無題奇譚〜Untitled tale〜   作:惰眠

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#65「ハル」

 気を失う前、最後に見た景色は、轟音と共に揺れる病院と、慌てふためく人々の姿。

 一瞬の意識の断絶のあと、その光景は最初からなかったかのように消え去っており、茨羽帆紫は地下牢に閉じ込められていた。

 目隠しをされているため、外界の状況は上手く把握できなかったが、両手は上部で拘束されており、躰も鎖で縛られている。動く度に締め付けが強まり痛みが増していくため、満足に動くことすらできなかった。

 いまは夏で、茹だるほどの暑さが続く季節だが、自分がいる場所は寒いほどに冷えている。クーラーや扇風機が作り出す人工的な冷たさではなく、空気が尖っているかのような、恐怖を覚えた時に似た冷たさだった。

 ここはどこで、自分はどうなったのか──なにも分からず混乱していると、足音がきこえてきて、やがてひとつの声が降りてきた。

 

「やぁ、茨羽帆紫ちゃん。気分はどうかな?」

 

 聞き覚えのない声。男のものだという事は分かったが、それだけだった。

 

「ここは……なんで、こんな事を……」

 

 恐怖で言葉が上手く継げない。しどろもどろになりながら絞り出した言葉に、男は嬉しそうな声で答える。

 

「キミが目的じゃないから安心して。僕の目的は陽香だよ。キミはそのついでさ」

「陽香……お母さんになにをするつもりなんですか!?」

 

 男の言葉をきいて、帆紫は叫ぶ。一瞬ではあるが、自分が置かれた状況も全て忘れるほど気が昂った。

 

「キミには関係ない事だ。なにせ、ここで僕に弄ばれるだけの人形になるんだからね」

 

 その言葉と同時に、空を裂く音。

 一瞬のあと、右肩に激痛が走り、帆紫は悲鳴をあげた。

 なにかが飛んできて、肩に突き刺さった──焼け切れそうな思考でそれだけを把握したが、状況が分かったところでどうにかなるものでもない。

 目の前にいるであろう男が、動けない自分を害そうとしている──その事実が恐怖となり、脳髄を痺れさせていく。

 

「いい声で鳴くじゃないか。楽しませてくれよ? 帆紫ちゃん」

 

 男が楽しそうにそう言うと、再び空を裂く音がきこえてくる。

 その瞬間から、帆紫にとっての地獄が始まった。

 

   *   *   *

 

 その後、帆紫は何度も弄ばれ続けた。

 時間にして一日と少し。しかし永遠にも感じられたその時間は、帆紫の精神を確実に削り取っていった。

 自分でも、生きている事が不思議なくらいだった。といっても、躰で血を流さない箇所はなく、かろうじて生きているだけの肉の人形と成り果てていた。

 躰の痛みも耐え難いものではあったが、目隠しをされているため、状況が分からないというのが最も堪えた。いつ男がやってきて、自分に危害を加えるか分からない──そんな思いが恐怖を生み出し、帆紫を覆っていく。

 もう涙すら出ない。

 自分はここで一生を終えるのだ。

 そんな諦観だけが残った。

 

 

 

 やがて、ひとつの足音がきこえてきた。

 またあの男が来たのかと思い、躰が強ばる。

 しかし、掛けられた声は帆紫の予想とは反するもので、その内容が、暖かい光のように帆紫に降り注いだ。

 

「ここから出よう、帆紫」

 

   *   *   *

 

「サカナミ……くん」

 

 掠れた声で、帆紫が自分の名前を呼ぶ。

 ひとまず生きている事に安堵しつつ、「待ってろ、いま解放してやるから」と声を掛け、頭に思い浮かんだ異能を模倣する。

 瞬間、サカナミの右目が紫色に染まり、躰のリミッターが外された感覚を覚えた。そのまま鉄格子を掴み、無理矢理こじ開け、牢の中に入る。

 

(酷い傷だ、まずはこっちをどうにかしないといけないか)

 

 サカナミは手を翳すと、今度は治癒の異能を模倣する。それと同時に、自分の中から()()()()()が消費されていくのが分かった。

 サカナミの異能──“壊れゆく記憶(レッキング・メモリー)”は模倣能力なのだが、彼自身はこの異能に適合しているわけではない。なので、使用には代償が必要となる。

 彼にこの異能を植え付けた父親が設定した“代償”は、自らと他人の記憶。使用する度にサカナミに関する記憶はこの世界から消えていき、やがては存在そのものが消えてしまう。

 しかし、そんなリスクなど気にせずに、サカナミは帆紫の治療に当たった。その甲斐あってか、帆紫の傷は癒えていき、意識も先程よりははっきりしてきたようだった。

 最後に腕を縛める拘束具と、躰を縛る鎖を外すと、帆紫はその場に崩れ落ちる。慌ててその躰を抱きしめると、冷えてはいるが確かな感触が伝わってきた。

 

「大丈夫か?」

「ありがとう……でも、どうしてサカナミくんがここに?」

 

 帆紫の疑問に、一瞬だけ迷ったものの、自分がここにいる理由を話す事にした。

 

「今まで言えなかったけど、元々オレはここの人間なんだ」

「えっ……って事は、サカナミくんは風読家の人なの?」

「違う。オレは、苛内植の……実子だ」

「苛内……って、あの苛内博士? あの人は私たちの味方だけど……」

 

 思わず、えっ、という声が漏れる。

 サカナミは帆紫の顔をまじまじと見つめ「それ、マジで言ってるのか?」と真剣な口調できいた。

 

「う、うん。だって、いままでも私たちを助けてくれたし……」

「……あの野郎、なにか仕掛けやがったな」

 

 苛内が帆紫たちの味方になるなど、天地が滅んでも有り得ない。

 彼がなにか──おそらく異能で──帆紫の認識を改竄したのだと、すぐに思い至った。

 

(そういやあのクソ野郎、どこ行きやがったんだ? 姿が見えないが……)

 

 嫌な予感がすると思ったが、ひとまずここから出る方が先だろう。

 そう思って、「詳しい話はあとだ、とりあえず風読家とは敵同士なんだよな?」ときくと、帆紫は頷いた。

 

「ならここから出よう。上が騒がしいし、なにか起きてるみたいだからな」

 

 そう言って、サカナミは歩き始める。

 と、その後ろをついてきている帆紫がこうきいた。

 

「じゃあ、サカナミって名前も本名じゃないの?」

「……ああ。あのクソ野郎がそう呼んでるだけで、本名は別にある。呼ぶのは母さんとみいろだけだけどな」

「……良ければ、教えてくれないかな。助けてくれた人の名前は、ちゃんと知っておきたいし」

「……苛内春人(はると)。名字の方は名乗りたくないが、名前の方は母さんがくれた、大切な宝物だ」

 

 父に孕まされた時、母は既に廃人になりかけていた。

 この名前も、生まれたのが春だったから付けたに過ぎない。

 だけど、この名前を呼ぶ時、母はいつも笑ってくれた。

 それだけで、この名前は彼の宝物となった。

 

「春人……じゃあ、ハルくんだね」

 

 そう言って、帆紫は微笑む。

 それをきいて、大切な宝物が、またひとつ増えたような気がした。

 

   *   *   *

 

 帆紫と春人が脱出しようと試みている、ちょうどその頃。

 地下牢に続く階段の前で、和樹とアリナは一進一退の攻防を繰り広げていた。

 和樹は雷と格闘を織り交ぜ、近・中距離から攻め続ける。対するアリナはそれを回避しながら接近戦に持ち込もうとするが、朝が近いこの時間帯では上手く力が出せないらしい。よって、和樹でも互角の戦いを繰り広げる事ができていた。

 互いに有効打を当てられないまま、時間だけが過ぎていく。心なしか、アリナの顔にも薄い苛立ちが浮かんでいるように思えた。

 最も、苛立っているのは和樹も同じだった。早くアリナを打ち倒して地下牢に行きたいところだが、思うようにはいかない。それが彼を焦らせ、僅かな隙を生み出す。

 

「やばっ……」

 

 そして、それを見逃さないアリナではない。

 少女の姿からは想像もつかないほどの強さで蹴り飛ばされ、和樹は地面を転がった。

 

「あれ、一撃でおしまい? つまらないな。さっきまでの勢いはどうしたの?」

 

 アリナは大鎌を構え、和樹に近づく。

 和樹は立ち上がろうとするが、アリナの一撃は思っていた以上に重く、動きが鈍くなる。

 和樹の目前まで到達したアリナは、一切の慈悲なく大鎌を振り上げ、振り下ろす。

 しかしその瞬間、背後から強烈な一撃を喰らい、狙いが僅かに逸れた。

 アリナの背後──地下牢の入口から現れた帆紫が、水の刃を飛ばして彼女を切り付けていた。

 

「姉貴……!」

「和樹、大丈夫!?」

 

 帆紫は和樹を退かせると、彼を護るように立ち塞がる。

 アリナは身構えるが、その背後から現れたもうひとりの敵──春人の攻撃を躱した際に、彼らが逃げる時間を生み出してしまった。

 すぐさま追いかけようとするも、途中で思いとどまり、一息ついてから変身を解除する。

 

「あーあ、逃げられちゃった。まぁいっか、僕もそろそろトンズラしたいところだったし」

 

 変身を解いた際に現れたのは、かつて小鳥たちの前に現れた、小桜みなもを名乗る女。

 彼女は伸びをしてから、「あの人たちが来ているって事は、鮮真練血の息子もいるって事だよね。ちょっと会っていこうかなぁ」と呟くと、持ち場であった地下牢を離れ、どこかへと歩き出した。

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