無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
その日、風読家は崩壊した。
五大名家に代わる一族として知られた風読家は、王位を追われ、天上から引き摺り降ろされた。
その要因は様々であるが、最も大きなものとして、当主がひとりの女性に執着していた事が挙げられる。
後の時代の人間は、歴史に名も残らぬその女をファム・ファタールであるかのように扱ったが、実はそうではない。
女は拐かされ、当主に支配されそうになった。それを救うため、女に近しい者たちが立ち上がり、風読家を滅ぼす結果となっただけの事だった。
つまり風読家とは、栄華の中にありながら、当主の欲望によって滅んだ哀れな一族であると言える。
これから記述するのは、風読家が滅ぶまでの物語。
欲望と憑執が綯い交ぜとなった、とある夏の日の物語である。
* * *
轟音と共に建物が激しく振動する。
その衝撃で、家村天花の意識は短い眠りから目覚めた。
すぐさま自室を飛び出し、向かうは当主の部屋。額から流れる汗を拭う事も忘れ、全速力で走る。
護衛がきいて呆れる──頭の片隅にいる冷静な自分が呆れたように言う。当主が茨羽陽香を捕らえた以上、こうなる事は想定しておくべきだった。
しかし、天花はまだ十六歳。実力があっても経験が不足しており、想定の範囲が狭い。
自らの失態を悔やみながらも、当主の部屋に辿り着く。ドアが吹き飛び、壁に大穴が開いた部屋には、この場には不釣り合いな少年と少女がいた。
「やはり貴様らの仕業かァッ!」
天花は走る勢いのまま、弾丸のような拳を繰り出す。しかし少女が少年の前に立ちはだかり、素早い動きでそれを弾いた。
「先に行って。こいつはあたしが引き受ける」
「分かった。死ぬなよ」
「和樹もね」
自分の脇をすり抜けようとする少年を妨害しようとするも、少女がそれをさせない。
少年は廊下へと飛び出していき、あとには天花と少女が残された。
「仲間を助けに来たか。だが、ここまで立ち入った以上、生きては帰れないと思え」
拳を交わす合間の言葉に、少女も決意が篭った声で答える。
「生きて帰るよ。ほむ姉たちを助け出してね!」
少女の蹴りを防いだ弾みで部屋を飛び出し、長い廊下に転がり出る。
どちらともなく距離を取り、力を溜めるように身構える。
呼吸をひとつ。視線が交差する。
そして、両者は同時に地を蹴った。
「赤坂小鳥! ここが貴様の墓場だ!」
「家村天花! あんたはここで食い止める!」
拳がぶつかり、衝撃が地を揺らす。
赤坂小鳥と家村天花──異能力者と無能力者の戦いが始まった。
* * *
小鳥に天花の相手を任せた和樹は、携帯端末に表示したマップを頼りに屋敷内を駆け回っていた。
覚寺が描いたマップは簡素なものだったが、あるとないとでは大違いである。おかげで和樹はほとんど迷う事なく進む事ができた。
屋敷の中には人の気配がなく、和樹の想像とは異なった様子だった。使用人がいると思っていたが、地面を揺らす衝撃──おそらく小鳥と天花によるものだと思われる──を除けば、あとは静かなものだった。
襲撃の際、小鳥の“
自分がやるべき事は、そのまえに陽香と帆紫を助け出す事だ。
和樹はスピードを上げ、地下へと続く階段を探し回る。結果として階段は見つかったが、その前には予想だにしない人物がいた。
「アリナ……」
眠そうに目を擦る少女──意志アリナは傍らに携えていた大鎌を構え、無言で戦闘態勢を取る。
まずい、と思った。アリナは翔一が相手取る予定だったが、彼はアリナの元にたどりついていないようだ。
「翔一! どこにいる?」
耳に着けたインカムからは応答がない。その代わり、ザザッというノイズのあと、『アリナじゃない? どうして、きみが……』という翔一の声がきこえ、通信が切れた。
「翔一! クソッ、そう簡単には行かないか」
和樹にはアリナを相手取るほどの実力がない。それは自明だったが、かといって今更引くわけにもいかない。
それに、アリナの“
ならば、自分にも勝機があるかもしれない。
「……早く始めよう。貰った金の分は働かなきゃだし」
気怠げな口調でそう言ったアリナは地を蹴り、和樹に向かって大鎌を振り下ろす。
咄嗟に横に転がって回避し、異能を発動して反応速度を上げる。そのままアリナに向かって駆け出し、雷を纏った拳を叩き込んだ。
それは容易く防がれるが、アリナの躰を後退させるくらいの威力はあったらしい。気怠げな目が一瞬だけ驚きの色に染まり、それから愉しげな色を纏う。
「……少しは楽しめそう」
「テメェに構ってる暇はねぇんだよ! 道を空けろ!」
拳を固く握り締め、囚われた家族のために、和樹は強大な敵に立ち向かっていった。
* * *
「……やっぱりくたばってなかったか」
屋敷の外、風読家の敷地内で、夜月は溜息と共にそう零した。
彼の前にいるのは、当主の部屋から叩き落とされた風読夜見。その目に余裕のひかりはなく、拳は怒りで震えている。
「あの程度で僕を斃すなど、思い上がりも甚だしい。陽香を取り戻しにきたのだろうが、アレは僕のモノだ。奪うなら容赦はしない」
「人をモノ扱いしてる時点で陽香の隣にいる資格はないし、テメェがやろうとしてるのは寝取りだろうが。そういうのはテメェの中で完結させとけ。人様巻き込んでんじゃねぇぞ」
夜月はゴミを見るような目をしてそう言って、手にしていた大鎌を振り上げる。
「とりあえずここで死んどけ。そうした方が社会の為だ」
「これだから学のない者は……。陽香の隣に相応しいのは僕に決まっているし、だいたい茨羽巧未は来ないじゃないか。これじゃあ陽香が僕に靡くのも時間の問題だね」
風読は未だ来ないヒーローをせせら笑う。
それに対して、夜月は「……確かに来てないみたいだな」と茨羽の不在を認めた。
「だけど、アイツは来る。茨羽巧未はそういう男だ。それに……ヒーローは遅れて来るものだろう?」
「身内を庇う発言としか思えないな。無様に這いつくばらせて、僕が正しいと理解らせてやろう」
瞬間、金属音と共に衝撃。
夜月が振り下ろした大鎌を、夜見がメスで受け止めた音だった。
「とっととくたばれ……それとも、無様にお漏らしして這いつくばってみるか?」
夜月の目が禍々しい色に染まる。
刹那、彼を起点として“死”を形とした空間が現出し、その総てが風読に牙を剥いた。
“
常人なら一分と持たないであろう死の空間。
その中にあって、風読は口の端を吊り上げて笑ってみせた。
握った手の中には数本のメス。それを夜月に投擲する。
銀色の輝きが夜月に迫り、そして──。
* * *
時を僅かに遡る。
小鳥たちが風読家を襲撃する、その直前の事。
苛内の研究室で、部屋の主はひとりの少女に話し掛けていた。
「そろそろここに異能対あたりが乗り込んでくるだろうねぇ。まだ扉は開けていないし、時間がほしい。だから、キミも足止めしてよ」
苛内はそう言って、少し俯き考え込む素振りを見せる。
ややあって顔を上げると、なにかを思いついたように膝を叩いた。
「キミは確か、鮮真練血の息子と仲が良かったよね? アリナくんがいるとなれば彼も乗り込んで来るだろうから、キミが足止めしてよ。できるよね?」
有無を言わせぬ口調で言うと、苛内はニタリと笑みを浮かべる。
「ま、失敗したらその時はその時だ。大人しくアリナくんにでもぶつけよう。でも、せっかく造ったんだから役には立ってほしいなぁ〜」
それがキミの存在価値なんだからね──そう言うと、苛内は出て行けと手で示す。
少女はそれに従って退出し、暗い廊下を歩いていった。
少女──みいろの目には、感情が込められていない。
故に、彼女がなにを思っているのかは、誰にも分からない事だった。
小鳥たちが風読家を襲撃したのはその数分後の事で、その衝撃によろめいたみいろは一度立ち止まってから、また歩き出す。
その姿は薄暗い廊下の向こうへと消えていき、やがて見えなくなった。