無題奇譚〜Untitled tale〜   作:惰眠

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#17「ある少女たちの幻想曲」

「………ちゃん………きて……」

 

 誰かの声がきこえる。

 誰だろう。

 ここは暗闇で、あたしはその中を漂っている。

 こんなところに誰かが来るなんて、ありえないのに……。

 

「………っちゃん………おきて……」

 

 声はどんどん大きくなる。

 誰……?

 誰なの?

 あたしを呼んでいるのは誰?

 

 

「……こっちゃん、起きて!」

 

 

 ききなれた声。

 それを認識した瞬間、自分は世界と再接続を果たした。

 

「………はっ!」

 

 赤坂小鳥は我に帰り、きょろきょろと辺りを見回す。まだ頭が満足に働いていなかった。

 視界に映るのは黒い壁。そこがコンテナの中だと気付いた時、やっと思考が動き始め、自分が誰でどこにいるのかを思い出した。

 

「よかったぁ……いくら話しかけてもぼんやりしてるから心配したよ」

「……よいちゃん」

 

 自分の隣には夜宵がいた。その表情を見るに、自分はかなり心配をかけてしまったようだ。

 目の前では秕が倒れている。それを見て、なぜ自分がぼんやりしていたのかを思い出した。

 あの光景は何だったのだろう。

 とても鮮明で、夢とは思えない。

 一瞬だけその事について考えたが、今はそれよりもきかなければならない事がある。

 

「よいちゃん……あたし、どのくらいぼんやりしてた?」

「えっ? うーん、ほんの二、三分だと思うけど……ってこっちゃん、その眼どうしたの?」

「え? 眼って? ゴミでも入ってる?」

 

 手で目元を触り、軽く調べる。それから何回か瞬きをしてみたが、ゴミは入っていないようだった。そもそも入っていれば分かる気もする。

 夜宵はこちらをじっと見て、「……ごめん、なんでもない。見間違いだったみたい」と困惑した表情で言った。

 

「ならいいんだけど……って、そんな事より秕さんを助けないと!」

 

 小鳥は秕に近づき、脇の下に頭を入れる。言い換えれば、無理やり肩を貸した状態になった。

 

「よいちゃん! そっちお願い!」

 

 夜宵も意図を察したようで、秕に肩を貸す。

 引き摺るような形にはなってしまうが、何とか秕を支え、出口へと向かおうとした。

 しかし、その歩みはすぐに止まる事になる。

 コンテナの入口に、ひとりの少女が立っていた。それはこの場にいる筈がない少女で、それを見た小鳥は驚きと共にその名前を呟いていた。

 

「咲ちゃん……」

 

 咲はふらふらと歩いてくる。目には生気がなく、まるで操り人形のようだった。

 だが、それはコンテナに踏み込んだ瞬間に一変した。足取りが確かなものとなり、目に光が戻ったのだ。

 

「……あ……れ? なんで、こんなところに……」

「咲ちゃん、あたしたちが分かる?」

 

 小鳥が声を掛けると、咲はぼんやりした目でそちらを向いて、

 

「小鳥ちゃんと夜宵ちゃん……? わたし、たしか、注射されて……」

 

 喋っているうちに意識がはっきりしてきたのだろう。咲は目を見開き、「そうだ、秕ちゃんは!?」と叫んだ。

 

「落ち着いて咲ちゃん! 秕さんはここにいるよ! 意識はないけど……大丈夫、ちゃんと生きてる」

 

 一瞬だけ、言葉に詰まった。

 咲も秕も大丈夫という訳ではない。九十年分の寿命を失っているのだ。

 だが、それを話せる訳もなく、小鳥は悲痛な表情を浮かべるしかなかった。

 咲は秕に駆け寄り、その躰を揺する。

 

「秕ちゃん……起きて……起きてよ……」

 

 秕は動かない。それでも咲は懸命に起こそうとする。

 呼び掛ける声に涙が混ざり、手が震えても、やめようとしなかった。

 

「わたし、まだ何も言えてない……秕ちゃんに酷い事を言ったのに、謝れてない……ずっと一緒にいたいって言いたかったのに、言えてない……!」

 

 咲の目に涙が溜まる。

 それは大きくなり、透明な筋を描きながら頬を伝っていく。

 

「だから起きて……起きてよ、秕ちゃん……!」

 

 ぽたり、と音がして、秕の頬に雫が落ちる。

 それに反応するかのように、瞼が震え……ゆっくりと開いていった。

 次いで、腕が弱々しく伸ばされ、咲の頬を伝う涙を拭う。

 滲んだ視界に映る姿は、別れた時より弱々しく、儚げなものだったけれど。

 それでも、秕はそこにいた。

 

「……咲」

「秕ちゃん……」

「悪かった、迷惑かけて……」

「ううん、悪いのはわたしだよ……わたしが秕ちゃんとケンカしなければ、こんな事にはならなかった……」

「全部、仕組まれてたんだ。悪意を持ったヤツがやった事なんだ。だから咲は悪くない」

 

 秕の言葉に、咲は涙を浮かべたままぎこちなく微笑む。

 

「……じゃあ、秕ちゃんも悪くないよ」

「……そうだな、そうかもしれない」

 

 秕はよろよろと身を起こす。三日間も監禁されていたからか、躰が酷く重かった。

 それから咲の後ろにいた小鳥と夜宵に視線を向け、「コイツらは?」ときいた。

 

「えっと、実はね……」

 

 咲が秕に事情を話す。当然、寿命を失った事は知らない。

 その時になっても、小鳥と夜宵は何も言えなかった。

 事情をきいた秕は「そうか……」と呟き、それからふたりに向けて頭を下げた。

 

「……迷惑をかけたな」

「そんな、あたしたちは何も……」

「迷惑ついでに、もうひとつ頼んでもいいか」

 

 小鳥の言葉を遮って秕が言ったので、ふたりは顔を見合わせる。

 秕に手招かれて近付くと、彼女はふたりに顔を寄せ、辛うじてききとれるほどの声で言った。

 

「あたしは多分、もうすぐ死ぬ。だから、咲の事をよろしく頼む」

「……えっ」

 

 ふたりは驚いた。

 秕が死ぬ事にではない。秕が自分の死期を悟っている事に驚いたのだ。

 

「誘拐された時、妙な薬物を打たれた。その時から異能を使えるようになって、それと一緒に生命力を奪われた感じがした……アンタら、何か知っているか?」

「それは……」

 

 小鳥が答えようとした時、背後で何かを吐くような音がした。

 ついで、べちゃりという音。この場できこえてはいけない、悪夢のような音だった。

 全員が音のした方を見る。そこには咲がいたが、その様子は先程とは大きく異なっていた。

 口の端から、赤い筋が流れる。

 地面には吐瀉物と共に赤い塊が付着していた。それを見た秕が目を見開き、咲に視線を移す。

 

「あ……れ……? わたし、どうして……」

 

 掠れた声が途切れ、喘鳴となって空気を揺らす。何かを堪えるように口を結んだ後、ダムが決壊して洪水が溢れるように、咲は再び吐血した。

 

「咲!」

 

 秕が駆け寄る。咲は状況を把握できていないようで、焦点の合わない目で宙を見ている。

 秕は咲を横たえ、携帯端末を取り出そうとする。しかし見つからなかったので舌打ちをしてから、「救急車を呼んでくれるか」と小鳥たちに言った。

 すぐに夜宵が携帯端末を取り出し、救急車を呼ぶ。咲の顔は真っ青で、誰がどう見てもよくないと分かる状態だった。

 秕は咲の手を握り、しばらく何かを考えていたが、そのうちに小鳥に目を向け、「咲に何があったのか知っているか?」ときいた。

 もはや隠し通せる状況ではない。小鳥が端的に事情を説明すると、秕は「……そうか」と呟き、怒りを顔に出した。

 

「その風読家とかいう連中は、最初からあたしたちを狙っていた。咲の家族が死んだのも、いじめを揉み消したのも、全部ソイツらがやった事みたいだしな」

「……知ってます。あたし、秕さんの過去を見たので」

「そうか……なら、なおさら頼む。咲を助けてやってくれ」

 

 秕は懇願するように頭を下げる。

 事前に咲からきいていたイメージとは全く異なる人格だったが、きっと咲のためにプライドを捨てているのだろう。

 自分にはどうしようもできないと分かっていても、小鳥は頷く。これ以上、このふたりを不幸にする訳にはいかなかった。

 と、その時、入口の方から複数の足音がきこえた。現れたのは真中と亮一、無銘で、咲を見ると悔しげな表情を浮かべた。

 

「これは……ひと足遅かったか」

「どうする? このままだとマジで手遅れになるぞ」

 

 無銘が亮一にきく。

 亮一は腕組みをして目を瞑っていたが、考えが纏まると目を開けて真中の方を向き、「琴音さんに水準昇華(レベルアップ)を使ってくれ」と頼んだ。

 

「でも、使えないって言ったのは室長じゃ……」

「俺の考えが正しければ、今は使えるはずだ。あまり負担を掛けたくはないから、上げるのは二段階で頼む」

「りょーかい」

 

 真中は咲の頭に軽く手を触れ、水準昇華(レベルアップ)を発動する。

 その様子を見て、小鳥が亮一にきいた。

 

「どうして真中さんの能力を咲ちゃんに使ったの?」

「生命維持の為だ。真中の異能で琴音さんの生命力を上げれば、少しはマシになる……正直、かなり危ない状態だからね」

 

 その言葉に、咲の顔を見つめていた秕が顔を上げる。

 

「咲もあたしも濃縮されたものを打たれているが、あたしは今のところ衰弱しているだけで済んでいる。なのにどうして咲はこんな事になったんだ?」

 

 亮一は考えを整理するように間を置いた後、ゆっくりと話し始めた。

 

「吹綿さんは意識を失っていたから、体力の消費が少なかった。一方で、琴音さんは目が覚めてからすぐに能力を使っていたみたいだからね。躰に掛かる負担は大きかったはずだ」

「……そこまでして、なんで来たんだよ……」

「吹綿さんに逢いたいっていう気持ちに、異能が応えたのだろうね。ほとんど意識がないまま、それでも吹綿さんを助けるためにここまで来たんだろう」

「異能が人の意思に応えた……?」

 

 夜宵が不思議そうに呟く。

 亮一は頷くと、話を続けた。

 

「覚寺の話だと、吹綿さんの異能はウイルスを散布し、それに触れたものを支配する異能だ。“Hello World”の過剰摂取により、異能は暴走し、本人にも影響を及ぼした……異能無効化じゃないと、手出しはできないはずだったんだ」

 

 そこで言葉を切り、一息ついて再開する。

 その視線は秕にまっすぐ向けられていた。

 

「でも、琴音さんがそれを救った。彼女の異能は鎮静……それで、ウイルスの効果を抑えたんだ。ふたつの異能は互いを抑制し合う異能だったんだよ」

「………」

「琴音さんも“Hello World”を過剰摂取しているから、異能を使えば暴走する。だけど、同時にその暴走が麻薬の抑制にもつながっていたんだ。だから、暴走し続ける限り、死のリスクは少なかった」

 

 それでも、咲は秕の元に向かう事を選んだ。

 異能が抑制される事で自分の身が滅びたとしても、秕を救おうとした。

 無意識下でのそんな願いに異能が応え、対となる異能を持つ秕の元へと導いた──亮一はそう言った。

 その言葉を受けて、秕は意識が朦朧となっている咲の顔を見る。

 

「咲……」

 

 その目から、涙が零れ落ちる。

 自分で自分を制御できない。

 言葉は感情に溶けていく。

 声もなく、泣き続けた。

 周りに人がいる事なんて気にしなかった。

 幼い頃からどこかで求めていた感情が。

 ずっと知らずに育ってきた感情が。

 優しく、秕を包み込んでいた。

 

 

 そのうちに、涙がそっと拭われる。

 咲が弱々しい笑顔で、秕を見ていた。

 

「秕ちゃん……なかないで……」

「でも、あたしのせいでアンタは死ぬかもしれないんだぞ!? 死ぬ時は一緒だって言ったろ……頼むから、あたしを置いていかないでくれ! ずっと一緒にいさせてくれよ……!」

 

 どうして、自分たちなのだろう。

 どうして、咲が苦しまなければならないのだろう。

 一生分の不幸を経験した。

 打ちのめされ、絶望し、それでも前を向いて生きようとした。

 だけど、世界はあまりにも残酷で。

 ささやかな幸せすら、奪っていった。 

 誰も、その姿に安易な言葉を掛けられない。

 慰めも、同情も、必要ない。

 全て、終わってしまったのだから……。

 

 

「──まだ、諦めるのには早い」

 

 

 その声は、異能対策室の室長──泊亮一のものだった。

 彼は真摯な目で咲と秕を見て、意志の篭った言葉を紡ぐ。

 

「まだ助かる。だから、希望を捨てちゃダメだ」

「じゃあ、どうすればいいんだよ。あたしも咲も、もうすぐ死ぬのに……どうやって希望を持てばいいんだよ!」

 

 秕が亮一を睨みつける。

 しかし、亮一はそれに怯む事なく秕の視線を受け止めた。

 

「過去は変えられないし現在も変えられないけど、未来なら変えられる……何年かかっても、俺たちがその方法を見つけると約束する。だから、進み続けるんだ」

「アンタ、バカなのか? ひと月以内には死ぬって話だっただろうが!」

「時を止めればいい」

 

 あまりにも唐突に出た言葉に、全員が呆気に取られて亮一を見る。

 全員を代表して、無銘が困惑したように亮一に言った。

 

「何を言っているんだ?」

「コールドスリープさせるんです。そうすれば、“Hello World”の効能も停止する。その間に解決策を探せばいい」

「でも、時止めなんて、そんな便利な異能を持つ人がいるんですか?」

 

 夜宵が戸惑ったようにきいた。まだ亮一の言葉を飲み込めていないという表情をしている。

 恐らく最大の難所を前にして、しかし亮一は事も無げに答えた。

 

「それなら問題ない。ひとりだけ心当たりがある」

 

 その言葉に、真中がハッとした表情を浮かべる。

 

「確かに、あの人ならできるかもしれないけど……室長、あの人に押し付けすぎじゃないですか?」

「異能省の長官をやらせているだけだ。そこまで重荷ではないだろう」

「あー……なんかもうそのまま生きてください」

 

 呆れた表情を浮かべる真中を他所に、亮一は咲と秕に問い掛ける。

 

「何年かかるかは分からない。もしかしたら、百年かかる可能性だってある。それでも、この世界で生きたいと思うかい?」

 

 その言葉を受けて、咲と秕は周りを見回す。

 小鳥と夜宵は目が合うと小さく頷いてくれた。まるで、選択を後押ししてくれるみたいに。

 無銘と真中も、黙ってふたりの選択を見守ってくれている。

 亮一は道を示してくれた。それに留まらず、選択の自由も与えてくれた。

 ここにいる人だけではない。コンテナの外にいる人たちも、ふたりのために戦ってくれた。

 世界は残酷で、絶望と苦痛に満ちている。

 それでも、自分たちのために戦ってくれる人がいる……それは、暗闇の中で掴んだ希望の糸のように思えた。

 最後に、お互いの顔を見る。

 出会い、離別し、破壊され……それでもまた繋がる事ができた、何よりも大切な関係。

 答えは、既に決まっていた。

 

 

 長いようで短い時間が過ぎた後、亮一の方へと視線を向ける。

 お互いの手をぎゅっと握りしめ、その温もりを感じながら、ふたりの未来を決める問いに答えた。

 

「……わたしたちは──」




“醜い生き物の章”は次回でおしまいです。
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