無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
各エピソードの時系列はバラバラとなっています。
その1「男たちは
ドラムロールに少しだけ似たSEとともに、携帯端末の画面上に数字が表示される。
それを見た東爽介は「これでダイスを振った事になるんですね」と驚きとも感嘆ともつかない声で言った。
「ああ。簡単だろ?」
そう答えたのは鮮真翔一。彼は卓上にある
何かを掻き混ぜるような音がして、画面に数字が表示された。爽介と同じアプリを使用しているが、SEは自由に設定できるようで、翔一のものと爽介のものでは音が少し異なっていた。
「てっきり、実際の賽子を使用しないといけないのかと思いました」
「まあ、賽子を使用する方が一般的ではあるよ。端末とかアプリが普及していなかった時代ではそっちのほうが主流だったからな。でもまあ、今は時代の変化の恩恵に与ったほうが便利だからな」
「それに、紙に書いたり賽子を振ったりするより処理が楽だからな」
そう言ったのは茨羽和樹。彼は携帯端末を横持ちにして操作している。どうやらゲームのログイン作業をしているらしい。
その横には朝倉零導もおり、こちらは文庫本に視線を向けていた。
場所は茨羽家の和樹の部屋。“HELLO WORLD”に所属する少年たちは各々の方法で時間を潰していたが、何気なく翔一が口にした「そういえば爽介はTRPGをやった事がなかったよな。やってみるか?」という言葉をきっかけにこのような状態になっているというわけだ。
男子メンバーだけがこうして一堂に会するという状況は、実はかなり珍しいシチュエーションである。女子だけが一堂に会するというシチュエーションはよくある状況だったが、男子は個人で動く事が多いため、こうして集まる機会はなかなかない。
といっても、仲が悪いわけではない。なのでたまにこうして集まる時もあったし、その時はみんなでテレビゲームをしたり、あるいは同じ空間で各々の作業に取り組みながら話をしたりしている。
ちなみに、女子は全員出払っている。どうやらそれぞれ用事があるらしい。
TRPGは役を演じ、コミュニケーションをとりながら行うゲームだが、茨羽も陽香も出かけているので役を演じる事に気恥しさはない。
和樹は本棚から適当なルールブックを引っ張り出し、翔一に渡す。今回、ゲームマスターは彼が務める予定になっていたからだ。
翔一はルールブックのタイトルをちらりと読むと、爽介に「これにルールが書いてあるから読んで、分からない事があったらきいてくれ。後ろに付いているシナリオをやるから、そこは読まないでくれな」と言って手渡す。
爽介は熱心にルールブックを読み始めた。もともと、彼は頭の回転が早く、柔軟性がある。なのですぐにルールを理解し、手早くキャラを作成した。
「よし、OKだ。和樹とリンドウ先輩はどうする?」
「俺はもう作ってある。今送った」
「……よし、確認した。リンドウ先輩は……もう送られてきてるな。これで大丈夫ですか?」
零導が頷いたのを確認すると、翔一は「じゃあ、始めるぞ」と言い、全員で車座になる。
そしてゲームが始まった。
翔一はゲームマスターを務める関係上、ノンプレイヤーキャラクターを演じるのだが、感情が籠っていて上手だった。
和樹も自分の性格と近いキャラクターを選択していたので、自然体で演じる事ができていた。
爽介は最初こそ緊張して棒読み気味だったものの、途中から吹っ切れたのか、だんだん感情が籠った演技ができるようになっていった。彼は主人公枠のキャラを演じていたのだが、クライマックスで事件の黒幕に立ち向かうシーンでは、誰よりも心の籠った演技をしていた。後に翔一が語ったところによると、「あの時、爽介にキャラが憑依していた」との事だった。
そして零導は……若干棒読み気味だった。普段から感情の起伏が少ないため、致し方ない事ではあるのだが、何事もそつなくこなすイメージがあっただけに爽介からは驚かれた。
とはいえそれがマイナスになっているかというとそうではなかった。零導が選択したキャラは物静かで単調な性格という事もあり、その演技がキャラに合っていた。
ともかく、このような感じで進んでいったのだが、今回のダイスは荒れに荒れた。
「じゃあ、回しますね……あれっ」
「
「う……じゃあ、回します……うわぁ」
「最大値じゃん。多分次の攻撃で死ぬぞ」
「うう……どうして……」
「ま、TRPGってそういうものだからな。じゃあ次、和樹の手番だ」
「おう。じゃあ、これとこれとこれを組み合わせて……回すぞ」
「お、いい感じじゃないか? じゃあ次、ダメージ判定だな」
「よっしゃ、いくぜ……ってうわっ、低っ!」
「やけに荒ぶってるな……じゃあ次、敵の手番だな。これとこれを組み合わせて、対象は全体だな」
「うわ、高っ。じゃあダメージ判定か。最悪の場合カバーリングに入らないとだな」
「回すぞ……お、めちゃくちゃ高い。爽介はこれで死んだな」
「……カバーリングに入ってもいいか?」
「リンドウ先輩、それは俺が……」
「カバーリングに入れるほどの体力がないだろう。自分の方が余裕がある」
「じゃあ、お願いします」
「ではリンドウ先輩、回してください」
「……失敗した」
「じゃあ爽介はこれで死亡だな。ペナルティ有りで復活できるけどどうする?」
「お願いします!」
「じゃあ、これ振ってくれ」
「はい……やった! 最大値だ!」
「爽介はこれで復活っと。次はリンドウ先輩、お願いします」
「……
『リンドウ先輩、マジかっけーーー!!!』
「こんなところでも運がいいのかよ……」
「ここでリンドウ先輩がしょぼい値を出していたら全滅していたな」
「悪運に助けられましたね……」
全員から尊敬の眼差しを向けられ、零導は僅かに口の端を緩める。
そのようにしてゲームが終了したところで女子たちが茨羽家にやってきて、結局みんなで大騒ぎしながらTRPGに興じたのだが、それはまた別の話である。
ちなみに、ダイスはその後も荒れ続け、最終的には阿鼻叫喚の場と化したそうな。
* * *
その2「阻止せよ、地獄のトライアスロン!」
「なぁ、トライアスロンをやってみないか」
その言葉が発せられたのは、土曜日のお昼時、“喫茶はるかぜ”での事だった。
店にいたのは朝倉紗由と茨羽陽香、フレデリカ・リンドヴルムと赤坂小鳥、朝倉美幸と朝倉夜月という組み合わせだった。その他にも、店員として朝倉亜美と幹ヶ谷柘榴、バイトで入っていた茨羽帆紫、そしてマスターである越月夢羽がいる。
お昼時だというのに、喫茶店は空いていた。しかしこれは珍しい事ではなく、少し前までは目が回るほどの忙しさだった。ピークが過ぎ、だんだん空き始めて今に至るというわけだ。
そんな喫茶店にあって、トライアスロンを提案したのは夜月だった。唐突な提案に一同は目を丸くし、夜月の方を見る。
「いきなりどうしたの? お父さん」
メロンソーダを飲んでいた紗由がきくと、夜月はコーヒーをひとくち飲んでから、
「体力をつけるためだよ。みんな異能の修行はしているみたいだが、躰がついていかないと意味がないだろう? トライアスロンは
「なるほどね。でもトライアスロンかぁ……」
紗由はげんなりした表情を浮かべた。周りを見ると、フレデリカと帆紫も同じ表情を浮かべている。
彼女たちが揃いも揃ってげんなりしているのはトライアスロンの実情を把握しているからだが、ただひとり、そんな事をまるで知らずにわくわくした表情を浮かべる女がいた。
「あたしやってみたい! ところでトライアスロンって何するの?」
何を隠そう、赤坂小鳥である。
「知らないの?」
「うん。見た事もない」
小鳥の言葉に、そういえば小鳥の嗜好ってあんまり知らないなぁと紗由は思った。付き合いは長いのだが、小鳥が何に興味を示すのか、未だに分かりかねているところもある。スポーツには人並みの興味しか示していないはずだが、トライアスロンの内情を知らないくらいなのでもしかしたら人並み以下の興味しか持っていないのかもしれない。
「トライアスロンはスイム1.5km、バイク40km、ラン10km、合計51.5kmを連続して行う競技だよ」
紗由の説明を受けた小鳥は「大変そうだね〜」と目を丸くした。しかしその奥にあるひかりは消えていないのでやる気はまだ残っているらしい。
と、そこで横から夜月が口を挟んだ。
「普通のトライアスロンだとそうだが、今回は違う。スイム3.8km、バイク180km、ラン42.195km、合計約226kmを連続して行う」
『………………………』
店にいた全員が黙った。小鳥も黙った。
それもそのはずで、夜月が口にした内容はトライアスロンの中でも特にキツい内容のものだったからだ。完走できれば鉄人である。
「で、でも……異能があればなんとかなるんじゃ」
お通夜のようになってしまった場の雰囲気を打ち破るように、小鳥がそう言った。最もその唇の端はひくひくと震えており、夜月が口にした言葉の恐ろしさに呑まれていたのだが。
そんな小鳥の言葉を、夜月はばっさりと切って捨ててみせた。
「このトライアスロンは異能というよりも体力の向上を目的としているからな。異能の使用は厳禁だ」
「も、もし使用したら……?」
帆紫の震え声に、夜月は本日最大の笑顔を浮かべてみせた。
それで全てを察した帆紫はがっくりと項垂れた。紗由にとっては父であり、帆紫や小鳥にとっては幼い頃から世話になっているおじさんといった立場にいる夜月だが、必要があれば子供たちにも一切の容赦はしない。それをよく分かっていたからこそ、帆紫は夜月が本気である事を察した。
その表情を見て、夜月はこう付け加えた。
「もちろん、頑張りに見合った分の対価は用意する」
夜月が美幸に目配せをすると、彼女は苦笑しながら三枚のチケットを取り出した。
「選べる! 六泊七日の外国ぶらり旅チケット……これが一着の人用の商品だよ。他にも豪華景品を用意してあるから、楽しみにしていてね」
美幸の手に輝くチケットを目にし、一同はごくりと唾を飲み込む。
確かに魅力的な景品だし、他の景品も気になる。
しかし、一同の気持ちは(若干揺らいだものの)変わる事はなかった。
──これは、絶対に阻止しなければならない。
喫茶店中にある種の連帯感が生まれた瞬間である。
それは“HELLO WORLD”のメンバーとその親だけではなく、普段は中立を保つ喫茶店メンバーらも同じだった。
とはいえ、本気の夜月を止めるのはお釈迦様でも難しい。どうしようかと頭を悩ませ始めたところで、当の本人がやや不満げにこんな事を言った。
「……そんなに不満なのか」
どうやら、感情を隠しきれなかったようである。
「そ、そんな事はないよ!」
「トライアスロン、ドンと来いだよ!」
「それに、みんなで頑張るのは楽しいと思うし!」
小鳥・紗由・帆紫が慌てて弁明を試みると、夜月は「仕方ないなぁ」と呟いて、
「じゃあ選択肢をやろう。異能なしで俺と戦うか、トライアスロンに挑むか──ふたつにひとつだ」
『…………………………』
再び、全員が沈黙した。
どちらに転んでも地獄であると察したからだった。
数分にも及ぶ長い沈黙のあと、ひとつの影が無言で立ち上がった。
影の主──幹ヶ谷柘榴を見て、夜月が「おや」と言わんばかりの表情を浮かべる。
「お前……幹ヶ谷とかいったか。亜美がいつも世話になっているな」
「お礼を言うのは私の方です。私自身も朝倉さんには世話になっていますので……それで、ひとつ質問なのですが」
「おう、どうした」
「そのチケットは、貴方に勝利した時にもいただけるのでしょうか?」
その言葉をきいて、夜月が唇の端を吊り上げる。
「ほう……? 若いの、勝てる気でいるのか」
「……貴方のほうがいくつか年上ではあると思いますが、ほぼ同年代です。そして質問の答えですが、勝てる気でいなければこんな事は口にしていません」
柘榴の返答はどこか挑発的ですらあった。
夜月は今度こそ獰猛な笑顔を浮かべ、柘榴を手招きする。
「表に出ろ、若いの。俺もお前がどんなものなのか、興味が湧いたんでな」
「……ほぼ同年代です。お供します」
ふたりは喫茶店を出ていく。その様子を見ていた夢羽が「柘榴くんがあんな事言うの、珍しいな……」と驚いた様子で呟き、隣にいた亜美も頷いていた。
後に残された者たちはしばらくの間ぽかんとしていたが、状況を把握すると息をつき、椅子にへたりこんだのだった。
その後、しばらくして夜月と柘榴は帰ってきた。
夜月は満足気な表情を浮かべていたので、全員がトライアスロンの話題を出さないように務め、結果としてこの話は有耶無耶に終わった。
夜月を満足させるほどの柘榴の実力とは、いったいどんなものなのか──それを一同が知るのは、もう少し先の話である。
* * *
その3「鮮真翔一の数十分クッキング」
その日、茨羽家には“HELLO WORLD”の面々が勢揃いしていた。
夕食時で、全員がお腹を空かしている。こうして全員でご飯を食べる事はよくある事で、大抵茨羽家が会場となる。立地と広さを考えると茨羽家に集まるのが最適解になるからだった。
普段、料理は陽香と帆紫、零導など、決まったメンバーが作るのだが、今日は欠員が生じた。陽香と茨羽が仕事で忙しく、途中から参加する事になってしまったからだ。
代打として無銘や夜月が名乗りを上げたのだが、それを見た翔一が「俺に任せてくれないか」と言ったので、全員がそちらに意識を向けた。
「翔一、なんか作れたっけか」
和樹がきくと、翔一は「まあ、人並みには作れるし、ちょっと試してみたい料理があってな」と答え、立ち上がった。
「……まあ、翔一なら心配いらないか」
そう呟いた和樹は、横目でちらりと小鳥や叶の方を見る。
「ちょっと和樹くん? その視線は何かな?」
「まるで私たちが料理できないみたいじゃないですか」
「だって事実だし……いや、なんでもない」
凄い目で睨まれ、和樹は黙り込む。
小鳥は言わずもがなだが、実は叶も料理ができず、以前に喫茶店のヘルプを担当した時は接客を担当していた。
何はともあれ、これでメンバーが確定し、キッチンでの作業が始まった。
「しょうは何作るの?」
手を洗い、冷蔵庫の中を覗き込みながら帆紫がきくと、翔一は冷蔵庫の中身を一瞥してから、
「確か、野菜室にニラがあったよな。レバニラでも作るか」
そう答え、野菜室からニラを取り出した。
「ニラレバかぁ。しょうってレバー好きだよね」
「まあな。血を作れるし」
異能が異能だからか、翔一はレバーが好きだった。焼き鳥を食べる際も毎回注文するのだが、レバーはかなり好みが分かれる食べ物なので、「鮮真くんってレバー好きなんだ」と驚かれたりもする。
料理を作る際もレバーを取り入れた料理を作る事が多い。鮮真翔一とレバーは切っても切り離せない関係……と書くと些か誇張が混ざるかもしれないが、概ねそのような関係といっていい。
「御剣が野菜嫌いだったから、御剣の分はニラを抜けばいいか……氷ってあったっけ?」
「製氷室になかったらないかな……あ、あったよ」
「サンキュ。氷水につけないと臭みが取れないからな」
ニラを切り、水にさらしたあとに水気を切る。
その後、切ったレバーを氷水につけ、臭みをとる。十分は漬け込んでおく必要があったが、キッチンは嵐のような状態になっていたので隅っこの方で作業していた。
帆紫と零導が鮮やかに動き回る。このふたりは普段から料理をしているので、さすがに手馴れているなと思う。
「そういえば、レバニラとニラレバってどう違うの?」
手を止めぬまま帆紫がきく。その質問に対して、零導がさらりと答えた。
「レバニラもニラレバも同じ料理で、単に呼び方の問題だ。レバニラ炒めという呼び方が一般的だが、正確にはニラレバ炒めと呼ぶのが正しい」
「そうなんだ……知らなかった」
十分が経過したあと、ボウルに入れ、下味を揉みこんで再び十分待つ。その後、レバーをフライパンで焼いていき、豆板醤、ねぎ、しょうが、にんにくを入れてレバーと炒め合わせる。そして香りが立ったところににらともやしを加えて手早く炒め合わせる。
油が回ったことを確認したあと、調味料を入れて味を絡め、皿に盛り付ける。先程、帆紫と零導の動きに感心していたが、翔一の手際もよく、それを見た帆紫が誇らしげな表情を浮かべていた。
その後、他の料理の完成を待ち、配膳してみんなで食べた。翔一のニラレバは好評で、唯一野菜抜きのものを食べていた叶も美味しそうに食べていた。
途中から参加した茨羽と陽香も褒めてくれて、翔一は柄にもなく照れていた。
(……親父や母さんにも、食わせてやりたかったな)
みんなに囲まれながら、翔一はそんな事を思う。
父親は翔一が十歳の時に亡くなった。母親も産後まもなくして亡くなったため、翔一はひとりぼっちだった。
もし、今でも両親が生きていたら、自分が作ったものを食べて、美味しいと言ってくれただろうか。
叶わないと分かっていても、考えてしまう。
だが、翔一は首を振ってその考えをしまいこんだ。
(今は、茨羽家のみんながいるし、仲間もいる。それだけで、俺は幸せだ)
自分に力がなかったから、父親を助ける事ができなかった。
だけど、今は違う。今の自分ならば、この日常を護れるはずだ。
だから、今度こそ俺は……
「……ち、翔一! どうした?」
和樹の声で我に返る。いつの間にか、みんなが自分を心配そうに見つめていた。
「……いや、大丈夫だ。なんでもない」
そう言って、翔一は再開した喧騒の中に加わっていく。
自分の作った料理でみんなが喜んでくれるような、そんな日常を護っていきたいと思いながら……。
* * *
その4「お気楽家出行進曲」
僅かな隙をついて狭いケージからの脱走に成功し、晴れて自由の身となった。
今の状況をまとめるとこのようになる。別に家出をしたかったわけではなく、最近の散歩コースを見飽きてしまったから新しい景色が見たかったとか、ケージがちょっと狭い事に対する抗議活動とか、とりあえず思い切り走りたいとか、そういった理由がミックスされての行動である。
このような事は以前にもあって、その度に飼い主が連れ戻しに来た。ちゃんと美味しいご飯をくれるし、寝床もあるので待遇としては悪くないのだが、なぜか時折家出をしたくなるのである。連れ戻しにくる飼い主にとっては労力を使う出来事だろうし、そのたびにこっぴどく怒られて反省するのだが気づくとまた家出をしている。躰が自由を求めているからかもしれない。
とにかく、しばらくは自由の身となった。といっても行くあてがないし今は夜で暗いので、適当な場所で眠る事にした。家出の意味はないし、寝ている間に連れ戻されて起きたらケージの中にいたという事が何度かあったのだが、それでも眠いものは眠い。寝たい時に寝て何が悪いというのか。
で、八時間ほど爆睡したあとにお腹が空いて起きたのだが、予想に反してそこはケージの中ではなく、寝る前と寸分違わぬ場所だった。どうやら飼い主はまだ自分の事を見つけていないらしい。すなわち、家出続行である。
とはいえお腹が空いた。腹が減っては家出はできないので、食料を探してひたすら歩き回る。
連れ戻される場合はこの時点でご飯をくれるのだが、今回はそれがない。そしてそんなに都合よくご飯がある訳もなく、香ばしい匂いにつられて歩いてみると食べられないものだった、という事を繰り返していた。
朝になり、日がどんどん高くなっていく。それに比例して暑くなってきて、日光が容赦なく躰を焼く。
お腹が空いた、喉も乾いた。だけど何も見つからない……気楽に家出をした事を後悔したが、どうしようもない。
このままだと死んでしまうと思い、懸命に歩き回っていると、不意に大きな建物が目に入った。
あそこなら何かあるかもしれない。そう思って建物に近付こうとした瞬間、躰が限界を迎えて倒れ込んだ。
暑さで意識が朦朧となる。助けを求めるように鳴いてみるが、弱々しい声しか出ない。
脳裏に浮かぶのは、もっと美味しいもの食べたかったなぁという思考と、飼い主の事。6対4くらいで前者が優勢だったが、だからといって何が変わるというわけでもない。
目を瞑り、意識が暗闇に溶けていく、その直前──
「わっ! なにこの子! 大丈夫!?」
飼い主のものとは異なる声。
しかし、それは救いの声だった。
自分は弱々しくワンと鳴いて、助けを求める。
そして──
次回は本編です。