無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
風読夜見が敗北し、風読家が崩壊した後、事後処理が行われた。
茨羽と陽香は生きているのが不思議なほどの重傷を負っており、翔一は立ち上がれないほど疲弊していたため、すぐに治癒の異能力が使える者──美幸、亮一、フレデリカが駆けつけて治療に当たった。三人は朝倉亜美の異能力によって風読家に転移してきており、サポート役を買って出た真中真生も同行していた。
陽香は一糸纏わぬ姿であったため、茨羽が着ていたTシャツを着させたのだが、それもほぼ布切れに近い状態であった。他の者も似たような状態であったため、全員分の着替えも用意されていた。
治療が終わり、どうにか落ち着いたところで、亮一と真中は風読を連行していった。模造品は一掃されており、冬天市で起きていた爆破テロは鎮静していたが、街が平穏を取り戻すまでにはまだ時間がかかる。警察もその対処で手一杯であるため、ひとまず異能研で預かるとの事だった。
他の面々も帰投する事になったが、そこで全員の足を止める出来事が起きた。
突如、瓦礫の山が崩れ、人影が這い出てきた。その人影──霧風才斗を見て、かつて自分たちを襲った男であると気づいた子供たちは咄嗟に身構え、彼の出方を伺った。
「待て待て、オレはもう敵じゃねぇよ!」
「その言葉を信じられると思うか?」
和樹が低い声で言うと、小鳥も「そうだよ! アンタ、風読仮面でしょ! って事は敵じゃん!」と敵意を剥き出しにして言った。
「風読仮面って……ネーミングセンスなさすぎだろ」
呆れたような表情を浮かべた霧風は茨羽に視線を移し、「おまえからも説明してやってくれ。ガキ共はともかく、陽香ちゃんに睨まれるのは堪えるんだよ」と弱りきった声を出した。
それを受けた茨羽が事情を説明すると全員が納得し、霧風は居心地悪そうに頭を搔いた。
「そういう訳だ。攻撃しちまって悪かったな。特に、陽香ちゃん……本当にすまなかった」
霧風は深々と頭を下げ、判決を待つ受刑者のように言葉を待つ。
それに対して、陽香は目を細め、優しい声でこう言った。
「霧風さんの意思ではなかったのでしょう? なら、気に病む事はありません。私はこうして生きていますし」
「陽香ちゃん……」
「それより、まだ会う事ができて嬉しいです。模造品だとは分かっていますが……でも、お礼を言いたかった」
陽香は深々と頭を下げ、霧風に言った。
「助けてくれて、ありがとうございます」
その言葉をきいて、霧風は思わず「あぁ……」と声を漏らしていた。
自分は模造品であり、霧風才斗本人ではない。
けれど、彼の記憶を持っており、霧風才斗にとって茨羽陽香という人間がどれだけ大切な存在なのかを知っている。
だから、その言葉を受け止めた時、自然と目の前がぼやけて、鼻の奥がつんとなった。
泣く訳にはいかない、と思い、上を向く。夏の空が広がっていて、ぬるい風が頬を撫でた。
「その言葉だけで、オレは救われたよ」
深く息を吐いて、霧風は陽香に笑顔を向けた。
「というかおまえ、傷は大丈夫なのか。心臓刺されてたろ」
茨羽の言葉を受けて、霧風は自分の胸を見る。シャツに血の跡は残っているが、傷は塞がっていた。
「焼いたから塞がってる。まあ大丈夫だろ」
「大丈夫なわけあるか。これから異能対に戻るから治療してもらえ」
「ツバつけときゃ治るっての。……あ、そうだ忘れてた」
霧風は思い出したように声を上げ、自分が飛び出してきた瓦礫の山に向かって風の刃を放つ。
瓦礫が削れながら舞い上がり、そこからひとりの少年が姿を現した。気絶しているのか、目は閉じられているが、大きな外傷はないようだ。
「ハルくん!」
帆紫が上げた声に、陽香が「ハルくん……?」と反応する。
「あの子って、たしかサカナミって名乗っていたはずじゃ」
「本当の名前は苛内春人っていうの。苛内の息子だけど、地下牢から私を助けてくれたのはハルくんだよ」
帆紫が言うと、茨羽が「苛内の息子……アイツに妻がいるのか」と驚いた表情で呟く。
「たぶん、日向美雪さんって人の息子だと思う。苛内の研究室に美雪さんの模造品があって、過去を視たら……」
そこまで話して顔を顰めた小鳥の肩を、無銘がそっと抱き、怒りを顔に出して吐き捨てるように言った。
「クソッタレが……日向の想い人は、光だったのに……」
「そういえば、苛内はどうなったんだ?」
翔一がきくと、霧風は瓦礫に目をやりながら、「自分の身を守るのに精一杯だったんで分からねぇが、地下にいたなら生き埋めにでもなってんじゃねぇのか?」と答えた。
「ま、くたばっている事を願うぜ。そんな事よりおまえら、早く戻った方がいいんじゃねぇのか?」
それもそうだなと無銘が答え、春人を担ぎ上げる。
そうして歩き始めたところで、陽香が声を上げた。
「霧風さん、行かないのですか?」
全員が視線を向けた先、霧風がポケットに手を突っ込んでぼんやりと空を見上げていた。陽香の言葉をきくと視線を彼女の方へと向け、「オレは行かない」と答える。
「どうしてだ」
「オレはもうすぐ死ぬからだ」
茨羽の疑問に答えた霧風は、「これを見てみろ」と袖を捲りあげる。
そこには、ドロドロに溶けた右腕があった。
「これは……」
「異能を付与する麻薬──“Hello World”だっけか。それを何度も投与されているうちに、こうなっちまった。多分オレには、複数の異能を持つ才能がなかったんだろうよ」
「なら、すぐに病院に……!」
「それはできない。もう、治療を受けて元に戻るような状態じゃねぇんだ」
もちろん、このままついて行く事もできる。
だけど、それで迷惑を掛けて──陽香を悲しませたくない。
それなら、
「だから、ここで別れよう」
そう言った霧風に、陽香は──
「……嫌です」
「陽香ちゃん……?」
「また会えたのに、すぐにお別れなんて、そんなの嫌です! だって私は、まだなにも伝えられていないのに!」
陽香とて、世間知らずの子供ではない。
どんなに足掻いてもどうにもならない事が存在すると、頭では分かっている。
それでも、駄々をこねる子供のように涙を流し、自らの願望を言葉にした。
そうする事しか、できなかった。
「……ダメだ、陽香ちゃん」
そんな陽香を見て、霧風は困ったように笑う。
酷く、大人びた笑みだった。
「それはダメだ。オレはもう死んでるし、この躰は単なる模造品でしかないんだから」
「それに、オレは嬉しいんだ。陽香ちゃんに、今までの感謝を伝えて逝けるんだからな……」
裏の世界を支配していた風読家の中にあって、陽香だけが自分たちを人間として見てくれた。
その時、この人に生涯を捧げようと決めた。
そして、陽香を護るためにその命を燃やし尽くした。
それは、霧風才斗の誇りとなった。
「ありがとう、陽香ちゃん。陽香ちゃんと出会えて、オレは幸せだったよ」
澄み渡る夏空の下。
その笑顔が、陽炎のように儚いものに思えた。
残された時間は少ない。
その事実を否定したい。
だけど、もしこれが最後なら……。
「私も……霧風さんに会えて、幸せでした」
涙を流しながらも、陽香は笑顔で言葉をかける。
風読家にいた頃には、こんな複雑な表情を浮かべる事はなかった。
茨羽と霧風に救われたから、できるようになったのだ。
それを察したのだろう。霧風は満足そうに頷いてから、茨羽の方へと視線を向ける。
「かなり遅くなっちまったが、結婚おめでとう。陽香ちゃんの隣にいるのがお前でよかったよ」
「俺が陽香の隣にいれるのは、あの時おまえが陽香を救ってくれたからだよ。ありがとう、霧風」
茨羽の言葉を受けた霧風は照れたように笑い、「これからも末永く幸せにな」と言って、子供たち──和樹、帆紫、翔一の方に視線を向けた。
「親父とお袋の事、大事にしてやれよ。それと、おまえらも幸せになれよな。きっと、ふたりはそれを望んでる」
その言葉に込められたものの重さを感じ取った子供たちが頷くと、霧風は満足そうに空を見上げる。
「さて……と、オレはもう行くわ。ひとつだけ、寄りたい場所があるんでな」
霧風が手を掲げると、穏やかだった風が強くなっていき、その場にいた全員が目を瞑る。
そして風が止んだ時、霧風の姿は消えていた。
──あばよ。元気でな。
風に乗って、別れの挨拶が聞こえてきた。
それを合図に、全員が日常へ戻るため歩き出し、事件は完全なる終息を迎えたのだった。
* * *
風読家の崩壊と時を同じくして、模造品の一掃が完了し、街はひとまず平和になった。
避難命令も解除され、人々が街に戻っていく。
そんな中で、六場緑郎はため息をついていた。
彼の眼前にあるのは半壊した店。模造品の襲撃を受けた結果、こうなってしまった。
幸い、その場にいた店員や客は全員無事だったが、店がこの有様では営業は難しい。
申請すれば補助金は降りるし、市や異能省が仮設店舗の設置も行ってくれるとの事だったが、このような状況に陥っている者は大勢いるので、時間はかかる。異能研の所長──神永に聞いた話によると、近いうちに“創建”ないしそれに近い異能力を持つものを全国から集め、復興を手伝ってもらう案も出ているとの事だったが、すぐに営業できない事には変わりなかった。
どうしたものかと考え、腕を組む。隣にいた店員たちも悔しそうな表情を浮かべ、無惨な姿となった店を見つめる。
とりあえず仮設店舗の申請からやるしかないか──と思ったその時、誰かの声が聞こえた。
「よぉ」
懐かしい声だった。
全員がそちらを向く。
風と共に歩いてきたのは、ひとりの男。
六場たちの手前まで来ると、「久しぶりだな」と笑みを浮かべた。
「あ……アニキ……」
ひとりの店員──五火が呆然と呟く。
六場は声すら出せなかった。
「どうしてここに……いやその前に、生きて……」
「悪ぃが、オレは模造品だ。本物は……もう死んでる」
掴みかけた希望はあっさりと霧散し、五火は呻き声をあげた。
「だが、霧風の記憶は持っている。実質、おまえらが知っている霧風才斗と変わらねぇ。だからこそ……あの時言えなかったお別れを言いに来たんだ」
霧風は少し寂しそうに笑って、
「短い間だったが、おまえらと仕事できてよかったよ。ありがとうな」
そう言ったあと、霧風は店を見て、申し訳なさそうな表情になる。
「これ、おまえらの店か? 爆破テロでやられたのか……悪かったな」
「いや……アニキが謝る事ではないですよ」
やっとの事で六場が言葉を絞り出すと、霧風は「だけど、オレは風読家に協力していた。爆破テロの裏で糸引いていたのは風読家だし、やっぱり悪いのはオレだよ」と自嘲気味に言った。
「……それでも、俺たちはアニキに会えて嬉しかったです。俺たちがこうして店まで持てたのは、アニキが俺たちのアニキになってくれたからなんです。だから、アニキは悪くないし、お礼を言いたい」
六場と店員たち──元・裏の世界の殺し屋たちは、霧風をまっすぐ見つめ、深く頭を下げた。
「霧風のアニキ……俺たちに居場所をくれて、ありがとうございました!」
霧風はそれを受けて、泣き笑いのような表情を浮かべる。
「……ああ。これからも、頑張って生きろよ」
柔らかな風が吹く。
目を開けると、そこに霧風の姿はなかった。
「……オレたち、夢でも見てたんすかね」
五火がぽつりと言う。
六場は霧風のいた場所を見つめながら、「いや、夢じゃない」と言った。
「俺たちは確かにアニキに会った。れっきとした現実だよ」
六場は自分たちの店に視線を移し、霧風の最後の言葉を反芻する。
「これからも、頑張って生きないとな。アニキの分まで、精一杯」
そう呟くと、六場は店員たちの方を見て、
「さて、忙しくなるぞ。まずは仮設店舗の申請だが、建つまでには時間がかかる。それまでのつなぎが必要だから……まずはテントを張るところからだ。野郎共、覚悟はできているな?」
『押忍ッ!』
決意を新たに、マイナスから歩き出す。
復興の兆しが見えた街を祝福するかのように、一陣の風が吹き、夏の空へと還っていった。