ。あ、琴音さんもいらしていたんですね。お久しぶりです」
「東くん久しぶり。今日もバイト?」
「はい。だんだん慣れてきました」
「それは良かった。無理だけはしないでね」
小鳥たちは席に座り、メニューを眺めながら何にしようか考える。
しばらくして何を食べるか決めたので、近くにいた店員を呼んだ。その店員も小鳥たちの知り合いだった。
「お、歌姫!久しぶりだね〜」
「小鳥と楓、紗由と琴音さん……ね。珍しい組み合わせだね」
「色々あってね。注文いいかな?」
「どうぞ」
注文を取りに来たのは小柄な少女だった。紅い目に薄紫色の長い髪の少女で、名前を
姫名は注文を取り終えると去っていった。
料理が来るまでの間、雑談で暇を潰す。この喫茶店は三年ほど前にリニューアルオープンしたものだったが、それまで勤めていた店員がほとんど独立してしまった事もあって従業員が不足気味だった。といっても時折“HELLO WORLD”の連中が手伝っているし、正規で働いている従業員は総じて高スペックだったため、何とかやっていけているようだった。
まず最初に飲み物が運ばれてきて、しばらくして料理が運ばれてきた。料理を運んできたのはまた異なる店員だったが、やはり小鳥たちの知り合いだった。というかここの従業員は全員知り合いだったりするので、知らない顔はいないのだが。
「お待たせいたしました。カレーライスとナポリタンになります」
店員は滑らかな動作でテーブルに料理を置いていく。ちなみに、カレーライスとナポリタンがそれぞれふたつずつだった。定番といえば定番である。
店員は後ろで結われた赤紫の髪に紅い瞳という外見だった。年齢は無銘と同じなので三十代後半の筈だが、年齢に似合わぬ若々しい外見の男性だった。
名を、
「柘榴さん久しぶり。ここの暮らしにはもう慣れた?」
「そうですね。段々慣れてきました。記憶はまだ戻りませんが……」
「そっか……でも、慣れてきたならよかったよ」
小鳥の言葉に、柘榴は少し陰のある微笑みを浮かべる。
と、ナポリタンに取り組んでいた楓が柘榴にきいた。
「そういえば柘榴さん、マスターがいないみたいだけど……」
「マスターは病院に行きました。いつも通り、木野さんのお見舞いをしています」
その言葉をきいて、全員の顔が曇る。
「そっか……ごめんね、空気悪くしちゃって……」
「ん、大丈夫。今度お見舞い行こうよ」
「そうだね」
紗由と咲は楓を励ますように言う。
雰囲気が重くなった事を察してか、柘榴がこんな事を教えてくれた。
「今日は帆紫さんもお手伝いに来ているので、スイーツが特に美味しいですよ」
途端に女子高生三人の目が輝いた。帆紫は時折この喫茶店を手伝いに来ているのだが、お菓子作りを趣味にしている事もあり、彼女がいる日はスイーツが特に美味しくなる。
ラッキーだったねとはしゃぐ三人を見て、咲は微笑み、柘榴に日替わりスイーツを四つ注文する。
柘榴は雰囲気が戻った事を確認すると「ごゆっくりどうぞ」と言って下がった。
* * *
しばらく無言で食事を続けた後、紗由が咲にこうきいた。
「そういえば秕さんってどんな人だったんですか?」
言外に「首についているキスの痕と何か関係があるのかききたい」という意図を込めた質問に、咲は少し狼狽えながら、
「ええと……少し長くなるけど話すね」
そう前置きしてから、秕と過ごした日々を語り始めた。
* * *
わたしが秕ちゃんと出会ったのは、中学の吹奏楽部での事だった。
当時から才能があったけれど協調性がなかった秕ちゃんは周りから嫌われ、いつもひとりぼっちだった。
唯一、わたしだけは秕ちゃんに苦手意識を持っていなかったので、秕ちゃんに関わる事柄はわたしに回され、一緒にいるようになった。
……今思えば、その時からわたしは秕ちゃんに惹かれていたのだと思う。何を言われようと平然としている秕ちゃんは、周りに合わせる事しかできないわたしにとってある種の憧れともいえる存在だった。
ある意味では正反対なわたしたちだったけど、いい友達だったと思う。わたしといる時、秕ちゃんはよく笑ったし、他の人には見せない顔を見せてくれた。それを他の人に見せればもっと馴染めたのだろうけれど、秕ちゃんは絶対にそうしようとはしなかった。
とにかく、そんな感じでわたしたちは幸せな毎日を過ごしていた。
そんな時、わたしの身に劇的な変化が起きて……それにより、わたしたちの関係も変化する事になった。
・ ・ ・
中学二年生の夏休みに、わたしたちは全国吹奏楽コンクールに出場した。
ここで金賞を取る事ができれば、前代未聞の快挙となる。そもそも、地方の弱小吹奏楽部が全国にまで上り詰めるというだけでも例がなかった。わたしたちにとっても現実味のない舞台だったし、まるで夢の中にいるようだった。
しかし、そんな現実味のない時間は突如終わりを告げ、厳しい現実が襲いかかってきた。
演奏中にわたしがミスをしてしまったのだ。それも、ティンパニの配置ミスという致命的なものだった。
当然、金賞なんて取れるはずもなく、今まで友達だと思っていた部員たちはわたしに対する鬱憤をいじめという形で晴らすようになった。
心無い言葉を浴びせられ、暴力を振るわれ、部員たちに唆された男子に襲われかけた事もある。
部員たちの怒りは収まる事を知らず、中学を卒業し、高校を卒業し、大学に入学してからもいじめは続いた。
それは次第にエスカレートしていき……わたし以外の人を巻き込む事件にまで発展した。
わたしの実家が、何者かによって放火されたのだ。わたしは既に実家から出ていたが、家族は救助が間に合わず、全員が死亡した。
事件の首謀者──元吹奏楽部員の中に警察関係の知り合いがいた事もあり、事件は事故として処理された。結果として、首謀者たちは何事もなかったかのように日常へと戻っていき、わたしは全てを喪った。
その時、わたしは壊れた。
泣き叫び、打ちのめされ、自殺を考えた。
大切な家族だった。
まだ恩返しも出来ていなかった。
感謝も伝えられていなかった。
だけど、もういない。
わたしがあの時、ミスをしてしまったから……。
ぜんぶ、わたしのせいだ。
そう思って、わたしは自分の命を終わらせようとした。
ナイフを首に突き刺し、大切な血管を切断した。
痛みはない。ただ、酷く熱かった。
血が沢山出て、そのうちに躰が冷たくなって、視界がぼやけてきた。
やっと死ねるんだな……そう思った時、きき慣れた声がきこえた。
「どうせ死ぬならあたしも連れていけよ」
いやだ。
あなたには生きていてほしい。
わたしはそう思った。もしかしたら、言葉を発していたかもしれない。
「なら、あんたも生きろ。それで生きてみて、死にたくなったら言え。その時はあたしも一緒に死ぬからさ」
その言葉をきいた瞬間、意識が薄れていった。
やっと死ねるという安堵は、何故か消えていた。
・ ・ ・
……結果として、わたしは死ねなかった。
秕ちゃんが救急車を呼び、わたしを助けてくれたからだ。
傷が癒えるまでの間、秕ちゃんはずっとわたしに付き添ってくれた。
慰めの言葉はない。ただ寄り添ってくれているだけだったけれど、それだけでわたしは救われた。
そして傷が癒え、退院するという段階になって、秕ちゃんはわたしにこう言った。
「行くあてがないんだろ?あたしのアパートで良ければ住んでもいいけど」
「いいの……?」
「放っておく訳にもいかないだろ。家賃を折半すればあたしも楽になるし、それに……」
あんたはあたしの友達だからなと秕ちゃんは照れ臭そうに言った。
死にたいと思っていたけれど、ここにひとり、わたしに生きていてほしいと思ってくれている人がいた……それが嬉しくて、気付いたらわたしは秕ちゃんの腕の中で泣いていた。家族が死んで以降、枯れ果てていた涙だった。
・ ・ ・
その日から、わたしと秕ちゃんは一緒に暮らす事になった。
最初の頃は悪夢を見てばかりで、大学を休学して家に閉じこもっていた。収入源は銀行口座に残ったお金と、秕ちゃんがバイトをして稼いでくれたお金だけ。誰がどう見ても、わたしが迷惑を掛けている事は明らかだった。
だけど、そんな時でさえ秕ちゃんはわたしを見捨てなかった。何も言わずに抱きしめてくれたし、一緒に寝てくれた。
そうされているうちに、秕ちゃんを喪いたくないという気持ちとずっと一緒にいたいという気持ちが混ざり合い、溢れ出て、感情の箍が外れた。
気付くと、わたしは秕ちゃんと唇を重ねていた。最低な行為だと思いつつも、そうせずにはいられなかった。
秕ちゃんはわたしの唇を受け入れて、それから優しく抱いてくれた。
「人として当然の行為だろう。あたしは気にしていないから、全部ぶつけるといい」
そう言いながらも、秕ちゃんの頬は仄かに赤らんでいて。
それを見たわたしは躊躇う事なく自分のエゴをぶつけて、ぐちゃぐちゃに気持ちよくなった。
秕ちゃんもまた、わたしに自分のエゴをぶつけてきた。そうしてふたりでお互いを世界に繋ぎ止めて、裸のまま抱き合って眠った。
そんな事が何回かあり、首の痕はその時についたものだった。
壊れかけた、歪な関係だという事は分かっていた。
だけど、幸せだった。
・ ・ ・
その後、わたしは何とか復学し、奨学金とアルバイトで何とか生き延びる事ができた。
秕ちゃんは高校を卒業した後、施設を出てひとり暮らしを始めていた。定職には着いておらず、バイトをいくつか掛け持ちしていた。
生活は予想以上に大変だった。今までは親の仕送りがあったが、その親はもういない。
講義を受けて、バイトをして、へとへとになって帰る毎日。それでも秕ちゃんと一緒に暮らすのは楽しかったし、生きていていいと素直に思えた。
なのに、些細な事でけんかをしてしまって、半ば絶交したままなんて……。
そんなの、絶対に嫌だ。
わたしは秕ちゃんに救われた。だから、秕ちゃんを悲しませる事があってはならないのだ。
わたしは嫌われてもいい。だけど、秕ちゃんだけは幸せにしたい。
その為なら、自分がどうなっても構わない。
無銘さんや小鳥ちゃんたちを巻き込んでしまった事が気掛かりではあるけれど、それ以外に手段が残されていないのも事実だった。
わたしは無力な大学生でしかないし、異能力も持っていない。事件解決のプロに頼る他、方法はなかった。
……絶対に、秕ちゃんを見つけてみせる。
改めて、わたしはそう誓った。
* * *
咲の話が終わる頃には、全員が食事を終え、店にいる客が少し減っていた。ちなみに、スイーツはまだ届いていない。話の邪魔をしないようにという配慮か、帆紫が気合いを入れすぎているか、どちらかだろう。
秕との出会いから現在に至るまでを話したが、もちろん過激な部分は省いている。特に、秕との関係は完全な共依存であり。高校生には刺激が強すぎると判断したため、簡単に話すだけに留めた。
話をきき終えた小鳥たちは決意を新たにしたり、じっとキスマークを見つめたり、少し赤くなりながら飲み物を飲んだりと三者三様だった。
だが、すぐに話題が「どうやって秕を探すか」に切り替わると、三人の表情が真剣なものになった。
「行方不明だしね……人海戦術しかないか」
「他のメンバーにも探してもらうようにお願いしてもらおうよ。組織として動く訳にはいかないけど、個別で動くなら大丈夫だろうし……」
「そうだね。グループにメッセージ送っておく」
紗由が端末を取り出し、メッセージを送る。
それを見ながら、楓が「フレデリカさんにも目撃情報を集めてもらおう。茨羽さんと朝倉さんは……無銘さんが頼むかな?」と呟いた。
「うーん、それは分からないけど……どちらにせよ、はろわるで情報共有すれば伝わるんじゃないかな。実際、さよりんは関わってる訳だし」
「それもそうか……」
と、その時、帆紫がスイーツを運んできた。
「お待たせしました!日替わりスイーツです!」
テーブルの上に置かれる四つの皿。そこに乗せられたのはアイスが添えられたパンケーキ。メープルシロップとバターがきらきらと輝き、シンプルではあるがとても美味しそうだった。
「きたぁーーーーー!ほむ姉大好き!愛してる!!!」
先程までのシリアスな雰囲気はどこへやら、女子高生三人組は物凄い勢いでスイーツを食べ始めた。写真を撮ってSNSに載せるという現代の常識は、この三人には通用しないらしい。
咲もひとくち食べてみる。パンケーキの上品な甘さとアイスの冷たい甘さが混ざり合い、とても美味しかった。
「ありがとう帆紫ちゃん……ん、すごく美味しい!」
「そう言っていただけると嬉しいです」
「やっぱりほむ姉最高だよ……生きててよかった……!!!」
小鳥は半分ほど蕩けている。そこまで甘味に飢えていたのだろうか。
帆紫は一礼すると下がっていった。バイト中なので携帯は見ていないだろうが、咲が小鳥たちといる事には特に反応を示していなかった。恐らく、爽介からきいたのだろう。
しばらく無言でスイーツを食べる。と、甘いものを食べて思考の速度が上がったのか、楓が「そうだ!」と声をあげた。
「どうしたの?」
小鳥が声をかけると、楓は生き生きとした表情で、
「秕さんを探す方法を思いついた!」
そう言って、とある手段をみんなに話したのだった。