無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
同時刻、冬天市近隣のとある街。
神流瑞希はこの街で足止めをくらい、神月市に帰れなくなっていた。
夏休みも後半に差し掛かっている。宿題は終わらせてあるが、そろそろやる事もなくなってきたので家に帰ろうと思った矢先の事だった。もともとこの街に来たのは変死事件の際に海月眠梨から頼まれたからというだけなので、帰ろうと思えばいつでも帰れたはずだった。
だが、事件が解決したあと、異能研から多額の報酬と滞在費をもらったため、なんとなく留まっていた。
結果的には、それがいけなかった。テロが起きてすぐ、瑞希は神月市に帰ろうと試みたのだが、ここから神月に行くには冬天市を経由する必要がある。しかし今の冬天市は封鎖されているので帰り道が塞がれてしまっており、帰ろうにも帰れなくなってしまったのだった。
足止めをくらってからまだ一日程度しか経過していないが、事件が終わる気配はない。思いつく知り合いに電話をかけて状況をきこうと思ったが少し考えて思い留まり、別の方法で情報を知る事にした。
携帯端末を操作し、とある番号に電話をかける。
『はい、暁月です』
「もしもし、神流です。いきなりすみません」
『神流さん? どうしたの?』
瑞希が電話をかけた相手は暁月夜桜だった。いきなりの電話で驚いた様子の彼に、瑞希は「愛夜ちゃんに連絡ってつきますか?」と訊ねる。
『愛夜に連絡? つくけどどうしたの?』
「実は……」
冬天市で起きているテロの事を話すと、暁月は「なるほどね」と納得した様子になり、「ちょっと電話してみるよ」と言って通話を切った。
愛夜は親に携帯端末を持たされているが、番号は基本的に誰にも教えないときいた事があった。なので例外である暁月だけしか連絡を取れない。
暁月からの電話があったのはその五分後の事だった。電話に出ると、『待たせてごめんね』という声の後、愛夜からきいたという冬天市の状況について話してくれた。
『爆破テロには異能研や“HELLO WORLD”、あとは異能省が対処していて、愛夜はその手伝いをすると言っていた。まだ危険だから近づかないほうがいいだろうね』
「なるほど……ありがとうございます」
瑞希が礼を言うと、暁月は『気をつけてね』と言って通話を切った。
携帯端末をしまい、座っていたブランコから立ち上がる。宿でじっとしているのも退屈なのでぶらぶらと散歩していたが、時計を見るともうすぐ十九時になろうとしていたので、そろそろ帰ろうと思って歩き始めた。
空は夜に向かい、辺りは徐々に暗くなっていく。この街には被害がないため、人々は普通の生活を送っていたが、それでも心無しか通行人が少ない気もする。
だからこそ、最初に“それ”を見た時、瑞希は日常に遺物が入り込んだ事を察知する事ができた。
焦点の合わない目で譫言を呟くサラリーマン。酔っ払っているにしては雰囲気が不穏で、危険な香りがする。
瑞希は異能を持つ一般人に過ぎないが、冬天市に来てから事件に巻き込まれてきた事もあり、異常に対する警戒反応は発達していた。
すぐに踵を返し、もと来た道を戻ろうとする。しかしその際に、交差点の角から出てきた人とぶつかり、尻もちをついてしまった。
「おや、大丈夫かい?」
そんな声に顔を上げると、ひとりの男がこちらに手を差し伸べてきた。
ボサボサの髪に、無精髭。少し汚れた白衣を無造作に羽織る男で、心配そうにこちらを見ている。
「大丈夫です。いてて……」
おしりを強く打ったので、どうにも動きが鈍くなる。それに気づいたのか、男が「立てるかい?」と手を差し伸べてきた。
「あ、ありがとうございます」
差し出された手を掴むと、酷く冷たくて驚いた。
なんとか立ち上がった瑞希は、背後に迫る危険を思い出し、「逃げてください!」と男に言う。
「うん? どうかしたのかい?」
「えっと……とにかく危険なんです!」
詳しく説明している暇はない。といっても瑞希が逃げているのも危険な予感がしたからというだけなのだが、この手の予感が外れた事はあまりない。
男の手を掴み逃げ出そうとしたが、それより早く男が瑞希を止め、「ああ、アレね」と呟いてからこう言った。
「たしかにアレは危険だなぁ。ちょっと待ってて、すぐに片付けてくるよ」
「でも、どうやって……」
「大丈夫、おじさんこう見えても強いからねぇ〜」
間延びした声で言うと、男は指を鳴らす。
すると彼の背中から半透明の触手が現れ、サラリーマンの躰を拘束して手近な壁に叩きつけた。
躰がひしゃげ、肉と骨が飛び散る。男は「呆気ないねぇ」と楽しそうに言うと、瑞希の方を見て、
「おぉごめんごめん。刺激が強かったかなぁ」
瞬きをしながらそう言った。
「いえ、大丈夫です。助けて下さりありがとうございます」
生理的な不快感が湧き上がるのを堪えながら瑞希が言うと、男はその顔をじっと覗き込んで、
「顔が青いし、休んだ方がいいよぉ。そこら辺に公園があるから、ちょっと休んでいこうか」
そう言って歩き始める。
迷ったが、好意を無碍にするわけにもいかないと思い、瑞希は彼についていく事にした。
* * *
先程までいた公園に戻ると、男──日向と名乗った──は自販機で水を買ってくれた。
それを飲みながら、ふたりでベンチに座って話をする。彼が異能力者である事は分かっていたので、話題は冬天市の現状や、異能についての話となった。
日向はこの街に住んでいるようで、冬天市の現状をきくと、「怖いねぇ……」と怯えた目をしていた。
「さっきみたいなのを倒す分には問題ないけど、爆破テロに頭突っ込みたいとは思わないねぇ。そういう意味で、神流さんの友達は凄いと思うよぉ」
瑞希は“HELLO WORLD”の事を話していたので、この場合の友達とは彼女たちの事を指している。
日向はおお怖いという風に身を縮めたあと、「そういえば……」と思いついたように瑞希にきいた。
「そんな子たちが友達なら、キミも異能を持っているのかい?」
「はい。わたしは“対象を無罪にできる能力”を持っていて、この力で人助けをしています」
「対象を無罪にする?」
日向が興味を持った様子だったので、自分の異能について話す事にした。
「お父さんが冤罪で逮捕された事があって、どうにかしたいって思った時にこの力を使えるようになったんです。でも、お父さんはみんなに酷い事言われたのが堪えたみたいで、自殺しちゃって……それから、この社会を正すために力を使うようになったんです」
悪いのは、父を殺した社会だ。
だからこそ、瑞希はこの世界に蔓延る“罪”と戦う事にした。二度と、父のような被害者を出さないために。
「それはそれは……重いものを背負っているんだねぇ」
日向は感嘆したような声でそう言った後、「でも、気をつけた方がいいよぉ」と憐れむような目をして言った。
「その考えは立派だけど、キミは言わば、真っ白なキャンバスのようなものだ。その純粋さゆえに、何色にでも染まってしまう。それこそ、悪い人がキミを利用して、黒く染めあげてしまうかもしれない」
だから、気を付けてね。
男はそう言った。
「……はい、ありがとうございます」
純粋。
自分の事をそんな風に思った事はなかったが、おそらくそうなのだろう。
だって、こんなにいい人が言う事なのだから。
「……ところで、ひとつ頼みがあるんだけど」
そんな声に意識を戻すと、日向が神妙な顔をしてこちらを見ていた。
「もしよければ、キミの異能を僕に使ってくれないだろうか。さっきの事も、見る人によっては罪だろうし、若い頃にちょっとヤンチャしてたものだから、軽犯罪に縁があるんだ。運賃節約のために貨物列車に乗り込んだりとかね」
そう言ったあと、「もちろん、断っても構わない。僕を信用しないと言うなら、それでもいい」と付け加える日向に、瑞希は「分かりました。やってみます」と言った。
「……キミ、本当にやるつもりかい? さっきの話きいてた?」
日向は目を丸くし、呆れたように言う。
しかし瑞希の中には彼に対する疑念などない。「もちろんです!」と頷き、言葉を重ねていった。
「日向さんはわたしを助けてくれました。それに、お水まで買ってくれて、見ず知らずのわたしを心配してくれて……そんな人が、悪い訳ありません!」
そう言うと、瑞希は異能を発動する。
イメージとして、日向が犯した罪が瑞希の周りに展開される。
それは彼が申告した通り、軽犯罪じみたもの……ではなく、もっと残酷で救いようがないものだった。
「え……」
瑞希の呼吸が止まる。
しかし、異能は止まらない。
──
イメージが粉々に崩れ去っていき、彼の罪は「なかったこと」になった。
「………ククッ」
日向が押し殺したような笑い声をあげる。
それはどんどん大きくなっていき、瑞希への侮蔑の言葉に彩られて彼女の心を突き刺していった。
「バァーカ、バァーーーーーーカ!!!!! 本当に愚かな子だよキミは! あまりにも哀れだからあんな話をしてやったのに、あっさり信じるなんてねぇ! 僕が犯罪者だとも思わずに、ノコノコ異能を使っちゃってさぁ!!!!」
日向は醜悪な笑みを浮かべて触手を顕現させ、瑞希の首を締め上げる。
藻掻くが、呻き声しか出せず、視界が真っ赤に染まっていく。
「キミの異能には利用価値があるから連れてくよ。まぁ最悪脳と脊髄だけあれば異能は使えるからそれだけ取ってあとはポイだけどね」
そう言ってから、そうそう、と日向は付け加える。
「キミのお父さんなんだけどさ、本当に罪を犯したって可能性もあると思うよぉ。それをキミが捻じ曲げてしまったから、お父さんは罪の意識に押し潰されて自殺した……なんてね。まぁ嘘かホントかは分からないけど、でもキミは力の使い方を間違えてると思うよ。だって僕みたいなのに力使っちゃってるしねぇ〜」
そんな、という声は苦悶に掻き消される。
じゃあ、いままでわたしがやってきたことは。
まちがいだった、かも、なんて……
(……そんな、ことって)
瑞希の目からひかりが消えていき、それと同時に意識が落ちていく。
白いキャンバスが黒い絵の具に塗り潰されていくように、瑞希の意識は消えていき……それきり、なにもわからなくなった。
瑞希が失神したのを見ると、男は彼女の躰を触手で運び、歩き出す。
「気分転換に散歩に出たけど、思わぬ収穫があってよかったよぉ〜」
ニヤニヤと笑みを浮かべて、夜に向かう空を見上げ、独り言を呟く。
「これで僕の罪は消えたみたいだし、僕を咎めるヤツは誰もいない。見ているかい光くん。キミが大好きな美雪は、これでもう僕のモノだよぉ〜」
笑い声を響かせながら、去り行く影ひとつ。
瑞希の異能によって引き起こされたこの事態がなにを齎すのか──いまはまだ、誰も知らない。