無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
「夕飯は外で食うか」
八月一日、夕方。
茨羽巧未が唐突にそんな事を言ったので、茨羽家の子供たちは少し驚いて彼の方を見た。
「急だな。今日ってなんかあったっけ?」
和樹が読んでいた漫画雑誌を閉じながら尋ねる。
茨羽家が外食する時は何かしらの記念日やイベントの日である事が多い。先日も、帆紫の成績が学年で二位だった事を祝して外食したばかりだ。
ちなみに一位は零導である。ふたりとも優秀なので大学や専門学校も推薦で行けそうなものだが、ふたりが志望している学校の推薦枠がないので試験を受けるつもりでいた。といっても帆紫は製菓の専門学校に行くつもりなので特に勉強はしていなかったが、四年制大学を目指す零導は勉強漬けの夏休みを過ごしていた。
「いや、なんもないけどな。帆紫も勉強ばかりで大変だろし、たまに息抜きをした方がいいんじゃないかと思ってな」
それもそうかと和樹は呟き、立ち上がった。出かける準備をするためだった。
「でも、いいの? この前もショッピングモールで外食したばかりなのに……」
遠慮するように言う帆紫に、茨羽が大丈夫だというように頷く。
「俺たちにできるのはこのくらいだからな。それに、陽香がそろそろ帰ってくるから、タイミング的にもちょうどいいし」
茨羽はそう言ってから、行きたい店はあるか? と付け加える。
帆紫は「ありがとう」と微笑んで、少し考えた後にとある店の名前を口にした。
「なるほどな。そういや最近行ってないし、久しぶりに顔出すか」
その時、遠くから車の音がきこえてきた。どうやら陽香が帰ってきたらしい。
和樹と翔一は準備を整えていたので、帆紫は慌てて部屋に戻り、身だしなみを整える。
それから帰ってきた陽香に事情を説明すると、彼女の準備が整うのを待ってからみんなで車に乗り込んだのだった。
* * *
松ヶ崎町から少し離れ、市の中心に向かうと次第に人が増えてくる。
中心にある冬天駅には新幹線が通っている事もあり、この辺りは県内で最も活気がある場所だった。
そんな街中に、一軒の料理屋がある。一応ラーメン屋という事になっているが、頼まれれば何でも作るという変わった店だった。その特異性と、もうひとつの理由があり、全国から人が訪れる名店として認知されていた。
店の看板にはでかでかと“料理屋 霧風”の文字がある。その文字を懐かしそうに見た茨羽が引き戸を開けると、乱雑な空気が溢れ出した。
それに気づいた店員が近づいてきて、茨羽を見ると子供のような笑みを浮かべた。
「らっしゃい……って、茨羽じゃねぇか! 久しぶりだなぁ!」
「ああ、元気してたか?」
「大繁盛でウッハウハよ! あ、陽香ちゃん
……! 見る度に美しくなってる気がするぜ……」
陽香という名前をきいて、店員が一斉に入口を見る。視界に陽香の姿を捉えた瞬間、その顔が一斉に緩んだ。
「陽香ちゃんだ! 陽香ちゃんが来たぞぉ!」
「バカップル来店か! 久しぶりだなぁ!」
「ばか、もう結婚してんだって!」
「ほむかずしょうも元気そうでなによりだぜ!」
店の中は大騒ぎになる。その騒ぎをききつけて、厨房からひとりの男が出てきた。大柄な男で、制服代わりの黒いTシャツは筋肉でパンパンに張り詰めている。
「茨羽たちか、久しぶりだな。空いてる席に座ってくれ」
「そっちも変わりなさそうでよかったよ。客がたくさんいる時に来て悪かったな」
「いや、むしろ嬉しい。……お前ら、なにぼさっとしてる。とっとと仕事に戻れ」
男──
「でも、みんな元気そうでよかった」
陽香はほっとした様子で呟いた。
この店は、かつて裏の世界で活動していた男たちが経営している店だ。元々は“喫茶 はるかぜ”の手伝いをしていたのだが、独立して今に至る。
陽香がいた風読家は裏の世界を統率していた一族であり、茨羽も表裏を綱渡りしていたので、裏の世界の連中とは交流があった。この店を開く際も色々と援助をしたため、店員のなかで茨羽家に感謝していない者はいない。
運ばれてきたお冷をひとくち飲むと、各々がメニューを眺める。といっても、頼むものはだいたい決まっていた。
「俺は醤油ラーメンにするかな。シンプルなのがいちばん美味いし」
「じゃあ私は味噌にする。帆紫はどうするの?」
「うーん……私はカレーにしようかな。しょうとかずはどうするの?」
ここまではすんなり決まったのだが、次に翔一と和樹が口にした料理名は、他の三人の予想を超えるものだった。
「俺は地獄ラーメンにする」
「俺は地獄カレーにする」
その言葉をきいて、場が凍りついた。茨羽たちだけではなく、たまたま会話がきこえたらしき他の客も驚いて翔一と和樹を見ている。
「お、お前ら……正気か?」
「アレを食べたらとんでもない事になるんだよ!?」
「やめた方がいいよ! そのふたつだけは食べない方がいいよ!」
茨羽が正気を疑うような顔でふたりを見て、陽香と帆紫は青ざめる。
だが、その反応は極めて妥当なものだった。地獄ラーメンと地獄カレー……通称“地獄シリーズ”の料理は、この店の知名度を良くも悪くも跳ね上げている料理なのだから。
しかし、ふたりは平然と頷いてみせた。
「いずれアイツとは決着をつけなければいけなかったんだ。それが今だったってだけの事だ」
「親父たちを次々に倒し、この店の悪名を全国に轟かせたカレー……前から食ってみたいと思っていたからな」
ふたりの目には強い意志のひかりが宿っている。それを見た茨羽は溜息をつきながら「どうなっても知らないぞ」と言って呼び出しボタンを押した。
やってきた店員は陽香を見て頬を緩めていたが、翔一と和樹の注文をきいた瞬間、驚きの表情を浮かべた。しかしそれはすぐに獰猛な笑みへと変わり「後悔するなよ」と言い残して厨房へと戻っていった。
「それにしても、お前らが自ら率先して地獄に飛び込もうとするとはな」
茨羽が呆れとも感心ともつかない口調で言うと、翔一が遠い目をしながら、
「俺が一年生の時、この店と高校の学食がコラボメニューを出した事があったんだ。それ以来、俺はアイツを乗り越えたいと思ってるんだよ」
「ああ、あの時は凄かったね……」
つられて懐かしむような表情になった帆紫に、陽香が「凄かったって、どういう事……?」と恐る恐る尋ねる。
「学校中の自動販売機が全部売り切れになったんだよ。そんな事があったから、ウォーターサーバーが設置される事になったんだ」
「ああ……」
陽香が溜息のような声を出して呆れた表情を浮かべた。すべてを察したような、そんな表情だった。
「“地獄ラーメンの惨劇”のウワサは本当だったのか……」
「まあ、あの時以来コラボする事はなかったからな。都市伝説と思われていてもしょうがないか」
目を丸くする和樹に、翔一が苦笑する。
事件以降、この店の連中は学校を出禁になっているので話だけが脈々と語り継がれ、半ば都市伝説化していたらしい。
案外、怪異ってこんなふうに生まれるのかも、と子供たちは思ったが口にせず。料理の到着を待った。
そうしているうちに料理が運ばれてきた。最初にカレーが運ばれてきて、次に醤油ラーメンと味噌ラーメンが運ばれてきた。他の二品は時間がかかるらしく、もう少し待っていてくれとの事だった。
“地獄シリーズ”のおかげで悪名が轟いているが、その他の料理は普通に美味しい。特にカレーは喫茶店で修業していた事もあり、絶品といえるものだった。
三人が美味しそうに料理を食べているのを見て、翔一と和樹の食欲が疼き出す。早く来ないかなぁと思っていると、店の引き戸が開いて新しい客が入ってきた。
この時間帯は忙しいんだろうなと思いつつ、何気なく入口の方に視線を向けた和樹は、客の姿を見るとあっと声をあげた。
「お前……サカナミ!?」
「和樹! それに、帆紫と翔一も……お前らも飯を食いに来たのか?」
サカナミの名前をきいて、今までラーメンに取り組んでいた茨羽と陽香が勢いよく顔をあげる。
サカナミはベレー帽を被った女の子と一緒に来ており、茨羽家の前の席に座った。
「驚いたよ。まさかこんなところで会うなんてな」
「ああ……その子は?」
翔一が女の子の方に目を向けると、彼女は無言で頭を下げた。
「この子はミナ……じゃなくて、みいろ。オレの妹だ。訳あって言葉を話せないんだが、そこは勘弁してくれ」
サカナミの紹介を受け、女の子──みいろは持っていたタブレット端末に文字を打ち込み、翔一たちの方に向ける。そこには『よろしくおねがいします』と表示されていた。
それを受けて、茨羽家の子供たちも名乗る。それぞれの自己紹介が終わると、みいろは『かずき、ほむら、しょういち』と打ち込んだ端末を嬉々として見せてきた。それを見たサカナミが「この人たちはお前より年上だぞ」と慌てるが、帆紫が「大丈夫だよ」と微笑むとバツが悪そうな表情を浮かべて、ならいいかと呟いた。
その時、子供たちのやりとりを見ていた茨羽がサカナミに「きみ、名前は?」と低い声できいた。
「え? サカナミヒカルですけど……」
この人たちは? と言わんばかりの目で茨羽とその隣にいる陽香を見るサカナミ。それに対して、茨羽は静かな調子で続けた。
「俺は茨羽巧未で、こっちは茨羽陽香。きみの名前の元となったヤツの知り合いだ」
その言葉をきいて、サカナミはハッとした表情になる。
「……アイツを知ってるんですか?」
「ああ。もう既に故人のはずだが……その名前、誰に名付けられたんだ?」
「…………」
サカナミは質問に答える事なく、茨羽を睨むように見る。その口からは、呪詛のような言葉が吐き出された。
「……アイツのせいだ」
「え?」
「アイツが……アイツが母さんを救っていれば、オレもミナモも生まれる事はなかったかもしれないのに……!」
「サカナミくん?」
帆紫がおずおずと呼びかけると、サカナミは我に返ったように彼女を見る。
それからみいろに視線を移し、その首に巻かれているチョーカーに目をやった。そして深々と息を吸い、「……すみません、忘れてください」と頭を下げた。
それからみいろに何かを耳打ちし、何も頼まずに店から出ていった。茨羽が追いかけたが、店の外に出た時には既に影も形もなかった。
ちょうどその時、六場が和樹と翔一の料理を運んできた。テーブルに料理と伝票を置いてから、「……彼は?」と尋ねる。
「……分からん。だが、あの子は……」
茨羽は難しい表情になる。
重苦しい空気の中、みいろがテーブルに置かれた料理を見て「これは?」と言わんばかりに首を傾げた。
彼女の視線の先には真っ赤なラーメンとカレーがあった。辛そうという域を超え、地獄のような様相を呈している。
「これは地獄ラーメンと地獄カレーっていってな、この店の看板商品だ」
視線に気づいた和樹がみいろに説明する。
「辛さに取り憑かれた店主が生み出した食べる地獄だな」
「……取り憑かれてなんかいない。俺は辛いものを愛しているだけだ」
茨羽の茶々に、六場が憮然とした表情で答える。
とはいえ、茨羽が言った事はあながち間違いでもない。開店直後、看板商品が欲しいと思った六場が「辛いものを作ろう」と考えて世界中を回って香辛料や唐辛子を集め、研鑽を積み重ねた果てに生み出された代物なのだ。
その辛さに魅了された者たちが通った結果、この店は全国に名が知れ渡る名店となった。それと同時に犠牲者も量産しているのだが、それすらも集客につなげるのだから六場の手腕は大したものだといえる。
そんな看板商品を前にして、和樹と翔一はごくりと唾を飲み込み……それから、覚悟を決めた表情でひとくち食べた。
途端にその顔が真っ赤になり、口から火を吐いた。比喩表現などではなく、本当に吐いたのだ。
ひとくち食べただけで悶絶するほどの辛さだが、それが過ぎ去ると旨味が口に広がる。これこそが愛される理由であり、この旨味が満足感を与えるからこそリピーターが絶えないのである。
その旨味に突き動かされ、ふたりはひたすらに食べ続ける。食べる度に火を吐いて悶絶するのだが、それでも手が止まる事はない。
こうして食べ続けているうちに、試練がやってくる。辛さが許容量を超え、旨味で中和しきれなくなってくるのだ。ここで脱落して散った者は数知れず。辛いもの好きである店主でさえここでリタイアするほどだった。
既にふたりの顔は玉のような汗でいっぱいになっている。食べるスピードもどんどん低下していき、その代わりに水を飲む量が増えてくる。
それでもふたりの闘志が潰える事はなく、箸とスプーンが止まる事はなかった。
そして食べ始めてからきっかり二十五分後、ふたりは同時に食べ終え、水を貪るように飲み始めた。
「た、食べちゃった……」
「だ、大丈夫?」
帆紫が呆然とし、陽香が心配そうに尋ねる。
ふたりはピッチャーを空にするまで水を飲み続けたあと、顔を見合せて拳をぶつけ合った。帆紫と陽香は心配そうにおろおろとしていたし、茨羽は呆れた様子でふたりを見ていた。誰も何も言わなかったので、しばらく無言が続いた。
それを打ち破ったのは、六場の驚いたような声だった。
「……本当に頼むんですか?」
見ると、みいろが六場にタブレット端末を突き出している。そこには『じごくらーめんください』と書かれていた。
「かずとしょうの様子を見たでしょ? このラーメン、めちゃくちゃ辛いんだよ?」
帆紫がそう言って止めようとしたが、みいろはきく耳を持たない。再びタブレット端末に文字を打ち込み、帆紫に見せてきた。
『わたしはからいのだいすきだから、だいじょうぶ』
(辛いもの好きっていっても、さすがにこれは……)
帆紫はそう思ったが、そこで六場が「まぁ、ものは試しか」と言って、オーダーを確定させた。
「みいろちゃん……まだきみには……早いと思うぞ……」
翔一が精根尽き果てた顔で忠告する。それに対してみいろはただ微笑んだだけで、何も言わなかった。
そのうちにラーメンが運ばれてきて、みいろの前に置かれる。心なしか、翔一が食べたものより赤みが薄れている気がした。
(おい、これ大丈夫なのか?)
(……辛さをかなり和らげているから、翔一が食べたものよりは辛くない。といっても、あのくらいの子供には十分刺激的だろうけどな)
茨羽と六場がそんなやり取りをしているのをきいているのかいないのか、みいろは手を合わせたあと、スープを飲み、麺を啜った。うまく啜れないらしく、若干たどたどしい食べ方だった。
いつしか店中がみいろを見守っていた。一瞬の後、みいろは涙目で悶絶する──はずだった。
『おいしい』
その言葉を見て、全員が仰天する。
みんなが呆気に取られている中で、みいろは淡々と食べ進め……ついには汗ひとつかかずに完食してしまった。
「マジか……少し和らげたとはいえ、辛いはずなのに」
六場が口をあんぐりと開けた。先程翔一が死にそうになりながら食べていた事もあり、涼しい顔をしているみいろの異様さがより引き立っていた。
「だ、大丈夫? 辛くなかった?」
帆紫がおずおずときくと、みいろは笑顔で、
『ぜんぜんからくなかったし、おいしかった。ごちそうさま』
と表示させた端末を周りに見せた。
「店長、こりゃあ……」
「ああ、間違いない。あの時と同じだ」
「あの時?」
店員と六場の会話をきいていた陽香が首を傾げる。六場はみいろに尊敬の目を向けながら、
「……少し前にも、汗ひとつかかずに食べた女の子がいたんですよ。それも、普通の辛さのやつを」
と言った。
「それって……」
「皐月日夜宵……でしたっけ。“HELLO WORLD”の子が食べてました」
「ええっ!?」
「皐月日が!?」
茨羽家の子供たちは目を丸くする。夜宵が辛いもの好きというイメージが浮かばなかったからだ。
「……そういえば、みいろちゃんと夜宵ちゃんって雰囲気が似てるような」
「いや、偶然だろ……でもそうか、汗ひとつかかずに食べるとはな……」
翔一が少しばかり肩を落とす。敗北感を覚えたようだった。
みいろはレジに向かうと、ポケットから千円札を出して会計を済ませる、そして茨羽家の方を見て、『またね』と手を振り、店を出ていった。
「みいろちゃん! ひとりで帰るのは危険……って、あれ?」
店を飛び出した翔一は自分の目を疑った。みいろの姿は影も形もなかったからだ。
一瞬、みいろが本当にいたかどうか疑ったが、テーブルの上には綺麗に食べられたラーメンの器が残されていて、みいろがそこにいた事を証明していた。
何となく、彼女とはまた会うような、そんな気がした。
* * *
「……おかえり、美味かったか?」
『うん、こんどはおにいちゃんとおかあさんといきたいな』
「……そうだな、行けるといいな」
『ねえ、おにいちゃん』
「なんだ?」
『かずきとほむらとしょういちと、ともだちなの?』
「あー……まあな。なんだ、アイツらの事が気に入ったのか?」
『またあいたいな。こんどはいっしょにあそびたい』
「そうか……せめてお前だけでも、アイツらのところに行けるといいな」
『おにいちゃん、なんかへんだけどどうしたの?』
「ああいや、なんでもないよ。風呂には入ったし、オレはそろそろ寝ようかな」
『うん。わたしもおふろはいる。きょうはおかあさん、いっしょにはいってくれるかな』
「今日は大丈夫だと思う。部屋にいたし」
『やった!』
「あまり夜更かしするなよ? 親父に見つかったら何されるか分からねぇぞ」
『うん。わかった』
「じゃあ寝るわ……おやすみ、ミナモ」
『おやすみなさい、おにいちゃん』