無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
黒と赤が絡み合い、一振りの剣となる。
かつて“焔刃ナイトフェンサー”と呼ばれていたそれを正式名称で呼ぶには、茨羽は年齢を重ね過ぎた。なのでこの剣を与えられた銘で呼ぶ事はなかったが、長き時を経て、剣の腕には磨きが掛かっている。
この剣はイメージにより形を変える黒焔を含んでいるため、刀身の長さも自由に変えられる。そしてそれは、メスと己の躰しか武器がない風読にとって、致命的ともいえるアドバンテージであった。
剣を掻い潜って懐に入り込んでも、焔での追撃が襲ってくる。攻守共に隙がなく、有効打を与えるまでの道のりは遠かった。
風読夜見は風読家の現当主であり、それに見合うだけの実力を備えてはいる。しかし、茨羽巧未とは、潜った死線の数が比べ物にならない。
(流石に分が悪いか……)
風読は舌打ちをしながらメスを投擲する。それが易々と防がれるのを見越して身体強化の異能を発動。強化された脚で地面を蹴り、加速して飛び蹴りを食らわせた。
茨羽はそれを回避し、着地直後の風読に向かって氷の異能を発動。地を這う氷が風読の右脚を凍らせ、その動きを封じる。
「チッ……」
忌々しげな表情を浮かべる風読に向かって突貫したのは夜月だった。大鎌を振り上げ、慈悲なく首を刈り取らんとするその姿は死神そのもので、その目は冷たいひかりを帯びている。
刃が首に届く──直前、夜月の視界が真赤に染まった。
次いで、空を切る音。攻撃を外したのだ、と思った時には、内臓が飛び出るかと思うほどの激痛と共に、躰が後方に吹き飛んでいた。
なにが起きたのか──体勢を立て直した夜月が見たのは、右脚を半ばから切り落とした男の姿だった。
駄目押しとばかりに投擲されたメスを避け、夜月は「脚を切り落とすとは、馬鹿な奴だな」と挑発するように言う。
「それでは動けないだろうに」
「心配ご無用。貴様らのような凡庸な人間とは違って、このような場合への備えも万全だからね」
風読が取り出したのは、翠色の結晶。
それを傷口に押し当てると、時が巻き戻ったかのように脚が再生した。
「回復の異能か」
「如何にも。いくら手傷を負わせようと、無駄だということだ」
「だが、携帯型異能力なら有限だろう。それに──」
夜月は風読に接近し、上段に構えた大鎌を素早く振り下ろす。
風読はそれを避けるが、なにか底知れぬものを感じ、一筋の汗を流した。
「そういえば、魂を斬る術を持っているときいた事があったが……本当だったか」
「下調べくらいしとけ。俺を殺せないようじゃ、茨羽を殺すなんて夢のまた夢だぞ」
夜月はそう言って、風読の背後に視線を向ける。
それに気づいた風読が振り向いたときには、既に茨羽が目の前にいた。
脚の筋力を強化して後ろに跳んだが、焔を纏った拳が腹にめり込む。肉の焼ける音がして、風読はよろめきながら回復の携帯型異能力を傷に押し当てた。
「はぁ……全く、面倒臭い。とっとと死んでくれないかなぁ? こんな暴力男、陽香には似合わないよ」
「どの口が言ってんだ。お前は人の躰傷付けて喜ぶサド野郎だろうが」
「趣味を否定するのはよくないよ。いいからくたばってくれよ。同じ空気も吸いたくないのに」
「くたばってほしいのはアンタだよ。人の妻と娘を誘拐しといて、無事でいられると思うなよ」
茨羽は平静のように見えるが、その実この場にいる誰よりも怒っていた。目は鋭く、風読を生きて返すつもりは毛頭ない。
それを分かっているのかいないのか、風読は茨羽に悪罵をぶつけていく。まるで子供の喧嘩のようであったが、実際、彼の陽香に対する執着は子供のそれと似通っているといえるかもしれない。
「大体、陽香は僕のモノだ。人のモノを取らないでほしいね」
「人をモノ扱いしてるような奴に陽香が靡くと思ってるのか? おめでたい脳味噌してるな」
「靡くさ。家族を鏖にすれば、言う事を聞くだろうからねぇ!」
ふたりは同時に駆け出す。
風読が投擲したメスを、茨羽は回避していく。
だがそれは牽制に過ぎない。
本命は右拳の一撃。
顎を殴り、脳を揺らす。
そうして行動不能にしたところを、じっくりと甚振っていく。
そんなビジョンが思い浮かぶ。
その通りに躰を動かし、茨羽の拳を回避。
懐に入り、拳を繰り出す──。
「楽しそうだな」
不意に、風読の躰が浮き上がる。
それは茨羽も同じだった。腹部に喰らった一撃が痛みとして認識されるとともに、なにが起きたかを把握する。
風読が茨羽に一撃を喰らわせる寸前、なにかが割り込み、ふたりを吹き飛ばした──それを理解すると共に、乱入者の姿を認識する。
それは、青い髪の男だった。
舌なめずりをした男は、心底愉しそうにこう言った。
「俺も混ぜろよ」
瞬間、風読の躰が勢いよく地面に叩きつけられた。
重力操作の異能だと思ったときには、既に男は目の前に。
吐きかけられた唾が頭に付着する。男はニヤニヤとした笑みのまま、風読の頬をぺちぺちと叩いた。
「これが風読の当主かぁ? 前の当主の方がまともなツラしてたなぁ」
「貴様……なぜここに」
「退屈になったから平和ボケしてるヤツらに現実を見せてやろうと思ってな。わざわざ戻ってきてやったってわけよ」
男──神知戦は立ち上がると、茨羽の方を向く。
「まあ、途中でコイツに見つかって追い掛け回されてたんだけどな。自分の家族より俺と遊ぶ方を選んでくれるたァ、有難い限りだよ。もうちょい強ければ文句なしだったんだけどな」
「おまえを野放しにしておくとロクな事にならないからな。とっとと出ていって二度と戻ってこないでほしいんだが」
「つれない事言うなよ。土産持ってきたから仲良くしようぜ?」
神知がパチンと指を鳴らすと、茨羽の眼前になにかが現れ、ドサリと落ちた。
茨羽は目を見開き、ぐったりとしているそれに駆け寄る。
「帆紫!」
「歯ごたえのないガキだったが、今時のガキはこんなもんなのか? まァ、ひとりだけまともそうなのもいたけどな」
その言葉と共に、風読邸の二階からなにかが落下してきた。
ガラスの煌めきと共に現れたのは鮮真翔一で、血の刃を作り出し、神知に向かっていく。
「翔一!」
「巧未さんに朝倉さん、無事だったんですね! ただ、コイツをなんとかしないと……!」
翔一が繰り出す変幻自在の攻撃を、神知は軽々と回避していく。
「ハハッ、そんなんじゃ蚊も殺せねぇぞ!」
神知の舐め腐った態度に翔舌打ちをした翔一は、いちど距離を取り、茨羽の横まで移動する。
「無事だったか。他のみんなはどうした?」
「和樹だけは苛内の研究室に行かせました。あと、サカナミも一緒だったんですけど、アイツと戦ってる途中で床の崩落に巻き込まれて……」
「そうか……」
翔一が言った苛内という言葉が気になった。苛内植は自分たちの味方の筈なのだが。
しかし、翔一の事だ。なにか理由があるのだろう。そう思って、深く詮索はしなかった。
「お喋りは終わったか? 面倒だからまとめてかかってこい。少しは楽しませろよ?」
神知が唇を釣り上げ、開戦の狼煙となる言葉をはき出す。
茨羽、翔一、夜月は顔を見合わせると地面を蹴り、生ける災厄へと立ち向かっていった。
そして、重力操作を受けて地面に這いつくばっている風読は──
(これはむしろ好機だ。いまのうちに……)
強化の異能力を総動員し、自らの目的を果たすべく、行動を開始した。
* * *
時を僅かに遡る。
風読家の外、冬天市では、模造品とそれに抗うものたちの戦いが続いていた。
とはいえ、模造品はその数を減らしつつある。異能研側は人海戦術で対抗していたが、出撃の機会は時間を経る毎に減っていき、僅かながら余裕も生まれつつあった。
何度目かの出撃を終えた幹ヶ谷柘榴が拠点に戻ると、東爽介と愛夜が休息をとっていた。柘榴に気付くと、爽介が「あ、柘榴さん。お疲れ様です」と頭を下げた。他のメンバーは出払っているようだ。
「少し余裕が出てきました。この調子なら、夜になるまでには片がつくでしょう」
そう言った柘榴は椅子に座って一息つくと、「負傷者の様子はどうですか?」とふたりに尋ねた。
「楓さん、泊さん、亜美さん、無銘さんは未だに目を覚ましません。躰は回復しているのですが、ずっと眠ったままです」
「叶と祈も同じ感じだよ。目を覚ますまでにはもう少しかかるかもって、美幸さんが言ってた」
「そうですか……」
幸い、それ以上の犠牲者は出ていない。
街の住人がどうなっているかは分からないが、避難所の状況を見る限り、いまのところは落ち着いているようだ。
避難所には柘榴の義理の妹──幹ヶ谷暁音もいる。携帯端末が繋がりにくいので連絡は取れていないが、無事である事を祈るしかなかった。
亜美や夢羽は重傷を負っているし、もうひとりの義妹──歌先姫名は柘榴の目の前で命を落とした。自分が荒事専門ではないというのは自覚しているが、これ以上の犠牲を出す訳にはいかない。
天井を見上げて息をつくと、「またあとで」と言い残して部屋を出る。無機質な廊下を歩き、亜美が眠っている部屋の前で立ち止まった。
控えめにノックをしてから、中に入る。彼女の病室には無銘も寝ているはずだが、室内を見て、柘榴は驚いた。
ふたつあるベッドのうち、ひとつはカーテンで仕切られている。どうやら亜美は眠り続けているようだ。
しかし、無銘が横たわっているであろうベッドはもぬけの殻だった。どう見ても動ける状況にないはずだが、無銘はどこかへと行ってしまったようだ。
「赤坂さん……」
柘榴は空になったベッドを見つめ、呟く。
なぜか、胸騒ぎがした。
なにかが起きるという予感が沸き上がり、それに突き動かされるようにして、柘榴は病室を後にした。
* * *
茨羽と風読の戦闘に神知が乱入していた、ちょうどその頃。
頭に鈍痛を覚えて、赤坂小鳥は目を覚ました。
腕が上部で縛められ、着ていた衣服は下着を残して剥ぎ取られている。さすがの小鳥も、すぐに異常事態であると気付いた。
(あれ、あたし、どうした……)
たしか、家村天花と交戦して、彼女を倒したはず。
しかし、それからの記憶が曖昧だった。
自分がいるのは薄暗い部屋だった。小鳥は夜目が利く方だが、目覚めたばかりでピントが合っていないのか、室内の状況は薄らとしか把握できない。
光源は目の前にある無数のモニタのみで、その前に男が座っている。小鳥が身じろぎをした事で彼女が目覚めた事に気付いたのだろう。男は小鳥の方を向いて、近づいてきた。
「お、お目覚めかな? ちょっと乱暴にしちゃったけど、案外頑丈なんだねぇ〜」
その声と間近にある顔には見覚えがあった。
「苛内博士……?」
「その調子だと、瑞希ちゃんの異能はちゃんと発動しているみたいだね。些か効き目が薄い気もするけど……まあ、データとしては貴重か」
男──苛内植はぶつぶつと呟きながら、小鳥を舐め回すように観察する。
「あの、ここは……あたし、たしか風読家にいたはずなんですけど……」
「ここも風読家だよ。そしてキミはもうここから出られない」
軽く言われた言葉の意味を掴み損ね、「えっ?」という声が出る。
しかし、どういう事なのか訊くまえに、苛内がこちらに手を伸ばしてきた。
「いっ……!」
痛みが走って、小鳥は呻く。
苛内の手が、小鳥の右胸を乱暴に掴んでいた。
「分からなかったかなぁ? じゃあこう言い換えようか……」
苛内は小鳥の胸を揉みしだき、気味の悪い笑みを浮かべ、こう言った。
「キミはもう、僕のモノ……って事だよぉ〜」