無題奇譚〜Untitled tale〜   作:惰眠

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#18「終曲」―醜い生き物の章 終幕―

 ──三日後

 

 閑散としている異能対策室に、ひとりの来客があった。

 来訪者は白髪混じりの灰色の髪に、右目を覆う眼帯、右の義足と手に持った杖が目を引く男だった。服装はスーツだったが、やや草臥れた雰囲気を纏っていた。

 男──霧ヶ峰勘助は、応接セット代わりのソファに座り、対面にいる男──泊亮一に睨むような視線を向けながらコーヒーを飲んでいる。亮一はそれを意に介さず、勘助に話し掛けた。

 

「珍しいな。アンタがここに来るなんて」

「三日前にお前に呼び出されたばかりだがな」

「その節は世話になった。だけど、異能省の長官がこんなところで油を売っていてもいいのか?」

「誰もがお前みたいに休まず働ける訳じゃない。長官だろうが何だろうが、休むべき時はしっかり休まないといけないんだよ」

 

 そう言って、勘助は目を細める。

 

「お前今何徹目だ」

「事件から寝てない。だけど半月くらいなら寝なくても大丈夫だから問題はない」

「……オレはお前が生きてる事が不思議でしょうがねぇよ」

「失敬な……まあいいや、そんな事より、今日はどうしたんだ?」

 

 異能省がある東京から異能研がある吾河(あがわ)県まではかなりの距離がある。新幹線を使えばすぐだが、それでも三十分以上はかかる。

 最も、霧ヶ峰勘助にとって距離はさほど問題ではない。三日前に起きた事件の際に助力を頼んだ時だって、十分もかからずに到着していた。

 だが、それでも面倒くさい事に変わりはない。故に普段は通話で用事を済ませるので、彼の来訪は珍しい事だといえる。

 勘助は「別に大した用事はない」と言って、コーヒーをひとくち飲んだ。

 

「夜宵の様子を見るついでに、話したい事があったから寄っただけだ」

「話したい事?」

「ああ。まず、冬天市にウチの職員を配置する件についてだが……最大でもふたりしか寄越せない」

 

 “HELLO WORLD”が意志アリナと戦闘して敗北してから、戦力を増強する必要に迫られていた。

 しかし、異能対策室は常時人手不足だし、無銘や茨羽、夜月ら協力者たちもいつでも対応できるというわけではない。なので、勘助に相談して職員を配置してもらう事にしていた。

 だが……

 

「あれ? 前に話した時には三人って言っていなかったか?」

 

 亮一の言葉に、勘助は顔を顰めて答える。

 

「そのうちのひとりがゴネやがったんだよ。それに、ウチも人手が足りているとは言えないからな……ひとつの県にふたり配置するだけでも異例なんだよ」

「……そうか。まあ、こればかりは仕方がないか……で、誰が来るんだ?」

 

 亮一がきくと、勘助はふたつの名前をあげた。

 それをきいて、亮一は驚いたような表情になり、次いでやや嫌悪感を示した。

 

「よりにもよってそのふたりか……そういや身柄は異能省が抑えてるんだったな」

「心配しなくとも、向こうにお前たちをどうこうしようという意思はない。捨て駒は好きじゃないが、やろうと思えばいつでも消せるしな」

 

 勘助は事も無げにそんな事を言う。

 その口調に亮一は恐ろしいものを感じたが、それを表層に出さず「了解した。こっちでも気をつけるよ」と頷いた。

 

「それで、ふたつ目だが……三日前の事件の事だ」

「というと?」

「……お前、本当にあれでよかったのか?」

 

 勘助は再び睨むような視線を向けてくる。

 といってもこれが彼の常態に近いのだが、普段とは異なり、どこか重々しい雰囲気を纏った視線だった。

 

「あれでよかったって?」

「被害に遭った少女……琴音咲と吹綿秕だったか、あのふたりを眠りにつかせたろ。本当にあれでよかったのか?」

「よかったもなにも、あれしか方法がなかったんだよ。そりゃあ今回の件でそっちにはかなり迷惑をかけてしまったし、それについては反省しているけど……」

 

 それはいいと言って、勘助は小さく溜息をついた。

 

「オレが言いたいのは、麻薬を取り除く方法は見つかるのかって事だ。アレは強力な麻薬だし、それを九本分も打たれているとなると、汚染も相当進んでいるはずだ。それこそ、躰だけじゃなくて魂まで汚染されているかもしれない……そんな状況で、解決を安請け合いしてもよかったのかってきいているんだよ」

「だけど、あの時はああするしかなかった。見殺しにはできないからな」

「……麻薬が抜けたとしても寿命を取り戻す方法が見つかるとは思えない。お前がやった事は苦痛を先延ばしにして一時の安寧を与えただけに過ぎないんだよ」

「それは──」

 

 そうかもしれない。

 心のどこかでは分かっていた事だ。

 自分がした事は、急速に訪れる死を緩慢なものに変えただけだと……。

 それでも、亮一は言葉を絞り出す。

 

「だけど、あの子たちは生きたいと言っていた……! ふたりで、この世界に生きていきたいって! それの何が悪い! あの子たちは人生を奪われたんだぞ!」

「奪われたからこそ、苦痛を取り除いてやるべきじゃないのか。人の最も醜いところを見せられて、世界の残酷さを嫌というほど知ったんだぞ。そんな状態にあるヤツに選択肢を与えるのは、地獄の中で這いずり回れと言うのと同義だ」

 

 それともなんだ、お前は解決策を見つけているのか?──勘助は何処か意地悪ですらある口調でそうきいた。

 亮一は唾を飲み込み、勘助の迫力に気圧されないように耐えながら──はっきりと頷いた。

 そのリアクションは予想外だったのだろう。勘助が片眉を僅かに上げた。

 

「ほう? それはどんな方法だ?」

 

 亮一は頭の中で考えを纏め、かねてより考えていた方法を口に出した。

 

「……模造品だ。魂を元の躰から模造品に移して生き延びさせる」

 

 それをきいて、勘助は今度こそ驚いた表情を浮かべた。

 

「お前……正気か」

「ああ、正気だ」

「いくら異能があるからと言っても、魂を移すなんて事が可能なのか?」

「魂の存在自体は確認されている。かつて螺鈿會に協力していた悪泣輪廻(あくなきりんね)は魂を核として復活する異能を持っていたし、アンタの部下……蝋坂生槻(ろうさかおいつき)だって似たような異能を持っていたはずだ。魂に接触する事だって、夜月さんが悪泣を倒しているという事実によって可能だと証明されている。不可能ではないはずだ」

「……分かった、実現可能である事は認めよう」

 

 亮一の言葉をきいて、勘助は溜息をついた。だがすぐに元の表情に戻り、これまで以上に重苦しい雰囲気で続ける。

 

「だが、お前がやろうとしている事は人類を次のステージに引き上げる事に他ならない。お前は知らないだろうが、春風郭公が模造品を作った事は各国のトップが知っているし、その運用方法も検討されていた。それこそお前が言ったように、肉体を交換して生き長らえる手法も模索されていたんだ」

 

 勘助が亮一に向ける表情には、厳しさと共に彼の身を憂う感情が込められていた。

 

「仮にお前がその手法を採ったとしたら、それはもうふたりを救うだけの問題じゃなくなる。お前は色々なものに振り回される事になるし、それこそ春風郭公と同じ道を辿る事になるかもしれない。それでも、お前はやるつもりなのか?」

 

 勘助の言葉を受けた亮一は、しかし迷いなく頷いた。

 

「俺はただ、あのふたりを救いたいだけだ。人類がどうとか、救った事で俺がどうなるとか、そんな事はどうでもいい。それに、遅かれ早かれ人類は次のステージに進み出すよ。それが今だったってだけの事だ」

 

 まあ、完成するのは俺が死ぬ間際になるかもしれないけどなと言って、亮一はコーヒーをひとくち飲む。

 

「新世代も育ち始めているし、今の時代を終わらせる前に大きな置き土産を残すのも悪くはない」

「その置き土産のおかげで波乱が起こるとは思わないのか」

「波乱ならもう起こってる。既に何度か滅びかけている世界だしな」

 

 亮一の言葉に、勘助は呆れたように眉根を寄せる。

 

「そうか……まあ、好きにすればいい」

 

 止めても無駄だと思ったのだろう。勘助はコーヒーを飲み干すと立ち上がった。

 

「あれ、もう帰るのか?」

「ああ。用は済んだ。警告はしたからな」

「肝に銘じるよ……そうだ、ふたりに会っていかなくていいのか? 吹綿……いや、逆浪秕はアンタの同僚の娘なんだろ?」

「哲也の模造品の娘ってだけだ。オレが関わる義理はない……悔いがない人生を歩んでくれれば、それでいいだけだ」

 

 ふたりの事をよろしく頼む──そう言うと、勘助は部屋を出ていこうとした。

 そこで言わなければいけない事を思い出し、亮一はその背中に声をかけた。

 

「霧ヶ峰」

「なんだ」

「風読邸で、日向に会った」

「……そうか。という事は、風読はやはり苛内を匿っていたみたいだな」

 

 勘助は冷静に呟く。

 亮一は彼を真っ直ぐに見つめ、「アンタの力でどうにかできないのか?」ときいた。

 

「……無理だろうな。風読がいなくなればこの国のバランスが崩れる可能性がある。政府や国を牛耳らんとする大物はそれを恐れているから、下手すればこちらが潰されかねん」

「じゃあ、諦めろっていうのかよ……! 日向だけじゃない。風読の当主はちとせの失踪に言及していた。あの一族には何か裏がある!」

「お前が声をあげたところで、状況がひっくり返る訳じゃない。今は情報を集めろ」

 

 それだけ言うと、勘助は部屋を出ていった。

 残された亮一は自分の机に戻り、手を組んで顔を覆う。部下たちは全員出払っていて、室内にいるのは亮一だけだった。

 はぁ、と深い溜息をつき、卓上に置かれた写真立てに目を向ける。

 高校時代の亮一が、友人と写っている写真──それを見ながら、普段は出さない疲労を表に出し、独り言を呟いた。

 

「光、日向、ちとせ……俺、どうすりゃいいのかな……」

 

 言葉は誰にも拾われる事なく、床に落ちる。

 亮一は瞑目すると、思考の海へと沈んでいった。

 

   *   *   *

 

 同時刻、松ヶ崎町内。

 赤坂小鳥と皐月日夜宵は雨が降る中を歩いていた。

 学校の帰りに商店街に寄った小鳥が夜宵と遭遇し、一緒に帰っているというシチュエーションである。事件以降は会っていなかったので、この遭遇は嬉しい出来事だった。

 雨が傘に当たり、パラパラと音を立てる。その音をききながら、夜宵は小鳥の横顔を伺う。

 常態がバカのために目立たないが、こうして見ると端正な顔立ちをしている。しかし、その表情はどこか優れないものだった。

 

「……こっちゃん、大丈夫?」

 

 そっと声を掛けると、小鳥はハッとした表情になり、それから慌てて笑顔を浮かべた。

 

「だいじょぶだよ。今日の課題めんどくさいなーとか思ってただけ」

「本当に……?」

 

 どう見ても、小鳥は何かを抱えている。

 以前、茨羽和樹が「小鳥はアホだから隠し事ができない」と言っていたが、それは本当のようだった。

 

「嘘。こっちゃん何か抱えてる。わたしでよければきくけど……」

「大丈夫だって。そんなに面白い事でもないよ?」

「でも、話してほしいな。こっちゃん、さっきから顔色よくないもん」

 

 夜宵が指摘すると、小鳥は慌てて自分の顔をぺたぺたと触った。どうやらポーカーフェイスを維持していると本気で思っていたようだ。

 全て見透かされていると思ったのだろう。小鳥は諦めたように自分の悩みを話し始めた。

 

「咲ちゃんと秕さんの事が気がかりなんだ。あたしがもっと早く動いていれば、あんな事にはならなかったのかなって……」

 

 小鳥は言外に、自分は無力だと自嘲していた。

 三日前、咲と秕は駆けつけた霧ヶ峰勘助によって時を止められ、異能研究所に保護された。

 あの事件を解決に導いたのは覚寺我路や大人たちだし、自分たちは何もできなかった。それは夜宵も痛いほど味わった事だったし、メンバー全員が同じ気持ちだという事も分かっていた。

 しかし、夜宵は小鳥を責める事はしなかった。

 

「……こっちゃん」

「ん?」

「霧ヶ峰さんが時を止める前の事、覚えてる?」

 

 小鳥は頷く。

 勘助が時を止める前、咲と秕は手を繋ぎながら、今回の事件に関わった者たちに頭を下げた。

 

「ありがとうございます──ふたりはそう言ったんだよ。わたしたちを責める事はしないで、再会できた事を純粋に喜んでいたんだよ」

「………」

「あんな結果に終わっちゃったのは事実だし、わたしたちがどうしようもなく無力だったから、琴音さんと吹綿さんが苦しむ事になったのかもしれない。だけど……それでも、最後にふたりを絶望から引き上げる事ができたんじゃないかって……わたしはそう思ってる」

「そう、かな……」

 

 詭弁かもしれない。

 一時しのぎかもしれない。

 咲と秕が救われたのかどうかは、恐らく永遠に分からない事だろう。

 だけど、それでも……ふたりを絶望から引き上げる事ができたと信じたかった。

 小鳥はしばらく俯いていたが、やがて顔を上げ、ぽつりと呟いた。

 

「……あたし、秕さんの過去を視たんだ」

「えっ?」

「コンテナの中で、ぼんやりしていた時、秕さんの過去が頭の中に流れ込んできた。それで、ふたりが何をされたか分かった」

 

 小鳥の肩は震えていた。

 それほどまでに強い怒りを抱いていた。

 

「自分の事も、ふたりを引き裂いた風読家の事も、あたしは許せない。だから、またこういう事件に出逢ったら、今度こそ誰かを救えるように戦うよ」

 

 それが咲と秕への手向けになると言わんばかりに、小鳥はそう決意する。

 その目は冷徹なまでの光を湛えており、それを見た夜宵は思わずぞっとした。

 意志アリナと戦った時も、小鳥はこれと似た状態になっていた。普段の明るい小鳥の裏に、冷酷で無慈悲な小鳥がいる……その事実が、なぜかとても恐ろしかった。

 加えて、夜宵にはもうひとつ分からない事があった。

 コンテナの中でぼんやりしていた時、小鳥の眼が少しおかしかったのだ。

 普段の小鳥は黄金色の眼で、それが綺麗で見惚れた事も少なくない。

 だが、夜宵の脳裏には、別の色が浮かんでいた。

 どこか歪な、赫と蒼(・・・)の瞳。

 それが何を意味するのか、この時点の夜宵には分からなかった。

 

 

 この事件をきっかけに、小鳥たちは風読家と本格的に関わる事になる。

 新たに生まれた因縁が過去からの因縁と結びついた時、何が起こるのか……それが分かるのは、もう少しだけ先の話である。

 

   *   *   *

 

 同時刻、咲と秕のアパート。

 生活感を残したまま住人がいなくなったその部屋の片隅に、小さく光るものがあった。

 棚の上に隠されるように置かれていたそれは、銀色のペアリングだった。

 その隣にはカレンダーが置かれており、秕と咲が離別した日には赤い丸が付けられている。

 その日は、ふたりが同棲を始めた記念日で、指輪は秕が咲に渡そうと考えていたものだった。

 しかし、その指輪を嵌めるべき少女たちは、ここにはいない。

 このアパートに戻ってきて、指輪をふたりが望む指に通す日が来るのかも、分からない。

 だが、指輪は確かにそこにあった。

 いつの日か、ふたりが戻ってくる瞬間を信じて、待ち続けているかのように……。




次回から幕間に入ります。
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