無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
鉄が焼き切れ、熱気が肌を焦がす。
剣を溶かされた霧風は後退し、再び剣を生成する。
一陣の風が吹き、気づいた時には茨羽の懐に。
下段から振り上げられる剣は銀色の煌めきを残し、茨羽の躰を切り裂く。
よろめいた茨羽は後退し、その身を散らす。
舞い飛ぶ火の粉。霧風は目を見開く。
「分身か」
「ああそうだよ!」
その声は頭上から聞こえた。
霧風が半歩退いたタイミングで、先程まで彼がいた所に踵が落とされる。
体勢を立て直した茨羽の左回し蹴りが、初めて霧風の側頭部を捉えた。
嫌な音がして、霧風の躰が吹き飛ぶ。
茨羽は呼吸をひとつ。霧風が突っ込んだ瓦礫の山に視線を向ける。
瞬間、そこからなにかが飛んできた。
咄嗟に左腕で顔を庇うと、空気を切り裂く音とともに、腕がスッパリと切れた。
鮮血の向こう。首の骨を元に戻した霧風が、事も無げに歩いてくる。
「こんなもんか茨羽。こんなんじゃ虫も殺せねぇぞ」
「普通の人間ならいまので死んでたよ。やっぱり模造品はしぶといな」
「オレもそう思うよ。こっちは……早いとこくたばりてぇんだがな!」
霧風は地を蹴り、再び距離を詰める。
発生させた風の刃を投げつけ、躱したのを予測して炎を纏った拳を繰り出す。
茨羽は黒焔を操って壁を作り、霧風の拳を防ぐ。炎を扱うという点では同じだが、茨羽の能力の方が上のようだった。
「なら、これならどうだよ!」
距離を取った霧風は右手を翳し、強く握り締める。
「“
瞬間、霧風の周りに五つの火球が現れ、そこから熱線が迸る。
左に飛んで回避したが、霧風が腕を左に振ると、熱線はひとつに収束し、茨羽を追尾する。
先程のように焔の壁を作り出すが、それで起きた爆発に耐えきれずに吹き飛ばされる。その先には霧風がいて、右脚に力を込めていた。
「“ピンポイントショット”!」
駆け出した霧風は、茨羽の腹部に蹴りを打ち込む。吹き飛ばされた勢いと相まっていとも容易く腹を貫いたが、同時に霧風の脚も壊れ、ふたりはもつれ合うようにして地面を転がった。
痛いを通り越して腹が熱い。茨羽は口から血をこぼしながら腹部に手を当て、傷口を焼いて止血しようとした。
その時、急激な目眩に襲われ、躰が痺れ出した。
(これは……毒か!)
先程、蹴りを食らった時に打ち込まれたのだろう。
喋ろうにも口が上手く動かず、立ち上がる事もままならない。
それに対して、霧風は半ばから欠損した右脚に剣を差し込み、義足代わりにして立ち上がった。
「これで終わりだ……と言いたいところだが、テメェはしぶといからな。もう少しだけ、ここにいてくれ」
霧風が手を翳すと、竜巻が茨羽を呑み込む。
風の刃により、躰が削れていく。数分もすれば、肉は削げ落ち骨だけとなるだろう。
「オレだって、こんな事はしたくなかった。苛内の野郎、意識だけ残したまま躰の自由を奪いやがった。だから、茨羽も陽香ちゃんも、オレが殺すんだ。幸せに、なってほしかったのに……」
この躰では、涙すら流せない。
やりたくないと思っても、躰は動いてしまう。
大切な人を、手にかけてしまう。
霧風とて、生きたくないわけがない。
陽香のために燃やした命に悔いはないが、生きて、彼女の行く先を見届けたいという気持ちもあった。
だからこそ──霧風才斗は、いまとても、死にたかった。
「……誰か、オレを殺してくれ」
「おまえがそう望むなら、そうしてやるよ」
聞こえるはずのない声が、聞こえた。
目の前で巻き起こる竜巻が勢いを失い、やがて消えていく。
後には、ひとりの男が残された。
「なんで、生きて……」
「まだ死ぬ訳にはいかないんでな。殺されたって生きてやる」
若干呂律が回らない口調でそう言う茨羽の表情は、しかし苦しみに満ちている。
彼の様子を見て、霧風はその理由を察した。
「おまえ、焔を使って無理矢理動いているのか!」
茨羽が使う黒焔は、イメージによって動かせる。
それを利用し、躰を黒焔で覆い、無理に動かしていた。
最も、代償は大きい。麻痺した躰を無理矢理動かしているため、躰への負担は大きいし、腹の傷を焼いて止血したため、常に激痛に襲われている。気を抜いたらそのまま倒れてしまいそうだった。
それでも、茨羽は止まらない。一歩ずつ、霧風の方へと歩いてくる。
「……ああ、そうかよ」
やっぱり、おまえでよかったよ。
陽香ちゃんの隣にいてくれるのが、茨羽で本当によかった。
そう思いながら、霧風は地を蹴った。
「なら、殺してみせろ!」
頭の中で、目の前の敵を打ち倒す方法が浮かぶ。
今までは、その通りに動くしかなかった。
しかし、霧風はそれすら忘れ、ひたすらに躰を動かした。
異能を使わず、ただ殴り合うだけ。
何度も、拳を打ち付ける。
発する言葉は叫びとなり、汗が血と混ざり飛び散る。
防御なんてしない。ただ、ひたすらに拳をぶつける。
その拳で、色々な事を語り合った。
色々な事が伝わってきて、通り過ぎて、また伝わってくる。
茨羽は一歩も引かなかった。
霧風は一歩も引けなかった。
ただ、互いの命を喰らい、削り尽くした。
長いように感じられたが、実際は十分ほどそうしていた。
茨羽が繰り出す左の拳と、霧風が放った右の拳がかち合い、空気を揺らす。
すかさず互いに一歩踏み込み、対となる拳を打ち込む。
交差したそれは互いの頬を捉え、互いの躰を弾き飛ばした。
霧風の躰は動こうとしていた。
しかし、立ち上がろうとしてもままならない。
右脚を見て、その理由が分かった。
義足の代わりとしていた剣が消失している。どうやら、気力を欠いたために異能が解除されてしまったようだ。
対する茨羽は、黒焔の助けを借りて立ち上がる。
それが、決着だった。
「負けたな……」
霧風は呟く。言葉とは裏腹に、心中は晴れ晴れとしていた。
「さぁ、殺してくれ。オレはそれを望んでる」
弱々しい笑みを浮かべる霧風に、茨羽は──
「だけどおまえ、もう自由に躰を動かせるんじゃないのか?」
手を差し伸べながらそうきいた。
え、と呟き、その手を取る。
たしかに、自分の意志で躰を動かせていた。
「いつの間に……」
「俺を殺すなら、異能を使ったほうが手っ取り早い。だけどおまえはそうしなかった。多分、その時点で支配から逃れていたんだ」
「オレは、自由になったのか」
実感は、まだ湧かない。
だけど、自由になったというなら、すべき事はひとつだけ。
「なら、オレも陽香ちゃんを……ッ!?」
言葉を飲み込み、霧風は茨羽を突き飛ばす。
瞬間、霧風の躰は瓦礫の山へと叩きつけられ、その心臓にはメスが突き刺さっていた。
「霧風!」
駆け寄ろうとする茨羽だが、その瞬間、躰が言う事をきかなくなった。
黒焔が解除され、躰を動かせなくなったのだ。
加えて、倒れるより早く、茨羽の心臓にもメスが突き刺さり、滝のように血が噴き出した。
メスを投擲したのは、地下牢から上がってきた風読夜見だった。動けなくなったふたりを見下ろすと、整った顔を崩して歪んだ笑みを浮かべる。
「足止めご苦労様。時間を稼いでくれたおかげで、陽香はもう僕のモノになったよ」
「テメェ……」
茨羽は手を伸ばすが、それより先に意識が落ちていく。
最後に聞こえたのは、風読の狂ったような笑い声だった。
* * *
風読が立ち去った後の地下牢。
その奥に、ひとりの女が囚われている。
鎖に締め付けられた躰は無数の傷と血で赤く染まっており、服は剥ぎ取られている。
特に、陰部からの出血が激しく、その体内には、「キミハボクノモノ」という傷があちこちに刻まれていた。刃を体内に挿入され、それによりついた傷だった。
辛うじて生きてはいるが、その呼吸は浅い。
なにより、その目は濁り、輝きは失われていた。
当主を誑かしたファム・ファタール──風読陽香は、風読夜見の手に落ちた。
しかし、その魂は屈服していなかった。
「……たくみ、くん」
その証として、掠れた声で呼ぶのは、最愛の人の名前。
彼の命が、いままさに消えかかろうとしているとも知らずに……。