無題奇譚〜Untitled tale〜   作:惰眠

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#73「渇望」

 生きている事が、奇跡だと思った。

 躰の感覚はほとんどない。先程まで苛まれていた激痛も、嘘のように遠ざかってしまった。

 このまま瞼を閉じ、意識を外界から断絶すれば、たぶん、もう苦しまなくてすむ。

 だけど、夫への想いが、子供たちへの想いが、それをさせなかった。

 躰の内側が、熱を持っている。それは痛みとして認識されるべきものなのだろうけれど、痛みを感じるという機能を壊された自分には、その判断ができない。

 先程まで、自分の前にいた男。

 彼は愛を囁きながら自分を壊していき、その仕上げとして、細い針のような器具をちらつかせた。

 

「いまからこれで、僕の愛を刻み込もう。その後に、茨羽巧未とその子供たちを始末する。そうすれば、僕たちはずっと一緒にいられるんだ」

 

 彼は陶酔したかのようにそう囁きながら、動けない自分の脚を開いて、その間に、その器具を捩じ込んだ。

 おしひろげ、

 かきみだし、

 きざみこみ、

 それでも声だけは、上げなかった。

 彼は思う存分自分を嬲り尽くすと、地下牢を後にしていった。

 皮肉にも、彼が刻み込んだ熱が、自分がまだ生きている事への証明となった。

 大丈夫……。

 私はあの時のように、囚われのお姫様じゃない。

 意識をこの世界に繋ぎ止めながら、掠れた声で、最愛の名を呼ぶ。

 

「……たくみ、くん」

 

 きっと、彼はここに向かっている。

 だけど、それを待つばかりじゃいられない。

 だから……。

 

「………百花繚乱」

 

 薄暗い地下牢に、花が咲き乱れる。

 それに包み込まれるようにして、茨羽陽香は姿を消した。

 

   *   *   *

 

 同時刻、屋敷の外。

 鮮真翔一、朝倉夜月、幹ヶ谷柘榴は、神知戦の猛攻をどうにか凌いでいた。

 以前、彼と対峙した事がある夜月によると、神知はあらゆる異能力を使用する事ができる存在らしい。その情報に違わず、無数の異能を駆使して人数差を埋め、圧倒していた。

 翔一と夜月は修羅場に身を置く身であり、多少なりとも戦闘の心得がある。神知は常識の埒外にいる怪物だが、そんな存在を相手にしても、自分の身を守る事くらいはできる。

 しかし、柘榴は単なる一般人で、戦闘の経験は(ふたりが知る限りは)ない。にも関わらず、彼の躰は自然に動き、神知の攻撃に対応していた。

 神知もそれを不思議に思ったのだろう。攻撃を中断し、獣が獲物の動きを観察するかのように柘榴を見つめる。

 

「テメェ、何モンだ? そいつらとは根本的に違うらしいが」

「……それは私にも分からない。いまは、貴様を斃すまでだ」

 

 柘榴は拳銃を構えて発砲する。

 それを軽々と回避した神知は「なんだ、つまんねえの」と不貞腐れたように言って、それから遠くを見つめて笑みを浮かべた。

 

「だが、こんなところで遊んでていいのか? いままさに、お仲間が死のうとしてるってのに」

 

 その言葉を受け、夜月たちは神知が視線を向けた方向を見る。

 そこには──

 

「そういう事だ。神知くん、足止めありがとう」

 

 屋敷を背にして、風読夜見が歪んだ笑いを浮かべる。

 その横には傷と血に塗れ、跪かされた茨羽の姿があった。

 

「巧未さん!」

 

 翔一が駆け出すが、その前に神知が立ち塞がる。

 

「足止めしてたわけじゃねぇよ。こいつら殺ったらテメェも同じところに送ってやる」

 

 瓦礫を腕に纏い、歪な形の剣として再構築させた神知は、翔一の攻撃を捌きながら風読に鋭い視線を向ける。

 その視線を軽く流した風読は、「そういうわけだ。陽香も茨羽巧未も僕の手に落ちた。あとは、僕の手でコイツを殺すだけだ」と言って、メスを構える。

 

「止せ!」

 

 柘榴と夜月も駆け出すが、風読の動きの方が早い。

 それと同時に、やっとの事で屋敷を抜け出した小鳥と無銘、和樹も阻止しようと駆け出したが、やはり風読の方が早かった。

 風読は自らの異能力──強化の異能を用いてメスの強度を上げ、それを茨羽の首に突き立てた。

 刃は肉と血管を裂き、骨をも貫いて躰と頭を分離させる。

 そうして、茨羽巧未は息絶えた。

 

 

 

 

 

 神知と交戦していた翔一のポケットから眩いひかりが発せられたのは、ちょうどその時だった。

 ひかりに視界を遮られた神知の隙をついて、翔一はその脇を抜ける。

 異能力で神経のスピードを上げ、風読の元へと至った翔一は、激情に任せて血の刃を振るう。

 いままでの攻撃より更にキレの良い攻撃。刃の軌跡は複雑で、常人ならば知覚する間もなく死に至る。

 しかし、怒りにより攻撃のコントロールを失っていたため、その隙を風読に突かれる。

 反撃とばかりに放たれた拳が顎を捉え、首が吹き飛ぶのではないかと思うほどの衝撃と共に宙に浮き上がる。

 追撃とばかりに放たれた蹴りを防げたのは、神経のスピードを上げていたからで、ほとんど反射的といってもよい。そのおかげで、致命傷は防ぐ事ができた。

 しかし、吹き飛ばされた事により距離は離された。

 翔一は再び挑みかかろうとするが、それより先に、紫電と水の刃が風読に襲いかかる。

 駆け出した和樹と意識を取り戻した帆紫が放った一撃で、それに乗じるように小鳥と無銘が風読に拳を叩き付ける。

 夜月と柘榴は神知を相手取っており、ほぼ互角の様相を呈している。そこまで把握した翔一はひとつ息をつき、血の刃を展開した。

 そうして一陣の疾風となり、風読を終わらせるために動き出す。

 

 

 混戦の最中にあって、風読夜見は的確に状況を把握し、対処しようと試みていた。

 しかし、同時に四人もの人間を相手取るのは、さしもの風読でも困難であった。

 近距離からは無銘と小鳥、中距離からは和樹の電撃、そして遠距離からは帆紫の水の刃が襲いかかってくる。次第に押されつつあるのを自覚してはいたが、憎き茨羽巧未を殺せた歓びが力となり、すんでのところで互角にまで持ち込んでいた。

 しかし、その均衡は翔一の襲撃によって呆気なく崩れ去る。無銘と小鳥の攻撃でさえ、辛うじて対処する事ができていたのに、それに加えて超スピードで襲いかかる血の刃を防ぐのには、処理能力が足らなかった。

 致命傷は防いでいるが、躰のあちこちから血が噴き出す。それを忌々しく思いつつ、一度距離を取ろうと試みたが──それより早く、死角からの攻撃を受け、体勢が崩れた。

 一体誰が、と襲撃者の方を向いた風読は、その正体を認識した瞬間に固まり、それから怒りを顔に出した。

 

「どうして、貴様が……」

 

 驚いているのは翔一たちも同じで、攻撃の手が止まった。その隙に包囲から逃れる事ができた風読だったが、状況は改善するどころか、さらに悪くなった。

 なぜなら、そこにいたのは、茨羽巧未だったからだ。

 

「なぜ生きている! 僕が殺したはずだぞ!」

 

 激昂する風読とは対照的に、茨羽は落ち着いた表情でこう答えた。

 

「たしかに死んだ。だけど、時が巻き戻ったんだよ。恐らく、なにかの異能だろうな」

 

 その言葉をきいた翔一は、ハッとした表情で着ていた服のポケットを探る。

 そこにあったはずの結晶──みいろから託された携帯型異能力がなくなっていた。

 

(もしかして、あの時……)

 

 神知の隙を突くきっかけとなった、眩いひかり。

 あの時に異能力が発動し、茨羽の時間を巻き戻したというのか。

 脳裏にみいろの顔が浮かぶ。

 安堵と自分への怒りが綯い交ぜとなり、やりきれない気持ちが生まれ、やがてそれがひとつの渇望となる。

 

(俺が、もっと強ければ)

 

 携帯型異能力のおかげで、茨羽は助かった。

 だけど、それがなかったら?

 あの瞬間、たしかに茨羽は死んだ。

 自分が強ければ、茨羽を救えたかもしれない。

 茨羽だけではない。

 みいろも、父も、自分が強ければ救えたはずなのだ。

 力が欲しい、と思った。

 いつも抱いているはずのその気持ちは、しかしとても強い衝動となり、翔一の躰を追い越していった。

 

 

「翔一……?」

 

 声を上げたのは和樹だった。

 しかし、その場にいる全員が、翔一の変化に驚愕していた。

 血のように紅い、異形の左眼。

 紅い血を織り交ぜた片翼。

 天使のようにも、悪魔のようにも見えるその姿に、全員が目を奪われた。

 

「……ハッ、漸く楽しめそうなのが来たな」

 

 神知の声に、全員の硬直が解ける。

 彼は愉しそうな笑みを浮かべ、指を曲げて翔一を挑発した。

 

「その力を風読にぶつけたいんだろうが、そうはさせねぇ。俺を殺してからにしろ」

 

 それに対して、翔一は右腕を翳す。

 すると、ふたりを血の繭が包み込み、外界と遮断した。

 

「翔一!」

「しょう!」

 

 和樹と帆紫が血の繭に駆け寄るが、それを留めたのは、繭の中からきこえてきた翔一の声だった。

 

 ──俺は大丈夫。みんなを頼む。

 

 それきり、繭は完全に沈黙した。

 ふたりは顔を見合わせると、それぞれ同じ方向を向く。

 そこでは、もうひとつの戦いが始まろうとしていた。

 

 

「もう終わりだ。大人しく投降しろ」

 

 茨羽の言葉を鼻で笑って流した風読は、メスを取り出す。

 

「そんな躰でなにができる? 巻き戻しの異能はもう使えないだろうし、もう一度地獄に送り返してやるよ」

 

 そうすれば、陽香は僕のモノだ!

 憑執と恋慕をありありと出した風読は、血走った目で茨羽を見て、狂ったような動きで襲いかかる。

 それを紙一重で回避した茨羽は蹴りを打ち込み、風読の躰を吹き飛ばす。

 そして静かな声で言った。

 

「ケリをつけよう、風読夜見」




帆紫は和樹のことを“かず”、翔一のことを“しょう”と呼びます。(今更)
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