無題奇譚〜Untitled tale〜   作:惰眠

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#82「ヘルタースケルター・イグニッション」

 視界に映るのは見慣れつつある天井。重い躰をベッドから引き剥がし、香恋ほまれはゆっくりと立ち上がった。

 長野県にあるビジネスホテルの一室。ほまれがここに滞在するようになってから三週間ほど経過しているが、外に出る事は禁じられているため、毎日暇を持て余していた。

 狭霧村が壊滅したあと、ほまれはここに連れてこられた。他の村人がどうなったのかは分からないし、それを知る宛もない。自分の衣食住は保証されており、おそらく身の安全も保証されているのだろうけれど、その代わりに与えられる情報が制限されており、村がどうなったのかすら分かっていなかった。

 自分を救ってくれた日向美雪を名乗る女には、あの日以降会えていない。顔を合わせる人といえばホテルのルームサービスくらいのもので、ほぼ人と話していなかった。

 これでは死んでいるのと変わりないではないかと思うが、思ったところでどうにかできるものでもない。ほまれにできることは、救われた命を無駄に浪費する事だけだった。

 しかしそんな日々は、ある日突然終わりを迎える事となる。

 

   *   *   *

 

 ノックの音が聞こえ、反射的に「どうぞー」と応答してから、不用心だったかなと少し反省する。

 入ってきたのは背の高い女だった。黒髪を後ろで束ねた、赤い瞳の女。躰が小さいほまれからするとかなり背が高く見えたが、実際は165cm程度だろうと推測できた。

 

「失礼します。我らが主の命により、お迎えに上がりました」

 

 女は上品に一礼するとそう言ったが、当然、ほまれにはなんの事なのか分からない。警戒しながら少し後ずさり、低い声でこうきいてみる。

 

「主とは?」

「日向美雪……といえば分かりますか?」

 

 日向美雪。

 狭霧村で、自分を助けた女の名前だ。

 彼女が何者なのかは分からないし、罠の可能性もある。だが、自分のような一般人を陥れるメリットがないだろうし、いまの状況に対する情報を得られるかもしれない。

 利用しない手はなかった。

 

「分かりました」

 

 ほまれが頷くと、女は「10分後に、また来ます。それまでに準備をお願いいたします」と言い残して、部屋から出ていった。

 荷物らしい荷物は持っていないので、部屋の片付けを手早く行い、6分後には準備を終える。

 そして、きっかり10分後にドアを叩いた女に連れられ、ほまれは外界へと踏み出した。

 チェックアウトを済ませ、外に出る。どうやら長野駅の近くだったようで、行き交う人々が目に付いた。

 その間をスルスルと抜けていく女を追いかけ、たどり着いたのは一件のバーだった。

 店名は“グラン・ギニョル”。バーにつけるには些か物騒な名前のような気もしたが、口にせず。代わりに「私、まだ未成年ですけど」と言った。

 

「大丈夫です。着いてきてください」

 

 女は簡潔に応えると、階段を降りてドアを開ける。

 ほまれもそのあとをついていき、バーの中に入った。

 開店前のようで、客はおろかバーテンダーもいない。唯一動くものといえば、カウンターに座るひとりの女のみだった。

 

「香恋様をお連れしました」

 

 その言葉に振り向いた女は、「ありがとう」と言うと、ほまれを見て微笑みを浮かべる。

 

「元気にしていたかな?」

「はい。えっと……日向美雪さんでしたっけ」

「いまはそう呼んでくれた方がいいかな。あ、ちなみにこの人の名前はきいた?」

 

 この人というのは、自分をここまで連れてきた女の事だ。

 ほまれが首を横に振ると、女は「申し遅れました」と頭を下げて、

 

「伏黒翔と申します。以後お見知りおきを」

 

 そう名乗った。

 

「これで自己紹介は済んだね。早速本題に入りたいところだけど……その前に、座ったら?」

 

 日向は自分の隣をポンポンと叩く。ほまれがそこに座ると、伏黒がバーカウンターの中に移動して、「何かお飲みになりますか」と質問した。

 

「えっと……」

「ノンアルコールも取り揃えております。なんなりとお申し付け下さい」

「じゃあ、ノンアルのカシスオレンジを」

 

 ほまれの言葉に頷いた伏黒は、日向に視線を向ける。「同じやつで」という言葉を受けると、彼女は一礼し、準備を始めた。

 

「ここって、伏黒さんのお店なんですか?」

「私の友人が経営している店です。貸切にしていますし、向こうも事情は把握しておりますのでおくつろぎ下さい」

 

 伏黒がそう答えて話題が途切れると、日向が「じゃあ、本題に入ろうか」とほまれの方に視線を向けた。

 

「今回、キミをここに呼んだのには理由があってね。私たちと一緒に、冬天市に向かってほしいんだ」

「冬天市に……?」

 

 自分の家に逗留していた天姫奏が目指していた場所であり、狭霧村で出会った赤坂小鳥らが住んでいる街。どうやら、自分は冬天市と縁があるらしい。

 

「なぜ、私も一緒に?」

「私たちが探し求めているものを見つけるのに、ほまれちゃんの力が必要だから」

「でも、私にはなんの力もないです」

 

 異能力だって持っていないし、なにか特別な才能があるわけでもない。自分が必要な理由に、思い当たる節はない。

 しかし日向は「ほまれちゃんじゃなければできない事なんだ」と強い視線でほまれを捉えたまま、説得するように言葉をかけてくる。

 

「無理にとは言えないけど、協力してくれると助かるかな」

 

 日向の視線は揺るぎない。

 ほまれは彼女に助けられた身であり、その恩に報いる必要があると思う。なので断るつもりはなかったが、そのまえに聞きたい事がいくつかあった。

 

「ひとつ、きかせてください」

「私に答えられる事なら」

「村の人たちはどうなったんですか」

 

 日向に助けられたのは自分だけで、他の人がどうなったのかは分からない。それが気掛かりだった。

 

「生きてはいるよ。いまは他の所に留まってもらっている。ああでも、平柄段くんは私たちと一緒に行動したいって言ってきたから、先に冬天市に向かってもらっているけれど」

「そうですか……」

 

 ひとまず全員が無事と知り、胸を撫で下ろす。

 そのタイミングで、伏黒が飲み物を運んできた。よく冷えたカシスオレンジに口をつけながら、新たに生じた疑問をぶつけてみる。

 

「もうひとつ。あなたたちは……何者ですか」

 

 疑問を受けた日向はカシスオレンジを一口飲むと、指先に付着した水滴を眺めながら、淡々と答えた。

 

「ヘルタースケルター。ある目的のために、ひとりの女の子を探している」

「女の子?」

「小桜みなも」

 

 その名前をきいたほまれは、驚きでグラスを取り落としそうになった。

 

「なんで……」

「私たちについて行けば分かるよ。どうかな?」

 

 目を細めて微笑む日向は、天使にも悪魔にも見えた。

 だが、自分が求めていた一筋の希望を、彼女が持っているのも事実だった。

 それなら──

 

「……分かりました。あなたたちと一緒に、冬天市に向かいます」

 

 ほまれの言葉に頷いた日向は、伏黒に視線を向ける。

 それを受けた伏黒は携帯端末を手に店を出て行った。誰かに電話を掛けるつもりのようだ。

 数分後、戻ってきた伏黒は無表情で、「向こうも準備は整っています」と手短に報告する。

 それを受けた日向は「じゃあ、行こうか」とほまれに手を差し伸べた。

 その手を掴んで立ち上がったほまれは、カシスオレンジの代金を払おうと財布を取り出すが、その前に日向が「お金は大丈夫。冬天市までの交通費も私たちで負担するから、心配しないで」とにっこりと笑って言ったので、彼女に従いつつ店を出た。

 長野駅に向かい、新幹線の切符を購入し、座席に座る。乗客が多いため、全員がバラバラに座る事となり、その分ひとりで考える時間ができた。しかし心中は複雑な感情に満ちており、まとまりのない思考を繰り返すばかりだった。

 新幹線がゆっくりと動き出し、加速していく。

 ほまれの期待と不安を乗せ、目指すは冬天市。

 そこでなにが待ち受けているのか──考えてみても、分からなかった。

 

   *   *   *

 

 陽ヶ鳴市と澪標市の境にある、存在しない屋敷。

 携帯端末でやり取りをしていた苛内植は「分かった。情報提供感謝するよぉ〜」と間延びした声で言って、通話を終えた。

 

「読み通りだ。やはり、リンフォンがひとつ残っているようだね」

「世界が変容しかかっているのもその影響か」

 

 玉座に座る女──透翅魅雪の言葉に頷いた苛内は、ニタリと笑みを浮かべ、「楽しみだよぉ……また、みなもちゃんを僕のモノにできるなんてねぇ……」と嬉しそうに言う。

 

「アンタ、本当に女好きだよね。自分の年齢考えたら?」

 

 退屈そうにソファに寝転がっていたドロシィが半目でそう言うと、苛内は「失礼な。僕は男でもイケる」と笑みを崩さないまま言った。

 

「でも最近はかわいい女の子と出逢う機会が多いからねぇ。咲ちゃんに小鳥ちゃん……上物ばかりで心が躍るよぉ。ま、僕のイチバンは美雪だけどね」

「……アンタ、なんでそんなに日向美雪に執着してるわけ?」

「一目惚れってヤツだよ。あんなかわいい子、滅多にいないしね。風読家にいた頃に可愛がっていた模造品はみんな死んじゃったけど、リンフォンを使えばオリジナルを僕のモノにできる。そうしたらまた……ヒヒッ」

 

 癇を起こしたように笑う苛内から距離を取った悪泣輪廻が「可愛がっていたというが、例の麻薬の材料にもしていたのじゃろう」と気味悪げに言うと、苛内は頬を膨らませて、

 

「“Hello World”は異能力者をドロドロに溶かして造るからねぇ。量産するに当たって、模造品はちょうどよかったのさ。ま、夫婦の共同作業というコトで……ね」

 

 途中から恍惚とした表情になった苛内を見て、「こやつのこういうところだけは理解できん」と呟く悪泣。

 あたしもだよとため息混じりに同意したドロシィは「それで、どうやってリンフォンを手に入れるの」と苛内に視線を向けてきいた。

 

「さっきの電話だと、みなもちゃんは異能対あたりが保護してるみたいだからねぇ。誘拐してもいいけど、リンフォンが開きかかっているから、しばらくは様子見かなぁ」

 

 顎に手を当てて考え込んだ苛内は、しばらくしたあとに手を打つと、「というわけで、キミにも手伝ってもらうよぉ」とドロシィを見て言った。

 

「は? なんであたしが」

「その姿だと色々と都合がいいしね。輪廻ちゃんも連れていくといいよ。顔が割れてないし」

「却下。行くならお主が行け」

「僕、顔割れてるし」

「なら変装でもなんでもして行け! 折角ゆっくりと眠れると思っていたのに叩き起されてこんな躰に入れられた身にもなってみろ!」

「えぇ〜、めんどくさ……いやまてよ、ならこうすれば……」

 

 またもや考え込んだ苛内は、汚れた眼鏡をキラリと光らせ、「仕方ないなぁ〜。なら僕が行くよ」となぜか嬉しそうに言った。

 

「というわけで、少し留守にするよ。暇なら少し動いてもいいし、そこは貴女に任せるからねぇ」

 

 苛内にそう言われた透翅は「よい、行け」と短く言って、転寝をするように目を閉じる。

 その様子を見ながら、嫌な予感を覚えたドロシィは、溜息をつきながら苛内のあとを着いて行った。

 

   *   *   *

 

 そして、冬天市は混沌に飲み込まれた。




次回から新章に入ります(予定)
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