無題奇譚〜Untitled tale〜   作:惰眠

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#12「悪意に満ちた練習曲」

「ん……」

 

 何か、ふにふにしたものが顔を触っている。

 その感触に、咲は意識を取り戻した。

 視界に映るのは見慣れない天井。その大半はこれまた見慣れない少女の顔に遮られている。

 咲が目覚めた事を確認すると、少女は咲の顔から手を退ける。これがふにふにした感触の正体だった。

 少女は綺麗な白髪をふたつに結び、ベレー帽を被っている。小柄な体躯は黒い外套によって包まれており、花車(きゃしゃ)な首には首輪が嵌められていた。

 

「あなたは……?」

 

 咲が掠れた声できくと、少女は困ったように眉根を寄せた。言葉の意味を認識しているか、怪しいところではある。

 咲はぐるりと周りを見渡す。部屋は壁も床も全てが灰色で、様々な拷問器具が置かれていた。

 だが、それを見ても咲はまだぼんやりしていた。夢と言われたほうがしっくりくる光景だったからだ。

 しかし、自分の手足に鉄の輪が嵌められている光景を見て、そんなふわふわした気持ちは霧散する。

 服は着ている。ただ見知らぬ寝台に寝かされ、拘束されているだけ。

 それでも、ただの大学生でしかない咲にとって、その状況は恐怖を増大させるのに十分な材料だった。

 それにも関わらず悲鳴をあげずに済んだのは、少女の存在があったからだろう。

 ふにふにの手は温かかった。それだけで奇妙な安心感を得る事ができるのだから、人間というのは不思議な生き物である。

 とりあえず、状況は把握した。明らかに異常事態ではあったが、今まで様々な事件を経験してきた事もあり、冷静さを取り逃がすような事にはならなかった。

 それに、自分がいなくなったと知れば小鳥たちが動くはずだ。咲は小鳥たちの実力を把握しているわけではなかったが、彼女たちが高校生でありながら街の自警団のような役割を果たしている事を知っていた。一部のネットニュースがそれを麻薬の力によるものだと騒ぎ立てていた事は咲も知っていたが、そんな情報に惑わされるほど愚かではなかった。

 とりあえず、何かしらの変化が生じるのを待つしかないという結論に落ち着く。

 そして──その変化は意外と早く訪れた。

 最も、咲が望むような変化ではなく、むしろ状況を悪化させるような変化に近かったのだが。

 

 

 唐突に部屋のドアが開き、ひとりの男が入ってきた。

 ボサボサの長髪に、汚れた白衣。赤い舌を蛇のように動かし、嬉しそうに近づいてくる。

 怖気が走る。咲は人を外見で判断するような人間ではないので、外見を見て忌避感を抱いたのではない。彼が自分を害そうとしている事が、明確に伝わってきたからだった。 

 男は少女に出ていけと手振りで示す。少女は一礼すると、部屋を出ていった。

 

「さて……」

 

 男は咲の頬に手を添える。少女のものとは異なり、冷たい手だった。

 

「キミが秕ちゃんの想い人かぁ〜。あの子には勿体ないほどの上玉だねぇ」

「……っ!?」

 

 その言葉に、咲の思考が硬直する。

 

「な、なんで秕ちゃんの事を知って……」

「そりゃあ、あの子はここにいたからねぇ〜」

 

 掠れた声に、男は愉快そうな声で応じる。

 秕がここにいた事をあっさりと認めた事に驚きつつも、それを上回る感情がすぐに生産され、咲は叫んだ。

 

「秕ちゃんはここにいるんですか!?」

「言葉の意味が分かってないのかなぁ? 僕は“ここにいた”って言ったはずだけど」

 

 つまり、この場所にはいないという事だ。

 なら──

 

「……なら、秕ちゃんはどこにいるんですか!?」

 

 嫌な予感がした。

 秕が別の場所に移動したならば“ここにはいない”と言う筈。なのにわざわざ“ここにいた”と過去形で言うのはなぜなのか。

 最悪の予想が頭を駆け巡る。

 当たってほしくない。

 しかし、男は愉しくてたまらないというように唇を吊り上げ──

 

「秕ちゃんはね、どこにもいないよ(・・・・・・・・)

 

 嫌だ。

 

 やめて。

 

 それ以上、言わないで。

 

 それ以上、きかないで……!

 

「どこにも……いない……?」

「そう、どこにもいない」

 

 男は咲の右耳に顔を近づけ、食むように唇を寄せる。

 そして──あまりにもあっさりと、その言葉を告げた。

 

「秕ちゃんはね、もうこの世にはいないよぉ〜」

 

 ふっ、と意識が遠のく。

 自分は絶望をありありと顔に出していたらしい。男はその顔を見て、とても嬉しそうに笑った。

 脳裏で、秕と過ごした思い出が再生される。

 それは掴む前に消え失せ、後には何も残らなかった。

 

「秕ちゃんは美人だけど嬲りがいはなかった。キミはどうかな?」

 

 もう秕ちゃんはいないんだし、僕のモノにしてもいいよね──男はそう言って、咲の服を脱がせていく。

 上半身は腹部までの柔肌が露出し、下半身は白い脚と水色の下着が露出した、弱々しい姿。それは男の劣情と嗜虐心を刺激するのに十分な姿だった。

 男は咲に覆いかぶさり、その肢体を蹂躙しはじめる。

 咲は思考を停止させたまま、その姿と灰色の天井を見ていた。    

 もう、全てがどうでもよかった。

 秕がいない世界に、自分が生きている意味はないのだから……。

 

 

 ──その時、バイブ音が鳴り、男は舌打ちしてから携帯端末を取り出した。

 

「……僕だよ。え? 侵入者が来たから隠れろ? 今いい所なんだから邪魔しないでよぉ〜……うん、うん、なるほど。異能対策室の所長が来たのか。じゃあ仕方ないかぁ……うん、分かってる。実験はちゃんとするよ。どうなるのかは僕も興味あるからね」

 

 男は通話を終えると、咲から離れる。小さく舌打ちをして、白衣から注射器を取り出した。

 それを咲の左腕に当て、中の薬液を投与する。いきなり接種されたので、咲は痛みに小さく呻いた。

 ──瞬間、躰が熱を持ち、それと同時に異様なほどの快楽が咲を蹂躙した。

 

「……っ!? ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 自分の意思とは無関係に躰が跳ねる。汗と涎がダラダラと溢れ、それと同時に温かい液体が股間を濡らした。それほどまでに強大な快楽だった。

 

「お、投与したらこうなるんだねぇ〜。いい顔するじゃないか……やっぱり作って正解だったよ」

 

 喘ぎ声の欠片を漏らしながらビクビクと痙攣する咲を見て、男はニヤニヤと笑う。

 そしてオペラ歌手のように手を広げ、祝福するかのように叫んだ。

 

「ようこそこちら側(・・・・)へ! これで、キミも僕たちと同じになった!」

 

 どういう事だときこうとしたが、躰は言う事をきかない。

 脳が蕩けるような感覚が続き、異常事態を感知したのか意識が急速に落ちていく。

 秕はどうなったのか、自分はどうなったのか、こちら側とはどういう事なのか──何も分からないまま、深い眠りへと落ちていく。 

 最後に見えたのは上機嫌で部屋から出ていく男と、変わり映えのしない天井だった。

 

 

 

 ──男が去って、咲が意識を失ってから数分後。

 部屋にひとりの少女が入ってきた。先程の少女と同じように首輪をつけており、髪も白髪だったが、こちらは長く、縛ってもいなかった。服装は素肌に白いワイシャツを纏っているだけというもので、下は履いていない。

 光を喪った茶色の瞳が、咲の姿を映す。意識を失い、人間としての尊厳も奪われたその姿に何か思うところがあったのか、少女は咲をじっと見つめた後、静かに行動を開始した。

 誰にも観測されていない、ささやかな出来事だった。

 

   *   *   *

 

 ──同時刻、風読家玄関ホール

 

 高価で悪趣味な調度品で飾りつけられた玄関ホールに、泊亮一の姿はあった。

 屋敷の中にはあっさりと侵入する事ができた。隠密行動はあまり得意ではないが、それでも誰にも見つからなかったので屋敷の警備は杜撰だといえるだろう。

 咲がどこにいるのかは分からない。引っ張りこまれた事だけは確実だが、その痕跡はどこにも残っていなかった。

 とりあえず、隠れながら探そう──そう思った矢先、

 

「ようこそ、風読家へ」

 

 背後からのそんな声に、亮一は咄嗟に振り向く。

 先程まではいなかったはずの男が、そこに立っていた。翡翠色の髪を後ろで縛り、丸眼鏡を掛けている。涼やかな目が知性を感じさせる、顔立ちの整った男だった。

 

「……風読博士」

「これはこれは。異能対の室長がどんな御用で?」

 

 男──風読夜見は珍しそうに亮一を見る。侵入を咎めるというよりも、なぜここにいるのか疑問に思っている様子だった。

 

「女の子がここに連れ込まれるのを見た人がいる、とききまして」

「それでアポイントもなしに入り込んだと。(いささ)か無礼な気もしますがね……まぁそれはいい。異能対策室の隊長という立場あるお方が、考えもなしに愚かな事をするとは思えないのでね」

 

 しかし──と、夜見は亮一に鋭い姿勢を向けた。

 

「少女が連れ込まれたという話は初耳です。我が風読家にそんな事をする輩はいないはずですが……幻覚でも見たのでは?」

「惚けるつもりですか。まあそれも無理はないか……風読家の権力で、大半の事件は揉み消せますからね」

 

 知り合いである茨羽陽香が風読家の人間だった事もあり、内部事情はある程度把握していた。

 風読家は警察関係に強い権力を持つ一族で、警察の上層部にも一族の人間がいる。故に、ちっぽけな事件なら容易く隠蔽できるという訳である。

 亮一が皮肉混じりの口調で言うと、風読は心外だというように肩を竦めた。

 

「どうやら随分と敵視されているようだ……分かりました。好きに調べてください。どちらにせよ、異能対の操作権限は警察のそれよりも強いですし、抵抗する気はありませんよ」

「……そうさせてもらいます」

 

 やけにあっさりと引き下がるな、と思ったが、向こうがそう言うならば断る理由もない。故に、早速操作を開始する事にした。

 近くにあった扉を開け、室内を調べようとした、その時──背後で風読が呟くようにこう言った。

 

「そういえば……異能対策室に、ひとり行方不明の職員がいましたよね? 確か、高凪(たかなぎ)とかいう……」

 

 その言葉に、思わず操作の手を止める。

 亮一が振り向くと、風読は薄く笑みを浮かべていた。

 

「……今は関係ない事です」

「私どもに干渉しなければ、その職員の捜索を手伝ってもいいのですがね……貴方の、大切な人なんでしょう?」

 

 風読の言葉に、亮一は黙り込んだ。

 彼が言っていた事は本当だ。亮一の古馴染みであり、異能対策室の一員でもあった職員──高凪ちとせは、四ヶ月ほど前に忽然と姿を消した。

 その出来事に、風読家が関わっているという噂はあったが、まさか当の本人からちとせの事を話題に出されるとは思っていなかった。

 動揺を押し隠しつつ、亮一は淡々と答える。

 

「……今は、連れ込まれた少女の捜索が優先ですから」

「流石は異能省の元長官。何を救い何を犠牲にすべきか、よく分かっている」

 

 風読は乾いた笑い声をあげる。明らかにこちらを挑発していた。

 亮一は内心の怒りを押し殺し、淡々と捜索を続ける。

 気付くと、風読の姿は消えていた。どうやら、好きに捜索していいというのは本当のようだ。

 いくつかの部屋を捜索したが、人はひとりもいなかった。風読家は使用人を雇っている筈だが、会ったのは風読ひとりだけ。その状況にどこか不気味なものを覚えたが、亮一はひたすらに咲を探し回る。

 痕跡がないので苦労したものの、二十分ほど探したところで、事態に進展があった。

 一階の東側を探していたところで、長い廊下の向こうから少女が歩いてくるのが見えた。

 咄嗟に身構えるが、少女はただこちらに歩いてくるだけ。敵意は感じられない。彼女は背中に意識を失った咲を背負っており、亮一を認識すると咲を床に横たえた。

 慌てて駆け寄り、咲の容態を確認する。意識を失い、衰弱していたが命に別状はないようだった。ひとまず安堵するが、念の為に異能を使って見てみると──

 

(……ん?)

 

 言葉にできないほど微弱ではあるが、小さな違和感があった。彼女の中で何かが変化しているような、そんな感覚だった。

 嫌な予感を覚えたが、この場では確かめようがない。咲を抱え、彼女を助けてくれた少女の方を見る。

 少女はその場に佇んでいたが、咲が亮一に救出された事を確認すると、その場から立ち去ろうとした。

 

「待ってくれ!」

 

 亮一が叫ぶと、少女は振り向いた。

 視線が交わる。光を喪っていた少女の目に、僅かながら輝きが戻る。

 その唇が、音を発することなく動いた。

 

 ──その子をよろしくね、泊くん。

 

「え……」

 

 一瞬だけ思考が真っ白になり、それが再起動する。

 その時にはもう、少女の姿はなかった。

 だが、先程までの出来事は確実に亮一の中に記憶されている。

 それが過去の記憶と結びついた時……自然と、その名前が出ていた。

 

日向(ひむかい)……?」

 

 確証は何もない。

 だが、そうとしか思えない。

 あの少女は──

 

「………」

 

 追いかけるか迷ったが、咲を連れて撤退する事を選んだ。彼女をこれ以上連れ回す訳にはいかなかったからだ。

 亮一は携帯端末を取り出すと、楓にメッセージを送った。

 

   *   *   *

 

 ──同時刻、風読家付近

 

 風読家から少しばかり離れた駐車場に、一台の車が停車している。

 運転席と助手席には赤坂親子が座っており、後部座席には楓と紗由、真中が座っていた。

 亮一が風読家に潜入したあと、高校生組は指示に従って行動し、無銘と真中を連れてきた。それからはこうして待機しているという訳だ。

 車内は緊迫した空気で満ちていた。楓と紗由はソワソワしているし、無銘と小鳥は緊張感を装着している。唯一、真中だけがその空気に流されず、アイマスクを着用してリラックスしていた。

 先程までは事情説明などで会話はあったが、それが終わってからは無言が続いていた。その空気に耐えきれず、楓が口を開こうとした、その時──

 

「……!」

「わっ!?」

 

 二台の携帯端末が同時に鳴り響いた。一台は楓のもので、もう一台は小鳥のものである。

 

「泊さんからだ!」

「和樹……? こんな時にどうしたんだろ」

 

 楓の携帯端末に入っていたのは亮一からのメッセージだった。咲を救出したから、転送をお願いしたいというものである。

 車内で能力を使う訳にはいかないため、楓はすぐに飛び出していった。

 一方で、小鳥の携帯端末には和樹からの着信があった。断りをいれてから車を降り、通話を開始する。

 

『もしもし……小鳥、今大丈夫か?』

「和樹……どうしたの? 」

 

 和樹の声は真剣なものだった。何かあったなと思い、小鳥は彼の声に耳を傾ける。

 

『メッセージは見た。事件に巻き込まれてるんだろ?』

「そうだよ。今、咲ちゃんを救出したって連絡があったところ」

『そうか。いなくなった吹綿って人は見つかったのか?』

「まだ見つかってない……」

 

 小鳥の言葉に、和樹は「やっぱりか……」と呟いた。

 

「やっぱりって……どういう事?」

『今、他のメンバーと冬桜山にいるんだが……多分、その人を見つけたかもしれない』

「えっ!?」

 

 予想外の報告に、小鳥は驚いた声をあげる。

 それを意に介さず、和樹は話を続けた。

 

『冬桜山の奥地に黒いコンテナがあって、その中で女性が倒れてるのを皐月日が見つけたんだ。僅かな隙間からしか見えなかったから断定はできないけど、多分その吹綿って人だと思う』

「そんなところにいたんだ……そのコンテナってぶち破れないの?」

『破ろうとは試みたんだが固くてな……それに、コンテナに近づくと躰が動かなくなるんだ。十中八九、何かの異能だろうな』

「……分かった、泊さんが戻ってきたら冬桜山に向かうよ」

『ああ、頼む』

 

 小鳥が通話を終えると、和樹から写真が送られてきた。採光の為か、一箇所だけ小さな鉄格子が設けられていたがそれ以外は真っ黒なコンテナで、写真からも異様な雰囲気が伝わってくる。

 小鳥が写真を見ていたちょうどその時、駐車場の向こうから亮一と楓が歩いてきた。

 咲は亮一に背負われており、意識を失っている。それを心配に思いつつも、小鳥は彼らと合流し、車まで戻った。

 そして全員揃ったところで、和樹からきいた話をみんなに話したのだった。

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