無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
亮一が咲を救出しようと動いていた、ちょうどその頃。
冬桜山の奥地で、何人かの少年少女が戦闘訓練をしていた。
茨羽和樹は鮮真翔一と組手紛いの事をしていたが、現在は休憩している。
その奥では御剣叶と朝倉零導が模擬戦を行っていた。刀と銃、どちらが強いのか決めるとの事だったが、両者とも得物の扱いに関してはプロ並みだったので一向に決着が付かない。というか模擬戦の範囲を軽く超えている。
そこからやや離れたところでは、皐月日夜宵とフレデリカ・リンドヴルムが戦闘訓練を行っていた。こちらは他のものとは異なり、ごく基礎的な戦闘訓練だった。
オペレーターとして活動している夜宵だが、仲間たちが意志アリナに惨敗した姿を見て、自分なりに修業を開始していた。同時にオペレーターとしての訓練も行っており、毎日クタクタになるまで特訓しているとの事だった。
彼らは最初から戦闘訓練をしていたわけではなく、一時間前までは各々の用事を済ませていた。用事を終わらせたのでこうして集まり、修業をしているという訳である。
本来ならここに小鳥たちがいてもおかしくはなかったが、彼女たちはとある事件に関わっているとの事だったので、このメンバーでの活動となっていた。
和樹は額に流れる汗をタオルで拭う。現在は六月の上旬で、暑いというにはいささか早い季節だったが、動けば汗は流れる。特に翔一との組手は必ずといっていいほど組手の領域を超えたものになるので、疲労感もかなりのものだった。
翔一はひとりで能力を使用し、戦法を試している。自分もかなり体力がある方だとは思うが、翔一のそれは常軌を逸している。彼の能力は使用するだけで体力を消費するし、最悪の場合は死に至るというのに、それを気にも留めない。ある意味では異常だといえるだろう。
近くにあった切り株に腰掛ける。ひんやりとした感触が疲れを癒してくれるような気がした。
首を動かすと、叶と零導の模擬戦が見えた。銃声と金属音が連続しているあたり、零導の銃弾を叶が斬りまくっているらしい。明らかに異様な光景だが、このふたりはよくこんな事をしていたので特に感想は抱かなかった。慣れすぎて感覚がマヒしているというのもある。
その様子を眺めながらスポーツドリンクを飲んで一息ついていると、夜宵とフレデリカがこちらにやってきた。
「和樹くん、お疲れさま」
「皐月日もな。どうだ、戦闘はこなせそうか?」
和樹がきくと、夜宵はうーんと唸って、
「銃ならなんとか扱えそうかな……一応、フレデリカさんに近接格闘術も教えてもらってはいるけど躰が思うように動かなくて……」
「ま、最初はそんなものだろ。というかフレデリカさんの近接格闘術とかエグいものを教えてるな……」
フレデリカは足技を中心とした近接格闘術を会得している。和樹は以前、彼女が蹴りで鉄を砕いていたところを見ているのでその凄さは把握していた。
その当人の方を見てみると、彼女は目を細めて微笑んでいた。
「私の格闘術は魔法を掛け合わせたものなので、それ単体ではただの格闘術でしかありません。ですが極めれば……いつか、鉄をも穿つようになるでしょうね」
そういえば彼女は魔法を使えたのだった、と和樹は思い出す。
フレデリカの魔法は治癒と重力操作である。魔法というよりは異能に近い能力ではあるが、現代に於いてこのふたつを区別する事にはあまり意味がない。なので誰がどう呼ぼうが自由なのだった。
先程フレデリカが言ったように、彼女の格闘術は魔法と組み合わせる事で絶大な威力を発揮する。しかし、仮に魔法が使えなくとも自衛の手段としては有効なので、夜宵が体得しても違和感はない。
非戦闘員である夜宵がここまで努力しているのだ。自分ももう少し頑張らなきゃなぁと思いながら和樹は立ち上がった。
翔一の方へと近づくと、彼はこちらを見て、「休憩はもういいのか?」ときいた。
「ああ。翔一は? 休憩しなくても大丈夫か?」
「問題ない。色々試しながら躰を休めたからな」
「それは休めたって言わねぇんだよ……はぁ、まあいいか。もう一度頼めるか?」
「分かった。手加減はしないからな」
「あぁ。今度こそついていってやる」
ふたりは組手を始める。
その時になって零導と叶も戻ってきた。疲弊した様子はないが、夜宵がタオルを渡すと礼を言って受け取り、乱雑に汗を拭っていた。
「夜宵さん、フレデリカさん、お疲れ様です!」
「ふたりともお疲れ様。今から休憩?」
「ああ。御剣に弾を斬られまくったから補充もしなきゃだし」
「補充?」
夜宵が不思議そうにきくと、零導は切り株の根元を探り、そこからゴム弾が入ったケースを引っ張り出した。
「なんでそんなものがあるんですか……」
「いざという時に備えてな」
「備えだとしてもそんな事しませんよ……」
呆れ顔で言う叶を他所に、零導はあちこちを探し回ってゴム弾を引っ張り出す。そこにあるのが当たり前と言わんばかりに引っ張り出してくるのが少しおかしかった。
「それ、散歩用のコースにも設置しているんですか?」
回収し終えたところでフレデリカがきくと、零導は首を横に振って、
「……散歩用のコースには隠していませんが、それ以外のところには隠してあります」
と平然と答えた。
フレデリカはその答えを半ば予想していたらしく「……そうですか」とため息混じりに呟いた。
と、ゴム弾を興味深そうに見ていた夜宵が思いついたように零導の顔を見た。
「……零導さん、わたしに銃の扱い方を教えてくれませんか?」
「分かった。拳銃で良ければ貸そう」
零導はあっさりと答えた。その様子を見て、叶がつっこむように言う。
「理由とかきかないんですか?」
「皐月日が努力しようとしている事は知っている。自分はそれに協力するだけだ」
「……まぁ、夜宵さんなら悪用する心配もないか」
その答えで納得したらしく、叶はうんうんと頷いた。
零導は腰に差していた拳銃を取り出すと、夜宵に渡す。ずっしりとした感触に、夜宵の顔が少しばかり引き攣った。しかしそれはすぐに消え、決意に似た表情が浮かぶ。
「奥の方で練習しよう」
「は、はい。あ、休憩はもう大丈夫ですか?」
「自分は問題ない」
「……分かりました。よろしくお願いします」
夜宵は頷く。
ふたりは組手をしている和樹たちの脇を抜け、さらに奥へと歩を進めた。
それを見届けた叶は、フレデリカの方を見ると、
「フレデリカさん。私たちも組手しますか?」
と無邪気な表情できいた。
「叶さんは武器なしでの訓練をした方がいいのでは?」
フレデリカが冷静に返すと、叶は「ゔっ……」と何かが詰まったような声を出して黙り込んだ。
叶は武器を持った状況下では超人的な強さを発揮するのだが、武器を持たないと夜宵に負けるほど弱かった。本人も気にしているらしく、基礎から鍛えてはいるのだが、いざとなると実力を出せない。
仲間たちも不思議に思い、異能研で検査をしてもらった事もあった。強力すぎる異能の代償だろうと結論付けられていたが、理由は未だに不明のままだ。
しかし、このままでいる訳にもいかない。叶はうーんと唸った後、「確かに、今のままという訳にもいきませんね……訓練相手をお願いできますか?」とフレデリカを真摯な目で見た。
フレデリカは頷くと、夜宵に教えたようなごく基礎的な事から解説を始めたのだった。
* * *
木々の間をふたつの影が飛び回る。
ぶつかり、離れ、またぶつかる──そんな繰り返しが何度か続いた後、影は停止して人の姿を取り戻した。
「キッツ……」
そう言って地面にぶっ倒れたのは茨羽和樹。異能を駆使して反応速度を上げ、限界まで運動能力を発揮していたのだが、その代償として躰は悲鳴をあげている。
「でも、前よりはついてこれるようになってるよ」
そう言ったのは鮮真翔一。異能の性質に加え、ほとんど休憩していないので彼の方が疲弊しているはずだが、それをおくびにも出さない。異常なほどの精神力である。
「そりゃどうも……それより翔一、マジで休まないと死ぬぞ」
「異能の持続時間は伸びてきてるんだけどな……まぁ、そろそろ休むか」
翔一は荷物が置いてある場所まで歩いていき、自分のバッグからタオルとスポーツドリンクを取り出した。和樹は動く気力すらないのでそれをぼんやりと見ていた。
その時、足音がきこえてきたのでそちらを向くと、夜宵と零導が戻ってきたのが見えた。なぜか浮かない顔をしている。
「どうしたんだ?」
和樹が声を掛けると、夜宵は悩むような表情を浮かべて、
「さっきまで零導さんと銃を扱う練習をしていたんですけど、その途中で妙なものを見つけて……」
「妙なもの?」
この辺りは散歩用コースからは完全に外れており、人は滅多に立ち入らない。おまけに木々が密集しているので薄暗く、お世辞にも雰囲気がいいとは言えなかった。だからこそ気兼ねなく訓練を行う事ができるのだが。
「見れば分かる。立てるか?」
零導が差し伸べた手につかまり、立ち上がる。
興味を引かれたのか、叶とフレデリカ、翔一もやってきた。
「どうしたんですか?」
「奥の方で妙なものを見つけて……」
「とりあえず着いてきてくれ」
零導はそう言うと、さっさと歩いていく。一同はその後を追いかけていった。
* * *
しばらく進むと、ふたりが言った「妙なもの」を発見した。
鬱蒼とした森の中に、真っ黒なコンテナが置かれていた。ちょうど、大型のトラックに備え付けられているものによく似ている。
採光の為か、一箇所だけ小さな鉄格子が設けられていたが、それ以外は真っ黒で、鬱蒼とした雰囲気に溶け込んでいる。とはいえ、異様な事には変わりなかった。
「これ、ただの倉庫なのでは? 業者が木を伐採する為の道具を入れているとか……」
叶の言葉に、零導は首を横に震る。
「ここらは散歩用コースから外れているし、人は滅多に立ち入らない。木の伐採なんてしてもなんの得にもならないし、そもそも倉庫をこんな奥深くに設置する理由が分からない」
「それもそうか……」
叶は目を横線にする。バカな事を言ったなぁと反省している顔である。
そんな叶を他所に、フレデリカがコンテナに近づき……壁に手を触れる直前で、小さくよろめいた。
「これ……何かの異能が付与されてますね。近付くと躰が動かなくなる」
翔一や和樹も近づき、顔を顰める。どうやら嘘ではないようだ。
「ますます怪しいな……中に重要な物でも入っているのか?」
「だろうな……って皐月日、お前は動けるのか?」
和樹が夜宵を見て驚いたように目を丸くする。
夜宵だけはコンテナに近づいても普通に動けていた。本人にも理由は分からないらしく、首を傾げている。
「う、うん……でも入口はないから中には入れないよ」
「そこの格子から中を覗けないか?」
翔一にそう言われ、夜宵は格子越しに中を覗く。少し高い位置にあるので背伸びをしており、携帯端末のバックライトで中を照らしていた。
しばらく目を凝らしていたが、やがて何かを見つけたらしく、「あっ!」と声をあげた。
「どうした?」
「暗くてあまり見えないけど、中に人がいる。どこかで見たような気がするんだけど……」
「誘拐か何かだろうな……その人の見た目は分かるか?」
「長い黒髪の女性……かな。意識を失っているみたいだから反応はないけど……」
夜宵は限界まで背伸びをし、記憶の中からその女性の事を探っていく。
思考が巡っていき、そして……
「……あ、思い出した!」
「何か分かったんですか?」
「この人……こっちゃんたちが探してた人だ!」
その言葉をきいて、一同の中で点と点が繋がった。小鳥や楓から送られてきたメッセージで、事情は把握していたからだ。
翔一と零導、フレデリカと叶がコンテナを破ろうと試みる。しかし付与された異能とコンテナの耐久性に阻まれ、上手くはいっていないようだった。
和樹が小鳥に電話をかけ、夜宵が異能対策室と連絡をとる。両者ともすぐに繋がり、会話を始めた。
「もしもし……小鳥、今大丈夫か?」
『和樹……どうしたの? 』
「メッセージは見た。事件に巻き込まれてるんだろ?」
『そうだよ。今、咲ちゃんを救出したって連絡があったところ』
「そうか。いなくなった吹綿って人は見つかったのか?」
『まだ見つかってない……』
小鳥の言葉に、和樹は「やっぱりか……」と呟いた。
『やっぱりって……どういう事?』
「今、他のメンバーと冬桜山にいるんだが……多分、その人を見つけたかもしれない」
『えっ!?』
小鳥が驚いた声をあげる。
それを意に介さず、和樹は話を続けた。
「冬桜山の奥地に黒いコンテナがあって、その中で女性が倒れてるのを皐月日が見つけたんだ。僅かな隙間からしか見えなかったから断定はできないけど、多分その吹綿って人だと思う」
『そんなところにいたんだ……そのコンテナってぶち破れないの?』
「破ろうとは試みたんだが固くてな……それに、コンテナに近づくと躰が動かなくなるんだ。十中八九、何かの異能だろうな」
『……分かった、泊さんが戻ってきたら冬桜山に向かうよ』
「ああ、頼む」
和樹は通話を終える。相変わらずコンテナは破られていない。
夜宵の方を見ると、彼女はまだ通話中だった。どうやら、やっと繋がったらしい。
「もしもし、皐月日です……覚寺さんですか? いきなりで申し訳ないのですが、今から冬桜山に来る事って……え、近くにいる? よかった……実は、奥地で妙なものを見つけて……」
夜宵は通話の相手に事情を説明すると、「すみません、よろしくお願いします」と言って通話を終えた。
「覚寺さんと桜井さんが近くにいるから向かうって」
「小鳥たちも今から来るそうだ」
お互いに報告しあった後、ふたりは黒いコンテナと、それを破ろうと奮闘する者たちを見る。
それからどちらともなく歩を進め、コンテナを破る作業に加わった。
* * *
それから十分もしないうちに、奥地に人がやってきた。
ひとりは長い黒髪に紫色の目の女性──桜井恵で、もうひとりは薄黄色の短髪の少年だった。服装はふたりともスーツである。
少年の目は包帯で覆われており、異様な雰囲気を醸し出している。しかしここにいる者でそれを気にする者はいなかった。
「急にすみません」
「室長からも命令がありましたので問題はありませんよ」
申し訳なさそうに言う夜宵に恵はそう言って微笑み、隣にいた少年に目を向ける。
「覚寺くん、頼めますか?」
少年は無言で頷くと、目を覆っていた包帯を解いた。
顕になったのは、水色の綺麗な目と、右目周辺を覆う火傷のような傷跡。これを隠すために包帯で目を覆っているであろう事は誰の目にも明らかだった。
しかし、もうひとつの理由がある事に気付く者は少ない。
覚寺
彼の目はサーモグラフィーのような形で異能を認識し、その全てを把握する事ができる。
壁に阻まれていようが関係ない。覚寺はコンテナをじっと見つめると、自らの異能に付けられた名前を呟いた。
──芸道地に墜つ
視界に広がる、常人には得られぬ情報。
それらを整理し、言葉にして伝える。
「……異能はコンテナに付与されているのではなく、中にいる女性のものだ。ウイルスを撒き散らし、それに触れたものを支配する異能だけど、制御はできていない。このままだと死ぬまでウイルスを撒き散らす厄災と化すだろうね」
「で、でも……この人が吹綿さんだとしたら、異能は持っていないはず……」
夜宵が言った。
秕が異能を持っていないという情報は小鳥からきいたものだった。小鳥は無銘からきいたらしい。
人違いだったか──一同はそう考えたが、それを覚寺が否定した。
「この人の異能は後付け……人為的に
「人為的に……? そんな事ができるのか?」
翔一の呟きには答えず、覚寺は恵に視線を向ける。
それを受けた恵は一瞬だけ思考を巡らせ、「まさか……」と厳しい表情を浮かべた。
「思い当たる節があるんですか?」
零導がきくと、恵は厳しい表情のまま、
「……恐らく、麻薬によるものです」
「麻薬……って、まさか……」
零導も同じ考えに思い当たったようで、顔を顰める。
恵は頷き、その仮説を口にした。
「この異能は、摂取した者を異能力者に変貌させる麻薬……“Hello World”によるものです」