無題奇譚〜Untitled tale〜   作:惰眠

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#69「知りたくなかった」

「ちょっ……やめ……っ!」

 

 下着の中に入り込んだ手が、無遠慮に躰を触り、侵害してくる。

 初めて感じる感覚に、小鳥は戸惑い、恐怖していた。

 

「いやぁ、本当にいい女に育ったねぇ。十七年前とは大違いだよ」

 

 苛内の言葉ひとつひとつに怖気が走り、反射的に脚を振り上げようとしたがままならない。見ると、両脚がいつの間にか伸びてきた触手に絡め取られていた。

 

「やめてよ……苛内博士!」

「おおっと、そういえばそうだったねぇ。だけどキミも薄々気付いているんじゃないのかい? 僕が味方でもなんでもない事にさぁ」

 

 その言葉をきいた途端、脳内を様々な記憶が埋め尽くす。

 それにより本来の記憶を取り戻し、小鳥は引き攣った表情を浮かべた。

 

「そうだ、敵のはずなのに、なんで味方だと思ってたんだ……アンタ、あたしになにしたの!」

「なにもしてないよぉ。やったのは瑞希ちゃん」

「瑞希……? なんで瑞希が! もしかして、瑞希になにかしたの!?」

「なにもしてないよぉ。瑞希ちゃんは自らの意思で僕の罪を消してくれたんだ。効き目が悪かったのか、中途半端になっちゃったけどね」

 

 まあ、ロストアイの前ではどのみち無意味か──そう言って、苛内は小鳥から離れた。

 

「キミみたいな純粋無垢な子にブチ込むのは楽しいし、とっとと犯っちゃいたいところなんだけど……いまは我慢しないとね」

 

 苛内は先程まで自分が座っていたところまで移動し、デスクの仕掛けを作動させる。

 カチリと音がして、デスクから古ぼけた紙片を取り出す。小鳥の元まで戻ると、「これ、なにか分かるかい?」と手に持った紙片をひらひらと振ってみせた。

 

「これね、無題奇譚っていう本なんだけど……いまの子は知らないかなぁ〜」

「無題奇譚……でも、いまはもうないってお父さんが言ってたのに……」

 

 小鳥の言葉に、苛内は「お、知ってるんだねぇ」と大袈裟に驚いてみせる。

 

「オリジナルはなくなったんだけどね。それを再現した男がいたんだよ。まぁ、模造品だから、効果のほどは分からないんだけどね」

 

 それをいまから試すんだよ──そう言って、苛内は小鳥の目をじっと見た。

 

「キミにはロストアイを使ってもらう。原典の無題奇譚だと改変は二十四時間の間に起こった事だから……まぁ改変内容はなんでもいいや。なんなら、キミがここに捕らわれているという事実をなかった事にしてもいい。その代わり、改変できなかったらゲームオーバー。もう用済みだから、ブチ犯してあげるよ」

「おか……?」

「え、分からないのかい? その歳で?」

 

 苛内は素で驚いたようだった。これまで見てきた彼の言葉のなかでは、いちばん人間らしいリアクションだった。

 

「保健体育とか、いまの子は受けないのかい? というか、その歳でその反応は……余程純粋な子なんだねぇ」

 

 感嘆したように言った苛内は、「折角だし、教えてあげよう。ロストアイの力も試したいし」といって、パチンと指を鳴らす。

 照明が点き、部屋の中が明るくなる。更にもういちど指を鳴らすと、左右の壁が消え、中から無数の容器が姿を現した。

 容器は人がすっぽり入るほどのサイズで、淡く光る液体で満たされている。そしてその中には、白髪の少女が入っていた。

 見たところ、歳は小鳥と同じくらいか、少し上といったくらい。目は閉じられているが、綺麗な顔立ちをしている。なにも身に纏っていないものの、思わず見蕩れてしまうほど幻想的な光景であった。

 

「これは……」

「これね、僕の妻で苛内美雪っていうんだ。っていっても、ご覧の通り模造品だけどね」

 

 美雪という名前には聞き覚えがあった。

 たしか、父の弟子──逆浪という男の、幼馴染だったはずだ。

 

「美雪さんがアンタの妻って……アンタは美雪さんを殺したんじゃないの!?」

「オリジナルは楽しんだあとに殺したけどね。その後に模造品を生み出したんだ。ひとり逃げちゃったけど、こうして僕の役に立ってくれてるってワケ」

 

 さあ、彼女にロストアイを使ってごらん?──苛内はそう言って、触手で小鳥の頬をじっとりと撫でる。

 それから逃げようとして顔を横に向けた拍子に、容器の中で眠る少女が視界に入る。

 その瞬間、意志とは関係なくロストアイが発動し、少女の──美雪の過去を垣間見た。

 

   ・   ・   ・

 

 暗い闇のなかにいた。

 躰の内側が痛み、穢された事を知る。

 しかしそれに涙を流す暇も与えられず、再び波がやってくる。

 意識が焼き切れ、自分が自分でなくなる。

 その刹那、脳裏に浮かんだひとつの顔。

 ヒーローというには頼りないひと。

 捻くれ者で、気紛れで、情けない部分もあった。

 それでも、大好きだった。

 ずっと一緒にいたいと願った。

 だけど、それは目の前で奪われた。

 あとには深い絶望と身を裂くような激痛だけが残った。

 それは消える事なく、いつまでも終わらない。

 自分が壊れても、また次の自分が記憶を継ぎ、ゆっくりと破壊されていく。

 輪廻というには救いがなく、終わりのない暗闇。

 幼い頃にも、こんな事があった気がする。

 だけどその時には、隣に微かなひかりがあった。

 だから、希望を取り戻せた。

 だけど、いまはもうない。

 だからこそ、終わりたいと思った。

 生まれて初めて、死にたいと願った。

 

   ・   ・   ・

 

「なんて、酷い事を……!」

 

 美雪の記憶を垣間見た小鳥は蒼白な顔で涙を零し、震える声で呟いた。

 

「お、視れたみたいだねぇ。能力自体はオリジナルと大差ないのかな?」

 

 苛内はそう言うと、手に持った紙片を突きつけた。

 

「さて、やってもらおうか。成功させないと……美雪みたいになっちゃうよぉ〜?」

 

 その言葉をきいた小鳥は激しく暴れるが、拘束は緩まない。

 それどころか、またもや自分の意志とは無関係にロストアイが発動し、それと共鳴するように、無題奇譚の紙片がひかりを放ち始めた。

 もはや止められない。小鳥は、いまこの状況をなかった事にするべく、苛内に拘束されたという事実を上書きするイメージを思い描いた。

 ひかりはいよいよ強くなり、部屋全体が真昼のように明るくなる。

 そして──

 

   *   *   *

 

 茨羽和樹は屋敷の端に辿り着き、少し息を整えた。

 先刻、自分たちを襲った青い怪物。その力は凄まじく、一撃で床が崩落し、春人がそれに巻き込まれてしまった。

 

「オレに構うな! 研究室は屋敷の左端にある! だから、行ってくれ!」

 

 瓦礫に呑まれる直前、春人はそう叫んだ。

 それを受けた翔一と帆紫が「和樹だけでも行ってくれ」と異口同音に叫んだため、和樹はふたりを残して走り出し、ここに辿り着いたというわけである。

 翔一と帆紫、それに春人の事が気にならないわけではない。しかし、三人に託されたものを無駄にするわけにもいかない。

 戻りたい気持ちを押し込めて、和樹は辺りを探る。

 目の前は突き当たりで、大理石でできている壁があるのみだった。それに触れてみるとカチリという音がして壁がせり上がり、地下への階段が姿を現した。

 RPGのダンジョンみたいだというズレた感想を抱きながら、和樹は階段を降りる。その先には鉄製の扉があり、施錠の手応えはなかった。

 意を決して、中へと飛び込む。そして視界に飛び込んできた光景に、和樹の感情は一瞬にして沸騰した。

 

「小鳥!」

 

 目の前には、触手に捕らわれた小鳥と、彼女を嬲る苛内の姿。小鳥は下着しか身に着けておらず、目には涙を浮かべている。いつもの快活さは、そこにはなかった。

 

「テメェ……なにしてんだ!」

 

 和樹は異能を発動し、雷を纏って苛内に突進する。しかし、それは伸びてきた触手に阻まれた。

 

「キミは……茨羽巧未の息子か。まさかキミが来るなんてねぇ」

 

 苛内は驚いたように目を瞬かせる。しかしすぐにニヤリと笑って、

 

「悪いけど、僕はお楽しみ中でね。邪魔しないでもらえるかなぁ?」

 

 と粘ついた声で言った。

 

「みいろを殺して、春人を苦しめて……その上、小鳥にまでこんな事しやがって! テメェは絶対許さねぇ!」

 

 今までにないほどの怒りに突き動かされた和樹は雷を次々に発生させ、それを飛ばしながら突き進む。しかし、苛内の触手は攻撃を尽く防いでいき、和樹の足を絡めとって投げ飛ばした。

 

「甘いよぉ。僕、これでも一応強いんだからねぇ〜」

 

 苛内は小鳥から離れ、和樹を見下ろす。

 

「キミには用はないんだ。とっとと立ち去ってくれれば、これ以上はなにもしないよ」

「ざけんな。俺はテメェをぶっ飛ばしにきたんだよ。それに、目の前で仲間が酷い目にあってるのを見過ごせるわけねぇだろ」

 

 鋭い視線で射殺さんとばかりに睨みつける和樹に、苛内は「おお、こわいこわい」と大袈裟に仰け反ってみせる。

 

「僕は小鳥ちゃんが無題奇譚を使えなかったからオシオキしようと思っただけなんだけどねぇ。ロストアイっていっても、模造品の躰じゃあ使いこなせないかぁ」

 

 苛内は残念そうに言う。

 その言葉に新たな怒りが生産されたが、それよりも気になる事が生じ、和樹は思わず疑問を口に出した。

 

「待て、模造品の躰って……どういう事だ」

「あれ、知らなかったのぉ? 小鳥ちゃんは模造品だよ。正確には、模造品の素体が独自の人格を持った存在というべきかな」

 

 それをきいた小鳥が、「え……」と引き攣った声を上げる。

 

「ここにある無題奇譚を生み出したのは、春風郭公という男でね。彼は春風つばめの模造品を生み出して、ロストアイをも再現しようとしていた。結局、赤坂蜥蜴に阻止されたんだけどね。で、赤坂蜥蜴はその時に模造品の素体を確保して自分で育てた。それが小鳥ちゃんになったってわけ」

 

 そこまで話してから、なにかを思いついたように醜悪な笑みを浮かべ、苛内はこう続けた。

 

「春風郭公がいたのは洞ノ院という児童養護施設の跡地だったんだけどね。戦いの末に業火に焼かれて灰になっちゃったみたいなんだ。僕が無題奇譚を見つけた時は、もう完全に真っ黒焦げだったよ。そんな酷いところから、キミは救い出された……春風つばめの模造品もまだ残っていただろうに、キミだけが救い出された。裏を返せば、キミさえいなければ、赤坂蜥蜴はいまも春風つばめと一緒にいられたかもしれないね」

 

 その言葉に、小鳥は目を見開き、唇を震わせる。

 

「赤坂蜥蜴は春風つばめの事を愛していた。だけど、それをキミが奪ったんだ。もしかしたら、顔に出さないだけでキミの事を重荷に感じていたかもしれないねぇ」

「ふざけんな! 無銘さんがそんな事思うわけねぇだろ!」

 

 和樹が叫ぶが、小鳥は苛内の言葉を否定する事ができなかった。

 父は母の事を話す時、いつでも少しだけ悲しそうだった。父が母の事を深く愛していたのは間違いないし、自分の出生の話になると、いつも自然とはぐらかされた。

 苛内の話は、真実なのかもしれない。

 それならば、自分は……。

 

「あたしが……生まれてこなければよかったの……?」

「そうだよぉ。分かったなら、その無駄な命を僕に捧げなよォ!」

 

 「ざけんなこの野郎!」と叫んで、和樹が苛内にぶつかり押し倒す。マウントポジションをとると、怒りのままに拳を振り上げ、一切の躊躇いなく振り下ろす。

 しかし、その拳は苛内の鼻先で止まった。カウンターとばかりに伸びてきた無数の触手が、和樹の躰を貫いていたからだ。

 和樹は口からどろりと血を零し、躰をくたりと弛緩させる。苛内は彼を押し退けて立ち上がると、和樹の躰を投げ飛ばした。

 美雪が眠る容器にぶつかった和樹からは生気が感じられず、目は虚ろだった。生きているのか死んでいるのかすら分からない。

 

「和樹!!!」

 

 動かなくなった和樹を見て、小鳥は悲鳴をあげる。苛内は再び小鳥に近づくと、「じゃあ、続きしようか〜」とその胸に手を伸ばし──

 

 

 ──そのとき、ふたつの事がほとんど同時に起こった。

 

 

 ひとつは、入口のドアから飛び込んできた男──無銘が小鳥と苛内の間に割り込み、その手に握る刀で苛内の腕を切断した事。

 もうひとつは、部屋の奥にあるモニターと部屋の左右にある容器──美雪の模造品が眩いひかりを放った事。総てを灼き尽くすようなひかりが部屋全体に拡がり、それのみならず、屋敷を、街全体を包み込む。

 そして──ひかりに包み込まれたすべてが、その生命を散らした。

 

   *   *   *

 

 ──眩しい。

 目が眩むほど強いひかりに包まれていて、視界は白く染まっている。

 だが、いつまでも目を瞑っている訳にはいかない。意を決して目を開けると、そこには──

 

 

 視界に映ったのは、花が咲き乱れ、桜が舞い散る世界。

 隣には無銘がいて、状況を把握しきれていないようなぼんやりとした表情を浮かべている。

 

「おとうさん……」

 

 呟くような声をかけると、無銘は我に返ったように瞬きを繰り返し、やがて「……小鳥」と安堵したような声を零す。

 

「大丈夫か? アイツに酷い事されてないか?」

「だいじょうぶ……」

 

 小鳥はぼんやりと答え、それから真剣な声で、

 

「ねぇおとうさん、あたし……」

 

 自分が負った罪についてきこうとした。

 しかし、それより早く、自分たちがいる世界に変化が訪れた。

 遠くになにかが見えた。こちらに近付いてきている。

 それは少女だった。二色の瞳と緑色の豊かな髪を持つ少女。小鳥と無銘を見つけると、嬉しさと少しの悲しさが入り交じった表情を浮かべ、こちらに駆け寄ってくる。

 その少女は、小鳥が知っている人物だった。

 ずっと会いたかった、だけど今は、会いたくない存在。

 少女の姿を視界に捉えた無銘の表情が変わり、震える声でその名前を呼ぶ。

 

「つばめちゃん……」

 

 少女は微笑み、「お久しぶりです、無銘さん」と無銘を見つめる。

 春風のような、あたたかいその声をきいた瞬間、小鳥は自分の意思とは無関係に、震える声を絞り出した。

 

「おかあさん……」

 

 少女が小鳥のほうを向く。

 二色の瞳が愛おしいものを見るように細まり、少女は──春風つばめは、自らの娘に声をかけた。

 

「はじめまして、小鳥ちゃん」

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