無題奇譚〜Untitled tale〜   作:惰眠

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#56「もういない」

 陽香は白衣の裾を破り、霧風から距離を取る。

 この男は霧風才斗本人ではない。ただの紛い物だ。

 冷たい目を向けられた事で、かえってそう実感する事ができた。

 思考が切り替わり、目の前にいる敵をどうやって倒すかという計算が走る。

 陽香の記憶どおりなら、霧風の異能は風を操る異能だ。自分も使っている異能なので、対処法は分かる。

 狙うなら一撃で──そう判断した陽香は、着ていた白衣をするりと脱ぎ、風を操る異能を用いて霧風に投げつけた。

 白衣が広がり、視界を覆う。その隙に陽香は側面に移動し、風の刃で霧風の首を狙った。

 しかし霧風は直前でそれを回避し、逆に風の刃を投げつけてくる。

 

「痛い目見ねぇと言う事きいてくれねぇか、仕方ねぇな」

 

 陽香は風の刃を躱すが、気付いた時には霧風が眼前に迫っていた。

 直後、腹部を突き破られるような痛みに襲われ、躰が後方へと吹き飛ばされる。

 そのまま窓から放り出された躰は宙を舞い、重力に従って落下していった。

 ここは五階。落ちたら命の保証はない。

 陽香は異能を発動し、植物の蔦を伸ばして屋上の柵に巻き付ける。

 そしてそれを縮めて壁を駆け上がり、屋上へと着地した。

 しかしそれを読んでいたように、眼前には霧風の姿。

 放たれた蹴りを植物のネットで防いだが、重い一撃に陽香は柵へと叩き付けられる。

 

「どうした風読陽香、そんなものか?」

 

 霧風は笑みを浮かべ──次の瞬間、手から炎の弾を撃ってきた。

 咄嗟に首を傾げて躱す。しかし冷静な対応とは裏腹に、陽香は混乱していた。

 

(炎? 霧風さんの異能は風を操る異能のはず……)

 

 考える暇もなく、次いで放たれたのは水の刃。これも横に転がって回避するが、陽香が知っている霧風の攻撃方法ではなかった。

 陽香の回避を見越していたかのように、剣を持った霧風が襲いかかってくる。ナイフを扱う姿しか見た事がなかった陽香にとっては違和感でしかない。

 ひたすら逃げ惑う陽香を嘲笑うように、霧風が鼻を鳴らす。

 

「大した事ねぇな。せっかく異能を渡してやったのに、禄に使いこなせてねぇ」

「……っ、私が異能を貰ったのはあなたじゃない!」

 

 陽香は剣の攻撃を掻い潜り、霧風に接近。

 側頭部への蹴りは見事に決まり、首の骨が折れる音と共に霧風の顔が傾いだ。

 しかし、

 

「どうした? そんなもんか?」

 

 霧風はその状態で陽香の腕を掴み、引き寄せた。

 

「なんで動けて……」

「忘れたのか? オレは模造品だぜ?」

 

 瞬間、腹部に衝撃。

 陽香は嘔吐くが、霧風が腕を離す気配はなく、その後もサンドバッグのように殴られ続けた。

 

「あーあ、せっかくの顔が台無しじゃねぇか」

 

 地面に倒れた陽香の頭を踏みつけ、霧風は楽しそうに言う。

 

「まぁ殺さねぇけど、ちょっとばかし眠っとけ。死んだ方がマシかもしれねぇけどな」

 

 霧風はそう言うと、サッカーボールでも蹴るかのように陽香の頭を蹴った。

 意識が遠のく。だが、陽香はこの瞬間を待っていた。

 

──百花繚乱

 

 躰のあちこちから花が咲き、草木が芽吹く。その様子を見た霧風が動きを止めた隙に、陽香は反撃に転じようと試みた。

 植物の蔦を伸ばし、霧風を拘束する。そのまま首を絞めて失神させる──そのつもりだった。

 霧風は炎の異能で蔦を燃やし尽くし、陽香に接近。

 そして躊躇いなく、顔を近づけて──

 

「……!」

 

 陽香は霧風の頬を打ち、その躰を押しのける。だがそれと同時に、首筋に痛みを感じた。

 途端に視界が歪む。躰が痺れて眩暈がし、気づくとその場に崩れ落ちていた。

 

「毒を打ち込んだ。暫く動けねぇだろうよ」

「毒なんて、どこに持って……」

「オレの体内だ」

 

 霧風は陽香を見下ろし、スーツの腕を捲り上げる。

 そこには──

 

「……っ!」

 

 陽香はそれを見て、息を飲んだ。

 

「これが今のオレだ。還元されちまう前に、役目を果たさないといけねぇ」

 

 だから、とっとと寝ちまいな。

 そう言う霧風を見る瞼が下がっていく。

 ダメだ、ここで寝ては……。

 しかし、意志とは無関係に意識が落ちていく。

 

「霧風……さん」

「残念だったな。テメェが知る霧風才斗はもういねぇよ」

 

 冷たい声。

 それを最後に陽香の意識は途絶え、なにも分からなくなった。

 

   *   *   *

 

 茨羽が陽ヶ鳴総合病院に到着した時、そこには半壊した病院と瓦礫の山、そして無惨な骸があるだけだった。

 既に警察や異能対が到着し、捜査に当たっている。茨羽も許可を得て中に入り、捜索を始めた。

 こうした事件の際には人を助ける側に回るはずの医療従事者たちも、いまは助けるべき人と同じ状態になっている。被害の大きさに唇を噛み締めながら、茨羽は生存者を探し続けた。

 探せども見つかるのは骸のみ。瓦礫で道が塞がれている箇所もあったため断定はできないが、生存者はいないと思われた。

 そんな絶望的な状況にあって、妻と娘の姿は見つからない。それに安堵を覚えた自分を戒めながら、茨羽は地獄を歩き続けた。

 瓦礫に覆われた地表の捜索が済むと、崩れかけた階段を上って病棟の捜索を始める。ここも地上と同じで、骸しかなかった。

 そして屋上へと至ったとき──茨羽は、初めて妻と娘の手掛かりらしきものを見つけた。

 

「これは……」

 

 茨羽はそれを摘み上げ、じっと目を凝らして見る。

 植物の種──陽香が携帯していたものだと、すぐに分かった。

 見ると、それはあちこちに散らばっている。陽香がこれを使うのは自衛の時だ。つまりここで(あるいは病院内で)陽香は何者かに襲われたのだ。

 ここに小鳥がいれば、ロストアイで当時の状況が分かるのだが、そうもいかない。

 しかし、茨羽には犯人の目星がついていた。

 

(風読家……)

 

 間違いない、とは言いきれない。

 しかし、可能性は高い。

 自然と拳に力が入る。

 やるべき事は、ひとつだった。

 

(陽香、帆紫……)

 

 全てが死に絶えたような瓦礫の中で、

 ヒーローは、成すべき事を成すために行動を開始した。

 

   *   *   *

 

 ──30分後、冬桜山

 

 無銘が冬桜山に到着すると、黒い倉庫のまえに夜月と美幸が佇んでいた。

 

「待たせた。リンフォンは?」

 

 息を整えるのもそこそこに無銘がきくと、夜月が「この中だ」と倉庫を指し示した。

 

「見張ってたけど特に変化はないよ」

「そうか……やってみるしかないな」

「無銘、やはり俺も……」

「大丈夫だ。ふたりは街に降りてくれ……あ、菫が近くにいるから、連れて行ってくれると助かる」

 

 言って、無銘は倉庫の中に入る。

 明かりがなく暗い倉庫の中に、一目でそれと分かるほど異様な雰囲気を纏うものがあった。

 元は立方体だと思しき歪な形。無銘は意を決してそれに触れ、一気に異能の出力を上げた。

 なにかが潰れるような音がして、無銘の右腕がひしゃげる。頭の中で怨嗟が響き、それに侵蝕されるように躰が壊れていく。

 無銘はなんとか動く左腕でナイフを取り出し、心臓に突き立てる。

 弾け飛ぶ肉と骨に混じり、大量の血が吹き出した。

 それで死を迎えた無銘は次の瞬間に甦り、リンフォンに殺される直前で心臓にナイフを突き刺す。その繰り返しで、徐々にリンフォンを破壊していく。

 常人なら一回も持たずに気が狂うであろう作業。しかし無銘は声ひとつ漏らさず、自分の命を消費し続けた。

 作業が終わったのは、街で起きている事件が一時的に沈静化したのと同時で、一日以上この作業を続けていた事となる。

 再び山に戻った夜月らによって、完全に壊れたリンフォンと廃人寸前となった無銘が発見されたのは、小鳥たちが狭霧村から帰還する、少し前の事だった。

 

   *   *   *

 

 無銘がリンフォンを破壊しようと試みていた、ちょうどその時。

 泊亮一は、自らの目を疑うような光景を目にしていた。

 場所は喫茶はるかぜ。瓦礫の山と化したそこでは、客や店員たちが倒れており、なかには一目見て助からないと分かる者もいる。

 そんな現場に駆けつけた異能対は、瓦礫の前に立つひとりの女性を見つけた。

 肩までの黒髪に、黒縁の眼鏡を掛けた女性。手には買い物袋を持っており、惨劇の場には不釣り合いな姿だった。

 しかし、その女性を見た瞬間、亮一と桜井、覚寺は時が止まったかのように固まった。

 

「……なんで、おまえがここにいるんだ」

 

 ようやく言葉を絞り出した亮一が掠れた声で言う。

 女は「見れば分かるでしょ。買い物をしていただけだよ」と手に持った買い物袋を持ち上げてみせる。

 それから感情のない目で異能対の面々を一瞥し、それと同じくらい平坦な声で言った。

 

「それとも、死んだと思った?」

「……そう、思ってた。でも……」

 

 女を見つめる亮一の目には、薄らと涙の膜が張っていた。

 

「生きてたんだな、ちとせ……!」

「久しぶり、亮一。でも……」

 

 女──高凪ちとせは買い物袋を落とし、次の瞬間には、亮一の懐に飛び込んでいた。

 

「ここでさよならだね」

 

 亮一の視界に映るのは、破壊を目的とした獣の腕。

 それは躊躇いなく亮一の首を跳ね飛ばし、その命を断ち切らんと襲い来る。

 瓦礫を新たな赤が汚し、そして──

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