無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
各エピソードの時系列はバラバラとなっています。
その1「赤坂小鳥は包丁の使い方を知らない」
夕食時の赤坂家。
無銘はキッチンに立ち、料理をしていた。
今日は美桜が休みなので、必然的に夕食は無銘が作る事になる。最初は簡素なものでいいかなと思ったが、ここのところは時間に余裕があったので、たまには真面目に料理をしてみようと考えた。
作るものはカレー。定番といえば定番である。とはいえシンプルすぎるのもどうかと思ったので、何か手を加えようと思っていた。
どうしようかなと悩んでいると、キッチンに小鳥が入ってきた。エプロン姿の無銘を見て、並べられた食材に目を移し、「カレー?」ときく。
「ああ。今日は美桜ちゃんいないから、オレが作るよ」
「あたしもなにか手伝う!」
「宿題やってたんじゃないのか?」
「さっき終わったし、たまにはあたしもお手伝いしたいなって……ダメ?」
上目遣いで見つめてくる娘を前にして、無銘の中で警報が鳴り響く。
小鳥が料理の手伝いをしないのは無銘が止めているからだ。やらせたら大惨事になる事は目に見えていた。
とはいえ、いつまでもこのままという訳にもいかない。それに最近、娘といる時間が少し減ってきたので負い目もあった。
五秒というそこそこ長い時間を思考に費やした後、無銘は「じゃあ、お願いするかな」と言った。
途端に小鳥の顔が輝いた。わーいと喜びながら手を洗い始める娘の姿を見て口元が緩んだのはある意味必然というべきだろう。
小鳥が手を洗い終わると、無銘は包丁を渡して「じゃあ、食材を切ってくれるか?」と頼んだ。包丁なら家庭科の授業で使い方を教わっている筈だし、大丈夫だろうと判断したからだった。
小鳥は「おーきーどーきー!」と元気に頷くと、まな板の前に立った。
そして近くにあった人参をがばりと掴み、右手に持った包丁を振り上げ──
「ちょっと待てぇぇぇぇぇっ!!!」
無銘は慌てて小鳥の右腕を掴む。
「わっ! どうしたのお父さん、危ないよ?」
「危ないのはそっちだ! 包丁を使う時はこう! 猫の手にして切るんだよ!」
「猫の手?」
左手を猫の手の形にして、招き猫のように振る小鳥。
危うく親バカが発動しそうになったが堪え、手助けをしながら食材を切っていく。
小鳥は少し不服そうだったが、されるがままにサポートを受けていた。といってもその手つきは危なっかしく、無銘は嫌な予感を覚えながらこうきいた。
「家庭科の授業で習わなかったか?」
「お前は何もしないでくれって言われて見学してた。酷いよねぇ」
そりゃそうだと言いかけたが何とか飲み込む。
そのうちに小鳥も慣れてきたのか、リズミカルに食材を切り始めた。だが、そんな時に限ってトラブルは起こるもので、
「あっ」
油断したのか、包丁が手からすっぽ抜けた。
包丁はクルクルと回転しながら無銘の頬を掠め、リビングの方へとすっ飛んでいった。
無銘の顔がさあっと青ざめる。もし人がいたら怪我か殺人沙汰になるところだった。誰でもそんな死に方は嫌だろう。
「ご、ごめんなさい!」
小鳥は慌てて包丁を回収しに行く。
その姿を半ば呆然と見ながら、休みを取ってでも娘に料理を教えようと決意した無銘だった。
その後、小鳥は半泣きになりながら皿出しなどのサポートに回り、料理は全て無銘がこなした。
ちなみに、カレーはちゃんと出来上がったそうな。
* * *
その2「むかしのあのこのしらないはなし」
「昔はどんな子供だったか?」
それは、雑談の中で出た話題だった。
夜に収集をかけられ、オペレーションをこなした帰りの出来事である。
茨羽和樹は仲間たちと別れ、茨羽帆紫や鮮真翔一と共に帰宅していた。
話題の出元は耳に着けている小型のインカムからで、話題を振ってきたのは皐月日夜宵だった。夜宵は事後処理や報告書の作成をする時に仲間と話す事も多いため、こういった事は珍しくない。
一応、この会話は和樹たち以外にはきこえていない。なので三人は顔を見合わせた後、夜宵の質問に答えた。
「俺は別に……今とほとんど変わらない子供だったな」
「そういえば、翔一の子供時代って教えてもらった事なかったな。この際だ、じっくりきかせてもらおうじゃねぇか」
和樹が口の端を吊り上げる。それを見て、翔一は「いや、特に話す事もないし……というか、皐月日がききたいのはお前らの事じゃないのか?」と話題転換を試みた。
「そうなのか?」
『鮮真くんの過去も気になるけど……でも確かに、ふたりの子供時代も気になるかも』
「つっても、俺らも特に何事もなく育ったけどな」
「そうだね……あ、でも、小鳥ちゃんとか紗由ちゃんの子供時代なら話せるかも。夜宵ちゃんも興味あるんじゃない?」
帆紫の言葉に、「そういえば幼馴染だったか」と納得したように頷く翔一。
茨羽家の中では当たり前の事実ではあったが、夜宵は知らなかったらしく『そうなんですか?』と驚いたように声をあげた。
「あれ、言ってなかったっけ? 私とかずと紗由ちゃんと小鳥ちゃんは幼馴染なんだ」
『零導さんは?』
「零導くんは夜月さんたちの養子で、紗由ちゃんが小学一年生くらいの時に朝倉家に来たんだ」
『そうだったんですか……』
「まあ、リンドウ先輩はあんまりそういう事話さないからな」
帆紫は頷くと、話を続けた。
「紗由ちゃんは今よりちょっと気弱で臆病だったな。零導くんが来た時も馴染むまでかなり時間が掛かってたみたいだし……」
「でも小五あたりで機械いじりに目覚めてからは変わったよな。中学上がる頃にはリンドウ先輩とも仲良くなれてたし」
「異能自体は中学生の時に発現したみたいだけど、小学生の時点でジャンクパーツから自作のパソコン組み上げてたもんね」
『すごい……』
夜宵は感嘆の声を漏らす。
翔一は翔一で、「今の状態を見る限り、急速に距離が縮まったんだな」と感心とも感嘆ともつかぬ感想を言っていた。ちなみに、紗由が零導に兄弟愛以上の感情を抱いているという事実は周知の事実で、隠し通せていると思っているのは紗由だけである。
「……それで、次に小鳥ちゃんの子供時代についてだね」
帆紫が話題を変える。
その話題になった瞬間、夜宵の雰囲気が少し緊張したものに変わったのがインカム越しにも分かった。夜宵にとって小鳥は恩人であり、憧れの存在でもある。知りたいと思うのは当然の事だろう。
「小鳥ちゃんは今とは違って、躰が弱くてとても内気な子だったんだ」
「いつも泣いてたしな」
和樹が横から補足する。
ふたりが語る小鳥像と今の小鳥が重ならず、夜宵と翔一は激しい違和感を覚えた。
『こっちゃんが……?』
「信じ難いな……」
「まあ、そうなるよね」
帆紫が苦笑する。
今の小鳥は明るく元気な爆走機関車のような少女だ。何をどうしたらそうなったのかと夜宵と翔一は首を傾げた。
「小鳥が変わったのは小四の時だったかな……詳細は本人にきいてほしいんだが、アイツは一回死にかけた事があったんだ」
『えっ!?』
「死にかけたって……」
「高熱を出して死にかけたんだ。無銘さんが病院に連れていった時には意識もなくて、生死の境をさまよってたみたい」
和樹と帆紫は過ぎた事だと割り切っているようだが、きいているふたりにとっては衝撃の事実だった。
「でも、そのあと何とか回復したけどな。そういや、小鳥が異能を使えるようになったのはあの時からだったか」
「回復して、中学に上がる頃には今とほとんど変わらない性格になってた。躰も丈夫になってたしね」
『そんな事が……』
重苦しい空気が満ちる。
それを吹き飛ばすように、「あの時のかずは毎日病室までお見舞いに行っていたよね」と話題をずらす帆紫。
しかし、「姉貴もめちゃくちゃ泣いてただろうが」とカウンターをくらい、あえなく躱されていた。
「まあ、そんな感じだね。今度本人から話をきいてみるといいよ」
『そうですね……きいてみます』
夜宵は呟くように答える。
まだまだ、自分はみんなの事を知らないなと思った。
それと同時に、昔の自分はどんな人間だったのだろうと思う。
(………)
一瞬だけ、何かを思い出しかけた。
黄金色の髪をふたつに結んだ少女がこちらに手を差し伸べる光景──しかしそれは手のひらから溢れ落ちる砂のようにすぐに消えていってしまい、後には何も残らなかった。
今度、みんなに昔の事をきいてみよう……そう思った夜宵は和樹たちに礼を言って通信を切り、山積みの仕事を進めるのだった。
* * *
その3「眠れない」
どうにも眠れなくて、ぼんやりと天井を見上げる。目を閉じて自らを眠りへと誘おうと努力はするのだが、眠気は一向にやってこない。といっても珍しい事ではなく、ひとりだった頃はよくあった事なのだが。
理由は分かっている。まだ今日に縋っていたいというちっぽけな感情があるから眠れないのだ。
これもまた、昔からよくある事だった。世界を憎み、全てを諦めていた時の感情が根付いているのだろう。
溜息をつき、隣を見る。
躰が密着するほどの距離にいる少女はすやすやと寝息を立てている。大学生になってもなお何処かあどけない雰囲気を残しており、眠る事でそれが遺憾なく発揮されていた。
その顔を見ているうちに、全てを犠牲にしても護りたいと思った少女が隣にいる事を実感して次第に落ち着いてきた。日中は自由の身である自分が金を稼がなければ、その望みすら潰えてしまう──それを思い出した躰がようやく眠ろうとしていた。
それに身を任せていると、小さな声と共に隣の少女が身じろぎをした。どうやら目が覚めてしまったらしい。
「ん……秕ちゃん……」
「目が覚めたのか。明日も講義なんだし早く寝た方がいいぞ」
「あしたは午後からだから大丈夫……秕ちゃんは、眠れないの?」
「いま眠くなってきたところだけど、明日はバイト始まるの遅いし、寝坊はしないと思う」
「そっか……」
咲はとろんとした目のまま微笑んだ。寝間着姿で髪が少し跳ねているその姿は無防備で、少しばかり扇情的ですらあった。少なくとも自分の劣情は刺激された事は間違いない。
人間嫌いだった自分が人肌を求めるようになるなんて思いもしなかった。だが、悪くはない。むしろいい方向に進んでいるといえるだろう。
「……咲」
「ん?」
秕は咲を抱きしめる。
いきなりの事に咲は少し驚いたようだったが、嬉しそうに目を細めて秕の躰に腕を回した。
「どうしたの?」
「少し寒かったから」
「確かに、くっついていないと寒いかも……」
咲の体温が伝わってくる。
その髪が秕の鼻に触れると、シャンプーの香りがした。自分と同じ香りだった。
吐息がかかるほど近い距離。何となくそういう気になって、秕はゆっくりと目を閉じる。
それで咲も察したのか、あるいはそのつもりだったのか……少しの間があった後、唇に柔らかい感触を覚えた。
キスは初めてではないが、何度やっても躰が強ばる。熱と蕩けるような柔らかさを感じて、躰が反応しているからだろう。
数秒後、名残惜しそうに唇が離れていく。数日前なら、この後に情事とも言えない触れ合いがあったのだが、今日は時間が遅いため、そこまでは至らなかった。
時計は深夜の三時を指しているが、先程まであった眠気はとうに飛んでいた。
それでも、咲を抱き締めたまま目を瞑ると、眠気はすぐにやってきた。温もりと、形容し難い感情によるものだろう。
いつの間にか、憂鬱もどこかに消え失せている。ゆっくり眠れそうだなと思い、秕は深い眠りへと落ちていった。
咲と一緒に、明日へと進むために……。
* * *
その4「働きすぎには気をつけて」
深夜、異能研究所にある異能対策室で、泊亮一は困惑していた。
窓の外から見える景色は黒く塗りつぶされている。机の上のデジタル時計は午前一時を指しており、異能対策室以外の部署には人ひとりいなかった。
それにも関わらず、異能対策室の面々は全員が残っていた。先程、亮一が引き受けていた仕事を半分強奪されたばかりで、それに対する抗議は無視されていた。
覚寺は異能研に住んでいるのでここにいる事は珍しくないが、ほかのふたりは帰宅していないと不自然な時間だった。さすがにそろそろ帰った方がいいのではと思い、亮一は彼らに声を掛ける。
「そろそろ帰った方がいいぞ。明日……というか今日も仕事だし」
「室長は黙っててください」
恵にそう一蹴され、「えぇ……」と情けない声が漏れる。
意見の対立で言い争いになる事もあるので、 彼らが自分の命令をきかない事は珍しい事ではない。しかし、恵はともかく真中は定時退社を目指して日々の仕事をこなしているようなものなので、違和感しかない。
「泊まっていくのか? ここにはそこまでの準備はないんだが……」
「お構いなく」
真中が短く答える。やはり不自然な態度だった。
仕事のボイコットならまだ分かるが、帰る事を拒否されるとなると、何か帰れない理由があるとしか思えない。
それならば、話をきく必要がある。亮一は真摯な目で部下たちを見回すと、できるだけ優しい声でこうきいた。
「何かあったなら話してみてくれ。遠慮は要らないから」
沈黙が辺りを支配する。
きっかり六秒後、部下たちは同時に溜息をついた。
「な、なんだ? 俺なにか変な事言ったか?」
「……本当に気付いてないんですか?」
恵が呆れた声で言う。
気付いてないよなぁと真中が苦笑し、覚寺もやや呆れた様子を見ていた。
「気付いてないって、なにが?」
「私たち、室長が帰るまで帰りません」
「えっ」
そんな規則は設けていないはずだ。
どういう事やねんと首を傾げる亮一に、恵はジト目を向けてこう言った。
「室長、今何徹目ですか?」
「確か一週間だけど……それがどうした?」
「私たち、何度も休むように言いましたよね? それなのに気付いたらまた仕事持ち込んでるし……」
そういえばそんな事を言われた気がする。
だが、やるべき事は山積みだったし、そもそも家に帰ってもやる事がないので泊まり込みで仕事をしていた。
「だいたい、何で他の部署の仕事も引き受けてるんですか? 所長が怒ってましたよ?」
「それは……ほら、俺は元々異能省の長官だし、異能に関わる事柄に接するのは当然というか……」
「だからといって自分の部署以外の仕事を引き受ける必要がありますか?」
「心配しなくてもちゃんと休んでるし、飯も食ってるし、洗濯もしてるって……」
どうなんだと言わんばかりに覚寺を見る恵。
それに対して、覚寺は無表情で答えた。
「洗濯と着替えしかしてない。オレがいくら言っても休もうとしないし飯も食わない」
ぎろりと睨みつけられ、亮一は思わず仰け反る。
恵は溜息をつくと、びしりと亮一を指さした。
「とにかく、室長が帰るまで私たちも帰らないし休まないのでそのつもりで」
「だから俺は大丈夫だって……」
「半月寝ずに働いた挙句ぶっ倒れた人に大丈夫って言われても説得力ないですよ」
「う……」
真中の一撃に、確かにそうだと亮一は項垂れる。
先程とは打って変わり、恵は心配そうな声で亮一に言った。
「室長が異能に対して真摯に向き合っている事は分かっています。だけどそれで倒れられては、高凪さんと鮮真さんに顔向けできません」
「………」
そのふたりの名前を出されると弱い。
高凪ちとせと鮮真
そのふたりに顔向けできるように身を削って働いていたつもりだったが、逆効果だと言われてしまっては意味がない。
亮一は目の前で山を形成する書類と心配そうに自分を見る部下たちの顔を交互に見比べた後、観念したように「……分かった。今日は帰るからお前らも帰って休んでくれ」と言った。
「今 日 は ?」
「……これからは出来るだけ早く帰宅します。仕事も自分の部署に関係があるものだけこなします」
「次に倒れたら研究所全体を巻き込んで泊亮一はよ休めキャンペーンを実施しますのでそのつもりで」
「はい……」
亮一は項垂れる。それを見て、恵はついでとばかりに付け加えた。
「あと、今日は私たちに任せて休んでください。有給も溜まっているみたいだし、なんなら二週間くらい休んでもいいんですよ?」
「いや、それはさすがにやめとくよ。休むとしても今日だけにしておく」
言って、亮一は帰り支度を整える。
それを見た部下たちも帰り支度を始めた。
強引な部下たちに苦笑しながら、同時にもっと頼った方がいいのかもしれないと思い、亮一は反省した。
その後、一日休んでリフレッシュした亮一は以前よりは無茶をしなくなった。
結果として仕事の能率も上がり、異能研の母体である異能省でも評価されるまでになったのだが、それはまた別の話である。
* * *
その5「やがて幻想に至るであろう出会い」
お昼時の“喫茶はるかぜ”は多くの人が訪れ、目が回るほどの忙しさとなる。
そんな状況にありながら、この日は頼もしい店員がふたりも欠けていた。
まず、マスターが体調を崩して寝込んだ。この時点で休業にするべき事態ではあるが、店員のひとりである幹ヶ谷柘榴の判断により営業が決定した。
だが、この日は歌先姫名が歌手のオーディションで東京に行っている事もあり、従業員がふたり欠けるという事態になっていた。
残る従業員は朝倉亜美と、バイトで来ている高校生──東爽介と茨羽帆紫のみ。これでは対応ができないので、最終手段として“HELLO WORLD”に応援を頼んだ。
助力としてやってきたのは神永楓と御剣叶、朝倉零導とフレデリカ・リンドヴルムだった。フレデリカは“HELLO WORLD”の正式なメンバーではないのだが、最近はメンバーとそう変わらない働きをしていた。
他のメンバーは用事があるため来られなかったが、赤坂小鳥と(たまたま仕事が休みだった)朝倉美幸には助力を頼んでいなかった。このふたりを投入すると営業停止になる可能性があるからだ。
で、全員で力を合わせた結果、何とかピークは超える事ができた。零導とフレデリカが人一倍活躍しており、また何の因果か美男美女が揃う結果となったので売り上げは伸び、ここ最近では一番の売り上げとなった。
ピークを超えると少しばかり暇となる。楓と叶は蕩けた餅のようになってカウンターのなかで伸びているし、帆紫と爽介もさすがに疲れた様子を見せている。零導とフレデリカは物凄い勢いで皿を洗っていた。疲れという感覚がないのかもしれない。
柘榴がレジで休憩していると、マスターの様子を見ていた亜美がやってきた。
「マスターの調子はどうですか?」
「熱はだいぶ下がった。多分、疲れてたんだと思う」
「あの人も無理してますからね。たまには休ませた方がいいのかもしれません」
「そうだね……」
そんな会話をしていると、店のドアが開いて客が入ってきた。無銘、茨羽巧未、朝倉夜月──この街の有名人たちだった。
「いらっしゃいませ! 三人で来るなんて珍しいね」
「たまたま時間が合ったんでな。無銘はここに来るの久しぶりだったか?」
「ああ。最近は忙しくて店でゆっくりする機会なんてなかったからな」
夜月の質問にそう答え、無銘はカウンターに座る。茨羽と夜月もその隣に座り、三人はほぼ同時にコーヒーを注文した。
「コーヒーみっつですね、かしこまりました……」
カウンターにいた楓が対応しようとするが、それより早く零導がコーヒーを持ってきた。注文を予測していたとしか思えない素早さだった。
「どうも。そういえば零導、紗由は一緒じゃないのか?」
「紗由ならまだ工房にいる」
「って事は、まだ作ってるのか……」
夜月が溜息をつく。それを見た茨羽が「紗由ちゃん、また武器作ってるのか?」ときいた。
「ああ。夜宵ちゃんから依頼されたらしい。またとんでもないもの作ってるんじゃないだろうな……」
「夜宵ちゃんが武器を持つのか……まあ、色々あったしな」
茨羽はコーヒーを一口飲む。
その横にいた無銘も話をききながらコーヒーを飲んでいたが、柘榴と目が合うと「そういえばちゃんと話すのは初めてだったか?」とカップを置いて言った。
「そうですね。朝倉さんのお兄さん……ですよね?」
この場合の朝倉とは亜美の事を指している。
無銘は頷くと、右手を差し出した。
「無銘……いや、赤坂蜥蜴だ。よろしく」
「幹ヶ谷柘榴といいます。……といっても、これは妹が付けてくれた名前ですけどね」
柘榴も左手を差し出し、握手をする。
その時、彼の脳裏で閃光が走り、ぼやけた記憶が浮かんできた。
炎の中で、無銘が手を伸ばしている。その先には容器に入った赤ん坊。
自分はその光景を、業火の中で見ていた。
「……さん、幹ヶ谷さん、どうした?」
無銘の声が、意識を現実に引き戻す。
彼は困惑した表情で自分を見ていた。
「い、いえ。少しぼんやりしていたようです」
「疲れてるのかな? 亜美、オレも喫茶店手伝ってもいいか?」
「えっ? お兄ちゃん仕事は?」
「今日の分は片付けた」
「お、じゃあ俺も手伝うかな。茨羽はどうする?」
「俺も暇だし手伝うよ」
「という訳だ学生諸君。ここからはオレたちに任せてくれ」
立ち上がり、手を洗いに行った三人を見ながら、柘榴は先程の記憶を繋ぎ止めようとしていた。
(今の光景は、私の記憶……?)
自分は以前、無銘と会った事があったのだろうか。
考えても分からない事だったが、この出会いが自分に何かを齎す事だけは確信していた。
「柘榴さんはどうしますか?」
亜美にそうきかれ、「もちろん、働きますよ」と答えて行動を始める。
その後、雑念を排除して仕事に集中したが、記憶の片隅には、先程の映像が残ったままとなっていた。
それがどんな結果を産むのかは……今の柘榴には分からない事だったのだけれども。
* * *
その6「よるをおどる、そのまえに」
その依頼は、復讐代行に届いたものだった。
依頼人にとって不都合な男がいるから排除してほしいという簡単な依頼。いつもと変わらない、殺しの依頼だった。
復讐代行のメンバーは何人かいるが、今回は自分が向かう事にして、準備を開始する。といっても異能を用いて別の姿になるだけだったが。
対象が冬桜山にいる事は分かっていたので、夜の闇の中を疾走する。桜は散ったが暑いというほどではなく、心地よい空気が自分を包み込んでいた。
ここ最近は風読家のボディーガードをやっていたが、正直に言って窮屈でしかない。欲と金の匂いがこびり付いた空気と、嫌悪感しか感じない住人たち……しばらく言いなりになってから金目のものを盗んでトンズラしようとすら考え始めていた。
今回は久しぶりに復讐代行としての依頼を受けられるので、気分が良かった。最も、この気持ちも偽りのものでしかないのだけれども。
冬桜山に入ると、対象はすぐに見つかった。夜だというのにこんなところにいるのは些か不自然にも思える。散歩用コースからは外れているし、キャンプをしている風には見えない。といっても、そちらの方が自分にとっては好都合なのだが。
音もなく忍び寄り、大鎌を振る。
肉を断つ手応えと共に、地面に紅い薔薇が咲く。それはすぐさま形を失い、元あるべき血溜まりへと変換された。
呆気ないと思いながら大鎌に付着した血を払っていると、かしゃりというシャッター音と共に小さな悲鳴がきこえた。振り向くと、観光客らしき男が携帯端末を耳に当てて上ずった声で何かを喋っている。どうやら見つかってしまったようだ。
仕方がないので、通話が終わると同時に胸を一突きして物言わぬ肉塊へと変えた。予想外の出来事だが、これはこれで悪くない。
さてどうしようかと思っていると、側面から禍々しい気配が襲いかかってきた。
咄嗟に大鎌を構え、防御する。どうやらゴム弾を使用していたようで、背後の木にめり込むだけで済んだ。
息つく暇もなく、蒼と翠を基調とした大太刀を構えた少女が襲いかかってくる。その背後にはライフルを構えている少年の姿もあった。
自然と唇が吊り上がる。
やはり、依頼はこうでなくては。
退屈という氷が溶け、熱いものが躰を支配する感覚に身を委ねながら──意志アリナは戦闘に身を投じる。
そして、少女は夜を踊った。
次回は本編です。