無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
血の繭の中では、鮮真翔一と神知戦の戦闘が始まっていた。
異形の姿となった翔一だが、能力自体に変化はない。細かいところまでコントロールできるようになり、攻撃の威力が増したというだけ。しかし動きは見違えたかのように良くなっており、神知を僅かながら本気にさせたようだった。
「ほぉ……? ちったぁ楽しめそうだな」
瓦礫を両腕に纏い、二振りの剣を生成した神知は地を蹴り、人間とは思えない速度で翔一に接近。激しい斬撃を浴びせる。
型などないデタラメな動きだが、それゆえに予測がしにくい。しかし翔一は強化された反射神経を以てそれを躱していき、血の剣を生成して反撃を仕掛ける。
神知は余裕の表情でそれを捌きながら攻撃していくが、一度距離をとったその時、躰から血が吹き出したのを見て一瞬だけ固まった。
「……あ?」
なにをした? と言わんばかりに睨みつける神知に対し、翔一は落ち着き払った様子で、
「俺の血を操作して、お前の体内に入れた。このまま逆流させれば終わりだ」
「俺の血液を、操ったと……。普通の人間ならそれでくたばるが、そんなんじゃ俺は殺せねぇぞ」
神知は鼻で笑い、挑発するように腕組みをする。
再度その体内に入れた血液を操ろうとして、翔一は違和感に気付いた。
(操れない? なぜ……)
「お前の血液を“俺のもの”にする事なんざ簡単なんだよ。分かったならとっととかかってこい」
先程、躰から吹き出した血が、逆再生したかのように神知の体内に戻っていく。翔一が付けていた傷も塞がり、神知の躰にダメージと呼べるものは残っていなかった。
「なら、正攻法で打ち倒すまでだ!」
翔一の躰が消え、常人には知覚不可能なスピードで神知に襲いかかる。それを嬉々として迎え撃つ神知の顔には、虫を潰して遊ぶ子供のような笑みが浮かんでいた。
「そうだ! 小細工なんか使うな! テメェの全力で俺を打ち倒してみせろ!」
暴風が吹き荒れ、赤い血が煌めく。
赤と青が幾度となくぶつかり、舞踏を踊るかのように交差する。
「テメェの命が、この世界が、全てがブッ壊れるまで殺し合おうじゃねぇか! 退屈させんなよ!」
神知が浮かべる笑みと声には熱が篭もっていて。
彼が心の底からこの状況を楽しんでいる事が、翔一にも伝わってきた。
だからといって長引かせるつもりなどない。神知の動きはデタラメでありながら的確だが、何度もぶつかるうちに僅かな隙が見えた。そこを突くために更に猛攻を掛け、それに対応しようとするまでの一瞬を捉え、防御を潜り抜ける。
(
一瞬のあと、神知の首を撥ね飛ばす──そのはずだった。
突如、翔一の躰から力が抜け、狙いが逸れる。結果として渾身の一撃は外れ、翔一はその場に倒れた。
目が回り、思考の速度が鈍くなる。力が入らず、立つ事もままならない。
血の翼は消滅し、普段の姿に戻っている。翔一の異能力は自らの血を扱うという特性上、躰に負担がかかりやすいが、ここまで動けないのは初めてだった。
そんな翔一を見た神知はつまらなさそうな表情になり、唾と共に言葉を吐き捨てる。
「チッ、もう終わりかよ。お楽しみはこれからだってのに」
苛立たしげに翔一の躰を蹴り飛ばし、抵抗できないまま転がっていったのを見ると、神知は冷たい声で「じゃあ、もう死ね」と告げ、剣を振り上げる。
「待て! やめろ!」
それを妨害したのは、水刃と紫電。帆紫と和樹が放ったものだった。
翔一が作り出した血の繭は、彼が倒れた時に消えていた。茨羽は夜見を相手取っているようだが、他の者は神知を排除せんとしている。
普段なら嬉々として迎え撃つが、今の神知にはその気がなかった。翔一との戦いが中断された事に対して、失望にも似た気持ちを覚えていたからだった。
「……つまんねぇ」
物憂げにそう呟いた神知は、「飽きた。帰る」と言って背を向ける。
「逃がすわけねぇだろ!」
和樹が異能力を用いて接近し、その勢いで回し蹴りを放つが、神知はそれを易々と防ぎ、ドスの効いた声でこう告げた。
「テメェらと遊んでもつまらねぇんだよ。とっとと失せろ」
神知は親指と人差し指を伸ばし、指鉄砲を作って和樹に突きつける。
そして「バン!」と発砲し、和樹を吹き飛ばした。
「かず!」
帆紫が駆け寄った時には、既に神知の姿はない。
後には、血の繭の中で行われていた戦闘の跡が残るだけだった。
* * *
神知が風読家を後にした、ちょうどその時。
茨羽巧未と風読夜見の戦闘も、決着を迎えていた。
戦闘は終始茨羽が優勢だった。躰を無理やり動かし、その行動も普段と比べると鈍いが、それでも風読を上回っていた。
風読は苛立ちを顔に出して茨羽に攻撃を仕掛けるが、最低限の動きで防がれる。風読にとって分が悪い戦いとなっているのは明白だった。
しかし、互いに致命傷は与えられておらず、天秤はどちらにも傾いていない。
故に、ふたりは待っていた。
天秤が傾く時を、目の前の敵を打ち倒す好機を、待っていた。
それを齎したのは、ひとりの女。
傷と花を纏い、こちらに歩いてくる。
その姿を見た風読は、戦闘中にも関わらず口の端を吊り上げ、喜色の篭もる目で彼女を見た。
「いけない子だね……抜け出してきたのかい」
先程までの苛立ちを瞬時に吹き消し、風読は猫を撫でるような声で女──陽香に話しかける。彼の機嫌を一気に直してしまうほどに、陽香は美しく、そして傷ついていた。
ニヤニヤと笑う風読とは対照的に、陽香の姿を見た茨羽の中では怒りが生まれていた。
再会できた安堵を塗り潰すほどに、ドロドロとした怒りが躰を突き動かす。それが攻撃にも反映され、鋭さが増していき、ついに風読の防御を掻い潜った。
腹に撃ち込んだ拳は真赤に燃えている。文字通り焼けるような痛みに顔を顰めた風読は、それでも陽香の方に視線を向け、恋焦がれるような言葉を吐き出した。
「キミは本当に美しいよ。はやくふたりで幸せになろう! こんな男よりもずっと深く愛してあげるからね。髪の先から爪の先まで、全部僕のモノにするから、だから待っていてね、僕のお姫様……」
もはや情欲を隠そうともしない言葉を受けた陽香は風読の近くまで来ると、ぽつりと呟いた。
「……貴方は、可哀想な人ですね」
「……何を言っているんだい?」
突然の言葉に、理解できないという表情を浮かべる風読。
それに対して、陽香は淡々と言葉を紡いでいった。
「傷をつけ、閉じ込める事でしか人を愛せないなんて、可哀想だと言ったのです。自分の都合で人を苦しめ、それを愛と言い張る……私の両親も、そうでした」
私を見てきた貴方なら分かるでしょう?
従順に振舞っていても、心の底では
「そんな貴方を、私が愛すると思いますか?」
風読を見上げる金色の目に、親愛のひかりはない。
あるのは、徹底した無関心だけ。
「貴方が焦がれていた私は本当の私ではありません。そんな人は、もうどこにもいない。そして私の伴侶はただひとり……巧未くんだけです」
ここで初めて、陽香が茨羽に視線を向けた。
風読に向ける視線とは異なる、温かく愛の篭もった眼差し。それを受けた茨羽は彼女のやろうとしている事を察した。
「だから、もう私に関わらないでください」
その言葉が、最後通告だった。
それを受けた風読は、理解できないという風に陽香を見て、茨羽に視線を移し、そして陽香に視線を戻し、虚ろな表情で呟いた。
「……可哀想なのはキミだよ。あの男に操られて、キミは変わってしまったんだ。本来のキミは、僕にだけ愛を注いでくれるはずなのに」
もっと
もっと
だから──
「塗り潰してあげるね」
ボソボソとした声で呟いた風読はメスを振り上げ、銀色の刃を女の首筋に突き刺そうとする。
しかし、それが届くより前に、なにかが彼を拘束し、その首を突き刺した。
瓦礫が植物の蔦に変換され、風読を捕らえていた。
「なんだ……これ、……からだ、うごか」
「麻痺性の神経毒です。私の夫と子供たちを傷つけた罪を、その躰で償ってもらいます」
冷たい声でそう言った陽香は異能力のリミッターを戻し、茨羽の元へと駆け寄る。
「巧未くん……!」
「陽香……済まなかった、こんな傷を負わせちまって……」
「私は大丈夫。子供たちは……みんなは無事なの?」
「なんとか全員生きてるよ……それより、早く病院に行かないと……」
「そうだね、とりあえずみんなのところへ……」
ふたりが支え合いながら歩き始めたところへ、風を切る音と共に銀色の輝きが迫る。
「……陽香っ!」
茨羽は咄嗟に陽香を突き飛ばし、彼女を護るように立ちはだかる。
鈍い音がした。
突き飛ばされた時に瞑った目を開ける。
メスを間一髪受け止める茨羽と、最後の抵抗を防がれた風読の驚きの表情が、視界に映った。
「巧未くん!」
「大丈夫。どこも刺されてない」
メスを捨てた茨羽は、風読の元へと近づく。
もう動く気力もなくなった風読は、それでも声を絞り出し、こう言った。
陽香は僕のモノだ。
地獄に堕ちろ。
それを受けた茨羽は息をついたあと、
陽香はおまえのモノじゃねぇよ。
俺の、大切な家族だ。
彼に最後の言葉を投げ掛けた。
後ろから、悲鳴とも絶叫ともつかない声が聞こえたが、それは掠れており、やがて消えていった。
それで戦いが終わった事を悟った茨羽は、陽香の元へと歩み寄り、その躰を抱き起こす。
「……帰ろう、陽香」
「……うん!」
崩壊した風読家を背中に、歩き出す。
ふたりは支え合いながら、仲間たちの元へと帰っていった。