無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
「ロストアイ?」
小鳥が首を傾げる。
その様子を横目で見ながら、無銘は荒れ狂う感情を制御するために遮断装置を作動させ、大きく深呼吸をした。
学生時代はすぐに感情が遮断されたが、歳をとるに従い老朽化したのか、最近は時間を掛けるようになった。それでも何とか感情を押さえ込み、落ち着きを装って小鳥に言った。
「ロストアイは過去を視る目だ。やろうと思えば、世界のはじまりまで遡って過去を視る事ができる」
「あたしの目が、過去を視る能力を持っているって事?」
「ああ。お前のお母さんも、ロストアイの保持者だった」
「お母さんが……」
小鳥は驚きの表情を浮かべて黙り込む。
これまで、母親の話は最低限にしかしてこなかった。すでに他界してるので、小鳥がききたがるのは当然ではあったが、母親の話をするという事は小鳥の出生に触れる事に繋がる。望まれて生まれた子供という訳ではなかったので、話すのを躊躇っていた。
小鳥は写真で母親の顔は知っているし、どういう人間だったのかも知っている。だが、母親の死因と自身の出生については何ひとつ知らなかった。
それは小鳥だけではなく、他の子供たちも同様だった。なぜ小鳥に母親がいないのかという事や、無銘や茨羽、夜月らの昔の話──とりわけ、螺鈿會という異能研究組織と戦った時の話はほとんど教えていない。
自分たちが断ち切った筈の因縁だったし、子供たちに背負わせたくないという想いもあった。だが、先の事件で風読家が暗躍した事により、過去からの因縁が蘇り、子供たちにも牙を剥く事になった。
加えて、小鳥がロストアイを持っていた事が判明した。やはり、話さなければいけないのか……という考えがよぎる。
だけど、話せる訳がない。
小鳥の母親──春風つばめはロストアイを持っていた事で理不尽な人生を送り、最後は無銘の目の前で死んでいった。
小鳥はつばめの模造品になる予定だった存在であり、模造品の素体がつばめとは別の人格を宿した事で生まれた存在だった。つまり、つばめが死んだ事で生まれた存在なのだ。
そんな事を話せる訳がない。小鳥はつばめを尊敬しているし、母親がいない事を寂しいと思っている。真実を伝えてしまったら自分自身を責めるに違いない。
だからこそ、無銘はそれ以上の事は話せなかった。それを察してか、亮一が話を引き継ぐ。
「ロストアイはとても貴重な異能でね。地球上でひとりしか発現しない異能と言われている。だからといって変に背負い込む事はないけどね」
「ひとりしか発現しない……? でも、お母さんが持っていたならあたしには発現しないはずじゃ」
小鳥の疑問はある意味で核心を突くものだったが、それに対して覚寺が澱みなく答える。
「あんたの母親は亡くなっているんだろう? これはまだ未確定だが、先代の保持者が亡くなると次の保持者が生まれるんだと思う」
「それで、あたしが次の保持者になったんだ……」
小鳥は合点がいったように頷いた。
無銘は黙っていたが、話をきいているうちに新たな疑問が生まれたので、それを訊ねてみる。
「でも、なんで急に発現したんだ?」
亮一は考え込むように黙ったあと、「……恐らく、偶然でしょうね」と言った。
「先代保持者……つばめさんが亡くなったあとに小鳥さんに所有権が移ったとしたら、生まれつき持っていたと考えられます。だけど、赤坂さんが持つ異能はつばめさんよりも弱いものだった。故に発現する事なく、検査でも引っかからなかったのだと思います」
「……だけど、先の事件で“腕の中で眠る灯”と併用した結果、存在が明るみに出た。もちろん、本人に自覚はないだろうけれど」
亮一と覚寺の説明を受けて小鳥の方を見ると、彼女は首を傾げていた。自覚がないのは本当のようだ。
「なるほどな……」
運命の悪戯だ、と思った。
春風つばめを再現しようとした男──春風郭公は、目的を達成する事なく死んだ。だが彼は目的を達成していて、それを知らなかっただけなのだ。
ロストアイを巡る事件は終わっているが、この異能が貴重なものである事には変わりない。
加えて、ロストアイは
目の前で死んでいったつばめの姿を思い出す。
もう二度と、あんな思いはしたくないし、小鳥を喪いたくはない。
次に脳裏に浮かんだのは、つばめと再会した時の事だった。
そこで、彼女は無銘を優しく抱きしめ、こう言った。
『……無銘さんは、私を救えなかった事を後悔しているんですよね』
『……ああ』
『……なら、生きてください。素体を……私の子供を連れて、その子と色々なものを見てください。私が見れなかった分まで、たくさん……それで、私は救われるんです』
つばめは躰を離し、無銘を見つめる。
そして優しい声で、救いを示した。
『私の英雄になってください、無銘さん』
あの時に
この不安定な世界で、ともすれば零れ落ちそうになるそれを掴んで離さぬよう、今まで生きてきた。
その結晶が小鳥であり、自分が命に替えても護りたいと願った存在だった。
『オレは弱い人間だ。手を伸ばしても誰も救えない、英雄もどきの愚者だ。だけど、つばめちゃんはそんなオレを好きだと言ってくれた』
『……だから、もう一度立ち上がる。今度は何も失わないように、強くなるよ。この先の未来に、つばめちゃんを連れていけるように……』
今度こそ、オレはつばめちゃんの英雄になる。
あの時、無銘はつばめに誓った。
その誓いは消えていないし、
小鳥は自分の大切な娘であり、つばめが遺した希望でもある。この先の未来につばめを連れていくためにも、小鳥は絶対に守り抜く──そう、無銘は決意した。
「……とりあえず、赤坂さんには異能を制御する術を学んでもらいます。異能の系統が近い真中が指導役としては適任だろうから、話を通しておくよ。ロストアイの方は肌感覚でつかんでもらうしかないけれど、さっきも言った通り、赤坂さんのものはかなり弱い異能だ。発動するのに手間取るかもしれないけど、制御自体はすぐできると思う」
「分かりました! あたし、もっと強くなれるように頑張ります!」
小鳥はぴしりと敬礼をしてみせる。
亮一は「頼もしいね」と微笑んでから、「僕はお父さんともう少し話をするから、先に戻ってもらってもいいかな?」と小鳥に言った。
小鳥は頷き、退出しようとする。その背中に、無銘は声を掛けた。
「小鳥」
「ん?」
「あまり無理はしないようにな。何かあったらいつでもお父さんを頼ってくれ」
「うん! それじゃ、ロビーにいるね」
小鳥は嬉しそうににっこりと笑い、部屋から出ていった。
次いで覚寺も「研究課の方に顔出してくるので失礼します」と退出し、後には無銘と亮一が残された。
「まさか、赤坂さんがロストアイの保持者だったとは……」
亮一は
「でも、無題奇譚がなければ意味はないはずだ」
「春風郭公が無題奇譚を創っていなければいいんですがね……いや、仮に創っていないとしても風読家が創っている可能性もあるか」
やはり、風読家は潰すべきなのかもしれません──そう亮一は言った。
「この前話したように、あそこには日向の模造品がいた。それに、鮮真くんと和樹くんが交戦した仮面の男の存在も気になる。少なくとも、風読家が苛内植を匿っているのは確定事項でしょう」
「苛内か……アイツが日向の模造品を創っているってのは光の模造品からきいたし、それなら
まあそれはそれとして、と無銘は話を続けた。
「アイツなら無題奇譚を創るくらい造作もないだろうし、小鳥を狙ってくると思う。なんせドロシィと同じ
「ええ。だからこそ潰す必要がある。恐怖を実態化させる携帯型異能……“兀乂无”を盗んだのも天咲の人間だし、叩けば色々と出てきそうですしね」
「ああ……何にせよ、小鳥は絶対にオレが護る」
無銘はそう言うと、コーヒーを飲み干す。
亮一はそれを見ると、「今度、茨羽さんと夜月さんも交えて話をしましょう」と言って立ち上がる。
それで話が終わり、無銘はロビーへと向かった。
* * *
無銘と亮一が話している、ちょうどその頃。
小鳥がロビーに戻った時には、仲間たちは検査を終えて待機していた。
「お疲れ〜。あれ? よいちゃんがいないみたいだけど、トイレにでも行ったの?」
小鳥がそうきくと、近くにいた帆紫が「お疲れ様」と微笑んでから、
「夜宵ちゃんは武器の登録に行ったよ。多分、資料室にいるんじゃないかな」
と言った。
「あ、武器登録か……」
異能研の職員や協力者は武器の携帯が認められているが、そのためには面倒な手続きを済ませる必要がある。“HELLO WORLD”ので武器を使うメンバーもそれは例外ではなく、手続きを踏まえた上で武器を使用していた。
なるほどと頷いた小鳥だったが、帆紫の言葉に含まれているとある単語を思い出し、「あ、まずい」とげんなりした表情になった。
「どうしたの?」
「ほむ姉、さっき資料室って言ってたよね?」
「うん。この前から資料室が窓口を兼ねるようになったみたいで……あっ」
小鳥と同じ考えに思い至ったのだろう。帆紫は苦笑して「……確かに、まずいかも」と言った。
「ごめん、ちょっと行ってくるね」
「分かった。この後はみんな予定ないみたいだし、待ってるよ」
「ありがとっ!」
言って、小鳥は風のように走り出した。
他の仲間たちはその様子を不思議そうに見ていたが、帆紫が事情を説明すると一様にげんなりした表情を浮かべたのだった。
* * *
十数分前の事。
皐月日夜宵は資料室で立ちすくんでいた。
腰に取り付けたホルスターには銀色の拳銃が収められており、これを登録してもらうために資料室へとやってきていたが、未だに手続きすらしていない。
資料室は本棚でいっぱいの部屋で、奥の方には閲覧スペースとカウンターがあった。カウンターには管理人がいて、手続きをしてくれるという話だったが、どこを見ても人の姿はない。
トイレにでも行ったのかなと待ち続けて十五分。いくら長いとはいえ、もうそろそろ戻ってきてもいいはずである。
手持ち無沙汰になるが、下手に周りのものをいじる訳にもいかない。仕方なく、直立不動で突っ立っていた。
周りは静かで、外の音はきこえない。
だが、部屋の奥から微かに水音がきこえてきたので、おかしいなと思った。
水道の止め忘れだろうか。だとしたら早く止めないと、異能研の水道代がどんどん上がっていってしまう。
あわあわしながらも何とか思考をまとめ、意を決してカウンターの奥に入る。そこは居住スペースで、リビング、キッチン、トイレ、バスルームに分かれていた。夜宵が住んでいる部屋とあまり大差はない。
こんなところがあったんだ、と驚きつつも、思えば覚寺我路だって異能研に住んでいるので、特に驚く事でもないのかもと思い直した。
水音はバスルームからきこえてきていた。ドアに近づくと触れてもいないのにドアが勝手に開き、蒸気が夜宵を包み込む。
なぜドアが自動で開いたのかと思ったが、視界に映る光景にそんな疑問は吹っ飛んだ。
浴槽にひとりの少女が沈んでいた。あまり広くないので脚がはみ出ており、上半身は湯の中に沈んでぐったりとしている。
気泡は出ていないので息はしていないようだ。呼吸を止めている可能性もあるが、少女は明らかに意識を失っているようだったのでその可能性は排除していいだろう。
長い髪が湯船の中で踊る。夜宵は驚いて、慌てて少女を引っ張りあげた。
力はないし、人間をお湯の中から引っ張りあげるなんて初めての経験だったので心配だったが、何とか少女を引き上げる事に成功した。火事場の馬鹿力のようなものだろう。
脱衣場にバスタオルを敷き、そこに少女を横たえる。くたりと弛緩した躰は赤く、危険な状態である事はひと目で分かった。
とりあえず、冷やさなければと思い、適当なタオルを見繕って濡らそうとした、その時……
「み……ず」
か細い声に振り向くと、少女が薄目を開けてこちらを見ていた。
「みず……もらえるかな……れいぞうこにあるやつ……」
「えっ? でも、その前に冷やさないと……」
「いいから……」
ぼんやりした口調でそう言うと、少女は再び意識を失う。
と、キッチンの方からばたんという音がきこえ、何かが飛来してきた。
反射的に受け止めると、それはペットボトルに入ったミネラルウォーターだった。よく冷えており、ついさきほど冷蔵庫から取り出されたものだと分かる。
状況を呑み込めずに混乱したが、少女の言葉を思い出してペットボトルの蓋を開け、水を飲ませる。意識を失っているので飲めないのではと思ったが、少女はごくんと水を飲み込んだ。
次の瞬間、少女の目が見開かれた。驚いた夜宵の前でむくりと起き上がった少女は、夜宵に目を向けて「ありがとう」とはっきりした口調で言った。先程まで意識が朦朧としていたのが嘘のようだ。
少女は夜宵をまじまじと見つめると、
「あ、もしかして資料を借りに来た人?」
「え? あ、えっと、武器を登録したくて……」
「ああ、武器登録か……それはすまないね。ついつい長風呂をしてしまったようだ」
「えっと、まだ横になっていた方が……」
「大丈夫。っと、自己紹介がまだだったね」
少女は夜宵の静止をきかずに立ち上がる。
そして裸である事を完全に忘れている様子で、こう名乗った。
「僕は
「兀乂无」は「ンヲゥヴハグァ・ラゥツュヒィナ・ディフツェ」と読みます。架空言語のため特に意味はありません。
長すぎてルビが機能しなかったので補足しておきます。