無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
七月後半。季節は完全に夏へと変わり、茹だるような暑さと共に蝉がやかましく鳴くようになった。
そんな中、松ヶ崎高校の生徒たちは期末試験を終え、解放感に満ち溢れていた。
テストが終わったのは木曜日で、返却が始まるのは月曜日。なので土日は全てを忘れて遊ぶ事ができる。
しかし、教師にとってはここからが地獄だった。凄まじい速さで採点を終わらせ、職員会議が開かれたのは金曜日の午後。現代は一部の部活以外の指導が外部委託になり、教師の負担が減ったとはいえ、重労働である事に変わりはない。
職員会議ではテスト結果の簡単な報告と、欠員が出た二名の教員の補充が議題となった。
欠員が出たのは養護教諭と二年の現国の教師だった。前者は産休に入り、後者は一身上の都合で退職するとの事だった。
校長の話だと、どうやら代わりの目星はついているようで、この件に関しては問題ないとの事だった。しかし、校長は以上の話を終えた後、ぽつりとこう漏らした。
「しかし、まさか異能研の要請とは……」
異能研は異能省の下部組織であるため、それなりの権力を持っている。しかし異能研が教育現場に首を突っ込む事など初めてだったので、校長も困惑しているようだった。
それでもその話はそこで終わり、テスト結果に話が移る。
そしてそこで知らされたある生徒たちの結果に、教師たちは驚き、目を剥いたのだった。
* * *
『はぁぁぁぁっ!?』
全てのテストが返却されたのは翌週の水曜日の事だった。
いつものように教会に集まった“HELLO WORLD”のメンバーたちは揃いも揃って絶叫していた。
「嘘だろ……」
「こんな事が有り得るのか……?」
「いやでも現実ですよこれは……」
「びっくりしちゃった……」
彼ら彼女らの視線の先には、誇らしげにテスト結果を見せる三人の少女たちがいた。
「まさか“松ヶ崎の三馬鹿”と呼ばれるコイツらが揃いも揃って平均点を獲るなんて……」
和樹が呆然としながら呟く。
彼の言うとおり、松ヶ崎の三馬鹿──小鳥、楓、叶が揃いも揃って平均点を獲るのはちょっとした事件だった。なにせ普段は赤点ギリギリで切り抜けているような連中なのだ。
「頑張った甲斐があったよ……」
「そうですね……」
夜宵とフレデリカがぐったりしながら呟く。ふたりは試験の一週間前から三人に付き添い、勉強を教えていた。ちなみに、フレデリカは高校に通っているのか定かではないが勉強はできた。
その甲斐あって三人は落第どころか順位を大幅に上げる事に成功した。なので先程から夜宵とフレデリカを崇めていた。
「神さま仏さま夜宵さま……」
「我らにフレデリカさまの祝福があらん事を……」
「それ、崇めてるかどうか疑問なんだけど……」
紗由が呆れたようにつっこむ。
「あはは……でも良かったよ。これでみんなで夏休みを迎えられるね」
「一歩間違えば補習地獄でしたからね……」
夜宵の言葉に、爽介が頷く。
三人が頑張ったのは夏休みを補習で終わらせたくないという意志ゆえの事で、更に言えばみんなで旅行に行きたいという願望ゆえの事だった。
ちなみに、目的地は決まっていないものの、旅行の計画自体は少しずつ進んでいる。試験が終わったのでそのスピードは更に加速するだろう。
「でも、さすがに今日は難しい事考えないでパーッと遊びに行きたい気分だなぁ」
小鳥がそうぼやく。テスト返しの緊張感から解放されたのは事実なので、他のメンバーもその考えには異論がなかった。
「でも暑いですよ?」
「夏だからな」
爽介がげんなりした顔で言うと、零導も無表情で頷いた。するとそれを見た帆紫がこう提案した。
「うーん、じゃあ、アイスでも食べに行く?」
「スーパーかコンビニに行くって事?」
「そうじゃなくて、冬桜山にある直売店まで行かない? 山なら涼しいし、ちょうどいいんじゃないかな」
その言葉に、全員がなるほどと納得した。
「でも、あそこは少し遠い気もするな」
和樹が言うと、翔一が「問題ない」と親指を立ててみせた。
「運動にはちょうどいいし、最近は試験勉強ばかりで躰を動かしてなかったからな」
「それもそうだね。じゃあ、そうする?」
小鳥がみんなの顔を見回すと、全員が頷いた。
フレデリカはお務めがあるとの事で教会にとどまったが、それ以外は冬桜山にある牧場に向かう事になった。もちろん、お土産は買ってくるつもりである。
暑さは相変わらず厳しいが、それでも小鳥たちの足取りは軽く、子供のようにはしゃぎながら進んでいった。
* * *
冬桜山の散歩コースを進み、途中で現れる分かれ道を左に進む。
右に進むと頂上にある桜の木に辿り着くが、左に進むと“花の丘”という花が咲き誇る地帯へと辿り着く。今は夏なので向日葵が見頃で、溢れんばかりの生命力を発散している。
そこから更に進むと右手に建物が見えてくる。“みるくびより”という店で、ジェラートやヨーグルトの直売店だ。
ちなみに建物を挟んで左側、つまり“花の丘”の反対側には牛舎がある。“みるくびより”の商品はここの牛のしぼりたて牛乳を使用しているのだが、その代償として牛糞の匂いが凄まじい。
どんな仕組みなのかは不明だが、匂いは建物までは届かない。なのでリピーターは必ず右側を通ってくるが、初めて来る人は牛舎の前を通ってしまい、悶絶する事もあるのだという。
小鳥たちは何度も行っているので右側を通り、建物に辿り着いた。
店の前にあるベンチでは客がジェラートを食べている。店は狭いので何人かで分かれて入り、待っている間は雑談をしていた。
「久しぶりに来たなぁ〜」
「俺なんか小学校の遠足の時以来だぞ」
「ああ、あの時は大変だったよねぇ……」
「遠足?」
小鳥と和樹のやりとりをきいていた夜宵が首を傾げる。それに答えたのは帆紫だった。
「小学生の時、ここまで来てアイスを食べるっていう行事が毎年あったの。いくつかの班に分かれて、上級生が下級生をサポートしながら登っていくんだ」
「楽しそうですね!」
目を輝かせる夜宵に、「ところがそうでもないんだ」と帆紫は苦笑した。
「いちどだけ、かずと小鳥ちゃんが同じ班になった時があったんだけど、下級生がわんぱくすぎて見事に遭難しちゃってね。アイスを食べ終えてみんなが学校に着いた時もその班だけ戻ってこなかったの」
「そ、それってどうなったんですか?」
「付き添いの先生がいなければ大事になっていたかもね……紗由ちゃんはみんなが死んじゃったと思い込んで大泣きしてたし、零導くんは助けようと走り出して先生に止められてたし……結局一時間後に戻ってきたけど、あの時は大変だったなぁ」
「そういう姉貴も俺たちが戻ってきた時は泣いてただろうが」
「うっ……まあそれはそうなんだけど」
和樹のつっこみに、帆紫は顔を赤くする。
夜宵はそれを見ながら、よくそんな行事やってたな……と苦笑した。ちなみに小鳥の話だと現在もやっているらしく、さすがは田舎の学校だと思った。
そうこうしているうちに順番になったので、茨羽姉妹と小鳥と夜宵が店の中に入った。
「フレデリカさんとお父さんたちの分も買わないとね」
「ジェラートは溶けるだろうから飲むヨーグルトでいいか。ここのは絶品だし」
家族やフレデリカへのお土産を見繕ったあと、各々が好きなジェラートを注文する。夜宵は初めてだったのでシンプルなバニラ味にした。
ひとくち食べると、冷たさと共にバニラの芳香が広がる。とても濃厚な味だった。
「おいしい?」
小鳥が隣にやってきてそうきいた。手にはヨーグルト味のジェラートを持っている。なんでも、甘酸っぱくておいしいのだとか。
「うん……こんなにおいしいジェラートはじめて食べたよ」
「ならよかった。よいちゃんは飲むヨーグルトも好きだろうから、あとで飲んでみれば?」
「うん、そうするよ」
仲間たちもおいしそうにジェラートを食べている。バニラやヨーグルトの他にも抹茶だったりチョコミントだったりストロベリーだったりあんこだったりナポリタンだったりと、個性がはっきりと出ていた。
そんな感じで一息ついていると、ふと誰かの視線を感じた。振り返ると、ベンチに座っていた少年がこちらをじっと見ていた。
「……?」
夜宵が戸惑っていると、少年は立ち上がってこちらへと歩いてきた。色が抜け落ちたかのような白髪に、同色の眼が特徴的な少年だった。
彼は夜宵の前まで来ると、観察するようにじっと見る。よく見ると前髪のひと房だけは灰色で、そこだけが少し異様だった。
「えっと……わたし、なにかしちゃいましたか?」
夜宵がおずおずときくと、少年はハッとして身を引き、それからすまなさそうに頭を下げた。
「ごめんごめん。妹とよく似てたもんだから、つい……」
「はぁ……」
「なになに、どうしたの?」
「なにかありましたか?」
少年の後ろからふたりの少女が頭を覗かせる。手にはジェラートのカップを持っていた。
「ああいや、ちょっと妹に似た人がいたからさ……」
「妹いるんですか?」
「あれ、言ってなかったっけ……って、この人も戸惑ってるし最初から話した方がいいか」
そうこうしているうちに他のメンバーも集まってきた。夜宵が仲間たちだと伝えると、少年はなるほどと頷いて、
「じゃあ、まずは自己紹介しないとな。オレは……サカナミヒカル。そう呼ばれてる」
「サカナミ?」
「その名前、どこかできいたような」
怪訝な声をあげたのは茨羽姉弟だった。サカナミと名乗った少年は僅かに表情を曇らせたがすぐに微笑み、「よろしくな」と言った。
次いで、その後ろにいた少女たちが自己紹介をする。まず声を上げたのは黒髪をふたつに縛り、琥珀色の目を星のように輝かせた少女だった。
「わたしは
次いで、もうひとりの少女が名乗る。宵の口の空を思わせる蒼みがかった長い黒髪に、同色の瞳を持ち合わせた少女だった。
「ボクは
その流れで、夜宵たちも名乗り、自分たちが“HELLO WORLD”であることを伝える。
すると、サカナミが驚いた表情を浮かべた。
「アンタらが……」
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
サカナミは曖昧な表情で首を横に振った。
何やら不審な点がないわけでもなかったが、一同はすぐに打ち解ける事ができた。
「愛夜さんは旅人なんだ。どこから来たの?」
「愛夜でいいよ。ボク、まだ十三歳だし。ボクは集落出身なんだけど名前はないんだ。西の方にある集落だよ」
「西の方? それじゃあ、天姫奏って旅人知ってる?」
「んー……知らない。旅の間は色々なところにお世話になったけど、そんな名前の人と会ったことはないよ」
「そっか……そういえば愛夜はどうして冬天市に来たの?」
「お父さんとお母さんが昔暮らしてたっていうから見てみたかったんだ。それに、ほまれが見たがってたしね」
「ほまれ?」
「ああ、
愛夜と小鳥のやりとりをきいていた夜宵は、その中に出てきた名前に引っかかるものを覚えた。
「香恋……ほまれ?」
「うん? えっと、皐月日さんだっけ。ほまれの事知ってるの?」
「え? いや……でも、すごく懐かしい感じがする……」
「もしかしたら、よいちゃんの知り合いだったのかもしれないね」
「そっか、皐月日さんは記憶喪失なんだっけ。ほまれは京都の
「う、うん。機会があれば……」
その横では、楓、爽介、叶、瑞希が話をしていた。
「神月ですか、いちど試合で出かけた事がありますよ」
「試合?」
「叶は剣道部なんだよ」
「へぇ……どこの学校に行ったんですか?」
「神月高校だったかな……大将がやたらと強かったので印象に残ってました」
「神月って、県内偏差値一位の?」
「爽介が落ちたところだっけ」
「なんで知ってるの楓さん……」
爽介ががっくりと項垂れる。それを見た叶が無邪気にこうきいた。
「神月高校ってそんなに凄いんですか?」
「エリートばかりが集まる学校ってきいたことがあります」
「松ヶ崎と比べるとアレだね、月とすっぽんってやつ」
「でもそんな高校を受けるなんて、東さんはほんとに頭がいいんですね」
「足りなかったんですよ……あと一点だけ」
「あー……爽介、どんまい」
「うぅぅぅぅぅ……」
爽介が絶望するその後ろでは、茨羽姉弟、翔一、朝倉兄妹、サカナミが話をしていた。
「サカナミってどっかできいた事があるんだよな……」
「茨羽弟もか、自分もだ」
「茨羽弟って呼ぶのやめてくださいよリンドウ先輩……」
「まあまあ……でも、そんなにありふれた名字って訳でもないよね」
「アレじゃないかなぁ? 魚の身を略してサカナミ……」
「いや、言わねぇだろ……」
紗由のズレた答えに、翔一がつっこむ。
それを見てサカナミは羨ましそうに呟いた。
「仲いいんだな」
「ま、チームみたいなものだからな」
「羨ましいよ……オレ、友達なんてできた事ないし、歳が近いのは妹だけだったから」
「妹がいるのか?」
「血は繋がってないけどな」
「血は繋がってないんだね……いいなぁ」
「……紗由ちゃん、なんで羨ましそうなの?」
「……ま、とにかく俺たちはもう友達みたいなものだろ」
和樹の言葉に、サカナミは驚いた顔で「ほんとか?」ときく。
「友達ってそんなに簡単にできるものなのか」
「そうだよ。一緒にいて苦痛じゃないと思ったならそれはもう友達だ」
「苦痛じゃないのか? オレと一緒にいて……」
「苦痛だったらこうして会話はしてない」
「そうだね。それに、友達なんてそんな堅苦しいものじゃないよ。どんなものかと言われたら難しいけど……でもとにかく、サカナミくんは私たちの友達だよ」
帆紫が言うと、サカナミは嬉しそうな表情になって、それから少しだけそれを曇らせた。
「どうした?」
「ああいや、なんでもない……ええと、和樹と翔一と帆紫と紗由と零導だっけ。ありがとう、オレと友達になってくれて」
「止せよ、恥ずかしい……それに、俺たちだけじゃねぇぞ。ほかのヤツらだって、お前の事を友達だと思ってくれているはずだ」
「そうか……そういうものか」
「そういうものだよ」
いくつかできたグループは何度かその構成を変え、最終的には全員で雑談するという大きなものとなった。
夕陽が子供たちの影を伸ばし、今日という一日を思い出に刻み込む。
この瞬間、彼らはただの子供として、話し、驚き、笑いあった。
まるで青春みたいだ、と誰かが思い、自然とそれが伝播していく。
恥ずかしいので、誰も口に出す事はなかったのだけれども。
* * *
──同時刻、風読家
「……暇だなぁ。風読くん、ちょうどいい携帯型があるから仕掛けてきてよ」
ソファに寝そべった苛内植の言葉に、風読夜見は無表情で答えた。
「生憎ですが、仕事で手が離せません。苛内さん、少しは運動したらどうですか?」
「運動ならこれからするよぉ〜。とても気持ちいいし、風読くんもやるかい?」
「あの人形はあなたのものでしょう。僕にどうこうする権利はありませんよ」
「それもそうか。まあ、あの子は僕だけのものだしねぇ〜。で話を戻すけど、運動をした後に模造品の調整をしたいから外には出られないんだよ。特に
「じゃあ暇ではないのでは?」
「暇というか、退屈だね。何が起こって欲しいという退屈だよ……あ、そうだ」
そこで何かを思いついたのか、苛内は携帯端末を取り出して電話を掛け始める。風読家の屋敷は広いため、大声を出したくらいではきこえない事が多い。そのため連絡に電話を用いるのはよくある事だった。
「……僕だよ。急だけど、今から携帯型と監視カメラを仕掛けてきてくれない? 仕事しながら鑑賞したいんだよね……うん、保管庫にあるから、キミと
そう言って通話を切る。
面白くなりそうだとニヤニヤ笑う苛内に、風読が視線を書類に留めたままきいた。
「どんな異能を仕掛けるんですか?」
「恐怖を実体化させる携帯型から生まれたやつでね。最近見つけて回収した。ひとつしかないから使うのもどうかと思ったけど、どうなるか見てみたかったしね……ところで風読くん、山に現れる怪異といえば何を連想する?」
「山男とかですか?」
「それもあるけど、もっと現代的なやつだ」
「焦らさないで教えてくださいよ」
「仕方ないなぁ〜。えっとね……」
その名をきいた風読は「なるほど」と呟く。
淡白な台詞とは裏腹に、口の端は僅かに綻んでいた。研究者の性が出たのだろう。
かくして、冬桜山に怪異がばら撒かれる事となった。
そしてそれは、小鳥たちが危機に晒されるという事に他ならなかった……。