無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
その少女がやってきたのは、天気雨が降る日の事だった。
朝は晴れていたのだが、昼になってから雨が急に降り出した。晴れたままという事もあり、ほとんどの人が傘を持っていなかったので、喫茶店で雨宿りをする人も多かった。その結果として、店員たちは死に物狂いで働く事になった。
今日はバイトの高校生たちがいないため、人数は少ない。だが、以前この店で働いていた男たち──裏の世界の連中が助太刀に来てくれた事もあり、何とか回していく事はできた。
客足が落ち着いたのは午後になってからで、その時には雨は小降りになっていた。
交代で休憩をとる事になり、夢羽が昼食を買いに出ていった。本人は最後でいいと言ったのだが、周りがそれを説得した結果、全員分の昼食を買ってくる事になったのである。
葉月は皿を洗いながら息をついた。店で仕事をする人もいるため、客が途絶えるという事はない。だが、そういった人たちは常連であり、気安い関係だったのである程度は疲れを見せる事ができた。
隣で皿を洗っていた柘榴や姫名も少しばかり疲れた様子を見せている。レジの前にいる亜美も弛緩した様子だった。
もう少ししたらごはん食べられるし、頑張ろう──そう思った時、店のドアが開いた。
夢羽が戻ってきたのかなと思ったが、彼女は裏口から戻ってくるはずなのでそんな事はないと思い、客を迎えた。
「いらっしゃいませ。空いているお席にどうぞ」
微笑みながら応対すると、客も笑顔で頷いた。
調理場から出てきて応対したため、葉月はここで初めて客の姿を見る事となった。
黄金色の長髪に蒼い目の少女。服装は白いTシャツと紺の上着、ジーンズというシンプルなもので、クリーム色の帽子を被っていた。
見た目は十代後半。派手な身なりではないのだが、どことなく人を惹き付けるような雰囲気を纏う少女で、葉月は思わず見惚れた。
少女はカフェオレを注文すると、持っていた鞄から文庫本を取りだして読み始めた。
絵になる光景ではあるのだが、ずっと見ている訳にもいかない。葉月はカフェオレを淹れると、おまたせしましたと言って少女の前に置いた。
「ありがとうございます」
少女は微笑んで頷くと、カフェオレを飲み始める。それを見届けて、葉月は皿洗いに戻った。
しばらくすると少女はカフェオレを飲み終わり、店を出た。どうやらひと息つきたかっただけのようだ。
客と店員の関係だし、この先関わる事もないだろう。そう思った葉月は淡々と業務をこなした。
それでも、頭の片隅にはあの少女の事が残ったままだった。
・ ・ ・
夜になり、閉店時間になった。
雨は止み、空は黒く染まっている。外の空気が吸いたくて、葉月は店から出た。
道路は乾ききっておらず、濡れている。季節は秋で、夜になるにつれ空気は冷えていく時期だった。といっても、暑さでもわっとした空気よりは遥かにましといえる。
特に目的もなくぶらぶらと歩く。雨により動きを阻害されていた人々も今は活動を再開しているが、夜という事もありその数は減っていた。
冷たい飲み物が飲みたくなり、コンビニでも行こうかなとぼんやり考える。そんなものは店にいくらでもあるのだが、客に提供する量が減るのはよろしくないので飲まないようにしていた。
炭酸水でも買おうと思い、見つけたコンビニに入ろうとした、その時──その隣にある細い道から声がきこえてきた。詳しい内容までは分からないが、なんとなく良からぬ雰囲気を察したので、葉月はそこに飛び込んだ。
建物の隙間にできた道で、夜になるとほとんど何も見えないような場所。しかし葉月は夜目が効いたので、少しの時間を要したが状況を把握する事ができた。
「えっと、ぶつかった事は謝ります。だから……」
「そーじゃねーんだよ。オレが必要としてるのは謝罪じゃなくて夜の相手なんだって」
少女が男に言い寄られているようだ。悲しいかな、夜の街ではそこまで珍しい事でもなかったので、すぐに仲裁に入った。
「何があったんですか?」
葉月がそうきくと、男がこちらを向いた。奇抜な服装に人相の悪い顔。このあたりのチンピラだろう。
「あ? なんだ、アンタがオレの相手をしてくれるのか?」
男は夜目が効いているようで、葉月の躰を舐め回すように見る。こんなに暗いのによく見えるな、と場違いにも感心してしまった。
「そういう事は他所でやってください。その子、困ってるじゃないですか」
「ぶつかってきたのが悪いんだよ。ま、アンタでもいいぜ? いい躰してるしなぁ」
男が下卑た表情を浮かべながら近づいてくる。手がわきわきと動いているあたり、性欲に頭を支配されてしまっているようだ。
はぁ、と溜息をつき、葉月は動いた。
するりと懐に入り込み、躰を捻る。男の腕を巻き込む形で投げ飛ばすと、その躰は勢いよく地面に叩きつけられ、男は目を回した。
「大丈夫ですか?」
一部始終を呆然と見ていた少女に声をかける。そこではじめて、喫茶店で会った少女である事に気づいた。
向こうも葉月に気づいたようで、「大丈夫です。ありがとうございます」と頭を下げた。
その時、少女のお腹が鳴った。そこで当初の目的を思い出した葉月は、顔を赤くしている少女に微笑みながら、
「よければ、そこのコンビニで何か買いますか?」
そう、提案した。
・ ・ ・
「すみません、助けてもらったうえにご飯まで……」
夜でもそこそこ活気があるコンビニ。その前で、少女はおにぎりを食べていた。
葉月は炭酸水をひとくち飲み、「気にしないでください」と微笑む。ちなみに夕食は仕事が終わったあとに済ませていた。
おにぎりふたつをお腹に入れて満足そうな表情を浮かべた少女は、「なんかほんとに申し訳ない……」と気恥しそうな表情になる。
「ほんとに気にしないでください。私も飲み物を買おうとしていたので、ちょうどよかったですし」
そう言ってから、そういえば自己紹介をしていなかったなと思い、名乗る事にした。
「申し遅れました。木野葉月といいます」
「葉月さん……ですね。僕は
「旅人?」
フィクションの中でしかきいた事のない肩書きだったので、思わずそうきき返す。少女──天姫奏は頷き、「世界中を旅してるんです」と答えた。
「といっても、単に旅行が好きってだけなんですけどね。一応出身はこの国なので、たまに戻って国内をぶらぶらしたりもしてます」
「なるほど……旅人って、なんとなくかっこいい印象がありますよね」
「そうですね。気の向くままに世界を旅するのは楽しいですよ」
そう言って、奏は旅の話をたくさんしてくれた。
テレビや小説でしか見れないような話が、目の前の少女からどんどん出てくるので、いつの間にか話に夢中になっていた。人生の半分以上を螺鈿會と神色の螺旋で過ごし、現在はしがない喫茶店の店員でしかない葉月にとって、それらの話はとても新鮮だったし、きらきらと輝いていた。
奏の話が一段落すると、今度は葉月が日常の話をする。こちらはよくある話ばかりだったが、それでも奏は楽しそうにきいてくれた。いつの間にか口調も砕けたものになっており、こちらが素なのだろうと葉月は思った。
「葉月さんの暮らしも楽しそうだなぁ。今は旅をしているけど、世界中を回ったらそんな暮らしをしてみたい」
「その時は、うちの喫茶店に来てください。みんないい人ばかりなので、楽しいですよ」
葉月が言うと、なぜか奏の表情が少し曇った。手が届かないものを見て羨ましがるような、そんな表情だった。
「……奏さん?」
「え? ああ、ごめんごめん。……っと、そろそろいい時間だね」
そう言われて腕時計を見てみると、喫茶店を出てからかなりの時間が経過している事が分かった。そろそろ帰らないと心配されてしまうだろう。
「三週間くらいはこの街にいるつもりだから、また喫茶店に行くよ」
「分かりました。いつでも来てください」
また会う事を約束して、ふたりは別れた。
新しい友人ができた事が嬉しくて、帰りは鼻歌を歌いながら歩いた。
・ ・ ・
それから、奏は喫茶店にやってくるようになった。
この街に滞在している理由はお金稼ぎをするためらしく、会える時間自体は少なかったが、それでも葉月は奏の来訪を楽しみにしていた。
一度、喫茶店でバイトしてみたらどうかと提案してみたのだが、単発バイトのみに限定しているという事で実現はしなかった。奏が行っているのは表裏を綱渡りするような危険なバイトで、彼女がかなりの実力者であるらしい事が判明した。強い旅人ってかっこいいなぁと思った葉月はますます奏への尊敬を深めたのだが、それはまた別の話である。
そんなこんなで三週間が経過したある日、いつも通り働いている最中に夢羽がこう言った。
「葉月ちゃん、明日は休んでいいよ」
いきなりの事に葉月は驚き、「どうしてですか?」と目を丸くする。
「だって、天姫さんがもうすぐ出ていっちゃうんでしょ? だから、一日くらい遊んできたらどうかなって」
「いいんですか?」
「明日は東くんと帆紫ちゃんが来るから大丈夫」
「じゃあ、お言葉に甘えます」
「楽しんできてね」
そんな訳で、葉月は奏と遊びに行く事になった。
奏は携帯端末を持っていないので予定を合わす事ができないのでは、と思ったが、どうやら夢羽が街中で会った時に伝えていたらしく、奏は待ち合わせ場所で待っていた。
葉月も奏も誰かと遊びに行くという経験はあまりないので何をしたらいいのかは分かっていない。だが、事前に高校生組に話をきいてみたところ、カラオケゲーセンショッピングと呪文のように言われたので、それに従う事にした。
「葉月さんめちゃくちゃ歌上手いね! いいなぁ」
「そういう奏さんも上手ですよ」
「そう? なんか照れるなぁ。 あ、次これ歌おうよ!」
「でもこれアンパンマンのマーチですよ?」
「いいじゃん! 愛と勇気が友達ってすごく素敵だと思うし!」
「確かにそうですね。でもちょっと恥ずかしいような……」
「大丈夫、ふたりで歌えば楽しいよ! ほら、前奏始まったよ!」
カラオケではとにかく歌を歌いまくった。
少し恥ずかしかったけど、楽しかった。
「葉月さん、もしかして銃とか扱った事ある?」
「ありますけど……」
「なるほど、だからシューティングゲームが上手いんだ。さっき、ひとりでほとんどのゾンビ倒してたし」
「そういう奏さんだってレースゲームで大差を付けて優勝してたじゃないですか」
「まあ、砂漠の真ん中でカーチェイスした事とかもあるからね。あの時は大変だったなぁ」
「すごく説得力がある理由……」
ゲーセンでは気になるゲームを片っ端からやっていった。
ゲームなんてほとんどやった事がなかったので戸惑ったりもしたけれど、それでも楽しんでプレイできていた。
「どうでしょうか……」
「わ、すごく似合う! やっぱりスタイルいいとどんな服でも着こなせちゃうんだなぁ」
「そういう奏さんも何着ても似合うと思いますけど……」
「えへへ……じゃあ、次は葉月さんが私の服選んでくれる?」
「分かりました。それじゃあ、これとこれを組み合わせて、こんな感じでどうでしょうか?」
「おお〜。私はあまり着た事がない組み合わせだから新鮮だなぁ。早速着てみるね!」
服を見たり、食べ歩きをしたり。
傍から見たら、普通の女の子として認知されただろう。
もうすぐお別れなのは寂しいけれど、その分今を精一杯楽しんだ。
次に会った時には、きっと思い出話に花が咲くだろう。
そして最後に雑貨屋に行き、お揃いのマグカップを買った。
黄色と青のマグカップ。ふたりで選んだものだった。
「次に会う時は、これでコーヒー飲もうよ!」
「そうですね。その時はわたしが淹れますよ」
葉月が言うと、奏は嬉しそうに「楽しみだなぁ〜」と笑顔を見せた。
それを見ているうちに、葉月はとある事に思い至る。
「そういえば、奏さんの雰囲気が少し変わったような」
「そうかなぁ。私としてはいつも通りのつもりだけど」
「……あ、自分の呼び方が“僕”から“私”に変わってるからそう思ったのか」
葉月が呟くと、奏はハッとした表情になり、それから照れたように笑みを浮かべた。
「実は、こっちが本当の私なんだ。普段は意識的に呼び方変えてるから……私は、この世界では既に死人同然だからね」
「えっ?」
後半は呟くような声量だったため、葉月は思わずきき返す。
奏は「なんでもないよ」と微笑んでから腕時計を見て「そろそろ行かないとかな」と寂しそうな表情になった。
「今夜の夜行バスに乗るんでしたっけ?」
「そうだね。とりあえずふらりと西の方にでも行こうかなって思ってる」
「国内ですか?」
「そうだね。一周するのは時間かかりそうだから、沖縄まで行って引き返してこようかなぁ」
「沖縄……行った事ないですね」
「じゃあ今度行こうよ! ふたりで旅行するのも楽しいと思うし!」
奏の提案に、葉月は笑顔で頷く。
そして、そっと小指を差し出した。
「……いつかふたりで」
「うん! いつかふたりで!」
指切りをして、また離す。
それが別れの合図だった。
奏は手を振りながら、人混みの中に消えていく。
葉月はその背中を、ずっと見ていた。
その後、程なくして葉月は眠りにつく事になる。
それでもなお、あの日の約束と思い出は、今も葉月の中で輝いている。
絶望の闇を照らす、希望のように……。
* * *
お見舞いを終えた小鳥たちは、松ヶ崎行きの電車に乗っていた。
和樹や夢羽とは病院で別れたが、叶は小鳥たちと一緒に帰っている。
結局、ロストアイで見た光景の中に奏の手がかりはなかった。西にいるという事は分かったが、それだけだ。
奏が戻ってくれば、葉月は目覚めるのではないか……そう小鳥は思っていた。
かといって、探すあてはない。その代わり、こう呟いた。
「もうすぐ夏休みだよね」
「あと一ヶ月くらいあるけどね」
「小鳥はテスト頑張らないと補習になるよ?」
楓と紗由にそう言われ、小鳥は「分かってるよ……」と頬を膨らませる。
「夏休みになったらさ、みんなでどこか行かない?」
「どこかって?」
「んーーー……西の方」
「大阪とか京都とかですか?」
「修学旅行?」
叶の言葉に楓がつっこむ。
小鳥は「そんなに遠くじゃなくても、ぶらぶらと出掛けられたらいいなって」とみんなの顔を見た。
それをきいて、紗由が思い出したように叶を見た。
「そういえば、叶って西の方にある村の出身じゃなかったっけ?」
「叶の故郷? 松ヶ崎じゃないの?」
「あー……私は西の方にある小さな村の出身なんですよ」
「へぇ〜〜〜。行ってみたいな!」
「でも、ならなんでこんなところに引っ越してきたの?」
紗由が叶にきく。
その言葉に叶は表情を暗くして、
「まぁ……色々ありまして」
と言葉を濁した。
三人は首を傾げたが、それからは行きたい場所の話になったため、その話はそこで終わった。
はしゃぐ三人を他所に、叶の表情は到着するまで優れないままだった。
* * *
同時刻、近畿地方に所在するとある町での事。
ひとりの旅人が、今まさに出立の準備を終えたところだった。
「奏、もう行くの?」
「うん。さすがに長居しすぎたからね。ほまれちゃんには色々と世話になったよ」
旅人は三週間ほど前からその町に逗留しており、とある家に泊まっていた。
その家のひとり娘が、旅人を見送る。薄い金髪のセミロングをツインテールにした、かわいらしい少女だ。
「次はどこにいくつもり?」
「そうだね……ほまれちゃん、適当な地名を言ってくれる?」
「冬天市」
少女の言葉に、旅人は少し驚いた様子を見せる。
「一応、理由をきいてもいいかな?」
「奏の前に逗留してた旅人が目指している場所だから」
「なるほど……でも実は、僕は冬天市から来たんだよ」
「……そういう事は早く言ってよ」
「ごめんごめん。でも、そっか……もう一年以上経つのか」
旅人は懐かしそうに目を細める。
それから決意したように「よしっ!」と頷いた。
「結構ハイスピードだったけど沖縄までは行ってきたから、寄り道しながら冬天市を目指そうかな!」
「みんな冬天市を目指してる気がするけど、何かあるの?」
少女の質問に、旅人は微笑みながら答えた。
「友達と会うため、かな」
「……そう。それじゃあ、行かなきゃね」
少女はどこか寂しそうに、それでも微笑んで旅人を送り出す。
「じゃあ、元気でね」
「うん。ほまれちゃんも元気で」
そして、旅人は冬天市に向かうために歩き出した。
「待っててね、葉月さん」
同じ空を見ているであろう友人に向けて呟く。
──今、逢いに行くから。
次回から新章となります。