無題奇譚〜Untitled tale〜   作:惰眠

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#55「漸進」

 冬天市と陽ヶ鳴市で事件が起こっていた、ちょうどその頃。

 冬天市内に所在するバー“Mayhem”にて、伏黒翔は開店準備をしていた。

 開店まえなので、客の姿はない。しかし、カウンターの両端には人影があって、それぞれの作業に没頭していた。

 左端に座る女──高凪ちとせはノートパソコンを操作している。タイピングをしているわけではないので、ネットサーフィンでもしているのだろう。

 と、ちとせが画面から顔を上げて呟いた。

 

「冬天と陽ヶ鳴で異能を用いたテロが起こっているらしい。きみたち、なにか起こしたの?」

 

 その疑問に、カウンターの右端に座って小説を読んでいた少年──アポトーシスが答える。

 

「起こしているわけがないだろう。だいたい、期が熟するまで待てと言ったのは貴様だろうが」

「大方、風読家が蒔いた種が花をつけたのでしょうね」

 

 準備の手を止めることなく、翔が言う。それで意味が分かったのか、ちとせは「“Hello World”か……」と呟いた。

 

「投与されたものは異能を得る……異能を持たぬ若者にとっては、新しい遊び道具として最適でしょうね」

「下らん。その実、徒に命を浪費しているだけというのに」

 

 アポトーシスがフンと鼻を鳴らし、小説に意識を戻す。

 それを横目に見ながら食材の点検を始めた翔だったが、作業を進めていくうちに足りないものがあると気づき、メモ用紙でリストを作り始めた。

 

「買い出し?」

「ええ。私としたことが、買い忘れがあったようです」

「私が行くよ。メモ貸して」

「よろしいのですか?」

 

 翔は珍しいものを見る顔でちとせを見た。彼女がここから出ることなど、めったになかったからだ。

 

「今は狭霧村にいるかもしれないけど、あの子の様子も確かめておかないとだし、それに街がどうなっているか見ておきたいしね」

「しかし、その最中に異能対に出くわしたらどうするおつもりで?」

 

 翔が訊ねると、ちとせはひかりのない目で、

 

「別にどうもしないよ。だって、私はもう異能対の人間じゃないし」

 

 と言った。

 

「そうですか……」

 

 では、と翔が差し出したメモを受け取り、ちとせは店を出ていく。

 あとに残されたふたりは無言のまま、それぞれの作業に没頭するのだった。

 

   *   *   *

 

 ──同時刻、探偵事務所「鴉の爪」

 

「コラ! オレの髪は食い物じゃねぇぞ!」

 

 頭をヨダレでコーティングされながら、無銘は鳴り出した携帯端末を手に取り、スピーカーフォンにして通話ボタンをタップした。

 

「はい、探偵事務所“鴉の爪”です」

『無銘か? 茨羽だ』

 

 電話を掛けてきたのは茨羽巧未だった。無銘は頭に齧りついてくる菫を引き剥がそうともがきながら、「どうした?」と訊ねる。

 

『ニュース見たか? 冬天と陽ヶ鳴で異能を用いたテロが起こっているらしい』

「まだ見てない。小鳥も美桜ちゃんもいないから菫がじゃれてきてよ……って血出てる! おまえオレの頭を食い破る気か!」

 

 なんとか菫を引き剥がし、テレビをつける。茨羽の言う通り、アナウンサーが真剣な表情で情報を伝えていた。

 被害が出た場所のなかに、いくつか見覚えのある施設を見つけた。そしてそのうちのひとつを目にした瞬間、無銘の心臓が大きく跳ねた。

 

「喫茶はるかぜ……確か今日、亜美がシフトに入っていたはず!」

 

 こうしちゃいられないと思い、急いで外に飛び出す。その最中、焦ったような茨羽の声がきこえてきた。

 

『陽ヶ鳴総合病院でも爆発……陽香!』

「おまえは陽ヶ鳴に向かえ! オレは夜月に連絡して冬天市内を調べる!」

 

 言って、通話を切る。

 夜月に電話を掛けようと携帯端末を操作していると、タイミングよく向こうから電話が掛かってきた。

 

『無銘か? 夜月だ』

「ちょうどよかった。冬天と陽ヶ鳴でテロだ! おまえもすぐ現場に──」

『事態は把握している。だが、俺は行けない』

 

 冷静な夜月の言葉に、思わず「なぜだ?」とキツい声が出る。

 

『リンフォンを見つけた』

 

 夜月の言葉に、思わず足を止める。

 

「……本当か?」

『ああ。冬桜山のなか……吹綿秕が監禁されていた黒い倉庫で見つけた』

「黒い倉庫……? だけど、あそこにはなにもなかったはず……」

 

 黒い倉庫といえば、変死事件の際に小鳥たちが利用していた場所だ。そんなものがあれば真っ先に知らせてくるはず。

 

『それに関しては分からん。だが、完成寸前まで組み上がっている。このままだと街に死者が溢れ出すぞ』

「クソッタレ……」

 

 無銘は歯噛みする。

 リンフォンを破壊できるのは自分だけだ。夜月も可能ではあるが、その結果として死ぬ可能性が高い。それを承知していながらリンフォンのそばに留まっているのは、無銘に余計な気苦労を負わせたくないからだろう。

 やるべきことは、ひとつしかなかった。

 

「……いまから冬桜山に向かう。オレが着いたら、おまえは“はるかぜ”に向かってくれ」

『だが……』

「亜美を……みんなを頼んだぞ」

 

 そう言って電話を切る。

 ふと、背中になにかが当たったので振り向くと、狼のような姿になった菫がいた。

 

「おまえ……連れていってくれるのか?」

 

 菫は尻尾をひとふり。どうやらYESの意らしい。

 

「……分かった。ただ、着いたらおまえも夜月と一緒に行け。オレと一緒にいるとおまえまで巻き込まれるからな」

 

 言って、無銘は菫に乗った。

 

「冬桜山まで頼むぞ!」

 

 菫はひと声鳴いて、走り始めた。

 あとに残されたのは菫が移動する際にに生じた突風と、

 

「菫! 冬桜山は逆だ! どこに向かってるんだ!! 止まれ!!! 止まってくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 

 という、無銘の叫び声だけだった。

 

   *   *   *

 

 ──同時刻、風読邸

 

「始まったみたいだねぇ」

 

 ソファに寝転んで携帯端末を見ていた苛内植がそう言って愉快そうに笑みを浮かべた。

 

「なにかしたのですか?」

 

 風読夜見がきくと、苛内は「ちょっとしたお遊びをね」と言ってその身を起こし、立ち上がった。

 

「“Hello World”なんだけど、更に改良を進めた結果、得られる異能をひとつに固定することに成功したんだ。それに、模造品と併用すると高確率で記憶喪失になることが分かった。だから、“爆破”の異能を付与した模造品を街にばらまいたんだよぉ〜」

「知らないうちにそこまで……でも、なんでそんなことを?」

 

 風読がきくと、苛内は笑みを僅かに薄めて、

 

「“世界の外側”を引き寄せる実験を始めようと思ってね。準備にはそうだなぁ……あと一日は掛かるだろうから、それまでの時間稼ぎのためにやってみた。どうせ異能対は攻め込んでくるだろうけど、現世と幽世が繋がればそれどころじゃないだろうしね」

 

 苛内は壁際に置いてあったPCに近づくと、高速でキーボードを叩き始める。二分ほどそうしたあと、風読の方を向いてこう言った。

 

「それでお願いなんだけど、今から言う子をどうにかして誘拐してきてくれないかな?」

「というと?」

「“世界の外側”を引き寄せるのに異能力者が必要だという話は前にしただろう? それで最初は美雪かミナモあたりを生贄にするつもりだったんだけど、ふたりとも模造品だから少々力不足でねぇ。どうせなら普通の人間の方がいいと思ったんだ」

 

 苛内はとある名を口にする。

 それをきいた風読は「苛内さんにしては意外な人選ですね」と少々驚いたように言った。

 

「この子ならキミの悲願も果たせるだろうと思ってね。そういうわけで遊ぶのはいいけど、殺しちゃダメだよ」

「……善処します」

 

 風読は携帯端末を取り出すと電話を掛け始める。

 苛内は大きく伸びをしてから、研究の続きに取り掛かるのだった。

 

   *   *   *

 

 ──三十分後、陽ヶ鳴総合病院

 

 躰中に痛みを覚え、陽香は意識を取り戻した。

 吹き飛んだベッド、ボロボロのカーテン、割れたモニター……陽香は自分の診察室で倒れていたのだった。

 すぐに状況を理解し、身を起こす。先程まで話をしていた患者の姿はどこにもなく、補助をしてくれていた看護師の姿もない。

 ドアを開け、よろよろと廊下に出る。待合室のソファはそこかしこでひっくり返り、受付のモニターも酷い有様となっている。あちこちで爆発が起きたようで、吹き飛びかけた壁は煤で黒くなっていた。

 

「いったいなにが……」

 

 携帯端末はどこかへと吹き飛び、テレビのモニターも割れていたので情報を得る手段はない。混んでいたはずの病院からは人が消えており、それが不気味だった。

 

「そうだ、帆紫……!」

 

 帆紫は院内にいたはずだ。もしかしたら、自分が意識を失っている時に人々を避難させたのだろうか。

 とりあえず外に出ようとして出口に向かう。しかし辿り着いた先にあったのは灰色の壁だった。

 

「なんで………確かにここに出口があったはずなのに!」

 

 拳を叩きつけた壁の質感は本物としか思えない。

 振り向くと、そこは先程までいた病院ではなかった。

 壁は植物の蔦で覆われており、不快な匂いがあたりに充満している。

 床は大量の仮面で覆われ、天井から吊り下がる鳥籠には何故か植物の種が閉じ込められていた。

 どこまでも続く長い廊下の果てには眩いひかりが見えて、それに引き寄せられるように躰が動き出す。

 これは幻だ。そう分かっていても、躰は思い通りにならない。

 ひかりの先になにがあるのか、病院にいた人々は、帆紫はどうなったのか──なにもわからず、恐怖が脳を痺れさせていく。

 時間の感覚がなくなるほど歩いて、ようやく辿り着いた果てには、上へと続く階段があった。

 それを昇るにつれ、景色が見慣れたものへと変わっていき、やがて白い病棟へと回帰した。

 病室の扉がひとつだけ開いていて、陽香はそこに入る。

 中身が散乱した点滴、横転したベッド、そして白い壁を汚す、もう動かない赤黒い塊。

 それを見た瞬間、陽香は病院の惨状を悟った。

 すぐに引き返そうとする。それを止めたのは、背後から掛けられた声だった。

 

「陽香ちゃん」

 

 振り返る。窓ガラスが割れていて、いつの間にかひとりの男が立っていた。

 着崩したスーツと鉄の仮面。なぜか、その男を知っているような気がした。

 生存者には見えない。陽香は異能を発動しようとしたが、それより早く男が何かを投げつけた。

 それは銀色のナイフだった。風のような軽さで飛翔した二本のナイフが陽香の白衣の裾を巻き込み、標本のように壁に縫い付ける。

 

「なにを……」

 

 言葉を発するより早く、男が仮面を取った。

 発しようとしていた言の葉が宙を舞い、地面に落ちる。

 

「……久しぶりだな」

 

 その顔を、その声を、陽香は知っていた。

 彼がどうなったのかということも、推測という形できいてはいた。

 だけど、なぜ、こんなところに──

 

「霧風……さん」

 

 陽香の言葉を受けた男──霧風才斗は息をつくと、陽香が記憶している顔と声で……あの時と変わらない姿で、彼が浮かべなかったような冷たい目をして言った。

 

「オレの人質になれ、風読陽香」

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