無題奇譚〜Untitled tale〜 作:惰眠
瑞希たちが異能対策室にやってくる、少し前の事。
腕時計は十四時五十二分を表示している。それを見てから、真中真生は目の前にある建物──陽ヶ鳴刑務所に視線を移した。
この建物には、風読夜見の護衛──家村天花が収容されている。彼女から話を聞き、あわよくば味方に引き入れるというのが、真中に課せられた任務であった。
といっても、真中は交渉事に長けている訳ではない。単に暇だったから任されただけで、自ら志願した仕事ではない。亮一もそれは分かっており、味方に引き入れるまではいかないだろうと思っているようだった。
(ま、過度な期待をされても困るんだけどな)
今回に限っては、期待されていないほうが気が楽だった。風読家の内情──特に苛内植に関する話を聞き出す事ができれば、それで任務完了だろう。
正門から中に入ろうとしたところで、声を掛けられた。
「まなかししょー!」
振り向くと、ひとりの少女がこちらに向かってきていた。
真中の前まで来ると、その背後にある物々しい建物に視線を向け、「こんなところでどうしたの?」ときいてくる。
「ちょっと野暮用でな。おまえこそどうしたんだ?」
真中がきくと、少女──赤坂小鳥は「リンドウ先輩を探してた」と少しばかり表情を曇らせた。
「まだ見つかっていないのか」
「うん。お父さんたちも遠出して探してくれているけど、手掛かりもなにもないから……」
狭霧村で目撃されて以降、零導──アポトーシスの足取りは途絶えている。近隣の市は子供たちが探し、他県などの遠方は大人たちが探しているが、不自然なほど見つからない。
“探知”の異能力に引っかかるか試してみた事もあったが、アポトーシスは異能力を自壊させるため、見つける事はできなかった。これは覚寺我路の“芸道地に堕つ”を使用しても同じであり、異能力を使った探索は諦めたほうがいいという結論になった。そのため足で探しているが、それにも限度がある。
明るく振る舞っているが、小鳥も内心は堪えているのかもしれない。だからなのか、そこで話を打ち切り、「それより、ししょーはなにしてるの?」ときいてきた。
「ここ、刑務所だよ?」
「だから野暮用……ってか、おまえには話しておいた方がいいか」
「え……もしかして、ししょー、犯罪を……」
「そうそう、だから罪を精算しに……ってなんでやねん! どっちかというと罪を償わせる側だわ!」
「よかった〜〜〜」
小鳥はホッとした表情を浮かべた。どうやら本当に心配していたらしい。
あまりにも純粋すぎる反応に、彼女の将来が心配になったが、口にせず。その代わりに、ここに来た目的を明かした。
「風読夜見の護衛……家村天花に会いに来たんだよ。話を聞いて、できれば味方に引き込みたいと思ってな」
「家村天花に……うーん、味方になってくれるかなぁ」
小鳥は顎に手を当て、難しい問題を考えるように顔をしかめる。
「まあそこまでは期待してないけどな。とりあえず話を聞きに行くだけだ」
そう言った真中は、再び腕時計を一瞥する。もうすぐ面会時刻だった。
「じゃあ、これで」と言って軽く手を上げたところで、小鳥が「あたしも行っていい?」ときいてきたので、少し驚いて彼女の顔を見た。
「いいけど……いいのか? リンドウを探してるんだろ?」
「もちろん、リンドウ先輩も大事だけど……でも、なんとなく、行った方がいいと思って」
小鳥は真剣な表情で真中を見ていた。
彼女は風読決戦の際に天花と交戦しているので、思うところがあるのだろう。最も、真中としては連れていかない理由などなかったので、「わかった」と頷いた。
「ってな訳で、そろそろ時間だし行くか」
小鳥が頷くのを見ると、真中は今度こそ正門をくぐり、目的の場所へと歩き始めた。
* * *
受付を済ませると、面会室に案内された。
真中も小鳥も、面会の経験などない。アクリル板で仕切られた机を見て、漫画で見た事あるなぁという謎の感慨を覚えたが、それは天花が入ってきた瞬間に霧散した。
天花は手錠で拘束されていた。といっても、彼女の力なら簡単に引きちぎれるだろうし、アクリル板を破壊してこちらに危害を加える事など容易だろうと思っていたので、小鳥も真中も警戒は怠らなかった。
真中も小鳥も小柄な方だが、天花は同年代の女性より遥かに大きく、身体つきもがっしりしている。とても十六歳には見えない風貌をしていたが、今は目にひかりがなく、髪も乱れ、躰も一回り小さく感じられた。
別の意味で年相応ではない姿を見て、小鳥が拳を握りしめる。天花はふたりと向き合うように座ると、低く抑揚のない声で「なんの用だ」ときいた。
「話をしに来た」
「話す事などない。私はなにも知らないし、なにも答えるつもりはない」
予想通りの答えに、真中は心中で思考を巡らせる。
しかし、その間に小鳥が天花に話しかけたため、意識がそちらに傾いた。
「あたしはアンタの事が知りたい」
「……なにを言っている?」
「アンタがどんな人生を送って、どうして風読家に忠誠を誓ったのか……アンタと話をするなら、まずはそこから知らないといけないと思ったから」
小鳥の言葉を受けた天花は鼻で笑って、
「貴様にはロストアイがあるだろう。私が話さなくても、過去は覗けるはずだが」
「でも、アンタの口から聞かないといけない。人の過去なんて、普通なら見えないものなんだから」
小鳥の視線は真っ直ぐで、天花を捉えて離さない。
それに負けた訳でもないだろうが、天花は口の端を僅かに吊り上げ、「それならば話してやろう」と冷たい声で言った。
「思い知るがいい。貴様らが私から、何を奪ったのかをな」
・ ・ ・
十歳の時の天花は、痩せこけてひ弱な少女だった。
性格も気弱で、いじめにあって不登校寸前。自分が世界でいちばん不幸だと疑わない、そんな少女だった。
転機が訪れたのは、十二歳の頃だった。たまたま見つけた道場に入門したら、才能が開花したのだ。
弱い自分を変えたいと思い、熱心に練習したというのもあるが、その才能は桁外れで、十四歳になる頃にはかなりの実力者となっていた。
徹底したトレーニングのおかげで筋肉も付き、背も伸びた。小学生の頃に自分をいじめてきた男子を見下ろした時、「ああ、こんなものか」と思った事を、妙に覚えている。
更に、天花の自信を後押しするような出来事が起きた。
ある日の事、いつものようにジムでトレーニングに励んでいると、ひとりの男が近づいてきて「ちょっといいかな」と微笑みを向けてきた。
警戒心を感じさせない笑顔に、柔らかい雰囲気を纏う男。身なりも良いので良からぬ輩ではなさそうだが、念の為、警戒のレベルを少し引き上げてから、天花はその言葉に応じた。
「僕は風読。この街に住んでいるなら、名前くらいはきいた事があるはずだ」
風読といえば、この街の名士だ。そんな男がなぜ自分に話しかけてきたのか──警戒のレベルをもうひとつ引き上げて、天花は頷いた。
それを見た風読は満足そうに微笑むと、こう続けた。
「知っての通り、僕はちょっとした有名人だ。それ故に敵も多くてね。武道は嗜んでいるけれど、いちいち相手にしていたらキリがない。そこで護衛を雇おうと思い立ったんだけど……」
そこで風読は顔を顰めた。不味いものを食べた時のような表情で、この街の名士である事を忘れさせるほど、親しみの持てる表情だった。
「どいつもこいつも頼りない奴ばかりでね。高名な異能力者だったり、格闘技の元世界チャンピオンを自称している奴だったり、色々な護衛を雇ってはみたが、一ヶ月も持たないで辞めたよ。困ったものだ」
風読は大仰な素振りで手を広げ、ため息をついて見せてから、「だが……」と天花をまっすぐに見つめた。
「きみを見て確信した。きみこそ僕の護衛に相応しい逸材だとね。その才能を僕の下で振るう気はないかな?」
怪しい、と思ったが、男の目には邪気の欠片もない。
それに、褒められるのは素直に嬉しいし、誰かの役に立てるのも嬉しい。
少し考えた末、天花はその申し出を呑むことにした。
「分かりました。私でよければ引き受けます」
その答えに、男は満足そうに頷いて、手を差し出してきた。
「よろしく頼むよ、家村天花くん」
その手を取った瞬間、天花の主は決まり、彼女は風読家の護衛として居場所を貰ったのだった。
* * *
「主は私の全てだった。居場所も、使命も、存在意義も、全てあの方がくださった。それを貴様らが奪った。だからこれ以上はなにも話さないし、なにも答えない。私の沈黙で主の尊厳が守られるというなら、この口を縫い付ける事だって厭わない」
天花ははっきりとした口調で言う。
それをきいて、小鳥と真中は、彼女の意思が固い事を悟った。
どんなに説得しようとしても、それは揺らがない。あらゆる手を使って懐柔しようとしても、徒労に終わるだろう。
なぜなら、自分たちは、彼女の大切なものを奪ってしまったのだから──。
沈黙が続き、面会時間が終わりに差し掛かった頃、小鳥がこう呟いた。
「アンタの決意が固いのは分かった。あたしたちがなにをしてもそれが変わらないのもね」
「分かったならとっとと失せろ」
「そうする。だけど……その前に、ひとつきかせて」
「言ったはずだ。私はもうなにも──」
「アンタが当主にとって自慢の護衛なら、なんであの時、苛内はアンタを殺そうとしたの?」
「それは……」
天花は言葉に詰まる。
風読決戦の際、小鳥に負けた天花は苛内の触手に貫かれ、重傷を負った。その場にいた小鳥は連れ去られ、苛内の手に落ちかけたのだが、それは偶然であり、苛内の目的は天花の殺害だったのではないかというのが、小鳥の考えだった。
「苛内がなにを考えていたのかなんて、あたしには分からないけれど……多分風読の当主は、陽香さんしか見ていなかったと思う。それ以外は、なにも必要なかったんじゃないかな」
それだけ言ったところで、面会時間が終了し、小鳥と真中は無言で部屋を出ていった。
残された天花は、刑務官に連れられて部屋を出る。その間、彼女の中では、様々な思いが乱れ飛んでいた。
主が茨羽陽香に執着していたのは知っている。
自分は与えられた役目を果たせなかった。
だから見捨てられて当然だ。
そのはずなのに……。
(なぜ、私は動揺している?)
必要ない存在だと言われたのがショックだった。
居場所をなくしたのが堪えた。
自分はもう、存在してはいけないのだと思い知った。
「私、は……」
これから、どうすればいいのだろう。
考えてみても、分からなかった。
* * *
刑務所を出たところで、真中は小鳥と別れ、亮一に事の顛末を報告した。
ひとまず戻る事になり、駅に向かって歩き出す。その間、真中の脳裏には、別れ際の小鳥の表情が浮かんでいた。
「……あたしは、風読家が許せなくて戦った。だけど、あたしたちも、アイツから大切なものを奪ってたんだね」
とても哀しそうな表情でそう言ったあと、小鳥はふらふらと歩き出し、雑踏に紛れて消えていった。
声を掛けるべきだったかもしれない、と思う。
だけど、それはできなくて、自分は無力だと痛感した。
(こんな事、早く終わりにしねぇと)
ため息混じりにそう思って、真中は帰路に着いた。
家村天花が脱獄したのをふたりが知ったのは、それから一ヶ月ほど経過した時の事だった。
真中の決意も虚しく、その頃には、物語は破局へと向かっていたのだが──いまのふたりには、それを知る由はない。