無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
金属がぶつかり合う音と共に、汗が飛び散る。
叶と祈の一騎打ちが始まって五分が経過したが、戦闘は互角の様相を呈している。互いの刀はその躰までは届かず、ぶつかり合って音を響かせるのみとなっていた。
本来、日本刀というものは繊細なものなので、何度も打ち合えば刃こぼれを起こす。しかしふたりが得物としているのは紗由が鍛えた刀なので、大した傷はついていなかった。
得物とするのは互いに一振りのみ。元より一刀流で戦っていた祈はともかく、叶が一刀流で戦う場面はこれまでになかったので、小鳥と翔一はその動きに圧倒された。
叶は“HELLO WORLD”のなかでも特に優れた剣の使い手であり、二刀流で戦っている時もその実力は十分に発揮されていたが、一刀流での戦闘はそれを遥かに超えていた。
まず、動きが見えない。単純に考えて手数は二分の一になっているはずなのだが、二刀の時と遜色のない攻撃を浴びせている。故にその動きは常人には捉え難いものとなっており、小鳥や翔一の目を以てしてもついていくのがやっとだった。
次に、相手の攻撃への対応速度が上がっている。祈は叶を超えた剣の使い手であり、その攻撃も嵐のように凄まじい。
しかし叶はその全てを正確に見切っていた。そのうえで防御の手間を惜しみ、致命傷にならない攻撃は避け、どうしても避けられない攻撃のみ対応している。祈の攻撃は変幻自在な角度から繰り出されるのだが、まるであちこちに目が付いているかのように対応する叶を見て、小鳥は思わず「すごい……」と呟いた。
先程視た祈の過去の中でも、得物が一振りに切り替わった瞬間、叶は祈を圧倒していた。元来、異能力というものは使い手に合わせて進化していくものなので、叶の“剣聖”が進化を遂げた結果こうなったのか、あるいは覚悟を決めたからこその動きなのかは分からないが、ともかく叶は祈と渡り合っていた。
そのうちに祈に焦りが見え始め、太刀筋にブレが見え始める。その結果できた僅かな隙を逃さず、叶は祈の防御をこじ開けようと試みるが、
「……っ」
寸前でその動きが鈍り、祈の防御を崩す事はできなかった。
叶の動きを鈍らせたのは、ここに来る前に祈に負わされた怪我だった。気絶から目覚めたあともなんとなく躰が重かったし、先程から頭痛が酷い。躰を動かす事によって拍動が高まっているので、ひっきりなしに痛みが襲ってくる。
正直に言って、コンディションは最悪に近い。過去に使用した時は祈に膝をつかせた一刀流を以てしても互角以上には持ち込めていないのがその証拠だし、少しでも集中を緩めれば途端に攻め込まれると分かっていた。
今にも切れそうな綱を渡っているような感覚。このまま全てを投げ出してしまえば、どれほど楽かと思う。
しかし、叶はそうしなかった。これ以上親友に罪を背負わせるわけにはいかないし、祈を自分から解放してあげなければならない。叶の罪は叶が背負うべきで、そこに祈を巻き込んではいけなかったのだ。
祈に殴られ、意識を失った時の事が頭を過ぎる。
夢か現か、自分は鉄火と会い、話をした。
絶望する自分に、祖父はこう言った。
・ ・ ・
「おまえが思う方向に進め」
鉄火は自分の記憶にある通り、小さく笑みを浮かべて言った。
「……だけど、私はじっちゃんに貰った命を自分で捨てようとしてる」
鉄火がいなければ、今の自分はここにいなかった。それについては感謝してもしきれないくらいだし、だからこそ生きなければいけないと思う。
だが、自分は罪人なのだ。復讐を果たした時は清々しい気持ちを抱いたが、時間が経つにつれそれは逃れられない重みへと変わっていき、叶を苛んだ。
復讐のためとはいえ、人を殺した自分が人を助けるための活動をしているというのは矛盾でしかない。自分に殺された門下生と、自分が助けようとしている人々にどれだけの差があるのだろう──そんな事を考えるとどうしようもなくなって、だけど居場所を失う事が怖かったから表に出そうとはしなかった。
そんな歪みを抱えながらも、叶は誰かのために戦い続けた。そうする事でしか、自分の存在価値はないように思えたからだった。
だが、以前の事件で並貴多と相対した際、彼の言葉によってその歪みが表層化した。
『貴女……御剣叶さんですか? 確か、
『……それがどうした』
『あの村、確か怪物が出て村人を殺し、少女を連れ去ったとかで騒ぎになってましたよね。ふふ……私、知ってるんですよ、怪物の正体』
『あなたが、ひとごろしですよね?』
忘れたかったわけではない。
むしろ、片時も忘れた事はなかった。
なのに、その言葉を掛けられて、自らの罪と向き合った時、叶の躰は動かなくなった。
ああ、そうだ。
自分はどこまでいっても、人殺しなんだ。
狭霧村で門下生を殺したあと、長い時間をかけてこの街に辿り着いた。
なんのしがらみもないこの街で、もういちどやり直そう。
私の刀で、多くの人を助けよう。
そう思って、自ら“HELLO WORLD”に志願した。
それで自分の存在価値を保てるような、そんな気がした。
だけど、それは間違いだった。
人を殺した時点で、自分に存在価値はなかった。
自分が復讐をした結果、流れなくてもいい血が流れてしまった。
それは、赦される事ではなかった。
鉄火に拾われなければ尽きていた命で、鉄火に救われた命だったのに、その果てに自分がしたのはその手を血に染める事だった。
全部、間違いだったんだ。
人を助けようとした事も、じっちゃんに拾われた事も、自分が生まれてきた事も──その全てが、間違いだった。
ならば最後は、自分が踏みにじったもののために命を使おう。
狭霧村に戻り、罪を告白したうえでこの生涯を終える。
それが、自分の役目だと、そう思った。
「じっちゃんから貰った命で人を殺して、無意味に終わろうとしてるんだよ……それでもじっちゃんは、私の事を肯定してくれるの……!?」
いつの間にか涙混じりの声で叫んでいた叶に、鉄火は黙って視線を向ける。
そして長い沈黙のあと、彼は「……ああ」と頷いた。
「おまえが選んだ道なら、オレはそれでいい。重要なのは納得だ。後悔しない道を進め。おまえには、
その言葉に、叶はハッとした表情で鉄火を見る。
「まさか、知って……」
「オレが教えた二刀流より、一刀流のほうが力を発揮できる事は知っていた。おまえが、それを使わなかった理由もな」
「…………」
叶の“剣聖”は元々、一振りの刀を扱う事を想定とした異能である。一振りの刀を扱う時のみ、異能の真の力が発揮され、技術を最大限に引き出す事ができる。代償として、刀を握らない状態では能力が大幅に弱化するため、叶は刀がないと恐ろしく弱いのだが、それを差し引いても強力な異能である。
それにも関わらず叶が一刀流を使わないのは、師匠である鉄火の「二刀流は最強である」という教えを忠実に守っているからである。一刀流を使えば教えられた二刀流を否定することになると思っており、だからこそ使わなかった。
もちろん、鉄火が知るはずはない。しかし、そう思っていたのは叶だけだったのかもしれない。
「今は教えなんぞに拘っている余裕はない。おまえは、祈を助けたいんだろう?」
鉄火はそう言って、どうなんだというように叶を見た。
「……助けたい」
「なら、戦えばいい。たとえ死ぬとしても、おまえが満足して終われるならそれでいいさ」
だから、起きろ。
起きて、為すべき事を為せ。
鉄火がそう言った瞬間、視界が真っ白になり、叶は目を覚ましたのだった。
* * *
勢いを増していく叶の攻撃に対し、祈は焦りを感じていた。
この感じは、以前にもあった。叶が一刀流を使った時の、あの感じだ。以前よりは動きが鈍いが、それでも脅威である事に変わりはない。
「……どうして」
叶の攻撃をかろうじて捌きながら、祈は叫んだ。
「どうして、私を止めようとするの!? このままだと、叶ちゃんは死んじゃうかもしれないのに!」
「それでいいんだよ! 私の罪を祈が上書きする必要なんてない! ここでケリをつけないと、生きていても意味がないんだ!」
「分からない……分からないよ! 私はただ、叶ちゃんに生きていてほしいだけなのに!」
叫びながらも頭の片隅では、言葉を交わしても平行線に終わるだけだと悟っていた。
ならそんなものは必要ない。刀をぶつけて語り合い、打ち負かすだけだ。
そう思って、祈は一心不乱に刀を振るった。
叶は攻防ともに隙がなく、このままでは押し負ける。それは分かっていたから、祈はしばらく防御に徹し、叶の動きを読む事に集中した。
そしてそこから二百を超える打ち合いの末に、叶の攻撃後に生じる僅かな隙を見つけた。
その隙を突くには、針の穴に糸を通すような、繊細な行動が要求される。機を伺い、じっと耐えて……ある一点に達した時、祈は動きを静から動に切り替えた。
今まで耐えてきた攻撃を全て返すかのような、素早い一撃。全体重を乗せ、叶の刀を弾き飛ばすために振るわれたその刃は──一瞬の後、空を切った。
「なっ……」
祈の目が驚きに見開かれる。ぶつかった視線の先には、冷静なひかりを湛える目があった。
「祈が私の隙を探しているのは分かってたから、わざと隙を作った。そうすればそこに渾身の攻撃を放ってくると思ったから」
これで祈は一瞬だけ無防備となった。
だが、隙を作り出すあまり、叶は満足な攻撃ができない体勢となっていた。このまま攻撃しても、祈を堕とすには至らない。
しかし、叶は──
「──剣聖一閃」
その一閃が、どのように繰り出されたのかは分からない。
確かなのは、叶の一撃により、祈の刀が根本から砕かれたという事。
そしてそれは、祈の敗北を意味していた。
「……これで、私の勝ちだね」
残心を取らぬまま、叶は静かに言う。
祈は茫然とへたりこみ、その手から刀を落とした。
決着はついた。その場にいた誰もがそう思った。
「そんな終わり方、許すわけねぇだろ」
──叶の胸を、一振りの刃物が貫くまでは。
叶は自らの身に起こった事を理解できないというように刃物を見て……そこに纏わりついた赤色を認識した瞬間、操り人形の糸が崩れるかのように倒れた。
一刀流を用いた叶ならば、大抵の奇襲は無効化できる。にも関わらず致命傷を許したのは、刃に貫かれるまで気配を認識できなかったからだった。
奇襲者は倒れた叶を踏みつけ、刃物を引き抜く。栓を抜いたかのように血が溢れ出し、叶の躰がびくりと跳ねる。
奇襲者は男だった。無造作にハネた髪と右目の下にあるほくろが特徴的な青年。しかしこれまで纏っていた気怠い雰囲気は身を潜め、その目に氷のように冷たい殺意を宿している。
「勝ち逃げなんて許すかよ。テメェに殺された兄貴の気持ちを嫌というほど味わってからここで死ね」
青年──平柄段はそう言って刃物を捨て、もう片方の腕に持っていた金属バットを振り上げる。
そして渾身の力で振り下ろし──叶の右腕を、一切の慈悲なく叩き潰した。