無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
咲と秕の事件が一応の終結を見せてからしばらくの時間が経過した、ある日の事。
赤坂小鳥は無銘と異能研にいた。三ヶ月に一回行われる検査のためである。
異能県の職員や協力者には、定期的にメディカルチェックを含む検査が義務付けられている。検査は採血や検尿といった一般的なものから、異能力のテストや戦闘時の動作チェックなど多岐にわたり、ほぼ一日を費やしての大掛かりなものとなっている。これは異能研が文字通り研究所としての性質を有しているからで、異能省など、他の組織ではここまで大々的には行わない。
現代は技術が発達しているので、簡単な検査は人間が行う必要がないが、ここまで大掛かりなものとなるとかなりの数の人手が必要となる。
受ける側にとっても、そして検査をする側にとっても面倒なイベントではあるが、交通費は異能研が出してくれるし、異能研側の人間にとってはボーナスが出る機会にもなる。何より、重要なイベントであるため、無駄な時間を過ごすという事はなかった。
採血で半泣きになった事を除けばいつも通りの検査が終わり、小鳥はロビーで大きく伸びをした。検査の日時は指定されているため、他のメンバーも来てはいるが、まだ終わっていないようだった。
椅子に座ってぼんやりしていると、受付で何かを話していた無銘が戻ってきた。「おつかれさん」と言って、手に持っていた缶ジュースを投げてくる。
小鳥は軽々とそれをキャッチし、幼い子供のようににっこりと笑った。
「やった、お父さんありがとう! あ、みんなまだ終わってないみたいだから待っていてもいい?」
小鳥がきくと、無銘は少しだけ表情を固くして、
「普段ならそうなるところだが、今日はこれから異能対に行く事になってる。お前の異能について、説明があるはずだ」
と言った。
「あたしの異能? 異能無効化じゃないの?」
「とりあえず行こう。話はそれからだ」
無銘は質問に答えず、すたすたと歩いていく。
小鳥は慌ててその後を追いかけた。
* * *
異能対策室には泊亮一と覚寺我路がいた。ふたりが入ってきたのを見ると、亮一が休憩スペースのソファに座るよう促す。
ふたりが座ると、予測していたかのようなタイミングで覚寺がコーヒーを四つ運んできた。
赤坂親子の対面に亮一と覚寺が座る。しばらくは各々がコーヒーに砂糖やミルクを入れる作業に没頭し、それが終わると亮一がこう切り出した。
「検査お疲れ様。今日来てもらったのは他でもない、赤坂さんの異能についての話だ」
「あたしの異能って異能無効化じゃないんですか?」
無銘にぶつけた問いを、亮一と覚寺にもぶつける。
すると覚寺が「違う」と答えた。
「あんたの異能は“出力調整”。簡単に言うとステータスの強化と弱化だ」
「って事は……真中さんと同じ異能?」
「少し違う。真中の異能は
「
「なるほど……?」
小鳥は首を傾げる。
何となく分かった。要は
まあ自分の異能がどんなものなのかは大体分かったし、そこら辺は扱う中で知っていけばいいやと思った。難しい事を考えるのは苦手だというのもある。
と、また新たな疑問が浮かんだ。それはこれまで自分がやってきた事に対しての疑問だった。
「あたしの異能が出力調整だとするなら、なんで異能を無効化できていたんですか?」
「無効化というのは正しい表現ではないな。正確に言うと相殺していたんだ。異能の出力を下げたりしてね」
「相殺……」
そんな緻密な事をやっていたのか、と小鳥は自分の左手を見る。無論、今までは無意識でやっていたので実感はない。
「加えて、この異能は赤坂さんの成り立ちそのものにも深く関わっている。自分の身体能力について疑問に思った事はないかい?」
「身体能力?」
そういえば、自分は異常に身体能力が高かったように思う。
体育の授業では県記録を連発していたし、戦闘時にも躰は軽々と動いていた。銃弾程度なら避けられたし、それを当たり前だと思っていた。
「きみがそこまで動けるようになったのはいつからだい?」
「えっ? うーん……確か、熱を出してから……あっ」
言いかけて、そこで気付いた。
昔の自分は躰が弱かった。それが丈夫になり、身体能力が上昇したのは異能を得てからだった。
あの日は雪が降っており、とても寒い日だった。自分は熱を出して倒れ、無銘の看病の甲斐なくそのまま意識を失った。
あの時──ぼんやりとしか覚えていないが、朦朧とする意識の中で、自分は白髪の少女と出会った。
少女は自分に何かをきいて、それに答えて、そして──異能を得たのだ。
無自覚に行使している力ではあったが、この異能が自分の根幹に影響を及ぼしているのは確かなようだった。
「……でも、なんで今になって話したんですか?」
疑問が解決すると共に、また別の疑問が生じる。異能研での検査は何度も行っていたし、向こうは小鳥の異能の事を把握していたはず。
それにもかかわらず、なぜ隠していたのか、なぜ今になって明かしたのか……疑問は尽きない。
怪訝そうな表情を浮かべる小鳥に対して、ふたりは丁寧に答えてくれた。
「意志アリナと戦った時、あんたは暴走したそうだな。その時の事は覚えているか?」
「うん。ぼんやりとだけど覚えてる」
あの時、アリナや自分への怒りと生への執着が混ざり合い、無意識に自分の枷を外した。
あれは潜在能力を限界まで解放していたのだと、自分の異能を知った今なら分かる。
「あの時、下手をすれば赤坂さんは自滅していた……きみの異能はとても強力なものだし、使い方を誤れば脅威になりうるからね。無意識下での行使ならそこまで脅威にならないだろうと思って本当の事は伝えていなかったんだ」
でも、事情が変わった──そう亮一は言った。
「琴音さんと吹綿さんの事件の裏には風読家の存在があった。彼らはこれからもきみたちと関わってくるだろうし、そうなると今のままでは
今までの小鳥は異能を無意識下で行使していたので、能力を最低限しか引き出せていなかった。その分リスクは少なく、脅威にもならないが、今のままでは戦っていく事は難しい。単なる異能犯罪者くらいなら対応できるだろうが、少なくともアリナに勝てなかったのは事実である。
だから、より力を引き出すために意識的に制御する術を体得させようというのが、異能研が出した結論だった。
小鳥は隣に座っている無銘を見る。彼は先程から一言も発さずにコーヒーを飲んでいたが、小鳥の視線に気付くと、少しだけ肩を竦めた。
「……お父さんは、あたしの異能について知ってたの?」
「まあな。でも、隠すしかなかった」
「どうして教えてくれなかったの? この力を使いこなせていれば、あたしはもっとお父さんの役に立てていたかもしれないのに……」
無銘は視線を虚空に向けていたが、やがて観念したように「……喪いたくなかったんだ」と呟いた。
「お前の異能は強力だ。だけどそれは異能だけじゃなくて、お前の潜在能力が凄いからって事もある」
お前は、お前が思ってる以上に凄い力を持っているんだよと無銘は呟いて、小さく溜息をついた。
「だけど、使い方を間違えれば大惨事になりかねない異能でもある。お前の異能は、使用者を魔王にしかねない異能だった……だから、教えられなかったんだ」
無銘の手が小鳥の頭を撫でる。ゴツゴツと硬い中に、無限の愛情が内包された手。小鳥が大好きな、父の手だった。
「オレはもう、何も喪いたくない。本当の事をいえば、お前がこれ以上戦う必要はないと思ってる。風読家との因縁は、オレたちが断ち切っておくべきものだったからな」
だけど、と無銘は小鳥の頭から手を離して続ける。
「それでも、お前は誰かを助けるために戦うつもりなんだろ?」
無銘の言葉に、小鳥は躊躇いなく頷く。
「うん。もう、咲ちゃんと秕さんみたいに悲しむ人を見たくないから」
「なら、オレに止める理由はないよ。……いつまでも子供だと思っていたけど、いつの間にか大人になってたんだな」
「お父さん……」
無銘は微笑み、優しく頼もしい声で続ける。
「今まで無意識にやっていた事を意識的にやるのは難しい事だ。時には暴発して被害が出るような事もあるかもしれない。だけど、そうなったらオレが絶対に止める……だから、強くなるんだ。誰かを護れるように、お前自身を護れるようにな」
無銘の瞳は優しい光を湛えている。
小鳥にはそれが自分を信頼し、好きなようにやっていいと後押ししてくれているように思えた。
小鳥の目に決意の光が浮かぶ。数日前、夜宵と話していた時に浮かんでいた禍々しいものとはまた異なる、何かを克己しようと決意した者の光だった。
「……わかった。あたし、異能をコントロールするよ。それで、みんなを護れるようになる」
小鳥の言葉に、無銘は満足そうに頷く。
そして思いついたように、ぽつりと呟いた。
「……腕の中で眠る灯」
「えっ?」
「小鳥の異能の名前。ふっと思いついたんだ。確かつけてなかったろ?」
自分の異能力に名を付けるのは自由だが、最近の研究で「異能力に名を付けると効果が僅かながら上昇し、制御も安定する」という事が明らかになった。微々たるものではあるが、戦闘向きの異能になるとその差が勝敗を分ける事もある。
名付けは本人のセンス次第となる。天啓のように最適な名が浮かんでくる場合もあるようだが、それは異能力がその名にする事を求めているからというのが、最近出た仮説だった。
“HELLO WORLD”でも名付けは自由で、付けている者もいれば付けていない者もいる。小鳥も付けようとは思っていたのだが、本人のセンスが壊滅的なのでいい名が思い浮かばず、そのままにしていた。
無銘が提案した異能力名をきいた小鳥は俯き、ぶるぶると躰を震わせる。
「め……」
「め?」
「めっちゃかっこいい……!」
がばり、と顔を上げた小鳥の目はキラキラと輝いていた。誰がどう見ても気に入った事が分かる反応だった。
「本当にあたしが使っていいの?」
「そのために考えたからな」
「やったーーー!!! お父さんありがとーーーっ!!!!」
子供のように大はしゃぎする小鳥。
それを見ながら、覚寺が小さな声で無銘にきいた。
「腕の中で眠る灯……というと、シューベルトの“魔王”が元ネタですか?」
「よく分かったな」
無銘は驚いた顔で覚寺を見る。
馬を駆る親子。息子に忍び寄る魔王。しかし、父親はそれに気付かず、息子は息絶える……腕の中で眠る灯という異能力名は、“魔王”の父親のような愚かな結末は迎えさせないという無銘の決意と、娘への愛情に満ち溢れた異能力名だった。
「いい名前ですね」
「そりゃどうも」
覚寺の微笑みに、無銘も表情を柔らかくして応える。
亮一もまた、はしゃぐ小鳥を見て自然と笑みを浮かべていた。
しかし、もうひとつ言わなければならない事を思い出すと、その表情は真剣なものに変化した。
「それで、むしろここからが本題なんだけど……」
亮一の言葉をきいて、小鳥はコーヒーをひとくち飲んでから居住まいを正す。無銘と覚寺も気持ちを切り替えた。
亮一は小鳥をまっすぐに見つめ、こうきいた。
「突然だが赤坂さん、頭の中に誰かの過去が浮かんできた事はあるかい?」
「えっ? えっと、前の事件の時に秕さんの過去が浮かんできた事はありますけど……」
いきなりの質問に戸惑いながらも、小鳥は思い出すように答えた。
その言葉をきいて、無銘が驚いたように小鳥を見る。
「小鳥、それは本当か?」
「うん、本当だよ。そういえば話してなかったかも……」
あの時は感情がごちゃ混ぜになっていて、無銘に話す事を失念していた。
ごめんね、と小鳥が無銘を見ると──彼は目を見開き、驚きをありありと顔に出していた。
次第に、その表情が複雑なものへと変わっていく。苦々しさと絶望を内包した、苦痛に耐えるような表情だった。
「泊くん……まさかとは思うが、小鳥は……」
「……前回の検査では分からなかったけど、一度使用したからか、検査結果にも現れるようになりました。覚寺の眼にも映ったので、間違いありません」
亮一は無銘を見て、次いで小鳥に視線を移す。
それから重々しい口調で、その事実を告げた。
「赤坂さんの目は過去を視る目……ロストアイだ」