無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
ちとせの一撃は、咄嗟に異能を発動した亮一によって受け止められていた。
受け止めるといっても、腕で防いだだけ。亮一の腕には決して浅くない傷が刻まれたが、心に負った傷はもっと深かった。
「なぜだ……ちとせ!」
「私はもう異能対の人間じゃない。ヘルタースケルターの一員だよ」
「ヘルタースケルター……だと」
なんでその名前をおまえが──亮一は呆然とした口調で呟く。
ちとせはそれに答えず、後ろに退いて距離をとった。
「……室長、高凪さんは異能に汚染されています」
異能を用いてちとせを視た覚寺が険しい表情を浮かべる。
「精神汚染系の異能ですが、かなり強力です」
「なぜそんなものを……」
桜井の呟きに答える事なく、ちとせは地面を蹴り、彼女に襲いかかる。
咄嗟に回避するが、攻撃は加えられない。桜井は顔を歪めながら、ちとせの攻撃を躱し続けた。
「もうやめろ!」
そこに亮一が突っ込んできた。爪の一撃で頬に深手を負ったが、構うことなくちとせに飛び掛かり、押さえつけてマウントポジションを取る。
「おまえらは後続隊と協力して怪我人の搬送に当たれ! ちとせは俺がなんとかする!」
「でも!」
「……行きましょう、桜井さん。高凪さんを止められるとしたら、それは室長しかいない」
ご武運を──そう言って、覚寺は桜井と共に離脱する。
残されたちとせは、亮一を見上げ「亮一だけで私を止められるの?」とどこか挑発するようにきいた。
「止めるさ、絶対に……だがその前に、ひとつ教えろ。どうしておまえはそうなってしまったんだ」
「きいてどうするの」
「解決の糸口になるかもしれないだろ」
亮一の力は強く、ちとせを絶対に逃がさないという意思が篭っている。
それを悟ったのか、ちとせは「……分かったよ、話してあげる」と目を伏せ、ぽつぽつと言葉を紡いでいった。
・ ・ ・
偶然、ヘルタースケルターという組織の事を知った──それが始まりだった。
ちとせが所属する異能対策室は日々異能犯罪と戦う組織で、故に異能犯罪の情報も齎される。
基本的には異能対が出向いて片っ端から潰していくのだが、警察でも対処できそうなものは警察に任せる事もある。ちとせの目に止まった案件も警察の管轄で、廃墟となった工場から人の声がきこえてくるというもの。字面だけ見れば異能対が対処すべき案件とは思えないもので、なぜこんなものが持ち込まれたのか分からなかった。
それでもなんとなく気になって、ちとせは独自に調査を開始した。現場となった廃工場はかつて自分が事件に巻き込まれた場所であり、たまに犯罪者が根城としている。付近には民家もあるので、被害が出るような内容だった場合、その影響は小さなものでは済まない。
そんな考えの元、廃工場に出向いたちとせは──そこで、ヘルタースケルターと名乗る集団と出会った。
小規模だが、全員が一級品の異能力者という組織。なにより、リーダーだと名乗った女は、ちとせがよく知る人物だった。
「な、なんで、きみがここに……」
目の前にいる女は、ちとせが覚えている容姿ではない。にもかかわらず、その女はちとせが覚えている通りの笑顔で、ちとせが覚えている通りの話し方をした。
女が語った事は衝撃的だった。そして同時に、ヘルタースケルターという組織の存在理由を否が応でも理解させられた。
そしてちとせはヘルタースケルターの一員として、世界を混沌に突き落とすため行動を開始したのだった。
・ ・ ・
「だからもう、異能対には戻れない」
そう話を結んだちとせに、しかし亮一は疑いの目を向ける。
先程、覚寺は「精神汚染系の異能が掛かっている」と言った。ならば、ちとせの話は嘘である可能性もある。
実際、亮一の目から見てもちとせがなんらかの異能に掛かっているのは確実だったし、真に受けてはいけないと思った。
だが同時に、気になる事もあった。
「その、ヘルタースケルターのリーダーっていうのは誰なんだ。ちとせの知り合いなのか?」
「知りたい? 知ったら戻れなくなるけれど」
それはどういう──そう言いかける前に、ちとせはとある名前を口にした。
それをきいて、亮一は──
「……ふざけるな。あいつはもう死んだはずだ」
冷静にそう返した。
しかしちとせはその返しを予測していたかのように、
「模造品に、リンフォン……死者が甦る術なんていくらでもある。亮一なら分かるでしょう?」
そう答えた。
「嘘だ、あいつがそんな事するわけない!」
「彼女がどんな地獄を見てきたかを知れば、そんな事言えなくなると思うけれど」
もういいでしょ──そう言ったちとせは、「そうだ」と思いついたように声を上げる。
「今からこちら側に来るなら、生かしてあげる。私も亮一を殺したくはないしね」
「断る。あいつがヘルタースケルターのリーダーだというなら、おまえもあいつも救い出すだけだ」
「それが正しいと?」
「あぁ」
躊躇なく肯定した亮一に、ちとせは微笑む。
「優しいね、亮一は……とても傲慢な優しさだよ。いつだったか春風郭公が言っていたよね? “革命には犠牲が必要だ”って」
亮一の脳裏に、かつて春風郭公が言った言葉が蘇る。
『最早、善悪の問題では無いのだよ。そもそもこの世界を善悪という物差しで測る事が間違っているのだ』
『善悪などというものは、その一部……人間にとって都合の良いものを切り取っただけのものだ』
「これは革命だよ。世界に絶望したあの子の、世界を終わらせるための革命」
だから、邪魔しないで。
確固たる意志を以て、ちとせはそう言った。
「……それに、きけばわかるよ。私が精神汚染を掛けられているのは事実だけれど、それ以上に、あの子に同情したのも事実だから」
それ以上は、きいてはいけない。
本能がそう訴えかける。
しかし、亮一の脳裏に浮かんだ在りし日の記憶は、ちとせの話をきく事を促していた。
ちとせはそれを分かっていたのだろう。無防備な状態でありながら、なんの警戒もせずに話を始めた。
* * *
長い話ではなかった。
ひとりの人間が苦しんで、絶望の果てに世界を終わらせる事を決意した、ただそれだけの話。
しかし、話をきき終えた亮一は呆然として、動く事ができなかった。
怒りはある。悲しみもある。しかしそれ以上に、同情してしまった。
異能対として背負うものがなければ、亮一はちとせと共に世界を終わらせるために行動していたかもしれない。
それにもかかわらず、亮一が矜恃を保っていられたのは、背負うものがあったからだ。
ヘルタースケルターは地獄の門を開く事で世界を混沌に突き落とそうとしている。その行いを許容する事ができないからこそ、亮一は堕ちずに済んだ。
だが、僅かな隙が生まれたのも事実だった。
そして泊亮一の旧くからの友人が、その隙を見逃すはずはなかった。
虎の膂力により亮一を引き剥がしたちとせは、瞬く間に立場を逆転させる。
「……もう戻らないと。殺さないけど、きみに立ちはだかられるのは厄介なんだ」
だから、ごめんね。
そう言って、ちとせは亮一の右眼──紫に染まった異能の眼に手を伸ばし、躊躇う事なく潰した。
痛みは形容し難いほど激しかったが、ぽっかりと空いた眼窩からは涙は流せず、血が流れ出るだけ。
代わりに、残った左眼から涙が流れた。
高く昇った太陽、それに照らされる瓦礫の山。
全てが終わってしまったかのような景色のなかで、亮一にできた事は、ただそれだけだった。
* * *
覚寺と桜井、そして駆り出された異能研の面々が救助活動を終えた時、亮一の傍にちとせの姿はなかった。
室長の無惨な姿に驚愕したふたりが呼び掛けるが、亮一はぶつぶつと譫言を繰り返すだけ。
最初は意味を成さなかったそれは、やがてひとつの言葉となり、ふたりの記憶に焼き付いた。
眼窩から血を流し、目から涙を流しながら──亮一はこう呟いていた。
ごめん、日向。
おまえを救えなかった。
ごめんなさい。